第137話 「先生だから」が自分を追い詰めていた
教員として働く中でうつ病を経験し、休職・入院・リワークを経て回復の途中にいます。
このnoteでは、うまくいかない日も含めた闘病の記録と、自己肯定感について綴っています。
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「先生だから」という言葉を、
私は自分にかけ続けていました。
誰かに言われたわけではありません。
自分で自分に、言い続けていました。
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「先生だから」という鎧
先生だから、弱音を吐いてはいけない。
先生だから、休んではいけない。
先生だから、完璧でなければいけない。
先生だから、誰よりも頑張らなければいけない。
これらは、
誰かに教わったルールではありません。
いつの間にか、
自分の中に積み上がった、
「理想の先生像」という鎧でした。
その鎧は、最初は誇りでした。
「先生らしくいられる自分」が好きでした。
責任感があって、誠実で、子どものために動ける。
そういう自分でいることが、
生きることの意味のように感じていました。
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鎧が重くなっていった
でも、年数が経つにつれて、
鎧は重くなっていきました。
「先生だから」という言葉が、
少しずつ自分を縛るようになっていきました。
しんどいと感じても、「先生だから」と我慢する。
休みたいと思っても、「先生だから」と動き続ける。
限界が来ても、「先生だから」と踏ん張る。
鎧は外から守ってくれているようで、
内側から締め付けていました。
息が、できなくなっていきました。
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「先生だから」の正体
療養中に、静かに考えました。
「先生だから」という言葉の正体は何だったのか。
誇りでもない。
プライドでもない。
やりがいとは、また少し違う。
それは、恐怖でした。
先生らしくなかったら、価値がない。
先生らしくなかったら、認めてもらえない。
先生らしくなかったら、ここにいる資格がない。
「先生だから頑張る」ではなく、
「先生でい続けなければ、自分には何もない」
という恐怖から動いていました。
先生という役割自体が、
私のアイデンティティになっていました。
役割を失うことを、
自分を失うことと同じくらいに
感じていたんだと思います。
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先生をやめてわかったこと
辞表を出した日、私は泣きました。
悲しさや悔しさもありました。
もっとやりたかったことも、
子ども達の一生懸命な姿も、
何度となく思い返しました。
でも、それ以上に、
「怖い」と思ったのを覚えています。
それは、
「先生」という鎧を脱いだとき、
中に何も残っていなかったらどうしよう、
という恐怖でした。
でも、その鎧を脱いでみて、
そこにいたのは、
疲れ果てて、傷ついて、
でも確かに生きているただの一人の人間でした。
弱くて、不完全で、悩みがたくさんあって、
ただ回復したいと願っていた、
それが本当の自分でした。
「先生だから」を手放したとき、
初めて「自分だから」で生きることができました。
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役割は、自分ではなかった
私は「先生」という役割を生きていました。
この記事を読むあなたにも、
きっと役割はあるはずです。
会社での役職。
子どもパパやママであること。
地域のコミュニティ。
誰かの彼氏や彼女。
SNSやゲームの中での役割。
でも役割は、自分ではありません。
役割は、着たり脱いだりできるものです。
脱いだ後にも、生身の自分はいます。
役割に価値を置くと、
役割を失ったとき、
自分の価値も失います。
でも存在に価値を置けば、
何も持っていなくても、
自分には価値があります。
「何者かであること」より、
「ただ、いること」の方が、先にあるんです。
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おわりに
「先生だから」という言葉は、
私を守っているようで、壊していました。
役割に縛られていた分だけ、
本当の自分から遠ざかっていました。
その鎧を脱いだことで、
ようやく深呼吸ができました。
あなたにも、
「〇〇だから」という言葉がありますか。
親だから。
長男・長女だから。
リーダーだから。
もう大人だから。
その言葉が、あなたを支えているなら、
大切にしてください。
でも、
その言葉が息苦しさの原因になっているなら、
一度だけ、その鎧を外してみてください。
役割を脱いでも、あなたはいます。
そこに「いる」のが、本当のあなたです。
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「先生だから」を手放したあの日が、
本当の自分に戻り始めた日でした。

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