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社会の変化はゆっくりになっている(9)70年代以降、ファッションの変化は減速


9.70年代以降、ファッションの変化は減速(「文化の減速」の事例)


「社会の変化はどんどん速くなっている」という「加速」を主張する人が多いですが、私はそうは考えません。この一連の記事では「この数十年で、社会の変化はゆっくりになっている」という「減速論」を主張しています。この一連の記事の第1回~第6回では、経済成長や技術革新の停滞、世界の人口増加の減速などについて述べてきました。

*第1回~第6回についてまとめた第7回の記事

また、前回(第8回)では、社会の変化がゆっくりになったことで、新旧の世代(若者と中高年)のあいだの価値観などの差異が縮小している、つまり「若者と中高年が似通ってきた」ということについて、調査によるデータを引用して述べています。人は社会からの影響でつくられます。社会の変化の減速によって、新旧の世代が同じような技術・経済・文化の枠組みのなかで育つことになり、似たような感覚・価値観を持つようになったということです。

そして、前回では「社会の減速は、経済や技術、人口の動きのような大規模な事象だけでなく、文化や生活の細部にもあらわれている」ということも述べました。今回(第9回)は、「文化の減速」について述べます。



*サムネイルの写真は、国立代々木競技場 第一体育館(1964年、意匠設計:丹下健三)。このような、今みてもモダンで「未来」をも感じさせる建築が60年余り前につくられていたのです。1964年の60年前というと1904年(明治時代、日露戦争の頃)です。そこからの60年にくらべ、この建築以後の60年の変化はゆっくりだったのでは?


昔のファッションが「現代的」に感じられる


「文化の減速」を語るうえで、ファッション・服装は、多くの人にとって身近でイメージしやすい重要な分野であり、よい事例ではないかと思います。
美術や文学、建築などでも、減速は起こっていると私は考えますが、これらの領域よりも、ファッションはより多くの人になじみがあり、話が伝わりやすいはずです。

また、アニメ・特撮のようなサブ・カルチャーも、多くの人と共有しやすいテーマですが、「些末で特殊な事例」とみられがちです(ただし、私は「今のアニメ・特撮は“サブカル”ではなく、現代文化の重要な要素」と思っています)。ポピュラー音楽のことも共有しやすいですが、音楽の素養がとくに少ない私には言葉での説明がむずかしいです。

そこで「文化の減速」については、まずファッションについて述べたいと思います。

ファッションの歴史をひもとくと、「数十年前のモード(最先端のファッション)なのに、今の時代に着て歩いてもあまり違和感がない」というものがかなりあります。つまり、「過去の作品があまり古くならない」という現象がみられるのです。

たとえば、1960年代のマリー・クヮントやアンドレ・クレージュによるミニスカートはそうですし、ガブリエル・シャネルによる1950年代のスーツ(「シャネル・スーツ」といわれるツーピース)もそうでしょう。これらを現代人が着た場合、ある程度のレトロ感はあるかもしれませんが、コスプレにはみえないはずです。

また、さらにさかのぼって、1926年に発表されたシャネルの「プティット・ローブ・ノワール(小さな黒い服)」というドレスでも、同じようなことが言えると思います。このドレスは、かなり「レトロなモダン」ではあります。しかし、きわめてシンプルなデザイン(装飾のない、黒一色のワンピース)なので、「現代人の服装」として許容され得るでしょう。なお、この「小さな黒い服」のスカート丈は膝下くらいですが、これは当時としてはきわめて短いものでした。

この「小さな黒い服」のように、モノのデザインにおいて装飾を削ぎ落し、機能性を志向する立場を「モダニズム(直訳すれば“近代主義”)」といいます。この考え方は、ファッションにかぎらず、建築・インテリアなど、さまざまな分野のプロダクトにみられます。

モダニズム的な婦人服は、第1次世界大戦(1914~18)以降に発達が加速し、普及していったものです。シャネルは今の私たちにとくに知られていますが、ほかにも彼女のライバルであった著名なデザイナーたちが活動し、新時代のファッションを切りひらいたのです。

ただし、「小さな黒い服」は、当時としてはとくに尖がった、象徴的な事例です。1920~30年代における最先端の婦人服には、シャネル自身の作品も含め、もっと柔らかい雰囲気の華やかなものも多くあります。しかし、それらもまた一世代前の(1800年代末の)婦人服の主流と比べれば、はるかにシンプルで活動的なデザインでした。

なお、モダニズムの初期のデザイナーたちがつくったのは、基本的には「オートクチュール」といわれる高級な仕立服です。しかし、そのデザインは、より大衆的な製品にも影響をあたえました。つまり、モダニズムの婦人服は、当初は少数者のためのものでしたが、しだいにファッションの主流を成していったのです。

そして、「数十年以上前のファッションが、現代でも違和感がない」ということは、著名なデザイナーの作品にかぎりません。たとえば、1960年代のジーンズ姿の若者がタイムマシンで現代にあらわれたとしても、その服装は周囲に十分に馴染めるはずです。

ジーンズは、1800年代後半のアメリカで作業着として誕生し、1930~40年代にはある程度ファッションとして普及するようになりました。そして、1950年代以降、アメリカの若者のあいだで流行しはじめ、1960~70年代には世界各地に広がっていったのです(能澤慧子『二十世紀モード』講談社選書メチエ、1994年、第三章「ジーンズ――モードの新しい流れ」などによる)。


ファッションは1960年代までに劇的に変化


では、1950~60年代(今から60~70年前)よりもさらに60~70年さかのぼれば、どうでしょうか? 1800年代末~1900年頃の、ヨーロッパ文化史で「ベル・エポック(“美しい時代”の意)」と呼ばれる時期。その頃のパリやロンドンの富裕層の女性の服装で、今の街中を歩くとしたら? 

地面を引きずるようなスカート丈のドレスや華やかな帽子、ウエストを締めつけるコルセットは、時代劇的なコスプレになってしまうにちがいありません。そして、現代ではなく1960年代の街中であっても、その服装は完全に違和感があるでしょう。

それはつまり、ファッションが1960年代までの数十年間で劇的な変化を遂げたのに対し、それ以降の数十年の変化は比較的ゆっくりだったということです。

1920年代のシャネルとそのライバルたちの仕事や1960年代におけるミニスカートほどの新しいものが、最近の数十年では生まれにくくなっているのです。少なくとも、1960年代以前の数十年間のようなペースでは生まれていないということです。

なお、ここでは女性の(とくに先端的な)ファッションを主題にしますが、男性ファッションは、この100年余りのあいだ、変化がゆっくりである傾向がさらに顕著です。

たとえば、ブリュノ・デュ・ロゼルの『20世紀モード史』(平凡社、1995年)では、《一九世紀後半からおよそ一世紀の間、男性のモードはほとんど変わっていなかった》と、原著の出版が1980年のやや古い本ですが、明確に述べています。そして、同書によれば《そこにようやく変化があらわれたのは第二次世界大戦にスポーツウエアやカジュアルウエアが登場してきてからであるが、スーツにはほとんど変化がみられなかった》といいます。

男性の服装の代表的アイテムであるスーツの原型(ラウンジ・スーツという)は、1800年代末に(昼間の)正装として主流になりました(中野香織『スーツの神話』文春新書、2000年)。そして、その後ディティールなどは変わっても、現在にいたるまでスーツには根本的な変化はありませんでした。

また、男性の服装は、女性と同様にこの数十年で大幅にカジュアル化したわけですが、スーツに代表されるように、個々のアイテムやパーツ自体は大きくは変わっていないのです。


研究者がモダニズム初期の衣服に感じた現代性


とはいえ、以上で述べてきた「昔のファッションが現代的にみえる」というのは私の感じ方であり、これを客観的データで示すのはむずかしいです。

しかし、専門家のなかにも、私と共通の見方をする人はいます。たとえば、服装史の研究者・能澤慧子氏は、モード(先端ファッション)の歴史についての1994年の著書で、若い頃に初期のモダニズムの婦人服を展覧会でみたときの印象をふり返り、「すこしも古臭さを感じなかった」と述べています。

この展覧会は、1910~1930年代における、当時の最先端の婦人服をテーマとした「現代衣服の源流展」という企画展です。この「源流展」は、1973~74年にメトロポリタン美術館で開催され、その後75年に日本でも開催されました。そこでは、シャネルのほか、彼女と競合するポール・ポワレ、エルザ・スキャパレリなどの、ファッション史上の著名なデザイナーの作品が取り上げられています。

そして、日本でこの展覧会をみた、当時20代後半だった能澤氏は、マネキン人形がまとう展示作品に対し、つぎのような印象を持ったといいます。

《…それらが作られてから、〔70年代の〕当時すでに半世紀以上も経っていたにもかかわらず、すこしも古臭さを感じさせなかった。歴史服というより、だれか、現存のデザイナーのコレクションのようでさえあって、すぐにも身に着けて、会場の外へ歩き出しても、違和感は生まれないかに思えたほどであった》

『二十世紀モード 肉体の解放と表出』講談社選書メチエ、1994年、57~58ページ、〔〕は筆者・秋田による

「源流展」は現在でも、専門家のあいだで「ファッションの展覧会の歴史のなかで重要なもの」とされているそうです。 なお、能澤氏が「源流展」をみたのは、1970年代のことですが、1990年代半ばの著書でその感想を述べているということは、「現在(本の執筆当時)でも、70年代当時の見方・評価は妥当」と考えたのです。 そして、「90年代半ば」というのは、広く歴史をみわたす議論のなかでは「ほぼ現代」だと、私は考えます。

また、私も「源流展」の図録に目を通しましたが、そこにある作品の現代性は、やはり印象的でした。これらの多くは、今となっては100年ほど前につくられたものなのです。1900年代前半には、たしかにファッションの急激な変化があり、それまでとは深いレベルで異質な新しい衣服が生まれたということです。そして、その創造・革新が今に直接つながっているわけです。


70年代以降の「既製服化」と「応用」への移行


ただし、これまで「変化がゆっくりになった」と述べてきた1970年代以降のファッションにも、もちろんさまざまな変化や革新がありました。そのなかで最大の動きは「既製服化」、つまり「多種多様の優れたデザイン・高品質の衣服の量産化」ということです。

1900年代前半には、有名デザイナーによる高品質の服は、富裕層を顧客とするオートクチュール(高級仕立服)に限られていました。先ほどの「源流展」のデザイナーたちは、オ-トクチュールで活躍した人たちです。

ただし、当時(1900年代前半)も既製服はありました。とくにアメリカでは、世界のなかでいち早く、1940年頃には既製服が豊富に出回るようになっていました。かつて衣服というものは、仕立屋に注文したり家庭の裁縫でつくったりするものでしたが、それは例外的になっていったのです。このような、1900年代後半にすすんだ「既製服化」は、衣服の分野における一大変革でした。

それでも、1950年代までの既製服は、基本的に「ありきたりの衣料品」であり、現在において主流の製品のようにデザインや品質を深く追究したものではありません。

しかし、1960年代から、「プレタポルテ」と呼ばれる高級既製服に取り組む、創造的なデザイナーたちが欧米で台頭します。プレタポルテは1970年代にはモードの世界に定着し、その後はオートクチュールに取って代わりました。それ以降、ファッションの革新はおもにプレタポルテの世界で推し進められていきます。

そして、プレタポルテがけん引する既製服の発展の結果、富裕層以外の幅広い人びと、つまり大衆にも、先端的で多様なファッションが供給されるようになりました。

ただし、能澤慧子氏によれば、プレタポルテにおける「革新」は、《今世紀〔20世紀〕初頭から二〇年代の革新的なオートクチュール・デザイナーたちがスタイルの上でなしたことを、既製服の舞台で繰り返した》ものであるといいます。

それはこういうことです――プレタポルテの新たな世界において行われたのは、堅苦しい従来のモードの解体でした。プレタポルテ台頭の前夜である1950年代には、大戦から復興した社会が安定するのに伴い、モードの世界は懐古的な面がみられるなど、やや保守化していました。プレタポルテのデザイナーたちは、その状況を打破していきました。

たとえば、極度に簡素な、「貧しさ」をもあえて感じさせる新たな「美」を追及したり、洗練されたモードでは「異物」といえる、ストリートファッションや民族服の要素を取り入れたりしたのです。

しかし、以上のような「新しい」取り組みは、先ほどの「源流展」のデザイナーたちを彷彿とさせるものだった、と能澤氏は述べています。たとえば、「民族服への注目」はポール・ポワレが、「極度の簡素さ」「(あえて演出された)貧しさの追及」はシャネルがすでに行っていたことでした。

また、プレタポルテのデザインで、シンプルや機能性を志向するモダニズムへのアンチとして、装飾的要素が打ち出されることもありました。これも先例がないわけではありません。「源流展」のデザイナーたちの作品にも、単なるシンプルとは異なる、新たなかたちの装飾的要素はみられるのです。

なお、現代において、機能性・合理性に反発する「装飾の重視」は、「ポストモダン(あえて訳せば“脱近代”)」といわれる、思想的な潮流とも深く関わっています。ポストモダンは、1970年代に台頭し、それ以後さまざまな文化・学問に影響をあたえるようになりました(ポストモダンについては、次回以降でまた述べたいと思います)。


ファッションの「革命」と減速・ここまでのまとめ


以上をまとめれば、「1970年代以降のファッションの変化は、1900年代前半の“革命”を、大量生産・大衆化という新たなステージにおいて、さらに洗練・高度化したかたちでくり返したもの」ということになるでしょう。

この一連の記事の第4回で私は、現代の進歩や変化について、「基礎的・根本的な革新から、応用的できめ細かい改良へと移行している」と述べました。このような移行は、社会の「減速」の重要な側面であり、ファッションでもみられます。

現代につながるファッションの歴史において、基礎的・根本的な革新は、1910~30年代のことでした。1970年代以降の革新は、過去の革新をより洗練・深化したかたちでくり返したものであり、本当に新しいものは生まれにくくなっているのです。その意味で、ファッションの変化は「減速」の局面に入ったと、私は考えます。

また、1970年代以降のファッションの世界では、「美しく、質の高い製品の量産・普及」もおおいにすすみましたが、こうした量的拡大は「応用」的なものといえるでしょう。そして、2000年頃からのファストファッションの台頭は、「量産・普及」の近年における展開です。それは、1970年頃以降にとくにすすんだ「既製服化」の大きな流れの延長線上にあります。

なお、ここでは欧米の先端的なファッション(モード)を主題にしていますが、1900年代(とくに前半)には、前に述べたように「“仕立てる”ものから “買う”ものへ」という衣服全般のあり方の変化もありました。

また、世界全体という視野で1900年頃以降の衣服の変化をみるならば、「世界の人びとが、民族服ではなく西欧発の洋服を着るようになった」ことはとくに重要です。これについても、少し触れておきます。

衣服の「西欧化」については、前にも引用したデュ・ロゼル『20世紀モード史』で指摘があります。デュ・ロゼルは、《世界規模のモードの西欧化》によって地域性が失われ、世界の広い範囲で(同書が出版された1980年頃の時点において)《男性の衣服はほとんどが西欧のモードとなり、この十数年間には女性のモードも西欧のモードにかなり近づいてきた》と述べています。

こうした西欧化の動きは、2020年代現在は、男女の服装とも「ほぼ完了した」といっていいでしょう。今の日本では和服を着ることはきわめて少なくなりましたが、それと同じようなことが、世界中で起こったのです。そして、「西欧化」という変化は、それが完了した以上、今後は減速するしかありません。


ファッションにおける「データベース」の完成(ファッション論・蘆田裕史)


さて、以上の「現代のファッションの革新・発展は、応用的な局面にあり、減速している」という認識は、専門家のあいだでは主流ではないはずです。「ファッションにおいて、本当に新しいものは、近年はあまり生まれていない」などと、業界に関わる人は考えたくないのが普通でしょう。

しかし、私が共感する考えの研究者もいます。ファッション論が専門の蘆田裕史氏は、著書(2021年刊の評論集)でつぎのように述べています。その主旨は、「1970年頃までに、ファッションデザインの基礎的な創造は終わり、応用の局面に入った」ということだと、私はとらえています。

《二〇世紀に入ってから、シルエットを決定づける一要素である女性服のスカート丈は漸次的に短くなる。……シャネルの時代にはスカートの裾は膝下まで上がり、六〇年代にはミニスカートが登場する。さらには女性用のパンツまでもが発表され、普及しはじめる。これはすなわち、ほぼすべてのシルエットが出揃ったこと、換言すればデータベースがほぼ完成したことを意味する。そうなると新しいシルエットを作ることは難しくなり、必然的にファッションデザイナーの仕事は諸要素を組み合わせることへと移っていく》

『言葉と衣服』アダチプレス、2021年、99~100ページ

以上の「データベースの完成」とは、「デザインの要素となる基本的なアイデアが出揃った状態」といっていいでしょう。そして、蘆田氏は《データベースからの選択行為はほとんどの場合既存のエクリチュールの虜囚となり、新たな型が生まれることは滅多にない》と述べています。

それでも、「諸要素の組み合わせ」は、やはり一定の創造的な取り組みであるはずです。しかし、「データベース」を構成する新しい要素をつくり出すことにくらべ、応用的であることはまちがいないでしょう。

そして、「応用」あるいは「組み合わせ」「選択」に軸足が移っているとすれば、「現代のファッションデザイナーは、数十年以上前とくらべれば、その仕事の創造的な意義やインパクトを明確に示すことが難しくなっている」といえるのではないでしょうか。

それはつまり、ファッションの創造において「新しいものが生まれにくくなっている」ということです。また、「数十年前までに、おもだった創造・革新はすでにやり尽くされてしまったから、そうなっている」ともいえるでしょう。

前に述べた例えでいえば、「収穫しやすい果実の多くは、すでに収穫されてしまった」ということです。現代のファッションデザイナーは、多大な努力を費やしても、過去の世代ほどの創造的成果を得ることが困難であるという「収穫逓減(ていげん)」に直面しているのではないか、と私はみています。なお、ここでいう収穫逓減とは「進歩・発展につれて、投入した労働量に対し得られる成果がだんだんと減っていく現象」のことで、おもにこの一連の記事の第6回で述べた事柄です。


過去の要素のリバイバルとリスタイリング(服装史・横田尚美)


このような「ファッションにおける1970年頃以降の減速」について、服装史の研究者・横田尚美氏は、20世紀以降のファッション史を概説した2010年代の著書で、とくにはっきりと述べています。現代のファッションは、1960~70年代を中心とする過去の要素の「リバイバル」と「リスタイリング」で「新しさ」を生み出しているというのです。

《六〇年代以降、全く新しい女性服は誕生していないが、春夏、秋冬と新しいコレクションが発表され、新しい流行が生まれ続けている。七〇年代は、六〇年代の続きと五〇年代のコンサバティヴな服のリバイバルと考えることもできる。八〇年代にも六〇年代に流行したものが少なからず見られる。
世紀末から21世紀にかけての流行は、ほとんどが六〇~七〇年代のリバイバルで、ウエストが低い位置にあったり、民族文化や衣装の要素を取り入れていたり、それをリスタイリングすることによって、新しさを表現してきた》

『20世紀からのファッション史 リバイバルとリスタイル』原書房、2012年、181ページ、一部改行を改めた

以上で横田氏がいう「リバイバル」と「リスタイリング」は、蘆田氏がいう「データベースからの選択行為」と、ほぼ同じことです。

そして横田氏は、リバイバルとリスタイリングによる作品を新しい客層に新鮮なものとしてアピールするために、《その解釈と呼び方の違い、そこにどんな民族文化を合わせるかなどで、……バリエーションを出していく》のだとも述べています。

たとえば、「1970年代にケンゾー(高田賢三)は、世界各地のさまざまな民俗服の要素を取り入れたフォークロアスタイルというものを打ち出したが、同じようなアイデアのファッションが近年はエスニックと呼ばれたり、ボヘミアンルックと呼ばれたりする」のです。 過去と同じようなアイデアに、以前とは別の名前を付けて新しくみせるわけです。

これこそ「きめ細かな改良・応用」の極みであり、このやり方が一般化しているとしたら、まさに変化・革新の減速です。

「ファッションの基礎的創造は数十年前に終わった」というのは、業界では歓迎されない見解のはずで、やはり有力ではないでしょう。しかし、蘆田氏や横田氏のような見解があることは、知っておいていいと思います。

(第10回に続く)
次回は、文化の減速について、さらにいろいろと述べていきます。


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