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沖縄的になれたのにならなかった日本をほっつき歩くーー上野アメ横、延雅村(ヨナマウル)

アジアー太平洋戦争敗戦から80年経ったいまなお、東京の繁華街には焼け跡のどさくさにまぎれて生まれてきた街が点在している。新宿、新大久保、渋谷、新橋、池袋、そして上野。いずれもいまなお得体の知れない活力に満ち溢れて、変化を続けている。こうした街には移民が多く、かれらはみんな思い思いに勝手に生きている。また、これ以上円安が進めば、いつだって日本から逃げる準備もおこたりない。ぼくはかれらのヴァイタリティに息を吞む。

上野のアメ横と言えば、長らく年末のニュースを彩る風物詩として、街の賑わいとともに新巻鮭の人気などが映し出されてきたものだ。ところが2010年代後半以降、ケバブ屋だの、旧満州系のガチ中華料理店などが増え、他方、鮮魚店は激減し、洋服屋も精細を欠くようになり、軍もの衣料の値つけも雑になり、アメカジ系もどんくさいものばかりになって、アメ横の魅力は様変わりし精彩を欠くようになってしまった。

しかし、ぼくがアメ横で語りたい物語は別にある。延雅村(ヨナマウル)という一軒の料理店のことである。

ぼくがこの店を知ったのはただの偶然である。まずメニューを見て、ぼくは不思議に思った。漢人中華ばかりでなく、朝鮮料理、満州由来の羊串や延吉牛肉湯飯も並んでいる。この店は「多文化共生」を標語として掲げているわけではない。ただ、かれらが“生き延びてきた結果”として、このメニューが形成されているのだ。それらは、味の多様性というより歴史と地理の痕跡を帯びている。なぜなら、旧満洲や東北中国では、漢人・満洲人・朝鮮族が長く隣り合って暮らし、食文化が混ざり合ってきたから。この店の料理の並びを眺めていると、料理そのものが、身体の奥に沈んだ歴史を呼び戻してくるのである。

どうして延雅村(ヨナマウル)のメニューには、朝鮮料理、モンゴル料理、漢人中華が揃っているのか?

ぼくらが中国に持ってるイメージって、こんな感じではないかしら。
筒袖の服を着た皇帝。
儀式で鳴らされる大きな銅鑼。
夢のなかへいざなうように甘露な胡弓の音楽。
支那拳法カンフー。
餃子に、酢豚に、八宝菜。
そして支那4000年の漢字文化。
でも、これは万里の長城の〈内側〉のことで、
他方、〈外側〉には別種の文化圏がさまざまに広がっている。
チベット、ウイグル、モンゴルは言うに及ばず、
旧満洲たる東北三省もまた。
また歴史的に見れば、13世紀には支那全土はもちろんのこと
ユーラシア大陸全体がモンゴル民族が統治した。
(漢人は、モンゴルに懲り、モンゴルを恐怖して、
万里の長城建造に着手した。)
しかし、こんどは支那は満洲族に統治されてしまう。
満洲族による清王朝においては、
漢人もまた満人のように頭をほとんど剃り上げ、
後頭部にわずかに残した長い髪を三つ編みにしなくてはならず、
漢人は、このパンクスタイルの頭を嘆いたもの。

旧満洲たる東北三省は、
東に北朝鮮、西にモンゴル、北にロシアに、挟まれた中間地帯である。
港湾大都市・大連のある遼寧省。
そしてあの偉大なる清王朝発祥の地であり、
満人と漢人のたがいの料理を競い合わせた、
とんでもないごちそう宇宙・満漢全席で有名な吉林省。
はたまたまるでペテルスブルグみたいなハルビンが魅力を放つ黒龍省。


満洲族は、もともとの名を女真族と言い、
プロトモンゴル族と見なされています。
すなわち13世紀にユーラシア全域を支配した騎馬民族たる、
あのモンゴル民族の血筋です。
ただし、女真族はその後、血統的に縁の深いモンゴル族と、
はたまた漢民族の双方から攻められて弱体化してゆきもすれば、
他方、生き延びた女真族はモンゴル族に包摂されもして、ややこしい。
しかし、前述の辮髪話で触れたとおり、
17世紀から20世紀初頭まで支那を支配した清王朝もまた満洲族の帝国だった。
清王朝の最期については映画『ラスト・エンペラー』で描かれています。


吉林省は山に囲まれていて、湖、牧草地、湿地があり、
美しい松花川にたくさんの淡水魚が泳いでいる。
吉林省はかつての清王朝の拠点であり、それは満洲族の王朝だった。
かれらは栄華を極めた超贅沢宴席として名高い満漢全席を創造した。
満洲族のごちそうと漢民族のごちそうを競い合うように並べたもの。
こういうところにも、満洲族の統治の巧さを感じます。
そのごちそう食材の、とてつもないこと!
ツバメの巣、フカヒレ、ナマコ、チョウザメの軟骨、アワビ、アザラシ、山椒魚、
はたまたウズラ、キジバト、白鳥、ライチョウ、孔雀、
さらにはヤマブシダケ、アミカサダケ、キヌガサダケ、シイタケ、シロキクラゲ、
そしてラクダの瘤、熊のてのひら、猿の脳みそ、オランウータンの唇、
果ては豹の胎児、犀の陰嚢、鹿のアキレス腱、ゾウの鼻・・・。こうした満洲の「国家的ごちそう宇宙」と比べれば、延雅村の料理はあまりに質素だ。だが、ここには宴席の誇示ではなく、生き延びてきた時間そのものがある。


そんな吉林省のなかに延吉市はあって、
延吉市は「ソウルの漢江」に喩えられている。
また、延吉市内には延辺朝鮮族自治区があって、
北朝鮮東北部・咸鏡道からの移民たちが暮らしていて、
かれらが延吉市人口の4割を占める。
こちらに建ち並ぶショップの看板はすべて朝鮮語表記と中国語併記が義務づけられています。
(行政側の意向は、朝鮮語表記のみではだめですよ、ということである。)
また、街には朝鮮語文字があふれているにもかかわらず、
中国共産党の同化政策によって、いまや朝鮮語は
けっしてかつてほどには通じなくなりつつある。
延辺朝鮮族自治区の防川にある龍虎閣へ登れば、
中国・ロシア・北朝鮮が一望のもとに見渡せる。


さて、延雅村(ヨナマウル)である。
まず、お店の名前「延雅村」が、
食べログには「ヨナマウル」として登録されています
延雅村を中国語読みすれば、yán yǎ cūn です。
では、ヨナマウルとはいったいなんでしょう?
そうです、それは延雅村の朝鮮語読みなのである。

あたりまえのことを思い出すではないか。
国家よりも先に、
人は名前を持ち、
言葉を持ち、
食べて生きてきたのだ。


階段を降りてお店へ入ってみると、
こざっぱりとした店内にはボックス席が並んでいます。
初回訪れたときぼくは、まずはお店が推しておられる
「延吉牛肉湯飯」1100円税込を注文した。


待つこと数分、届きましたよ、定食の盆が。
アルミの小皿が3つ、
「モヤシのナムル」「ザーサイの和え物」「白菜キムチ」
そしてアルミの鉢にもちもちごはん。
そしてぼくの顔よりでかいアルミのボールに、
深いうまみのある淡いブラウンカラーのスープのなかに小口切りのネギがいっぱい、
黒胡椒とパクチーと赤唐辛子の香りをまとった、うまみたっぷりのスープのなかには、
牛の赤身肉片と、薄切りのゴム底みたいな白身が潜んでいます。
その薄切りのゴム底さえも食感の愉しさを与えてくれます。
調べてみたところ、このおいしいスープは、まず牛肉の塊とネギ、ニンニクを煮込んで仕上げ、
後から肉を引き上げて、薄切りするらしい。
他方、スープはシイタケ、赤唐辛子の粉、醤油少々で味を調えて、仕上げるようだ。
それにしてもどんだけ大量にスープを飲ませるつもりでしょう!
と、呆れながらもおいしいので食事はどんどん進んでゆき、
ナムルや、ザーサイ、キムチをつまんで味わいながら、
最後の方でスープのなかにもちもちごはんを投入して、猫飯にして食べ終える。
おいしかった!
なるほど、ほとんど朝鮮料理である。


では、延雅村(ヨナマウル)さんのア・ラ・カルトを眺めてゆきましょう。
ネンミョン(冷面)、石鍋豚足、キムチチゲ、スンデは、まさに朝鮮料理です。
ついでながら冷面は、平壌(ピョンヤン)生まれの料理らしい。
羊肉串は、モンゴルの伝統です。
地三鮮(ナス、ピーマン、じゃがいもの揚げ炒め)」は東北料理ですね。
かとおもうと、水餃子など漢人中華もある。
はたして、スズキやハタの料理はどんな味つけでしょう。
そして牛肉火鍋は四川ふうでしょうか?
どうです、こちらのお店延雅村(ヨナマウル)さん、魅力的でしょ。


お会計のときぼくは、給仕長のソフトモヒカン頭の若い中年給仕長に、訊ねた。
「吉林省って、どんなところ?」
かれは微笑んで答えた、「景色が綺麗。まわりが山。人が親切。」
なんて簡潔でいじらしい答えだろう。
実はぼくだって知っている。この年の吉林省は、初夏には武漢肺炎で都市封鎖があり、
夏の豪雨と旱魃で農作物の被害が甚大で、多くの農民が泣いたことを。
東京に暮らすかれの心もさぞや痛んだことだろう。
ぼくは言った、「kamsahamnida! (ありがとう!)また来るね。」

中国のなかにもちいさなコリアがあるのだ。
旧満洲(東北三省)のなかのひとつ吉林省、
その省都は長春、かつての満洲国時代には新京と呼ばれていた。
省全体に、漢人、満洲人、朝鮮族、モンゴル人など多民族が暮らしていて、
また、延吉市には延辺朝鮮族自治区があります。
延辺朝鮮族自治区には、おもに北朝鮮東北部・咸鏡道からの移民たちが暮らしていて、
かれらが延吉市人口の4割を占める。
そこにはこんな事情がある。
1910年から1945年まで、大日本帝国は朝鮮半島を海外領としていて、
日露戦争で日本が勝利してから、半島の人びともまた
「日本人として」この土地へ行きやすくなった。
さらには日本が関与し、かつまた清王朝の継承国家であるところの、
満洲国が1932年に建国され、1945年まで存在したことによって、
ますます朝鮮人のかの地への移住はよりいっそうかんたんになった。
とっくに満洲国は消滅しまったけれど、
いまなおかの地には朝鮮人たちがたくさん暮らしています。
そこに建ち並ぶショップの看板はすべて朝鮮語と中国語併記が義務づけられています。
(行政側の意向は、朝鮮語表記のみではだめですよ、ということです。)
街には朝鮮文字があふれているにもかかわらず、
しかし、中国共産党の同化政策によって、いまや朝鮮語は
けっしてかつてほどには通じなくなりつつあるそうな。

二度目の訪問でぼくは、「羊串」1本180円と、
「河魚湯(ドジョウ入り野菜スープ、コチュジャン風味?)」1580円、
そしてごはん一膳(値段忘却)を注文した。


羊串は、ステンレスの長い串に、ちいさな羊肉片がいくつも刺さり、
その肉は、赤唐辛子粉、白胡麻、フェンネルなどにマリネされていて、
それがローストされることによって、肉汁とスパイスの混ざりあった、
辛みがありつつもほんのり肉の甘さのある、魅惑の仕上がりになっている。


他方、「河魚湯(ドジョウ入り野菜スープ、コチュジャン風味?)」は、
レッドブラウンカラーのスープに、フィンガーサイズに切ったドジョウがそこそこ入っていて、
豆腐、ズッキーニに似たエホバクの薄切り、ネギの斜め切りがいっぱい。
ドジョウはほの苦く、それがコチュジャンの甘辛さとあいまっておもしろい。
また、煮込んだエホバクがじゃがいものようにほくほくした味わいであることも知った。
後半、ごはんを投入し、猫飯にしてたいらげた。
おいしいことはおいしかったけれど、
ただし、味つけはコチュジャンだよりで、風味もたんじゅんで田舎ふう、
もう少し味を整理した方がいいかな。
こういう料理は、店ごとの味つけの幅が広そうです。
つまり、前回いただいた「延吉牛肉湯飯」ほどの感動はなかった。
とはいえ、羊串もすばらしくおいしいし、
ネンミョン(冷面)もたいへんに人気です。


そしてぼくは想像する。
延辺朝鮮族自治区の防川にある龍虎閣へ登れば、
中国・ロシア・北朝鮮が一望のもとに見渡せる。
短い夏には、龍虎閣では韓国からやって来た老人たちの姿がよく見られる。
かれらはただ黙って川向こうの北朝鮮を眺めている。
北朝鮮軍は憎いけれど、親族や友人には会いたい。
しかし、会うことはできない。
どうしているだろう。
かれらの胸のなかには鉛のような哀しみが沈んでいる。
曇り空をカモメが飛んでいる。
カモメは国境をかるがると越えて羽ばたいてゆく。



日本での北朝鮮報道といえばーー。
拉致問題。核兵器。弾道ミサイル。新型ロケット。
麻薬を産業として山間部で壮大に芥子栽培している。
兵器開発にカネを使いすぎて人民は飢死寸前。
そんなニュースばかりが伝えられているけれど。
しかし、そういう報道はさすがに公平を欠いていて。


平壌の街の壁には、人民の勇気を鼓舞するプロパガンダ絵画が描かれ、
そんな街を架線からパンタグラフで電気をもらいながら走る
トロリーバスが走っています。
鎌とトンカチの彫刻のある建党記念塔のまわりで鳩が遊んでいます。
軍事パレードで有名な金日成広場も、ふだんはのどかなもの。
短い夏の休日にお洒落をした恋人同士が川でボート遊びをしている、
左の胸に金日成と金正日の顔のある赤いピンバッジを輝かせながら。
コドモを連れた家族は平壌動物園へ遊びに行き、家族写真を撮り、
外国人が街を歩けば、平壌のコドモたちがみんな揃って笑顔で手を振る。
人民はみんな音楽が好き。
そしてまたかの国には、すばらしい身体能力で人を魅了する雑技がある。
平壌の地下鉄通路にはシャンデリアが輝いている。


そもそも北朝鮮があんなにも奇矯な政体になってしまったのは、
もとはといえばヴェトナム同様、
アメリカとソヴィエトの策略に翻弄されて、
朝鮮が北と南に二分されてしまったたせいであって。
日本がそうならなかったことをただただ幸運におもうばかりである。


なるほど、日本の政治家ならば、日本の国益を考え、北朝鮮と韓国は分裂したままであって欲しいと考えるのがとうぜんではあるでしょう。しかし、だからといって日本の市民までもが隣国の不幸の存続を願うというのも、卑しい。なぜって、人は生まれるにあたって民族を選べず、生まれる国を選べもしない。もっとも、北朝鮮の場合は、建国当初には一定数のコリアンがこの国を選んだわけだけれど。しかし、その後の世代は、自分の意志とは無関係に北朝鮮人民として生まれてきた。


延雅村(ヨナマウル)には、
いつどこでどんな環境であっても、
〈中国生まれの朝鮮族〉として、
自分自身でありつづけることへの意地と誇りがあって、
これほど大事なことは他にそうそうない。
満漢全席のゆたかさは国家の創作である。
それに対して、延雅村(ヨナマウル)の料理には、
かれらが生きて来た歴史が刻まれているのだ。
延雅村の料理が教えてくれるのは、「国境が引かれる前から人は生きていた」という、ごくあたりまえで、しかし忘れられがちな事実なのだ。

思えば日本の近代は、国民ひとりひとりの主体形成に問題がある。
昭和前期の挙国一致体制の下、国家主義的な人格形成の時代、
敗戦後は、それがそっくりそのまま官僚型人間と、会社型人間を作ってしまう。
しかし、1990年のバブル崩とともに、あれよあれよと非正規雇用が増えてしまって、主体形成もなされていない立場なき国民が増えてしまった。

これは空っぽのコップみたいな国民国家であって、ポピュリズムの風向きとともに、コップのなかに、どんなイデオロギーが入るかわからない。

ほんらいアイデンティティなんてものは、多元的で、他者を受け入れながら、同時に、自己を変化させてゆく動的プロセスである。

ところが、いまの日本人はなかなかそういうふうにはできないから、おのずと思想が硬直してしまう。たいへん危なっかしい。

健全な愛国心なんてものは、どこの国へ行っても生きてゆける人にしか、宿らないとぼくは思うのだけれど。しかし、日本人にはなかなかこの、勝手に生きるという発想と生き方が身につかない。(ぼく自身だって、怪しいものだ。)したがって、ポピュリズムは簡単に移民排除に傾いてしまう。移民抜きには日本経済はまわらないのに。

そんなわけで、ぼくのこのルポルタージュは、日本近現代精神分析に傾きつつある。

つづく


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