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社会の変化はゆっくりになっている(6)なぜ、新興国の減速は必然なのか


(これまでの振り返り)
「世界の変化は加速している」という主張は間違い。じつは減速している。現代において、社会の変化は数十年前よりもゆっくりになっている
――このことを、この一連の記事では述べています。経済成長、技術革新、人口、新しい文化の創造などにおける減速の事象や、先行する言説を取り上げて論じています(文化に関してはこれから)。

ここまで、「減速」はおもに先進国に特徴的なことであると述べてきました。しかし、前回(第5回)でみたように、人口増加のペースダウンや出生率の低下などの人口のおける減速は、新興国でもみられます。経済成長についても、前に(第1回で)述べたように、減速しているのはまず先進国ですが、中国などの新興国でも一定の減速がみられるのです。

今回は、将来は明確になるであろう「新興国の減速」と、それが起こる必然について論じます。そこには「収穫逓減」という、さまざまな変化・発展において広くみられる構造が作用しているのです。



*サムネイルの写真は、国立代々木競技場 第一体育館(1964年、意匠設計:丹下健三)。このような、今みてもモダンで「未来」をも感じさせる建築が60年余り前につくられていたのです。1964年の60年前というと1904年(明治時代、日露戦争の頃)です。そこからの60年にくらべ、この建築以後の60年の変化はゆっくりだったのでは?


6.なぜ、新興国の減速は必然なのか・発展による「収穫逓減(ていげん)」について


追いつくにつれて、後続のペースは落ちていく


2020年代現在では、減速の傾向がとくに明白なのは先進国であり、新興国や開発途上国ではまだそうでもないとはいえます。しかし、いつまでも現状(「減速する先進国と、新興国などのそれ以外の国ぐに」という構図)が続くわけではない、と私は考えます。

つまり、「将来的には、今は勢いのある新興国も減速していくだろう」ということです。

たとえば、第5回で述べたように、出生率の低下やその低下ペースの減速などの、先進国で始まった人口の動きが新興国にも広がっているのです。これは、新興国が先進国のような低成長の社会に近づいていることを示しているのではないでしょうか。つまり、人口の動きは、新興国における「減速の兆し」のひとつではないか。

とはいえ、新興国の減速が明確化するのはまだ先のことであり、それまでに先進国と新興国の格差はさらに縮小すると、私は考えます。その結果、第1回で述べたように、世界は多極的になっていくのです。

しかし一方で、新興国の減速が将来において現実になるのは、必然的なことだとも考えます。少なくともそのような減速は「構造的に、そうなる傾向が強い現象」だといえるのではないか。以下、こうした「新興国における減速の予兆や構造」について説明していきます。

前に(第1回で)「近代の世界は、先進国を先頭グループとするマラソンのようなもので、近年は、減速してきた先頭グループを新興国が追い上げている」と述べました。そして、このマラソンレースについては、ここでひとつ重要なことをつけ加えます。

それは、「後続のランナーが先頭に追いつくにつれて、後続のペースは落ちていく傾向がある」ということです。

つまり、「勢いよく追い上げていた後続ランナーがその勢いのまま(あるいはさらに加速して)、ペースダウンしてきた先頭グループを抜き去っていく」ことは、当面のこの世界では考えにくいと、私はみています。

「後続が先頭を抜き去る」のは、スポーツ競技のレースではかなりみられることです。しかし、「近代世界のマラソンレース」の現状では、新興国が先頭を抜き去るのではなく、減速している先進国と同様の速度に落ち着いていく傾向がみられるのです。


2020年代現在における中国経済の減速


たとえば、2020年代現在においては「中国経済の減速」ということが、世界経済の重要なトピックとなっています。それでも、2024年の中国の経済成長率は5.0%であり、まだ先進国よりも明らかに高いです。しかし、成長を重ね相当に発展した現在、減速してきたことも事実です。

2010年において、中国の経済成長率は10.6%で、現在よりもはるかに高い水準でした。

しかし、その後は低下傾向で、2012~19年は6~7%台となりました。その後、2020~22年のコロナ禍では、8.1%の2021年を除き2~3%に落ちました。そして、2023年は5.2%になり、2024年では5.0%となったのです。

ただし、中国経済が今後一定の復調をみせることは、あり得るでしょう。マクロ(国全体)の経済では減速傾向でも、中国には、技術の革新や向上が急速な産業分野がいろいろとあり、潜在的な成長の力はまだまだ大きいのです。

しかし、かつてのような力強い成長が長期にわたって続くことは、考えにくいのではないでしょうか。高度成長期(1955年頃~75年頃)以降の日本経済が、中長期的には失速していったのと、基本的には同じことです。

*中国の経済状況については、柯隆「今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平」『週刊エコノミスト』2024年4月30日・5月7日合併号などによる。また、本記事の記述にはほとんど生かせていないが、中国の減速に関し、以下の本は参考になる。


先進国に追いつく困難・「中所得国の罠」


そして、より一般的な議論として、経済発展における「中所得国の罠」ということも、近年はかなり言われるようになりました。

つまり「新興国・開発途上国が経済発展して“中所得国”といわれる一定の水準に達したあと、長期の停滞に陥る傾向がみられる」と指摘されているのです。中所得国の定義は、かならずしも明確ではありませんが、現代世界では、たとえば中国、ASEAN諸国やラテンアメリカ諸国の多くは、「中所得国」に該当すると考えてよいでしょう。

中所得国がさらに発展して先進国になるには、先進国で実現しているような高付加価値のサービス・製品を数多く生み出していく必要がありますが、それは容易ではない、ということです。つまり、新興国が先進国に追いつくこと(先進国の仲間入りをすること)の困難さが、以前よりも認識・強調されるようになっているのです。「中所得国の罠」というワードは、2007年に世界銀行が刊行した報告書で提起され、以後用いられるようになりました。

このように、「先進国の減速」だけでなく「新興国における減速の兆し」が、現代の世界ではみられます。このため、新興国が先進国に追いつく見通しは、立ちにくくなっています。

たとえば、2010年代には、「中国のGDP(経済規模)は、2030年頃にアメリカを抜き、その後は“単独世界1位”の座を維持していく」という予想がかなり有力でした。しかし近年は「中国のGDPは2050年になってもがアメリカを抜くことができず、世界第2位にとどまる」「中国がアメリカに追い抜くとしても、その地位を維持するのはかなり難しい」といった予想も出ています(たとえば、ブレンダン・コール「中国はアメリカを抜く経済大国にはなれない」ニューズウィーク日本版ウェブサイト、2021年2月21日付など、いろいろ)。

つまり、一般的な予想は「中国などの新興国が先進国に追いつくのには、まだ時間がかかる」「追いつくとしても“抜き去る”ことは考えにくい」という見方に傾きつつある、ということです。これは「現状にあわせて予想を修正した」ということですが、私も妥当な修正だと思います。

しかも、このような予想で論じられているのは、あくまで経済規模をあらわすGDPであり、経済の発展度の(ひとつの)指標である1人あたりGDPで中国がアメリカに追いつくことは、議論するまでもなく、まずあり得ないとされているわけです。

また、成長の減速は、中国以外のおもな新興国でもみられます。前に(第1回で)、BRICS5カ国のGDPの合計を、主要先進国G7のGDP合計と比較し、2000年頃以降、BRICSとG7の差が縮小する傾向が顕著である、と述べました。

2000年にはBRICSのGDP合計はG7の合計に対し13%で、2010年には36%、2020年には53%にまで迫っています。

しかし、BRICSのうちブラジル、ロシア、南アフリカは2010年代に成長が減速し、2020年にはこれらの国の「G7のGDP合計に対する比率」「世界全体のGDPにおけるシェア」は、10年前よりも下がっています。

やはり、新興国が高度成長を続け、先進国に追いつくことは容易ではないのです。

以前に(第1回で)私は「これからの、少なくとも100~200年間においては、中国がアメリカにかわる新しい中心になるよりも、世界で複数の中心(そこに中国も含まれる)が並び立つ“多極化”のほうが、可能性が高い」と述べました。それは、ここで述べた「新興国はやがて減速する」「当分は新興国が先進国を抜き去るのは困難」という見通しにもとづいています。


発展に伴い「容易に収穫できる果実」が減っていく


そして、このような新興国の減速が起こるのは、それを引き起こす一定の構造があるからではないでしょうか。

それは、「発展に伴う収穫逓減」とでもいうべきものです。逓減(ていげん)とは、「だんだん減っていくこと」です。そして、収穫逓減とは「投じた労働量あたりで得られる収穫・生産物が、労働を追加投入するにつれて、当初よりも減っていくこと」で、経済学の用語です。

新興国が先進国を追い上げる初期の段階は、イメージ的には「新興国の目の前に“容易に収穫できる果実”が豊富にあるフロンティアが広がっている」状態です。より日常的な表現としては「“伸びしろ”が多くある初心者」の状態といえるでしょう。

そして、新興国にとって「果実」の多くは、「先進国の有効なテクノロジーとしくみを模倣・借用する」ことで得られます。このような「模倣・借用」は、それなりの困難はともないますが、自らが最先端の技術を切りひらいて成果をあげるのに比べれば容易といえます。

また、発展の段階の初期であれば、模倣の対象として取り組む技術は比較的初歩的で確立したものなので、習得のハードルはそのぶん低いです。そのような技術は、いわば「容易に収穫できる果実」のようなものです。

新興国によるこうした成長を、経済学では「キャッチアップ(追いつき)型成長」といいます。

以上の「容易に収穫できる果実」といった表現や説明の仕方の多くは、「技術革新の減速」について述べた際に引用した経済学者タイラー・コーエンの著書(『大停滞』NTT出版、2011年)に基づいています。

そして、借用や模倣によって比較的容易に手に入る「果実」は、新興国が先進国に追いつくにつれて、収穫されてだんだんと減っていきます。新興国がさらに成長するためには、先端的な技術やビジネスの開拓という、さらに高度な課題に直面せざるを得なくなります。

以上のような収穫逓減の構造、つまり「発展に伴って課題が高度化し、それまでの取り組みでは、多大な労力を費やしても以前ほどの成果が上がらなくなる」ということがあるわけです。そのため、キャッチアップ型の成長は、それが進むにともなって、当初よりは困難になっていくのです。

つまり、中所得国の罠は、「レベルアップして、伸びしろが小さくなった状態」です。あるいは、成長・発展を「トンネルを掘り進んでいく」ことにたとえるなら、掘り進むにつれて岩盤が硬く掘りにくくなっていくようなものです。

このような状況について、たとえば経済学者のトラン・ヴァン・トウと苅込俊二の両氏は、中所得国の罠を主題にした共著で、《経済発展の初期段階においては資本の貢献が大きく、その後の段階では技術進歩が重要になる》と述べています。ここで「資本」とは、「先進国の従来型の技術・しくみを模倣して行う事業投資やインフラ整備など」を意味します。

そして、同書では、新興国が中所得国の罠から逃れるためには、《労働の質の向上、科学技術の新興、イノベーションの促進の努力を通じた労働生産性の上昇、産業構造の高度化といった具体的な対応をとらなければならない》と論じています(『中所所得国の罠と中国・ASEAN』勁草書房、2019年、21ページ、22ページ、〔〕は筆者・秋田による)。

このような専門家の議論を、ここではかみ砕いて述べているわけです。そして、上記で述べているイノベーションや産業構造の高度化ということは、やはり容易ではないはずです。

また、第4回でも述べたように、新興国が経済発展すると、出生率の低下=少子化がすすみます。そして、それが経済発展の減速につながる、ということもあるわけです。中国についても、「少子化による労働力人口の減少が、経済発展を中長期的に制約する」という見方は、近年は一般的になっています。

***

最先端の開拓は「世界記録の更新」


以上、新興国の減速の可能性とその構造について述べましたが、今度はまた先進国の減速について考えます。新興国の減速が、先進国以外の人類の多数派に関わることであるのに対し、先進国の減速は、人類の少数派における現象です。しかし、やはり人類全体にとって重要な意味を持っています。

そもそも、先進国においてある分野での最先端の技術研究が減速・停滞すれば、それは世界全体・人類全体にとって「最先端の開拓」における減速を意味するはずです。新興国などで、先進国に追いつこうとする「後追い」の研究がある分野ですすんだとしても、それは人類が最先端を切りひらいていく活動とは次元が異なります。

これをオリンピック競技のようなスポーツでたとえれば、先進国での技術革新は「世界記録の更新」であり、人類の到達点を示すものです。

これに対し、新興国での技術の発展は、基本的にはそのスポーツ競技で世界のトップに後れをとっている国でのレベル向上です。そのこと自体で世界記録が更新されることは、基本的にはありません。

世界記録の更新ペースが落ちてきたとすれば、その競技の進歩は、人類全体のレベルでみれば「減速」している、といっていいでしょう。


先進国=人類の最先端でも収穫逓減が起こっている


そして、現代の世界では、経済成長、技術革新、人口の動きにおいて、「世界記録」の更新ペースが落ちてきている、ということをここまで述べてきました。これは、人類の最先端を切りひらこうとする活動が、以前ほどの成果をあげにくくなっている、ということです。つまり、人類の最先端を歩む国(先進国)において「伸びしろ」が小さくなってきたといっていいでしょう。

先ほど、新興国における「発展に伴う収穫の逓減」ということを述べましたが、じつは、こうした収穫逓減じたいは、新興国にかぎった話ではないわけです。先進国における人類の最先端を切りひらく発展でも、キャッチアップのときのように、発展がすすむにつれて「乗り越えるべき課題の困難性が増して、“伸びしろ”が減っていく」ということがあるのではないか。

先ほどの「トンネル掘削」のたとえで言えば、先進国は今までのペースでは掘り進むことができない硬い岩盤につきあたっている、ということです。先進国は、人類において最も高い「掘削能力」を持ち、最も先のほうまでトンネルを掘ってきました。しかし、その力を以てしても容易ではない「岩盤」が立ちはだかっているのではないか。

これは「人類の最先端における収穫逓減(“伸びしろ”の減少)」といえる現象です。

これまで(とくに第4回で)、「近年は、最先端の技術革新のおもなあり方は漸進的なものへと変化し、技術革新が社会にあたえるインパクトはこれまでの近代よりも小さくなった」と述べてきましたが、そこには収穫逓減という構造があるのではないか、ということです。

先進国における収穫逓減は、新興国における収穫逓減ほどは認識されていません。そもそも、最先端における技術革新の減速があまり認識されていないのだから、当然ではあります。

ただし、それは私独自の・特有の見方ではなく、第2章で引用した経済学者のロバート・J・ゴードンも、《一九七〇年以降――収穫逓減により〔アメリカにおける〕進歩のペースは鈍化》と述べています(『アメリカ経済 成長の終焉(下)』日経BP社、2018年、〔〕は筆者・秋田による)。

「最先端での収穫逓減」は、今の世界における減速という現象の核心であり、これからいろいろな視点でくり返し論じたいと思います。


ここまでのまとめ・先進国が規定する「世界史のマラソンレース」


これまでの話をまとめます。近代が始まって以降(おもに1800年頃以降)の世界史のマラソンレースにおいて、欧米の先進国はずっと先頭グループで走ってきました。以上述べたように、その強い影響力は、今も続いているということです。

これらの先進国は、さまざまな減速が始まり、相対的なパワーも落ちてきたとはいえ、まだ人類全体のレースのあり方を、大枠で規定し続けているのです。

このレースでは、「先進国以外による、先進国の模倣」が、さかんに行われています。つまり、新興国や開発途上国が、先進国の影響を受け、その技術や社会的なしくみを模倣・借用して追いつこうとする動きがあります。

そして、こうした模倣によって発展した新興国は、しだいに「発展による収穫逓減」によって減速していく傾向があります。そのため、追い上げてきた新興国が先頭集団である先進国を抜き去ることは、かなり追いつくことはあるとしても、少なくとも当面は考えにくいのです。つまり、従来からの先進国の走るペースが、今後もレースを規定し続けることになります。

また、先進国の技術革新は、スポーツの世界記録のように人類の到達点を示すものでもあります。その意味で、先進国での達成は、「その時代の人類のあり方を代表している」ともいえます。そして、先進国でも「最先端における収穫逓減」が起こって「世界記録」の更新ペースは落ちてきている……

以上からは、先進国が「世界史のマラソンレース」を規定し代表するという、先進国による世界への深い影響が伺えるはずです。

ただし、「深い影響」といっても、それは「これまでのような欧米への一極集中や、アメリカの覇権が今後も安泰である」ということを意味しません。「そのような“安泰”は続かず、世界は多極化に向かう」ということを、この小論ではこれまで述べてきました。

しかし、未来の多極化した世界においても、従来からの先進国である欧米は、少なくとも当面のあいだは(おそらく100年単位で)、世界に対し強い影響力を持ち続けるのではないか、と私は考えます。

ただし、その影響力の大きさや、力のあり方・性質は、これまでの近代とは変化するはずです。その変化がどのようなものであるか、そして先進国の影響力を重視するこのような見方の妥当性については、これから全体を通して検討していきます。

また、これもあらためての確認ですが、新興国にも減速の兆しがあるとはいえ、2020年代現在の世界において、減速という現象はやはり先進国が中心です。そして、先進国の減速は、先ほど述べたように人類全体に深い影響を及ぼします。そこで私は、最初に述べたとおり、「減速については、まずは先進国にフォーカスして論じればよい」と思っています。新興国の減速は、すでにある程度みられるとしても、まだ先進国に比べればやや不明確であり、論じにくいです。


ただし、新興国が先進国を抜き去った世界史的な事例もある


そして、新興国の発展や減速、あるいは「世界史のマラソンレース」について以上で述べたことの限界についても、ここで断っておきます。

先ほど述べた「新興国の“発展に伴う収穫逓減”」とは、結局のところ「新興国は、先に発展した先進国にかなり追いつくことはできても、先進国を追い越して完全に凌駕することはできない」ということです。

しかし、じつはこれはすべてにおいて当てはまるわけではありません。「いつもそうとはかぎらない」のです。世界史を広くみわたすと、「後から追い上げる新興国が、その時代における世界の中心に追いつくだけでなく、それを抜き去っていったケース」は、たしかに存在します。

その事例のうち、とくに大規模で典型的なのは、近代の西ヨーロッパの発展でしょう。

近代の初期(1500~1600年代)において、西ヨーロッパの国ぐには、めざましい台頭をみせてはいましたが、従来(中世以来)の世界の中心であるイスラム(オスマン帝国など)や明・清王朝との関係では、まだ「新興国」という位置づけです。近代初期の西ヨーロッパは、技術・経済・文化などを総合したトータルな力において、イスラムや中国を凌駕するには至っていません。

しかし、1800年代に入ってイギリスを中心とする産業革命の動きが加速すると、西ヨーロッパの国ぐに(アメリカ含む)はさらに飛躍的に発展します。そして、1800年代末までには、圧倒的な力でイスラムや中国を屈服させてしまったのです。つまり、このときの西ヨーロッパについては、発展による収穫逓減や、それによる減速は起こらなかった、ということです。

このような「後続ランナーが、それまでの先頭を追い抜き、大きく引き離した」ケースは、世界史上においてほかにもあります。

たとえば、ポリス(都市国家)の時代からヘレニズム時代にかけての古代ギリシアの発展(紀元前500年代~紀元前100年頃)は、それにあたります。

古代ギリシアは、先行して文明が発達した西アジア(現在の「中東」「アラブ」にほぼ相当)の影響を受けて発展した「新興」の地域でした。しかし、紀元前500年頃からは、ポリスを舞台に西アジアをしのぐ高度の文明が栄えるようになります。

そして、紀元前300年代前半には、ギリシアの主要部をギリシア人の一派の王国であるマケドニアが統一・支配するようになり、紀元前300年代後半には、マケドニアの王であるアレクサンドロス大王が、当時の西アジアを統一支配していたアケメネス朝を征服してしまいました。先頭に追いつき、やがて先頭を超えた後続からのランナーが、かつての先頭を飲み込んでしまったということです。

このような「後続による追い抜き」はいずれも、世界史においてきわめて重要な、飛躍的発展の時代において起こりました。その飛躍的発展を、上記の例では、西ヨーロッパや古代ギリシアという特定の地域が中心的に担ったといえます。また、「後続による追い抜き」は、前に述べた「先進国における収穫逓減(伸びしろの減少)」による減速を打ち破る動きといえます。

こうした「追い抜き」「飛躍的発展」については、今後、世界史を概観するなかでさらに述べたいと思います。

以上のように、新興国の「発展に伴う収穫逓減」と、それによる減速ということが、当てはまらない場合もあるわけです。しかし、現在と当面の未来においては、十分に当てはまるのではないかと、私は考えます。

つまり、「中国のような現在の新興国がさらに大きく発展し、従来の中心を凌ぐ、圧倒的な新しい中心になることはないだろう(少なくとも100~200年のうちには、それはない)」ということです。この見通しについては、今後もあらためて検討・確認していきます。

(第7回に続く)
第7回は、そもそもなぜ「社会の変化はゆっくりなっている」という「減速」について議論するのかを、あらためて論じます。「このような議論から、何がみえてくるのか」ということです。

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