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ヴェトナム、たくさんの顔をひとつひとつ見つけてゆく旅ーー行き当たりばったり右往左往、ヴェトナム紀行 イントロダクション

私のヴェトナム旅行に、
タンゴの情熱と、サッカーの詩学を持ち込んでくれた、
偉大なる作家、Ghon Cookに捧ぐ。


私たちが観測できるこの宇宙の外側には、異なる物理法則や歴史をもつ無数の宇宙が存在する──そんな考え方が、近年の宇宙物理学では真面目に議論されているという。

もちろん、それが本当かどうか、私にはわからない。けれども、あくまで比喩としてなら、私は旅に出るたびに似たようなことを思う。

地図の上ではほんの数千キロしか離れていない国であっても、そこには私たちとは異なる歴史が流れ、異なる価値観が息づき、人々は少し違う時間を生きている。旅とは、美しい景色に感嘆するだけではない。自分とは異なる世界の成り立ちを知り、その国を一冊の本のように読んでゆく営みなのではないだろうか。

これは、そんなヴェトナムを少しだけ深く味わいたい人に向けた、ごく個人的な旅行記である。

日本人にとってヴェトナムは、韓国、台湾、タイ、そしてハワイを含むアメリカに次ぐ人気の旅行先だという。しかし、多くの旅は三泊四日から四泊五日ほどで、訪れる都市もハノイ、ホーチミン・シティ、あるいはダナンに限られる。

もちろん、それでも十分に楽しい旅になるだろう。けれども、私には少しもったいないように思えてしまう。

私には、古都フエを歩かずしてヴェトナムは語れない、とさえ思える。奇岩と水田が織りなすニンビンの風景も忘れがたい。ノスタルジックな街並みを残すホイアンには、ゆったりとした時間が流れている。そして、フランス植民地時代に避暑地として築かれた高原都市ダラットには、南国のヴェトナムとは思えない涼やかな空気が漂う。

十五泊十六日の旅を終えた今、そうした町々が、この国のさまざまな顔として心に残っている。

もちろん、ヴェトナム縦断旅行は決して楽ではない。

夜行寝台バスに揺られ、朝になればわけのわからない場所で降ろされる。ときには予定どおりに物事は進まず、その場その場で右往左往する。それでも、その不便さのなかでしか出会えない風景や人々がある。そのしんどさもまた、この旅の大切な一部だった。

私が歩いた道は、ホーチミン・シティからメコンデルタへ始まり、霧に包まれたダラット高原を越え、ダナン、ホイアン、フエ、ニンビンを経て、ハノイへと続いていた。

スマートフォンも持たず、ホテルを予約することもなく、行き当たりばったりで歩いた十五泊十六日。

私は戦争博物館で立ち尽くき、寝台バスでは箱の中の一本の煙草のようになって夜を越えた。

白馬の神を祀る古寺で静かに手を合わせ、ホー・チ・ミンの質素な住まいを訪ねた。

フランス料理を味わいながら文化帝国主義について考え、ハノイの書店では三島由紀夫を愛する若い書店員と言葉を交わした。

この旅で出会ったのは、美しい景色だけではなかった。

ヴェトナム戦争の傷跡。
フランス植民地支配の長い記憶。
革命家ホー・チ・ミンという人物の複雑な実像。
マルグリット・デュラス『ラマン』を読み直す新しい視点。
そして、日本のマグロ漁船に救われた一人のヴェトナム難民の人生。

旅を続けるほどに、この国は決して一つの物語では語れないことを知った。

むしろ、互いに矛盾する無数の物語が折り重なりながら、一つの国を形づくっているのだと気づかされた。

私は、この旅で一つのことを学んだ。

文化は、国家よりもしばしば自由である。

人は敵国の文学を愛し、敵国の思想を学び、敵国の料理に魅了される。そして、それらを静かに自分たちの文化へと取り込み、新しいものへと生まれ変わらせてゆく。

ヴェトナムとは、そんな驚くべき生命力を秘めた国だった。

これは観光案内ではない。

歴史書でもない。

ましてや政治評論でもない。

おっちょこちょいの旅人が、旅先で出会った人々とのささやかな会話を糸口に、文学、音楽、食文化、宗教、植民地主義、戦争、そして日本という国の現在について考え続けた、一つの思索の記録である。

私は結局、ヴェトナムという一冊の本を斜め読みしたにすぎない。

それでも、その本を閉じることはできなかった。

読み終えたあとも、ときどき思い出しては、もう一頁めくりたくなる。

こんな本は、一生のうちにそう何冊もあるものではない。

もしこの旅行記が、あなたにとってヴェトナムという本を開く最初の一頁になれば、これほどうれしいことはありません。



私はヴェトナムについてほとんどなにも知らない。
もちろん知識なら多少なりとも持っている。
南北に細長い国であること。
かつてフランスの植民地だったこと。
アメリカと戦争をしたこと。
近年は社会主義国ながら、私有財産が認められ、経済成長が著しいこと。

マルグリット・デュラスの『愛人』、
コッポラの『地獄の黙示録』、
ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』・・・
しかし、それらは外から見えるヴェトナムであって、
しかも、他者によって見いだされたヴェトナムである。
たとえ本人にとっては誠実な描写であり切実な告白であったとしても、
見方を変えれば、勝手な妄想を語っていることにもなりかねない。

では、ヴェトナム人自身が語るヴェトナムはといえば、
我々外国人にはなかなか接することができにくい。
それが私には少し、不思議だった。

メコン川。
ホー・チ・ミン。
かつてサイゴンと呼ばれた街は、
近年ではヴェトナム近代化の父の名で呼ばれている。
(おもえばサイゴンはかつて旧南ヴェトナム政権の首都だったけれど、
しかしヴェトナム戦争で共産圏勢力の北ヴェトナムに破れ、
結果、ヴェトナム統一の象徴として、
ホー・チ・ミンの名を押しつけられたのだ。)
ゆるやかな円錐形のコニカル・ハット(編み笠 )、
深いスリットの入っていて、歩くたびに裾がはためくロング・スカ-ト、
アオザイ。(下にパンツを穿く。)
バインミーとフォー。
そして、なぜか巨大なリゾートホテル。
(韓国資本が多いらしい。
ともすればプールがあって、ジムもついていたりする。)

しかし、それらが相互にどのようにつながっているのか、私は知らない。
ヴェトナムの社会主義の在り方もまた。


だから私は旅に出ることにした。
私は国家ヴェトナムを理解したいのではない。
ただ、その国がどのような顔を持っているのか見てみたい。
あるいは、ひとつの顔しか持たない国など存在しないことを
確認したいのだ。

羽田空港の搭乗口には、
リュックサックを背負った若者たちが集まっている。
かれらはスマートフォンを見ている。
私は搭乗券を何度も確かめている。
JL 079 02JUN,01:30
Ho Chi Minh City行き、
到着05:20
その行為に特別な意味はない。
ただ、搭乗券を確認することによって、
自分が本当に出発するのだと納得したかったのである。


やがて飛行機は離陸した。
窓の下で闇のなかの日本列島が遠ざかる。

そのとき私は、これから何を見ることになるのか、
どんな体験をするのか、
まったく知らなかった。

ヴェトナムの鉄道が、
この国を旅するための主役ではないことも知らなかった。
(ハノイ‐ホーチミン・シティ間には、
寝台列車ヴェトナム縦断統一鉄道も敷かれているものの、
しかし、時速は最高速度でも80キロ程度にとどまり、
ハノイ‐ホーチミン間約30〜35時間もかかるのだ。
鉄道マニアのなかにはそれがまたいいという人もいるにせよ、
私にとっては、結局、寝台バスの方がよほど便利ということになる。)
と同時に、私がこの旅でもっとも長い時間をともに過ごす相手が、
寝台バスになることもまた思ってもみなかった。

しかし、おそらくこういうことこそが旅なのだろう。

The sea is a big pond
The boat is an ox
Swallowing the wind
Wading in the water
I see it first
Then my brother later
Let us grow up
To cross the big pond.

----Sơn Tùng"The Green Lotus Bud"




つづく


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