第三十一章 文化というもうひとつの戦場――文学好きのヴェトナム人は『金閣寺』に泣く(ヴェトナム、たくさんの顔をひとつひとつ見つけてゆく旅――行き当たりばったり右往左往、ヴェトナム紀行)

日本人にとって、三島由紀夫という作家は、いまだにどう位置づけてよいのかわからない存在である。

戦中の日本に育ち、文学に魅せられ、戦後は『仮面の告白』によって鮮烈なデビューを飾った。やがて『金閣寺』などの傑作を書きながら、晩年には政治的発言を強め、『豊饒の海』4部作を書き終えるとともに、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決する。その死は、日本社会に大きな衝撃を与えた。

三島は、その劇的な最期ばかりが語られがちである。しかし、それはいささか不幸なことではないだろうか。

たしかに晩年の三島は、文人としてではなく、武人として死ぬことを願い、その願いを自ら実現した。けれども、それでもなお、三島は最後まで文人だった、と私は思っている。

では、その代表作は何か。私自身がもっとも愛するのは短篇『ラディゲの死』であるけれど、しかし、それはひとまず脇へ置こう。三島という作家の人生そのものを考えるならば、やはり代表作は『金閣寺』ではないか。

戦争に敗れ、日本は焼け野原となった。天皇は「人間宣言」を行い、それまで絶対だと信じられていた価値観は、一挙に崩れ去る。そんな時代に書かれた『金閣寺』は、美への憧憬と、その美を自らの手で破壊したいという衝動を描いた小説だった。金閣寺は単なる一つの寺ではない。それは、失われつつある世界そのものの象徴だったのである。

「金閣寺など焼けてしまえばいい。」主人公・溝口のその衝動は、敗戦によってあらゆる価値を失った日本人の、言葉にならない感情を代弁していたのではないか。

しかし、三島はそこにとどまらなかった。戦後日本が経済的繁栄と引き換えに、精神の拠り所を失ってゆく姿に耐えられず、やがて国家や天皇について語り始める。そして最後には、自らの人生そのものを、ひとつの作品として閉じた。

私はあの自決を知ったとき、呆れ、言葉を失った。
これは歌舞伎ではないか。
しかも、舞台は市ヶ谷駐屯地なのである。

三島は最後まで、人生そのものを演出し続けた芸術家だった。


こうして三島について考えていると、私は、ヴェトナムの文学好きたちが『金閣寺』を愛する理由も、少しわかるような気がしてくる。もちろん、それは私の勝手な想像にすぎない。かれらは、『金閣寺』を読みながら、フエの風景を思い浮かべることはないだろうか。

グエン王朝は、フランス植民地主義のなかで衰退し、美しい王都は戦争によって何度も傷ついた。

私はフエを歩いた。王宮を歩き、墓陵を巡り、クアンチ古城を訪ね、ヴィンモック・トンネルへ入った。美しい風景と、戦争の記憶は、あの街では決して切り離すことができない。

だからこそ私は思う。ヴェトナムの読者は、『金閣寺』を、日本人とは少し違う仕方で読んでいるのではないか。

失われた美への哀惜。
破壊されたものへの痛み。
それでもなお、生き延びようとする人間の意志。

かれらはそんな物語として読んでいるのではないか。

もしそうだとすれば、それは三島にとっても幸福なことではないだろうか。

文学は、国境を越え、時代を越え、まったく違う歴史を生きた人々の心にも届いてゆく。

私はハノイで、そのことをあらためて教えられた。


余談ながら、いま、この文章を書いている二〇二六年初夏、日本では皇室のあり方をめぐる議論が続いている。

三島なら、おそらく男系天皇という理念を最後まで守ろうとしただろう。もっとも、現代社会において、その理念を現実の制度として維持することは容易ではない。もしも三島がいまを見たなら、何を語るだろうか。それは誰にもわからない。

しかし、私は別の未来を夢見る。

明仁上皇は、天皇の役割を、どんなときも国民に寄り添い、国民のための祈る存在として定義なさって、皇后とともにその役割をまっとうなさった。今上天皇皇后もまたその路線を継承なさっている。ならば直系の愛子天皇こそがもっとも自然ではないか。

白馬にまたがり、人々に微笑みかける愛子天皇。

三島が待ち望んだ白馬の幻想は、武と悲劇の象徴だった。しかし私が見たいのは、争いではなく、人々を安心させる穏やかな象徴としての白馬である。そんな日本ならば、私は少し好きになれそうな気がする。

しかし、高市自民党内部ではすでに、愛子天皇という選択はない、という規定事実になっているようだ。民意を無視した密室政治がなんとも恐ろしい。かれらはみずから国体を破壊するつもりなのだろうか? いったいなんのために?

ハノイの白馬は、国境も時代も越えて、いつのまにか私を
日本へ連れ戻していた。



つづく

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