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社会の変化はゆっくりになっている(1) はじめに・私たちの現在地は?


0.  はじめに・私たちの現在地は?



*サムネイルの写真は、国立代々木競技場 第一体育館(1964年、意匠設計:丹下健三)。このような、今みてもモダンで「未来」をも感じさせる建築が60年余り前につくられていたのです。1964年の60年前というと1904年(明治時代、日露戦争の頃)です。そこからの60年にくらべ、この建築以後の60年の変化はゆっくりだったのでは?


現代世界の減速と、それに伴う多極化


現代の世界で大きな流れとして起こっていることは、「減速」と「多極化」という2つの言葉に集約することができる――そのように私は考えます。

このうち多極化は、減速にくらべれば普及した見方であり、かなりわかりやすいはずです。多極化とは、従来の先進国の圧倒的な優位(一極集中的な状況)が後退し、世界の各地で新興国が台頭してきたことを指します。

では、減速とは何か。それは、「技術革新、経済成長などの、社会におけるさまざまな変化がペースダウンしている」ことです。

これは、「これまでの近代において何百年か続いてきた、急速な進歩や発展の終焉」ともいえます。このような減速はとくに、現代世界の従来からの「中心」であり、さまざまな進歩・発展において先頭を走ってきた、欧米(西ヨーロッパとアメリカ合衆国)などの先進国で起こっています。

それはつまり、現代世界において「社会の変化がゆっくりになっている」ということです。この「減速」という問題について考えることが、ここでの中心テーマです。

そして、多極化は、減速に必然的に伴う現象です。これまでの世界において先頭を走ってきた先進国が減速すれば、後ろから追い上げる新興国は、先頭との差を縮めやすくなるからです。そして、新興国が先進国に追いつくにつれて、先進国の圧倒的優位(一極集中)は崩れていきます。

多極化は、減速と関連して起こる最大の現象といっていいでしょう。このような減速と多極化の関係についても、これから述べていきます。

それにしても、「減速」「変化のペースダウン」「急速な進歩・発展の終焉」は、一般に言われていることや、多くの人の日常的な感覚とはかなり異なるはずです。

私たちは、これまで「社会の変化は加速している」といろいろな方面から聞かされています。また、あわただしい日々の暮らしで「時代の加速」を感じてもいるはずです。

そして、これまでの世界(とくに1900年代)は、たしかに急速な変化の続く「加速」のなかにありました。「世界は減速している」などと言われても、多くの人には違和感があるかもしれません。


「減速」を示す現象は、いろいろあるはず


しかし、一方で「社会の変化はゆっくりになっている」ことを示す現象は、周囲を見わたせば、やはりあるでしょう。

現代において、欧米や日本などの先進国では、経済成長は明らかにペースダウンしています。中国でさえ、近年は経済成長のペースはやや鈍化しています。

そして、先進国の大部分では人口の増加が止まり、さらに減少がはじまりました。そして、中国やインドなどの新興国でも、先進国で起こった出生率の低下などの人口における減速の動きがくり返されようとしています。

また、中高年の人はイメージしやすいと思いますが、さまざまなインフラが整備され家電に囲まれた私たちの生活は、インターネットを除けばこの数十年、あまり変わっていないはずです。こうした現代的な生活様式は(一部の経済学者によれば)、アメリカでは1940~1950年代から変わっていないのです。

情報分野の急速な変化の陰に隠れて見落としがちですが、テクノロジーの世界では、最近の数十年間において以前の急激な進歩が減速している事例は、あちこちでみられます。

たとえば、ジェット旅客機の速度。史上最速の旅客機は、1976年に初就航した超音速旅客機コンコルドで、その巡行速度はマッハ2.0でした。1903年のライト兄弟の初飛行から70年ほどで、それが実現したのです。しかし、コンコルドはあまり普及しないまま、採算性などの問題で2003年に引退。その後(2025年現在)、新たな超音速旅客機は登場していません。

なお、主流のジェット旅客機の巡航速度も、1950年代末にマッハ0.8程度に達してから、現在に至るまで、大きな変化はありません。2011年初就航のボーイング787は、マッハ0.85です。つまり、実用的な交通機関の最高速度は、1970年代から50年ほどのあいだ変わっていない(あるいは後退している)のです。

また、核融合による発電、月面基地、リニアによる全国的な高速鉄道網のような、数十年前から構想されていた「未来」は、超音速旅客機の普及と同じく今も実現していません。

そして、何十年も前の、中高年の若い頃のコンテンツに今の若者が夢中になることは、最近は珍しくありませんが、昔は考えにくいことでした。

新旧の世代のあいだの嗜好や価値観の違いは、現代では縮小傾向にあるのではないでしょうか。これは、社会の変化がゆっくりになったことで、新旧の世代が同じような社会を生きているからだと、私は考えます。

さらに、ファッションや建築や映像作品などの文化において、「近年は本当の意味での新しいものが生まれにくくなり、過去の遺産・データベースからの組み合わせや再編集が多くなった」と私は感じていますし、そのことを指摘する、それぞれの分野の専門家も存在します。これは、文化の領域での減速です。

このような現代における減速について、さまざまな事象や言説を取り上げ、これから説明していきます。

ひとつひとつの事柄は、各分野を知る人にとっては周知のことです。しかし、それらをいろいろな分野から拾い集めて整理すると、「減速(社会の変化はゆっくりになっている)」という全体像が浮かび上がってくるはずです。

とりあえず、「現代における減速」についてだけで計10数回の一連の記事になる予定です。今回の「はじめに」では、全体を通じての視点・問題意識についてざっと述べています。


まず「減速論」を紹介、さらに独自の視点を


なお、現代における世界や社会の減速ということ自体は、これまでにもすでに何人もの先人が述べていることです。ここではじめて主張することではありません。これからの一連の記事では、それらの先人の見解を紹介しながら、現代における社会の減速の概要を説明していきます。つまりそれは、「“減速”論入門」といえる内容になっています。

「減速論」というのは、私の造語ですが、「現代の世界・社会は、これまでの急速な発展や変化から、変化の緩やかな減速の局面へ移行した(移行しつつある)」とする主張のことです。

そして、そのような「減速論」の概要を示したうえで、さらに私なりの視点を示していきます。

その視点とは、「5000年余りの世界史の大きな流れのなかに、減速を位置づける」ということです。

ただし、「数千年あるいは1~2万年といった超長期の視野のなかに近年の減速を位置づけること」は、先人たちもある程度は行っています。しかし、その議論は不十分だと、私は思います。とくに、古代・中世といわれる遠い過去の扱いがあまりにも簡略で、しかもやや不正確な単純化をしていると考えます。

たしかに、ここでいう減速は、まず近現代と未来に関わるテーマなので、それ以外の時代についての検討が薄くなるのは仕方ないことです。しかし、古代・中世もしっかりと検討したほうが、近現代の状況についてより深く正確に理解できるのではないでしょうか。

前にも述べたように、現代における減速は、「これまでの近代において何百年か続いてきた、急速な変化の終焉」です。そのような数世紀単位の大きな世界史の動きを論じる以上、近現代を超えた視野は、やはり必須です。


5000~6000年間の世界史をみわたすと


これまでの近代と比較しうるような比較的急激な進歩・変化の時代を、この5000~6000年間で人類は(近代のほかに)2回ほど経験している、と私はみています。

このことは、今後の一連の記事で、現代の事象について一通り述べたあとで詳しく説明しますが、とりあえずごく簡単に述べておきます。

1回目は、紀元前4000年頃~紀元前2500年頃の、「文明のはじまり」といえる時期
2回目は、紀元前500年頃の前後数百年の、一部の歴史家が「枢軸時代」と呼ぶ時期

これらの時期は、世界史における加速の局面といっていいでしょう。

そして、以上の2回のどちらにおいても、比較的急激な進歩・変化のあとには減速の局面があり、その後はある種の定常状態に移行しているのです。この定常状態は、「1回目」でも「2回目」でも、つぎの加速がはじまるまで1000数百年続いています。なお、「この5000~6000年間」とは、人類が本格的な文明の時代に入って以降、つまり「文明の時代」ということです。

そして、3回目の加速にあたるのが、西暦1500年頃から明確になった近代の変化

この近代の変化は1800年頃から激しくなり、1800年代後半からはさらに加速しました。その劇的な変化は1900年代後半まで続きましたが、今は減速しつつあると私は考えます。

つまり、今起こっている加速から減速への移行は、けっして空前の出来事ではなく、「文明の時代」において3回目のことではないか、というわけです。


「加速と減速」の視点で世界史を概説


以上のような大風呂敷な世界史の概説は、いわば「加速と減速の世界史」です。

この小論では「社会の変化はゆっくりになっている」という、現代世界についての見方を述べます。そのあと「第2部」として「加速と減速の世界史」を述べていきます。

私(「そういち総研」こと秋田総一郎)は、「世界史研究家」を名乗っており、世界史の入門的な概説書(『一気に流れがわかる世界史』PHP文庫、2024年)を出しています。マクロな視点で世界史の幅広い時代について述べることは、私のおもなテーマです。


この小論の第2部といえる「加速と減速の世界史」では、「世界は加速と減速をくりかえしてきた」という視点で、この数千年間の世界史を概説したいと思っています。そして、加速から減速への移行にともなって、一極集中から多極化への移行もあったわけです。

「世界史における、加速と減速のくりかえし」という見方は、(後で紹介する例外はありますが)あまり一般的ではありません。

数千年以上の巨視的な視野で世界史を論じる識者は、「加速の局面は、近代(とくに1800年頃以降)に特有の現象である」とする傾向があります。つまり、「近代以前の変化・発展はゆっくりだったが、近代以降になってはじめて急速に加速した」と説明するのです。しかし、その説明は「過度の単純化」だと、私は考えています。

私は、現代における加速から減速への移行は、空前のことではなく、過去にも比較可能な同様の事例があったとみています。そして、過去の減速と現代の減速を比較することで、現代の現象をより深く理解できるはずです。

こうした世界史の全体像や歴史観に関し、これから第1部と第2部を合わせたこの小論の全体を通して述べていきます。

このような世界史の論じ方は、かなり踏み込んだものではあります。しかし、それを「世界史には詳しくない」という方にも、とことん読みやすいかたちで述べていきます。

これから述べるのは、世界史についての、かなり長いエッセイです。ただし、ただ思いつきを述べるのではなく、先人の研究・言説に基づく、それなりの情報をもとに展開していくつもりです。


私たちの現在地を知りたい


では、そもそもなぜ、世界・社会の「減速」などということを問題にするのでしょうか。

それは、私たちの現在地を知りたいからです。たとえていえば、私たちは今、成長や発展の坂道をのぼっているところ(加速の局面)なのか、それとも坂道をのぼった先(減速の局面)にいるのか? そういうことを知りたいのです。

そして、ここで主張しているのは、今、私たちが加速から減速の局面へと移行しているということです。つまり、坂をほぼ登りきったということです。

このような「加速と減速」という視点で人類の現在地を考えることは、「今はどういう時代か」を考えるうえで、基本的な問いかけだと、私は思います。また、その問いかけに対し、どう考えるかによって、私たちの未来にむけた行動は明らかに変わってくるはずです。


「加速主義」的な見方と減速論


私がここで述べることは、「現代は加速の時代だ」と主張する、ある種の人たちとは真っ向から対立します。AIなどの先端技術の急速な発展で、近い未来において社会や人間のあり方が根底から変わっていく(良い方向か悪い方向かはともかくとして)という主張は、かなりの力を持っているようです。

たしかに、そのような「加速主義」的な未来の話は、人を惹きつけるところがあります。

加速主義にはいくつかの意味や立場がありますが、ここでは漠然と「急速なテクノロジーの発展などを通じての、根本的な社会変革を志向する立場」全般を指すことにします。この変革が「良い方向」に向かうとするなら、それは「テクノロジー楽観主義」などと呼ぶこともできるでしょう。

しかし、私は、今後少なくとも100年200年のあいだ、社会や個々人が向きあうべき問題・課題は、基本的には現在とそれほど変わらないのではないかと考えるわけです。

たとえば、資本主義は終わったりはしないし、民主主義も、さまざまな問題を抱え、反対や攻撃にさらされているとしても、未来においても意義を失うことはない、ということです。「減速論(社会の変化はゆっくりになっている)」の立場だとそうなります。

そして、加速主義的な見方(「近いうちに社会や人間が一変する」という見解)に立ってしまうと、本来向き合わなければならないはずの、さまざまな現実的な課題から目をそむけることになると思います。また、加速主義には、これまでの文明、とくに近代社会が築き上げてきた、科学や民主主義などの価値ある遺産を「時代遅れのつまらないもの」として切り捨ててしまう傾向もあるはずです。

テクノロジーによってすべてが根底から変化するなら、今の現実における問題などたいしたことではないし、民主主義のような面倒くさいやり方だって時代遅れになって当然、というわけです。

しかし、私の認識によれば、現実の世界は、加速ではなく減速の局面にあります。そこで、加速主義的な現状認識や、それに基づいた「こうあるべき」という議論は「大きなまちがい」というわけです。

こうした減速論は、加速主義的な主張にくらべるとインパクトが弱く、関心を呼びにくいとは思います。また、私のような中高年が減速論を述べると、「新しいテクノロジーが理解できない世代のたわごと」と受けとめられる傾向も、かなりあるようです(これまでブログなどで自分の見解を述べてきた経験から、そう感じています)。

それでも、私としては、重要だと思う自分の見解をしっかりと述べていきたいと思います。

なお、私の主張は「減速論」であって「減速主義」ではありません。「世界や社会はこうあるべき」という主義主張でなはなく、「私たちは今、こういう地点にいる」という、事実認識についての議論をまずは行いたいのです。

「社会は減速すべきだ」などと、私は思っていません。むしろ、進歩や成長によっていろいろな問題が解決するなら、それに越したことはないと思います。

しかし、そのような大きな(望ましい)進歩はもう期待できなくなっているのではないか。この「減速」という現実を、まず私たちはきちんと認識する必要がある――そういうことを論じたいのです。そこで、「主義」ではなく「論」といっています。

以上のことを、これから述べていきます。そして、このような大きな問題を考えるうえで、世界史はきっと役に立つはずです。ここでは、数十年や100年ではなく、数千年の視野で考えてみましょう。

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1.経済成長の減速と多極化は関連している


先進国の優位が後退、新興国が台頭


さきほどの「はじめに」で述べたとおり、現代世界の大きな動きは、「減速」と「多極化」という2つの言葉に集約することができると、私は考えています。

まず、比較的わかりやすいと思われる、世界の「多極化」から話をはじめます。多極化とは、従来の先進国の圧倒的な優位(一極集中)が後退し、世界の各地で新興国が台頭してきたことです。

なお、新興国とは「先進国よりも早いペースで成長を遂げ、世界の情勢に無視できない影響を及ぼすようになった国」のことです(板垣恵市『新興国は世界を変えるか』中公新書、2023年などによる)。

2000年頃以降の中国やインドの経済大国化は、このような多極化を代表する動きです。とくに2010年頃からの中国は、従来からの「中心」である欧米などの先進国に対する挑戦的な姿勢を鮮明にするようになりました。周辺諸国への自己主張や圧力も強めています。

1900年代末までの近代(おもに1800年代以降)においては、欧米が世界の中心として圧倒的な力を持っていました。つまり、これまでの近代の世界は、欧米が中心の「一極集中」だったのです。しかし、2000年頃以降の世界では、新興国といわれる中心以外の国ぐにが発展し、中心(先進国)を追い上げる動きがはっきりしてきました。

たとえば、2000年において、世界の経済活動が生み出す富(GDPやそれに類似した指標で表される)の8割は、世界人口の15%に過ぎない先進国によって占められていました。

しかし、2020年では、先進国のこのシェアは6割余りになっています(先進国が人口に占める比率は16%で、2000年とあまり変わらない)。なお、先進国とは、ここでは世界銀行が「高所得国」に分類する、西欧諸国、アメリカ、カナダ、日本、韓国、台湾、オーストラリアなどを指します。

また、主要な先進国であるG7(アメリカ、日本、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、カナダ)と、代表的な新興国とされるBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)のGDP合計も、時系列で比較してみましょう。

1990年にはBRICSの5か国のGDPの合計は、G7のGDP合計に対し12%の規模でした。GDPの経済規模は圧倒的に大きかったのです。この比率は2000年でも13%で、ほぼ変わっていません。しかし、2010年には36%、2020年には53%になっています。

こうしたBRICSの伸び・追い上げは、中国の経済発展によるところが大きいのですが、ほかの国ぐにもかなりの成長を遂げています。また、以上の時系列の比較からも「新興国の台頭が顕著になったのは、2000年頃以降」ということが伺えます(以上のGDPなどのデータは、矢野恒太記念会編集・発行『世界国勢図会』各年版による)。


先進国の減速と多極化は、深く関連


そして、このような「先進国とそれ以外のあいだのパワーの格差の縮小」は、先進国の減速とも深く関連しています。つまり、先進国の経済成長や技術革新がペースダウンする一方で、中国などの新興国が先進国を上回るペースで発展し、先進国との差を縮めていったのです。

これをマラソンでたとえれば、先頭グループがペースダウンして、後続のグループのなかからハイペースで追い上げるランナーが続々と出てきたということです。先頭集団がスピードを落とせば、後続のランナーは追いつきやすくなります。そして、後続が追いつくにつれて、先頭グループ(従来の先進国)への一極集中は崩れていく、ということです。

まず以上のような意味で、減速と多極化は関連性の強いワンセットのものだと、私は考えます。

そして、経済力や技術力などで先進国との格差を縮めた新興国のうち、中国のようなとくに有力な大国は、自らが新たな「中心」になることを意識し始めました。少なくとも、短期間のうちに欧米を圧倒することはできないとしても、欧米と対等にわたり合う「もうひとつの中心」となることを、まずはめざそうとしている、といえるでしょう。

その動きに対する、従来の中心(欧米)からのけん制は、弱くなる傾向にあります。先進国のパワーが相対的に低下しているのだから、そうならざるを得ません。


「多極化した未来」というシナリオ


そのような動きの行きつく先は、多極的な世界です。つまり、世界のなかにいくつもの「中心」「極」といえる有力な国家とその影響圏が並び立つ世界。その意味で、現在の世界では「一極集中から多極化へ」という大きな流れがあるということです。

今後、少なくとも100~200年間の動向としては、このような多極化のほうが、「中国がアメリカを圧倒して新しい中心になる」というシナリオよりも、おおいに可能性があると、私は考えます(その論拠は、今後また説明しますが、要するに「新興国の発展は、それが進むにつれて収穫逓減が起こってペースダウンする」ということです)。

また、「少なくとも100~200年」というのは、「数十年」程度の、大きな歴史の流れのなかでは比較的短期のスパンを超える長期間にわたって、という意味です。

そして、多極化した未来の世界が平和であるか、それとも並び立つ大国どうしの緊張や争いが絶えない状況であるか、という問題もあるわけです。さらに、「極」のあいだの争いは、世界大戦に発展する危険がおおいにあります。

近年の世界情勢をみるかぎり、中国などの新興国の台頭という多極化への動きは、世界に新たな緊張や対立を生んでいるようです。おそらく、多極的な世界で安定的な平和を実現するには、相当な努力や知恵が必要なのでしょう。「未来の多極的世界における平和の可能性」については、今後話をすすめながら、また考えたいと思います。


先進国における経済成長のペースダウン

 
そして、ここからは減速という、より根本的な大きな流れについて説明していきましょう。

最初に確認しておきたいのは、「減速=技術革新・経済発展などのペースダウン」は、現代世界の「最先端」「中心」といえる先進国にフォーカスした見方であるということです。つまり、減速は、まず先進国における現象です。

これに対し、多極化は、先進国とそれ以外を合わせた世界の全体的な構造変化(一極集中から多極的な構造への変化)を論じたもので、減速とは深く結びつきがあるものの、視点あるいは次元が異なります。

ではまず、経済発展のペースダウンとは、どういうことか。これは、1970年頃まで世界のなかで高い成長率だった先進国の経済が、その後低成長になっていったことをさします。

1950年代~70年代前半には、欧米や日本は、それ以外の国ぐに(アジア・アフリカの開発途上国)を概ね上回る経済成長を続けていました。

世界の長期の経済統計を研究したアンガス・マディソンによれば、1950~73年における西ヨーロッパ全体の年平均の経済成長率は4.1%、アメリカは2.5%、日本は8.1%でした(マディソン『世界経済史概観』世界経済研究所監訳、岩波書店、2015年、原著2007年)。

これに対し、アジア(日本を除く平均)は2.9%、アフリカは2.0%で、このうち中国は2.8%、インドは1.4%です。その頃の日本は「高度経済成長」の時代でしたが、高度成長ということは、欧米、とくに西ヨーロッパにもある程度あてはまることだったのです。

しかし、1970年代後半以降、先進国(欧米・日本)の経済成長率は低下していきます。1973~2003年の西ヨーロッパの経済成長率(年平均)は、西ヨーロッパ1.9%、アメリカ1.9%、日本2.1%。

これに対し、アジアは3.9%となり、成長率が先進国を上回るようになります。とくに中国の成長率は6.0%に達しています。なお、この時期のアフリカは、内戦などの混乱激化で成長率は0.3%に低迷しました。

そして、2000年頃からは、マディソンによるデータとは別のものによりますが、先進国全体の経済成長率は(とくに2010年代以降)概ね1~2%台の状態が続いています。2000年頃以降、先進国の経済成長率は、世界平均を明らかに下回るようになり、それが2020年代現在も続いている(一部ではさらに低成長となる傾向もみられる)のです。

そして、このような成長率の低下は、おもに先進国でみられることです。先ほど述べたように、新興国では、先進国を上回る経済成長率が一般的です。技術革新に関しても、新興国では、(その国にとっての)新しい技術の導入や開発が活発に行われています。新興国のなかで差異はあるとしても、大まかな傾向として、新興国には「減速」はあてはまりません。

ただし、2025年現在、新興国の代表格である中国経済の減速ということも取り沙汰されてはいます。しかし、それでも2023年の中国の成長率は5%台、2024年は5.0%で、先進国の平均よりもかなり高いです。ただし将来的には、中国をはじめとする新興国の経済成長が先進国並みに減速するときも、やってくるでしょう(これについては、また述べます)。

あとで述べるように、新興国における「減速の予兆」もないわけではありません。しかし、それがいつかはわからないにせよ、世界中の新興国の減速が明白になるまでには、まだある程度の時間はあるはずです。その間に世界の多極化がすすんでいくということです。

(第2回に続く)
第2回は、現代世界における技術革新の減速について。「技術革新は加速している」ということがよく言われますが、じつは減速しているのでは?

おもな参考文献

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