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第三十二章 偉大なるホー・チ・ミンと、簡素な家(ヴェトナム、たくさんの顔をひとつひとつ見つけてゆく旅――行き当たりばったり右往左往、ヴェトナム紀行)

私はホー・チ・ミン廟のある広場へ行ってみた。

まず驚かされたのは、その広場の大きさである。ぽっかりと長方形に開いた空間は、視界の果てまで続いている。スケール感が桁違いで、どこか北京の天安門広場を思わせた。青空の下では、観光客が写真を撮り、兵士たちは静かに持ち場に立っている。のどかな光景なのに、その背後には国家というものの巨大な意志が感じられた。

ホー・チ・ミン廟は、まるで古代ギリシアの神殿のような姿をしている。
脇には、大きなスローガンが掲げられている。
「ホー・チ・ミン主席の偉大なる精神は、
革命事業のなかで永遠に生き続ける。」

現代のヴェトナムは、どこからどう見ても活気あふれる資本主義国に見える。カフェは洒落ているし、若者たちはスマートフォンを片手に遊び歩き、街には外国資本があふれている。それでも、この国は社会主義国家なのだ。


廟の前には衛兵たちが微動だにせず立っている。
中には、防腐処理されたホー・チ・ミンの遺体が安置されているという。ソビエトのレーニン廟にならったものらしい。しかし公開時間が終わっていて、私は中へ入ることはできなかった。

続いてホー・チ・ミン博物館を訪ねた。館内ではスターリンを扱った展示も行われていた。私はそこで、社会主義国家と芸術の関係について、あらためて考えさせられた。若い頃の私は、ロシア構成主義のデザインが好きだった。テクノポップのレコードジャケットにも、その影響を受けた作品が少なくなかったからだ。

しかし後年、私はソルジェニーツィンの文章を読んだ。芸術をいったんゼロに戻して、新しい芸術を創造しようとした思想は、見方を変えれば、それまで積み重ねられてきた芸術の否定でもあった。そしてスターリンは芸術を愛したがゆえに、芸術家たちは、いつ自分が粛清されるかわからない恐怖のなかで創作することになった。

ヴェトナムにも、芸術への検閲は存在すると聞く。もっとも、私にはその実態はわからない。ただ、この国にはいまも国家という存在が、静かに息づいていることだけは感じていた。

東京で私が贔屓にしているヴェトナム料理店のマダムは、以前こんなことを教えてくれた。「ヴェトナムでは、男性は二十歳から二十七歳までのあいだに二年間の兵役があってね。女性も志願すれば入れるの。」

そして彼女は、私に尋ねた。「どうして日本には兵役がないの?」

私は答えた。「日本は戦争に負けて、戦争を永久に放棄する憲法を持つことになったから。でも、自衛隊はあるし、安全保障はアメリカに大きく依存している。」

彼女は少し笑って、お茶目に拳を握った、「自分の国は、自分たちで守る。それをヴェトナム人は忘れてないわよ。貧乏だけどね。」


そのあと私は、ホー・チ・ミンが晩年を過ごした家へ向かった。そこには、廟とも博物館ともまったく違う空気が流れていた。木造二階建ての小さな家。一階は風が吹き抜ける広間になっていて、大きな木のテーブルが置かれている。二階へ上がると、小さな本棚と文机があり、その上にはランプとタイプライターが置かれていた。隣の部屋は簡素な寝室である。必要なものだけが、静かに置かれている。

革命の英雄が暮らした家というより、一人の老人が、穏やかに毎日を送った家だった。

展示写真のなかには、晩年のホー・チ・ミンが子どもたちに囲まれて笑っている姿があった。その笑顔は驚くほど柔らかい。国家は、ときに人を偉人に祭り上げる。けれど、一人の人間は最後には、小さな机で本を読み、タイプライターを打ち、静かな寝室で眠る。

私は、この簡素な家を見学ながら、「ホーおじさん」と呼ばれた老人が、多くのヴェトナム人から親しまれた理由を、少しだけ理解できたような気がした。

つづく

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