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【聖なる経済学】 働く意志

訳者コメント
ここではベーシックインカムに対する代表的な反論、「そんなことをしたら誰も働かなくなる」に対して、反論していきます。
 人の才能は天から与えられた賜物(ギフト)であり、それを贈り物(ギフト)として人に与えたいと思うのが人間の本性なのだという主張が、ここでもまた繰り返されます。徹底した性善説です。
 私が会社に勤めていた頃、いつも感じていたフラストレーションは、「私が持っているものを会社は必要としていない、会社が必要としているものを私は持っていない」というものでした。私は会社に提供出来るアイデアをいっぱい持っていると思っていましたが、それは会社が作れと命じるものとはズレていたため採用されず、私は給料をもらうため、命じられた問題の範囲内で不本意な解決策を考えることしかできませんでした。根本的な解決策は別の所にあると知っていても、既に決まってしまった路線を逸脱することは許されませんでした。一つの部署に5年も勤めると、どこでもこのような壁にぶつかりました。お金をもらって仕事をするとは、だいたいどこでもそのようなものだと思います。


働く意志

例えば、原油流出からウミガメの卵を救うよりも、余っている住宅をさらに建てることを強いるような狂気があるでしょうか。結局のところ、コモンズの枯渇が利益を生むのであって、その回復は利他主義、善意の問題だという結論に至ってしまいます。本書の提案はこの力学を逆転させるものです。コストの内部化は、お金の流れと人間の活動の流れを消費から神聖なものへと方向転換させます。マイナス金利貨幣は、投入された金額以上のお金を生み出さない用途にも投資が向けられるようにし、未来の割引を終わらせます。しかし、これらの措置だけでは十分でないかもしれません。なぜなら、世界を癒すために必要な作業の中には、根本的に非経済的なものもあるからです[9]。

そこで問題となるのは、経済的な見返りを生み出さないけれど重要な仕事に人々が取り組める環境を、どうやって作り出すかということです。富の再分配と同様に、基本的に二つの方法があります。一つは私が先に述べた社会配当であり、これは現在、景気刺激策の給付金、税額控除、福祉給付金のような薄められた形で存在しています。これにより、人々は誰も雇ってくれない(雇用主にとって収入を生み出さない)活動や、販売可能なものを何も生み出さない活動を追求する経済的自由を得ることができます。

非経済的な仕事を促す第二の方法は、政府(あるいは他の組織)が、私たちが価値を置くようになった美しく必要な仕事をする人々に対して報酬を支払うことです。その兆しはニューディール政策の時代に見られ、そこでは何百万人もの失業者を雇用し、将来的にプラスの経済的利益を生み出すインフラ建設だけでなく、民族音楽の収集・保存や保養地の整備といった仕事も行わせました。これをさらに拡大すると、本質的に国家社会主義の様相を帯びてきます。しかし中央集権的な計画はしばしば重要なニーズを見落とし、全体主義的な権力の乱用を招き、個人や草の根組織の創造性を味方に付けることができません。社会配当を通して私たちが信頼を置くのは、経済的必要性に縛られなければ、人々は善い仕事や必要な仕事を自然に選ぶようになるということです。こうした自由で制約されない選択は、束縛のない欲望から生まれるものですが、どのような仕事が神聖なのかを明らかにするのに役立つでしょう。

ここで問題となるのは、人間の本性に関する二つの相反する見方、ひいては社会運営のあり方に関する二つの見方です。一方は「人々を経済的苦境から解放すれば、彼らは美しい仕事をするだろう」といいます。もう一方は「美しい仕事を提供し、経済的苦境を利用して人々をその仕事へと駆り立てるべきだ」といいます。前者は、人々が本来持っている創造への欲求と自己組織化能力を信頼するものであり、後者は、人的労働力の配分を政策立案者に委ねるものです。私の考えでは、どちらの見解も今後長きにわたって一定の役割を果たし続けるでしょうし、最終的には、政治プロセスがより包括的で、草の根的、自己組織的なものになっていけば、両者は一つに融合していくと思います。

ベーシックインカムに対する反対意見の一つは、新型コロナウイルスの流行時のように、それが中小企業の倒産や従来の雇用の喪失を招き、人々を国家への恒久的な依存状態に陥らせ、その結果、国家がベーシックインカムの支給条件として「良い行い」(つまり従順さ)を義務付ける可能性があるという点です。もし、追跡用マイクロチップの埋め込みを拒否したり、駐車違反の罰金を支払わなかったり、不登校に関する法律に違反したり、子供に予防接種を受けさせなかったり、毎年の前立腺検査を受けなかったり、あるいは、例えば庭の芝刈りをしなかったりした場合、その月のわずかな給付金が差し止められる可能性があります。自立した生計を立てている人々よりも、依存している人々を統制するほうがはるかに容易です。この反論から、社会配当に何の条件も付けないことの必要性が浮き彫りになります。さらに、中小企業の破壊は、国の補助金に依存している人々にとっても、企業の賃金に依存している人々にとっても問題です。どちらの場合でも、大組織は自分たちに依存している大衆を簡単に支配できるのです。

社会配当やベーシックインカムに対する二つ目の反論は、人々が働く意欲を失ってしまうというものです。私たちは、「もし働くように何らかのプレッシャーを与えられなければ、人々はまったく何もしなくなるだろうから、何らかの動機づけが必要だ」と考えがちです。働かなくても基本的なニーズが満たされるなら、なぜ働く必要があるのでしょうか。この見方によれば、希少性は、たとえ人為的な希少性であっても、肯定的な善であり、それは人間に生まれつき備わっている怠け癖を打ち消すために必要なのです。この論理は、やはり「統制」「支配」「自己との戦い」という論理に結びついています。しかし、生産的なことを何もしようとしないのが、果たして人間の本性なのでしょうか。労働へと誘導するための報酬や、怠惰を懲らしめるための罰則が、本当に必要なのでしょうか。

あるいは別の言い方をすれば、与えることを望まず、ただ奪うだけを望むのが人間の本性なのでしょうか。

そうは思いません。私の経験に自分を重ね合わせていただけるのではないかと思うのですが、私の人生で最も辛かった時期のいくつかは、仕事にやりがいを感じられず、自分の才能を信じる目的に活かせていなかった時でした。20代の頃、台湾で翻訳者兼ビジネスコンサルタントとして働いていた時のことをよく覚えています。3Dサウンドか何か新しい技術について話し合っていたのですが、部屋にいる全員が、それが自社製品にどんな影響を与えるのか熱心に心配しているようでした。私は一瞬信じられない気持ちになりました。「ちょっと待ってください、あなたたちは本当にこれを気にかけているんですか。私は、この製品であろうと他の製品であろうと、3Dサウンドがあるかどうかなんて全く気にしません。」次に感じたのは、絶望的な気持ちでした。なぜなら、私が気にするのは、気にするようにお金をもらっていたからで、そうする以外に現実的な選択肢を想像できなかったからです。「本当に自分のやりたいことをする機会はいつ来るのだろう」「いつになったら、お金をもらうために生きるのではなく、〈自分の〉人生を生きられるのだろう」と私は思いました。

本書の根本的な前提は、人間は生まれながらにして与えることを望んでいるということです。私たちは感謝の念を持って生まれてきます。受け取ったということを知り、今度は与えたいと望むのです。しかし今日の経済は、怠惰な衝動に逆らって他人に与えることをためらう人々を後押しするどころか、私たちが生まれ持つ寛大さを否定し、代わりにほとんど誰の役にも立たない体制を永続させることに、私たちの才能ギフトを向けるよう圧力をかけています。神聖な経済とは、働くこと、与えることへの私たちの願望を解放する経済です。私の知っている人は皆、与えるものをたくさん持っていますが、ほとんどの人はお金にならないから無理だと感じています。しかし、それは彼らの才能ギフト、与えるものが望まれていないからではありません。なすべき美しい仕事はたくさんあります。私たちが知っているお金は、ギフトとニーズを結びつけることができません。なぜ誰もが生きるために一生懸命働かなければならないのでしょうか。テクノロジーのおかげであってもなくても、そのようなニーズはほんのわずかな労働力で簡単に満たすことができるのに。その理由は、希少性を生み出す性質をお金が持っているからです。

人は働きたく「ない」ものだという前提は経済学に深く根付いており、さらにその根源は、切り離された自己という概念にあります。もしあなたの分が増えると私の分が減るなら、もしあなたの幸福が私の幸福と無関係、あるいはあい反するものなら、私が誰かに何かを与えたいと思う理由などあるでしょうか。生物学の「利己的な遺伝子」は、生殖における自己利益の最大化を目指しますが、これに相当するのが経済学における「合理的な行為者」で、経済的利益の最大化を目指します。私たちは、自分に何らかの利益がない限り、他人の利益になるような仕事はしたくないということになっています。他人に与えたいという望みなど本当は持っておらず、そんなことは強制され、報酬をもらわない限りしないのです。

経済学の教科書では、労働の「不効用」について論じられます。賃金による「補償」がなければ、人々が当然したがるのは、いったい何でしょうか。消費したいでしょうか。何もしたくないでしょうか。娯楽に興じたいでしょうか。希少性に基づく経済制度の正当性は、その前提に組み込まれており、そこには人間の本性に関する根深い偏見が含まれています。本書が前提とするのは、これとは異なる人間の本性です。すなわち、私たちは根本的に神聖で、創造的で、寛大な存在であり、与えることと創造することは、私たちの最も深い欲求の一つであるという考え方です。この理解を貨幣制度へと具体化するために、私たちが見出すべきなのは、社会への贈り物ギフトに対して豊かに報いる方法ですが、その報奨が圧力や奴隷制のような形とならないようにしなければなりません。

希少性・欠乏が私たちの貨幣制度の生み出した産物であるだけでなく、私たちが人間の本性だと考えている怠惰も、その制度が生み出す仕事のあり方に対する正当な反応なのです。もしあなたが怠惰になったり、物事を先延ばしにしたり、いい加減な仕事をしたり、遅刻したり、集中できなかったりするなら、問題はあなたの性格にあるのではなく、もしかしたら、あなたが本当にやりたくない仕事に対する魂の反乱なのかもしれません。それは、「今こそ、あなたの本当の仕事、あなたの才能ギフトを意味のあることに活かせる仕事を見つける時だ」というメッセージなのです。このメッセージを無視すれば、あなたの無意識が、うつ病、自己破壊、病気、あるいは事故を通してそのメッセージを強制し、あなたの寛大さと一致しない生き方を、もはや送ることができなくしてしまうでしょう。

神聖な経済においても、人々は懸命に働くでしょう。それは義務だからではなく、そう「したい」からこそです。あなたはこれまで、善い目的のために時間や労力を捧げたいと思ったものの、「お金の余裕がない」という理由でそれを諦めたことはありませんか。社会配当は、贈与ギフトがニーズに向かって流れることを可能にし、私たちの労働を情熱、寛大さ、そして芸術アートと一致させます。

多くの人々は(おそらく最低限の生活水準しかない)社会保障給付を補うため、あるいは仕事そのものに魅力を感じるからという理由で、どのみち有給の仕事に就くでしょう。しかし、それは選択であって、必要に迫られるからではありません。「生計を立てる」という強制的な仕組みがなければ、尊厳を損なうような仕事や退屈な仕事の求人はほとんど存在しないでしょう。労働者を引きつけるために、雇用主は意義のある仕事と、人間の尊厳を尊重する労働条件を提供しなければなりません。そのような仕事が数多く存在するようになる理由は、コモンズに裏付けられた貨幣制度によって資金提供される仕事の多くが、(保全や再生に対する経済的動機があるため)本質的に意義あるものとなるからです。

興味深いことに、社会配当がなくても、人々は膨大な無償労働を現に行っています。インターネットを構築したのは、オープンソースのサーバーソフトウェアから無料コンテンツに至るまで、ほとんどがボランティアの労働でした。現在も、組織全体が勤勉なボランティアによって運営されています。私たちは働くために金銭的な動機を必要としませんし、実はお金が問題にならないときこそ最高の仕事ができるのです[10]。今日なら経済的な必要性と闘いながら行わなければならない素晴らしいことを、人々が支援を受けながら行うことができたら、世界はどのようなものになるでしょうか。

〈聖なる経済学〉は、人々がお金ではなく愛のために行動する世界を思い描いています。そのような経済の中で、あなたなら何をしますか。有害廃棄物の投棄場を再生しますか。問題を抱えた青少年たちの「お姉さん」になりますか。人身売買被害者のための避難所を作りますか。絶滅危惧種を野生に再導入しますか。都心部の住宅街に菜園を作りますか。パフォーマンスの公演を行いますか。退役軍人が民間生活に適応できるよう支援しますか。お金の奴隷から解放されたら、あなたなら何をしますか。あなた自身の人生、あなたの本当の人生はどのようなものになるでしょうか。私たちが報酬を得て生きる代用品の人生の下には、本当の人生、「あなたの」人生があるのです。

真に生きるということは、「私は何のためにここにいるのか」という問いの導きを受け入れることです。現代のほとんどの仕事は、そうした感覚を否定します。なぜなら、私たちは明らかに、組み立てラインで働いたり、製品を押し売りしたり、人間の貧困や環境破壊に加担したりするためにここにいるのではないからです。そんな仕事は誰も本当に望んでいないし、いつか誰もしなくなるでしょう。


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注:
9. ここで非経済的とは、投資に対する財務収益がマイナスであり、さらにデマレージ率よりも低いことを意味します。「すべての」コストを内部化し、社会や生態系への影響をすべて定量化すれば、すべての有益な活動が経済的になるという経済学的な議論も可能でしょう。しかし、あらゆるものを定量化すること自体が問題の一部です。世界の一部は定量化せずに、贈り物の領域にとどめておく方が良いのです。
10. 社会心理学者や経済学者による数々の研究によると、お金が効果的な動機付けとなるのは、ルーチンワークや単調な作業だけです。創造性や概念的思考を必要とする作業においては、金銭的な動機を導入すると、かえって能力を阻害する可能性があります。目の前の作業から注意をそらしてしまうため、当然のことと言えるでしょう。この話題についての詳細は、ダン・ピンクの著作を参照ください。

原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-14-the-social-dividend/

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