"浮遊"女子高生 清水いぶき、離陸中。#07
第7章 自由浮遊高度:13.5m 浮遊力:342NF
それでも、楔となるもの
「……あ。ついに、私の頭が……校舎、越えました……」
清水いぶきは、屋上の縁にそっと額をぶつけて、乾いた声でつぶやいた。今日の“登校”は、そこから始まる。
屋内は、もう無理だった。
浮遊力が強まりすぎて、天井に押しつけられるのも限界だったからだ。
いまのいぶきは、校庭に立つ国旗掲揚塔の支柱にくくりつけられるか、あるいは屋上の“浮遊者係留柱”につながれて過ごす日々が続いている。
風が強い日は休むように指導された。
天候に左右される通学なんて、もはや普通の生活とは言えない。
それでも、いぶきは来ていた。学校に。
「……高いなぁ」
見下ろす校庭の景色は、まるでジオラマだった。
体育の授業で跳ねるバレーボールが、ゴマ粒のように上下していた。
制服のスカートが風に膨らみ、いぶきは片手で抑える。
中にはホットパンツを履いている。
もう、羞恥なんてとうに通り過ぎた。
「スカートって、こんなに空気に弱かったっけ……」
昼休み。
かずさが屋上までやってきた。
「いぶき~、クレープ買ってきたよ。
例のとこ、今日オープンだったんだって」
「え、あの潰れてたとこ!? めっちゃ行きたかったやつ!」
風に揺れながら手を伸ばし、クレープを受け取る。
慎重に、だけど嬉しそうに、それをかじった。
ほんの少し温くなっていたけれど、それでも甘くてやさしかった。
「……うん、おいしい。マジで泣けるくらい」
「泣くな。空で泣いたら、下にしずく落ちるでしょ」
ふたりは笑った。
だけどその笑いの奥に、いぶきは気づいていた。
かずさの目の端が、少しだけ潤んでいることに。
「……こうして、ふたりで食べられるの、あと何回かな」
「やめろ、そういうの。明日も来るんでしょ」
「うん。来る。来るから……」
その日の帰宅時、風が強まっていた。
ギシ……ギシ……と係留ロープが軋む。
腕に結ばれたベルトが締まり、手首が痺れる。
地上にいる母の姿が、校門のあたりに見える。
今日は迎えに来てくれていた。
手を伸ばしても、なにも届かない。
「……ねぇ、これ、いつまで続くのかな」
誰にともなく、空に問いかけた。
もちろん、返事はない。
ただ、風だけが、空の奥から返事のように吹いてきた。
13.5メートル――建物の中には、もう居場所がない。
“普通”の生活からは、もうずいぶん離れてしまった。
でも、いぶきはまだ、空を見上げずにいた。
彼女が見つめていたのは、地面だった。
――そこに、まだ、何かを残しているように。
放課後の空は、淡く金色に染まりはじめていた。校舎の影がのび、部活動のかけ声が、かすかに届く。その音が、まだ地上とつながっている証のように思えた。
だけど、風がまたひとつ、向きを変えた。
ギィ、とロープが鳴る。いぶきは顔を上げた。そこにはもう、遮るものはなかった。
「……ここから先、行ったら、戻れない気がするな」
そうつぶやいた自分の声が、風にさらわれて消えていく。
でも、それでも。
「もうちょっと、ここにいる。だって、明日も……学校、あるし」
風が吹いた。ロープが揺れた。
いぶきは、空に浮かんだまま――それでも、地面のほうを見ていた。
そこにまだ、自分をつなぎとめる何かが、確かにあると信じて。
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・第1話ープロローグ/地に足のついた、最後の日
・第2話ーふわつく日常・自覚なき浮遊
・第3話ー浮遊判明・滑り出す日常
・第4話ー浮つく日常・繋がれた身
・第5話ー住み着く天井・離れゆく日常
・第6話ー天井接近警報
・第7話ーそれでも、楔となるもの
・第8話ー縋れない地面、遮るもののない空
・第9話ー見下ろす地図、思い描く場所/大気圏の会話
・第10話ー軌道の彼方へ ― いぶきの宇宙航路
・第11話ー第12章 星の誕生 ― ボイドにて/エピローグ
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