「知識」とは何か|プラトンからカントまで、哲学における知識観の変遷
□ 知識とは何か
「知識」とはなにか。
突然こう問われたとき、すぐに答えられる人はどれくらいいるでしょうか。
「覚えるもの」「テストに出るもの」
多くの人がそう答えると思います。
かつての僕もそうでした。
でも、大学の講義でこの問いに正面からぶつかったとき、自分が「知識」だと思っていたものの輪郭が、じわじわと崩れていきました。
「知識」とはなにか?
「わかる」とはどういうことか?
「真正な学び」とはなにか?
「教育」とはなにか?
その問いに向き合った末に、
僕はこう定義しました。
知識とは「自分が対象に対して解釈した、最も確信度の高い説明」である。
覚えた瞬間に正解になるわけではない。
将来もっと良い説明が見つかれば、更新されるものという意味です。
この定義が、学習理論の根底にある問いと深くつながっています。知識をどう捉えるかによって、「学ぶとはどういうことか」の答えが根本から変わるからです。学習理論の変遷については以下の記事で紹介しています。
まずは、知識の定義がどのように生まれ、どのように揺らいできたのかを、哲学の歴史から辿ってみましょう。
□ プラトン 「正当化された真なる信念」

「知識とは何か?」という問いに答えるためには、根源的な哲学的問題まで遡る必要があります。
2000年以上前、ソクラテスの弟子であるプラトンは、知識を「正当化された真なる信念(Justified true belief)」と定義しました。これはよく「JTB」と略されます。
もう少し噛み砕くと、「AさんがPを知っている」と言えるためには、次の3つの条件をすべて満たす必要があります。
① AさんはPを信じる
② Pは真である
③ AさんはPを信じる正当な理由を持つ
具体例で考えてみましょう。
Aさんが目の前の箱を見て、「中にドーナツが入っている」と信じているとします。

箱の中に本当にドーナツが入っていれば、条件①と②は満たされます。

では、条件③はどうでしょうか。
例えば「ドーナツが食べたいと思ったから、そう信じた」とか「今日の星占いでドーナツが食べられると書いてあったから」という理由では「Aさんが箱の中身を知っている」とは言うことができません。
それはただの希望や偶然です。

では、「さっき箱の中を見たから」はどうか。
これなら正当な理由と言えます。
Aさんは箱の中身を「知っている」と言えるでしょう。
では、こういう場合はどうでしょう。
「母親がドーナツを買ってくると言っていた。母親は嘘をつかない。」

Aさんには正当な理由があるように見えます。しかし、「前提から結論が推論できる」だけでは、本当に正当化されていると言えるでしょうか。
このように、JTBの定義は一見シンプルに見えて、「何をもって正当な理由とするか」という問いを残したまま後世に引き継がれていきます。
このような具合に、この後の哲学では「知識の正当化基準を明確にすること」を目的に研究が進められます。
□ アリストテレス 「カテゴリ」

プラトンの弟子にあたるアリストテレスは、知識をより体系的に整理しようとしました。
アリストテレスの重要な視点は、物事を「概念」や「カテゴリ」によって分類し、論理的に整理しようとした点にあります。
たとえば、目の前に柴犬がいるとします。
僕たちはそれを見て、ただ「茶色くて、四本足で、しっぽが丸まっているもの」とだけ認識しているわけではありません。
「これは犬である」
「犬は動物である」
「動物は生物である」
このように、目の前の対象をより大きな分類の中に位置づけて理解しています。
つまり、人間は世界をバラバラに見ているのではなく、概念によって整理して見ているのです。
これは、知識を考えるうえでとても重要です。
もし知識が、ただの経験や記憶の集まりでしかないなら、世界は無数の情報の断片になります。
でも、概念やカテゴリがあることで、私たちはそれらを整理できます。
「これは何に分類されるのか」
「これは何と関係しているのか」
「なぜ、そう言えるのか」
こうした問いによって、知識は単なる暗記ではなく、体系になります。
学校の勉強で言えば、用語を覚えるだけでは知識とは言えません。
その用語がどの概念に属するのか。
他の概念とどう関係しているのか。
どのような論理で説明できるのか。
そこまで整理されて、はじめて知識は「使えるもの」になります。
アリストテレスは、知識を論理によって整理できるものとして捉えました。
ここで、知識とは「覚えるもの」から、
「整理し、説明できるもの」へと広がっていきます。
□ ジョン・ ロック 「タブラ・ラーサ」

しかし、ここで別の問いが生まれます。
そもそも、その知識はどこから来るのでしょうか。
人間は、生まれたときから知識を持っているのでしょうか。それとも、生きていく中で知識を獲得していくのでしょうか。
この問いに対して、ジョン・ロックは
「知識は経験から来る」と考えました。
ロックは、人間の心を「タブラ・ラーサ」と捉えました。タブラ・ラーサとは、何も書かれていない白紙のようなものです。
つまり、人間は生まれたときから完成された知識を持っているわけではない。見たり、聞いたり、触れたり、試したりする経験を通して、知識を獲得していく。
この考え方は、かなり直感的です。
たとえば、子どもは最初から「熱い」という概念を完全に理解しているわけではありません。
温かいものに触れる。
熱すぎるものに触れて驚く。
大人から「それは熱いから気をつけて」と言われる。
そうした経験を通して、「熱い」という知識を獲得していきます。
これは勉強でも同じです。
教科書を読んだだけでは、まだ知識として浅い。
実際に問題を解く。
間違える。
解説を読む。
もう一度考える。
具体例に当てはめる。
そうした経験を通して、知識は少しずつ自分のものになっていきます。
ロックの視点で言えば、知識は頭の中に最初から入っているものではありません。知識は、世界との関わりの中で生まれます。
ここで、知識は「生まれつき備わっているもの」ではなく、「経験によってつくられるもの」として捉えられるようになります。
□ デイヴィッド・ヒューム 「因果律の否定」
しかし、ロックの考え方には大きな問題が残ります。
知識が経験から来るとして、その経験は本当に確かなものなのでしょうか。
この問いを徹底的に突きつけたのが、デイヴィッド・ヒュームです。
ヒュームは、私たちが当たり前のように信じている「因果関係」に疑問を投げかけました。
たとえば、ビリヤードの球を考えてみます。
白い球が別の球に当たる。
すると、当たった球が動く。
僕たちはこれを見て、「白い球がぶつかったから、もう一方の球が動いた」と考えます。
つまり、原因と結果があると考えます。
でもヒュームは、ここに疑問を投げかけます。
本当に僕たちは「原因そのもの」を見ているのでしょうか。
実際に見ているのは、
白い球が動く。
別の球に当たる。
その後、別の球が動く。
という出来事の連続だけです。
そこに「必ずそうなる」という因果関係を見ているわけではありません。
僕たちは、何度も同じような出来事を経験することで、「次もきっとそうなる」と信じているにすぎないのではないか。
これがヒュームの鋭さです。
「これまでそうだった」ことは、「これからもそうである」ことを完全には保証しません。
太陽は毎朝昇ってきた。
だから明日も昇るだろう。
これは日常的にはかなり確かな知識に見えます。
しかし、厳密に考えると、「これまで毎日そうだった」という経験だけで、「明日も必ずそうだ」と論理的に証明することはできません。
ここで、知識は一気に不安定になります。
ロックは、知識は経験から来ると考えました。
しかしヒュームは、その経験によって得られた知識すら、本当に確実なのかと問い直したのです。
知識は経験から来る。
でも、その経験は絶対ではない。
この問いによって、「知識とは何か」という問題は、
さらに深い場所へ進んでいきます。
□ カント

ヒュームの問いは、哲学に大きな衝撃を与えました。
経験から知識が生まれる。
しかし、その経験は絶対に確実とは言えない。
では、人間は本当に確かな知識を持つことができるのでしょうか。
この問題に対して、大きな答えを出そうとしたのがカントです。
カントは、経験だけでも、理性だけでも、知識は成立しないと考えました。私たちは、ただ世界をそのまま受け取っているわけではありません。
人間には、世界を認識するための枠組みがあります。たとえば、時間や空間、原因と結果といった見方です。
僕たちは、出来事を「時間の流れ」の中で理解します。物を「空間の中にあるもの」として理解します。
出来事のつながりを「原因と結果」として理解します。
つまり、世界がそのまま頭の中に入ってくるのではありません。
人間の認識の枠組みを通して、世界は「理解可能なもの」として現れるのです。
ここに、カントの有名な転換があります。
認識が対象に従うのではなく、対象が認識の形式に従って現れる。
少し言い換えると、僕たちは世界をそのまま見ているのではなく、人間の認識の仕組みを通して世界を見ているということです。
これは、知識についてかなり重要な考え方です。
知識は、外から入ってくる経験だけでできているわけではない。
かといって、頭の中の理性だけでつくられるわけでもない。
外から与えられる経験と、それを整理する人間の認識の働き。
その両方によって、知識は成立する。
カントは、経験論と合理論の対立を乗り越えようとしました。
経験は必要である。
しかし、経験だけでは知識にならない。
理性の枠組みも必要である。
この意味で、カントは知識論を一度大きく完成させた人物だと言えます。
□ おわりに
「JTBは長いあいだ知識論の中心にあった」
ここまで見てくると、「知識とは何か」という問いが、少しずつ形を変えてきたことがわかります。
プラトンは、知識を「正当化された真なる信念」として考えました。
アリストテレスは、知識を概念やカテゴリによって体系化しようとしました。
ロックは、知識は生まれつきではなく、経験から来ると考えました。
ヒュームは、その経験すら本当に確実なのかと疑いました。
カントは、経験と理性を統合し、人間の認識の枠組みによって知識が成立すると考えました。
こうして知識は、ただ「覚えるもの」から、「正当化され、体系化され、経験によって獲得され、人間の認識によって形づくられるもの」へと、長い時間をかけて考えられてきました。
そしてその中心には、ずっとJTBがありました。
この考え方は、とても強かったと言えます。
なぜなら、僕たちの日常感覚にも合っているからです。
ただ信じているだけでは、知識とは言えない。
たまたま当たっただけでも、知識とは言えない。
正しい内容を、正しい理由に基づいて信じているとき、僕たちはそれを「知っている」と呼ぶ。
しかし、20世紀に入って、この土台を揺るがす出来事が起こります。
それが、ゲティア問題です。
正当化されている。
真である。
本人も信じている。
それでもなお、「知っている」とは言えない場合があるのではないか。
この問いによって、知識論は大きく揺さぶられることになります。
次の記事では、たった数ページの論文によってJTBを揺るがしたゲティア問題について考えていきます。
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