第三十三章 ホー・チ・ミンはホテル王リッツと大料理人エスコフィエの同時代人(ヴェトナム、たくさんの顔をひとつひとつ見つけてゆく旅――行き当たりばったり右往左往、ヴェトナム紀行)
繰り返そう。
若きホー・チ・ミンは、
まだその名前を名乗っていない頃、
ヴェトナムが置かれた理不尽な現実に疑問を抱き、
祖国を解放するために、
まずフランスへ向かった。
かれが学ぼうとしたのは、
銃の使い方ではなく思想だった。
ジャン=ジャック・ルソー。
ヴォルテール。
シャルル・ド・モンテスキュー。
植民地支配への抵抗とは、
支配者の文化をすべて拒絶することではない。
むしろ、その文化の内部から、
自由や平等という思想を受け取り、
植民地主義そのものを批判しようとしたのである。
若き日のホー・チ・ミンは、
フランスの海運会社シャルジュール・レユニ社の商船
「ラミラル・ラトゥーシュ=トレヴィル号」の
見習いコックとして採用された。
この大型客船は、
仏領インドシナとフランス本国を結ぶ、
植民地帝国の大動脈だった。
青年ホー・チ・ミンは、
そこで毎日、
何百もの鍋を洗い、
何百個ものじゃがいもの皮を剥き、
厨房の下働きとして働いた。
厨房は石炭ストーヴの時代だった。火は一日中消えることがない。鋳鉄のレンジは赤く熱を帯び、骨を煮込む鍋からは白い湯気が立ちのぼる。汗は拭っても拭っても流れ落ちる。青年ホー・チ・ミンは、革命思想より先に、火と蒸気と労働の匂いを覚えたのだった。
客席へ運ばれていったのは、
ポタージュやコンソメ、
牛肉の赤ワイン煮、
仔羊のシチュー、
ローストチキン、
ローストビーフ──。
いまでは「古典フランス料理」と呼ばれる料理ばかりである。
もちろん、かれがそれらの料理を味わえたわけではない。
豪華な料理は乗客のためのものであり、ヴェトナム人乗組員に支給されるのは、米と塩魚、そして質素なスープだった。
しかし、毎日その香りだけは、厨房いっぱいに漂っていたはずである。
私は想像する、
鍋洗いをしながら、鍋肌に残ったソースを、誰にも気づかれないように、
そっと指先ですくって舐めてみる
青年ホー・チ・ミンの姿を。
もちろん、そんなことが本当にあったかどうかはわからない。
けれども、人は未知の世界を、まず香りで知り、
つぎに舌で味わって知るものではないだろうか。
ここで私は、
時代の偶然に驚かされる。
ちょうどそのころ、
ホテル王 セザール・リッツ と、
伝説的料理人 オーギュスト・エスコフィエ が手を組み、
近代フランス料理を完成させようとしていた。
エスコフィエは、
フランス各地に散らばっていた料理を体系化し、
分厚い『Le Guide Culinaire』を編纂し、
同時に、厨房の役割分担を組織化した。
それは料理史の革命だった。
いや、
もっと大きく言えば、
文化による世界進出の始まりだったのかもしれない。
軍艦だけでは帝国は続かない。
人は、
美味しいものにも憧れる。
フランスは、
それまで世界最高の美食と見なされていたロシア料理を追い落とし、
フランス料理こそ世界一であると、世界に信じさせようとしていた。
文学や絵画だけではない。
料理までもを国家の文化資本へと変えていったのである。
他方、その巨大な文化帝国の厨房の片隅で、一人の若いヴェトナム人が、黙々と鍋を洗っていた。
その青年は、やがてホー・チ・ミンと名乗ることになる。
歴史はときに、革命家を演壇ではなく、厨房から生み出す。
青年ホー・チ・ミンは、革命思想だけではなく、
フランス料理の匂いもまた胸いっぱいに吸い込みながら、
海を渡っていたのである。
その匂いはかぐわしく官能的で、
しかし同時に世界の矛盾そのものだった。
つづく
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