【聖なる経済学】 陳腐化する「仕事」
訳者コメント:
単調作業を機械化することで、人類の生産性は圧倒的に高くなり、手軽な富を得ることができるようになったのに、人類はその恩恵を未だに有効活用していません。機械化に向かない個別固有の仕事は、担い手不足になっています。機械化で解放された人々が、本来向かうべきだったのはこのような分野のはずでした。
ここではAIのことに触れられていませんが、AIもまた機械文明の特徴を帯びていて、過去のパターンを真似ることに特化している以上、パターン化した仕事を遂行することにかけては、人間の能力を遙かに上回るでしょう。ここでもまた、AIが相手にできない仕事というのは、おそらく必ず存在し、そこへ人間の努力を振り向けるべきなのです。AIの時代に人間性を再獲得していくためにも、プラス金利の搾取的な経済制度から、マイナス金利とベーシックインカムの社会へ移行していくことが必要なのだと思います。
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陳腐化する「仕事」
産業革命の黎明期以来、私たちは機械に取って代わられるのではないかという不安を常に抱えてきました。そして実際、多くの人々にとってそれは現実のものとなり、かつて人間が担っていた仕事を機械が引き継ぎました。完全雇用を維持する唯一の方法は経済成長でしたが、私がここで呼びかけているのは、経済成長をやめて、(金銭的な意味での)完全雇用を終わらせることです。ですから、長年の不安が現実のものとなった今、私たちの労働が機械に取って代わられるとは一体どういうことなのかを、じっくりと検証してみましょう。
機械に取って代わられるためには、そもそもその仕事が機械的なものでなければなりません。社会全体が機械化されるにつれ、ますます多くの仕事が機械特有の均一性、繰り返し、標準化といった特性を帯びるようになりました。機械を操作する仕事や、ほとんどが機械でできたプロセスに組み込まれる仕事であれば、これは避けられないことでした。ここに、私たちの不安のもっと深い根源があります。それは、私たちが機械に取って代わられることではなく、私たちが機械になり、機械のように生き、働くようになることです。
最も有名な反機械運動である19世紀初頭のラッダイト運動は、このことを認識していました。研究者のカークパトリック・セールによれば、彼らの機械に対する憎悪は、盲目的で迷信的なものではなく、機械には然るべき役割があると考えていました。彼らが憤慨していたのは、生計手段を失ったことだけでなく、粗悪な製品、単調で退屈な作業、絶え間ない危険、そして工場の非人間的な労働環境でした。彼らは労働の機械化に抵抗していたのです[3]。高度な技能を要する自律的な生産を、尊厳を傷つける危険な工場労働に置き換えることは、人間の精神に対する侮辱です。
したがって、慈悲の経済、思いやりのある経済の目標は、多くのリベラル政治家が考えているように「仕事」を提供することではありません。いったん仕事が機械的になってしまえば、ある意味で手遅れです。非人間的な仕事なら、機械がやっても構わないのです。「仕事」を増やそうとする経済施策の愚かさを指摘せずにはいられません。それはまるで、私たちがもっと多くの商品やサービスを必要としているかのようです。なぜ私たちはもっと仕事を作りたいのでしょうか。それは、人々が生活するためのお金を手にするためです。その目的のためなら、ケインズが有名な皮肉で言ったように、地面に穴を掘ってまた埋め戻せばいいのです。現在の経済政策はまさにそれを試みています。大不況〔サブプライム住宅ローン危機に端を発し、2000年代後半から2010年代初頭までの間に世界規模で起こった景気後退〕の後、米国には1900万戸の空き家があったのに、住宅建設を再び活性化させるべく、猛烈な努力が払われました[4]。そんなことをするぐらいなら、人々が何もせずに給料をもらい、彼らの創造的なエネルギーを世界中の緊急ニーズを満たすために解放する方が良いのではないでしょうか。
明らかに、私たちは成長を抑え、労働時間を減らし、エネルギーを他のことに向ける手段を持ち、その必要性に直面しています。産業が古くから約束してきた未来を実現する時が来ました。テクノロジーによって労働時間が劇的に短縮され、「余暇の時代」が到来するのです。残念ながら、「余暇」という言葉には軽薄さや浪費といったイメージがつきまとい、それは時代の転換期を迎えた地球と人々の差し迫ったニーズには合いません。重要な仕事は山のようにあり、それらは必ずしも売れる製品を生み出すわけではないため、脱成長に合った仕事です。植林すべき森林があり、看護すべき病人がいて、地球全体が癒しを待っています。私たちは非常に忙しくなると思います。深く意義のあることに懸命に取り組むことになり、もはやお金の流れや成長の命令に逆らう必要はなくなるでしょう。しかし同時に私が確信しているのは、本当の余暇、つまり時間の豊かさの体験を、私たちは現在よりも多く持てるようになることです。時間の不足は、私たちが過剰消費に走る理由の一つであり、最も根源的な富である時間の喪失を埋め合わせようとする試みなのです。時間は人生そのものです。本当に豊かな人とは、自分の時間を自由に使える人なのです。
これまで私は、経済的な動機を生態系やその他のコモンズの保全と拡大へと移し替え、経済成長がない場合でも資金が必要な人々に流れるようにする制度について説明してきました。しかし、さらに根本的な方法があって、「お金はもっと多くのお金を生み出す人々に渡る」という現代の銀行業が基盤とする原則を回避できます。なぜ人々にお金を与えないのでしょうか。それも、すべての人に[5]。これは、1920年代に社会信用運動の創始者であるクリフォード・ヒュー・ダグラスによって提唱された「社会配当」あるいは「社会賃金」という考え方です。これに関連する提案として、今日ではより広く知られているのが、ベーシックインカム(UBI)です。
この考えには経済的にも道徳的にも根拠があります。イギリスの技術者であるダグラスは、マルクスと同じことを見て取りました。つまり、産業が労働集約型から資本集約型へと変化するにつれて、労働者が受け取る収入の割合が減少し、最終的には貧困、富の二極化、需要の減少による経済不況につながるのです。その対策として彼が提案したのは、国民全員が自分の労働の成果物を購入できるだけの額の法定通貨を発行することです。これは、各個人への直接支払いと、購入に対する払い戻し(マイナスの売上税)の両方として行われます。この提案は、あなたが思うほど経済の主流からかけ離れたものではありません。2008年に全米の世帯に送られた景気対策小切手は、社会配当の薄まった形であり、ダグラスが思い描いた通りの効果、つまりお金を使う人にお金を与え、経済不況に対抗することを目的としていました[6]。2020年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による支援給付金も、同様の役割を果たしました。これらは貧困層だけに支給された福祉手当ではなく、すべての人に支給された景気刺激策の小切手でした。
新型コロナによって数百万もの雇用が失われ、その多くが二度と回復しないと見込まれる中、「成長」に代わる「余暇と再分配」という選択肢が新たな勢いを得ました。これは、自動化と労働力の余剰という長年の傾向を加速させました。余剰労働力は、社会や生態系を癒す活動に振り向けることもできますし、あるいは失業による強制的な余暇を、ドイツの「クルツアルバイト(時短労働)」のような施策を通じて共同で負担することもできます。これは、いわゆる「労働塊の誤謬」の誤りを露骨に否定しつつ(注1参照)、失業を食い止めるために週労働時間の短縮を助成した、大不況下の制度です。企業は従業員の20%を解雇する代わりに、全員の労働時間を20%短縮します。従業員の減給分のほとんどは政府から補填されます。従業員は職を維持でき、労働時間を20%短縮しながらも、減給はわずか4%から8%に留まります[7]。その成果は目覚ましいものでした。ドイツの失業率は不況期を通じて予想よりも低い水準にとどまり、この政策が最も精力的に実施された自動車産業では、2009年上半期に製造業の正社員雇用が1人たりとも失われませんでした[8]。時短労働の施策は、限定的規模の社会配当に似ていて、同じような経済的および人道的な動機を基にしています。それ以来、他の国々も同様の構想に目を向けてきました。特に、スイスではベーシックインカムの導入が提案されたものの否決され、フィンランドでは最近、週4日勤務制が提案されました。
社会配当には哲学的あるいは道徳的な根拠もあり、私は十代の頃、フィリップ・ホセ・ファーマーの『紫の賃金の騎手たち』という物語を読んでそれに気づきました。ダグラスの主張に呼応するように、ファーマーは、産業技術によって人類は莫大でほとんど労力を要しない富を得ることができたため、生活必需品を得るために誰もが懸命に働く必要はないはずだと論じました。テクノロジーと地球の自然の富によって可能になった手軽な豊かさは、全人類の集合的な宝であって、生まれただけで誰もがその分け前を受け取る権利を持つのです。確かに、ロバート・ボイルやトーマス・エジソンの発明から恩恵を受ける権利が、他の誰かより高い人はいませんし、ましてや彼らの業績を可能にした広大な文化的背景から恩恵を受ける権利ならなおさらです。あなたや私が、この文化的遺産に対して持つ権利は、土地やゲノムに対する権利と何ら変わりません。それは人類全体からの賜物として私たちに与えられるのです。それは私たちの祖先からの賜物であり、土地が地球、自然、あるいは創造主からの賜物であるのと同じです。
先ほど述べた「テクノロジーによって可能になった手軽な豊かさ」という軽薄な表現を、安易には受け取らないようにしましょう。この表現は「上昇」のイデオロギーを認めるもので、私が先に述べたように、際限のない経済成長というイデオロギーと結びついています。どういうわけか、何世紀にもわたる省力化技術にもかかわらず、私たちの余暇は、狩猟採集民、新石器時代の村人、中世の農民と比べて、増えたわけではありません。その理由は、テクノロジーが生産できるものの過剰生産と過剰消費、そしてテクノロジーでは生産できないものの過少生産と過少消費にあります。通常、後者のものこそが、貨幣による均質化と非人格化の法則に反するものであり、つまり、唯一無二で、親密で、個人的なものすべてなのです。このテーマについては後ほど詳しく述べますが、今のところは、定量化可能なニーズの領域において、私たちのニーズは容易に満たされるという点に注目してください。衣食住のような生活必需品を手に入れるために、それほど多くの労働をする必要はないはずです。確かなのは、1970年に石器時代の道具を使い、過酷な砂漠で自給自足の生活を送っていたカラハリ砂漠の先住民が費やしていた、週平均20時間という労働時間を超えて働くことは、決して必要ないはずだということです。確かなのは、150日もの聖人休暇を持っていた中世盛期の農民と比べて、私たちの生活の安心感が劣っていたり、「生計を立てること」への不安が高かったりするはずもないことです。
注:
3. セール、『未来への反乱』
4. さらに、何百万もの住宅が、必要以上に巨大です。一部の国では、アメリカの中流上層階級の家族が住むような空間に、30人が快適に暮らしています。興味深いことに、経済不況によって家族の孤立化や原子化という傾向が逆転し始め、成人した子供が親と同居せざるを得なくなったり、逆に子供が親を家に迎え入れるといったことが起こっています。
5. 総貨幣供給量が増加しない限り、これは恒久的なインフレにはつながらないでしょう。しかし、ここで概説した制度で、貨幣供給量に中立な社会的配当を可能にするために、マネタリーベースを削減する方法は数多く存在します。課税や中央銀行の公開市場操作といった従来の方法に加え、資源担保通貨の償還も貨幣供給量の制御に利用できます。最後に、減価する通貨と銀行準備金に対するマイナス金利は、デマレージ率によって貨幣供給量を減少させます。現在の貨幣ストックにデマレージ率(マイナス金利)を5%とすると、これによって各世帯に年間1,000ドルの貨幣供給量中立な給付が可能となります。金融インフラの救済のために、他の債務証券の大規模な貨幣化が必要となった場合、デマレージによる収入は容易にその10倍にできる可能性があります。
6. もちろん、同時にはるかに多額の公的資金が、危機の発端となった金融機関に、惜しみなく投入されていました。
7. ハセット、「米国はドイツの失業対策を試すべきだ」。
8. ジェームズ、「失業問題の解決策はドイツ式のジョブシェアリングにあるかもしれない」。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-14-the-social-dividend/
