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最古の精神病院「ベドラム」の闇に希望の光はさすか。

系統的に『アイデンティティー』や『シャッター・アイランド』を好きな人は、たくさんいるだろう。

『メメント』や『マニシスト』も有名だね。

私がこんなおもしろい話(いや、悲しい物語だが)を創造することは、一生できないが。私は私のできることをしてみようと思う。

つまり、ここで読めるのは大どんでん返し系の何かではない。それでかまわない人だけ残ってほしい。


以前、こういう話を書いたことがある。

途中、心は関係ないのではないかという路線にいきかけていたーーという部分など。今回のイントロにいいのではないかと思い。

ちなみに。ダーウィンは、動物がかわいそうで友人とハンティングをできなかったり・奴隷に同情して奴隷船の船長ととっくみあいのケンカをしたり・子煩悩で長女を病気で亡くした時に自分を強く責めたりと、ドライな人などではなかった。

1800年代に生きた大変筆まめな人であったため、記録が豊富で。彼に関しては、このように細かいことまでわかるが。

(この過去回↓で私は、歴史上の事実として幅広く受け入れられていることに対して、それは事実ではないという推察を書いた。ある程度の自信をもって、だ。そんなことがかなうのも、記録が多いからだ。文通相手、それマルクスじゃないよ!ってね)

ヒポクラテスがどんな人物であったかについては、古代ギリシャの医者だったこと以外、実はあまりわかっていない(彼にまつわる逸話の数々の信ぴょう性は低いとされている)。

よって、おそらくとなえたという意味になるが。彼は四体液説なるものをとなえた。


4種類の体液:血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁のバランスがくずれると、特に黒胆汁が体内でとどこおると、人間はうつ状態におちいると。melan = 黒 choly = 胆汁。ギリシャ語だ。

どこか洒落た雰囲気までただよう(ゆううつであることを表す)メランコリーという言葉の本来の意味が、黒胆汁。じわる。

ムンク『メランコリー』(黒胆汁)

「黒胆汁人」

古代インドから古代ギリシャに伝わったのだ、という説がある。そうであった場合、大元はアーユルヴェーダだ。(用語としては、サンスクリット語で寿命や生命を意味する言葉と、知識や学びを意味する言葉の複合語)

ヴェーダ:動かす働き(血流や心拍のこと)
ピッタ:変換する働き(消化や代謝のこと)
カパ:結合する働き(例 アルブミンとさまざまな物質)

雰囲気でものを語ることを気に入らない人もいるかもしれないが。こういうのは、まぁ、いいじゃないか。話がさわやかでさ。

炭治郎くんって Pitta じゃん。
この間、南アフリカからお母さんと日本旅行へきた少年が、スマホで鬼滅の画像を見ていて。たずねると、炭治郎と善逸が好きだと答えてくれた。シングルマザーでバリバリ働いているお母さんの方のスマホの待受けは、息子さんと抱きあう写真だった。

悪の黒の呼吸とかあると、ヤバいことなっていくわけ。


hustera(ギリシャ語で子宮)の異常によって起こるとされていた「ヒステリー」。要は、かんしゃくを起こすのはもっぱら女性であると。

ある種の人たちが狼男や魔女であるとされた時代もあった。特異な言動をする人とか、社会規範からの逸脱が目立つ人とか。しょせん他人事と思っていられるのは、この段階までだ。

第二段階はどうなると思う。自分の気に食わない人や自分にとって都合の悪い人を、そう呼び出すのだ。毎日が「明日は我が身」になる。この間に、大勢の人々がむごたらしい死をむかえることとなった。


英国初の精神病患者のための施設「ベスレム王位病院」。1247年のロンドンに修道院として設立された「ベツレヘム聖マリア騎士団」が、後に、世界最古の精神病院となったもの。

通称ベドラム。これの闇は深い。

そこでは長年、非人道的な行為が行われていたのだ。

『シャッター・アイランド』の1シーン。
この映画のロケ地は、マサチューセッツ州ボストン港のペドックス島と、同州メドフィールドの精神病院。

当時の医学や社会における、精神疾患への無知や偏見を思いきり反映していて。非衛生的で刑務所のような収容施設は、効果の全く期待できない治療法であふれていた。

18世紀頃にベドラムは、なんと、病院兼観光名所になった。人々から入場料をとり、患者らを見世物にしはじめたのだ。

最古のメンタル・クリニックがこれって、人類の歴史として、ぶっちゃけ非常に恥ずかしいよね。

この絵のことは後で詳しく説明する。

どうして、そのようなことになったのか。原因は1つではなかった。数百年かけての話であるし。

英国王の管轄下にある以外、王族によって設立・支援された病院も、王位病院である。ベドラムが刑務所を管理する役所の管理下におかれるようになったことは、形式上は、おかしくないのだろう。管理系業務を行っていたのは、犯罪者をあつかう仕事をしてきた、刑務所の看守らだったわけだ。

超・念のために書きそえておくが。現代の日本でその仕事をなさっている方々に対して、私が悪いイメージをもっているなどということはない。みんな、仕事・家事子育て・学業など、おつかれさま。

『ショーシャンクの空に』の刑務所の、クズ所長と暴力主任看守。まさか、こんなだと思っていない。

たとえば、ある時期の主任医師(選ばれて任命されるのでなく世襲の繰り返しだった)は、医学を発展させることよりも美術品の収集に熱心で。現場にほとんど滞在せず、病人を看てなどいなかった。

「比率が高い」と強調する・言葉を選ぶ、ミッキ……幹弥先生。お話の大胆さと慎重さのあんばいがいいし、笑い話がとてもおもしろい方だ。友人に幾人かいるため、私も、全員〇〇などと言うつもりはない。嫌な奴なら友だちになっていない。仕事を通して人を幸せにしたいというのがあり、まじめに働いている医師は、このカテゴリーにもいる。

患者さんから「みきてゃなら私の気持ちわかってくれるよね!?」とつめよられたエピソード、大好きだ😂マンガの顔にはなれないと説得したそう。おつです。

実態調査を受けて問いつめられると。薬剤師などが、不衛生な環境や不適切な患者のあつかいの責任をおしつけあっていたそうだが。患者らを見世物にして出た利益から、賄賂を受けとっていたような連中だ。クオリティーに期待できるはずもない。

残念ながら人間は非常に残酷な面ももちあわせている、という根本的な要因もある。みんな無関係ではない。

1750年代までに、ベドラムの有料訪問者数は年間数万人に(複数回おとずれる人を1とカウントしても、万単位には達していただろう)。セント・ポール大聖堂に次ぐ、ロンドンの人気スポットだったと言える。1ペニー支払えば、人間を公然と嘲笑したり罵倒したりできる。そういうレジャーだ。


保守的かつ秘密主義的なベドラムにも、1560年頃から査察は行われていて、不衛生さなどは指摘され続けていたし。新しい建物へ移転したこともあったのだが。

収容者に対する認識が患者でなく異常者である限り、大して改善されることはなかった。それどころか、悪化していった。

新築へ移ってもダメ(早々に汚してしまう)。
まぁ当時のイギリスだからな、という気もしてきた🙄

1814年に調査担当をした人の記録が残っている。

アンナ・ストーンという女性は、非常に不衛生な状態で全裸で放置されていた。暗い独房の壁に鎖でつながれていた。

ジェームズ・ノリスという男性は、壁と首をきつく鎖でつながれていた。胸にも腰にも足にも腕にも、金属製の拘束具をつけられていた。10年間も。驚くべきことに、それでも彼はかなり正気をたもっていた。

あんたらが収容してたの、ハルクかなんかだったのかよと。ノリスさん、変身してぶっ壊しちゃえばよかったのに。

(冒頭で書いたように)「メランコリックな体液」を除去することで治るなどと考えられていたため、あらゆる精神疾患を抱える人たちが、嘔吐や下痢をするように仕向けられたり・静脈から出血させられたりしていた。他には、皮膚に腐食性物質をぬられたり・頭をそられたり(衛生的観点からギリ理解)・冷水浴を強いられたりしていた。

え、ぎゃくた……治療です!!  

これらの治療法は、基本、患者の「体力が耐え得る限り」繰り返しほどこされていた。要は、治す気でやっていたのかもしれないが、治療が原因で患者が死亡するまで続けられていた。

ベドラムは長い間、英国唯一の精神病院であり続けた。心を病んだら、ここ一択。絶望だ。

医師の職が友人や家族の間で受けつがれる、縁故主義の伝統が築かれていった。そりゃあ、治療法も継承されるわな。


18世紀にロンドンの人口が急増すると、心を病んだ人間の数も必然的に増えたが。ベドラムの最大収容人数は120名ほどで。入院待ちのリストができたそうだ。

需要と供給。しばらくすると、ロンドン周辺に多くの私設の精神病院が出現した。家族や親族から「不都合な身内」だと認識された完全に正気な人たちが、閉じこめられたりもし出した。ほら、またこうなる。


1750年のこと。ベドラムの真向かいに、「聖ルーク病院」が建てられた。初代主任に任命されたのは、医師のウィリアム・バティーだった。

彼が書いた『狂気論』という本を見るに。バティーは、狂気を「原初的なもの」と「結果的なもの」にわけて考えていたようだ。前者は生得的で不治だが、後者は治すことができると。

どうやって?友人や家族からの隔離・医師による厳格な治療計画・浄化法の選択的使用によって。

浄化法……。黒胆汁的な考えがぬけない限り、無理やり吐かされたりするというやり方が変わらないのがわかるだろう。

だが。この時代から、バティーは、患者を友人や家族から隔離することが治療として機能することを示唆していたわけだ。

ベドラムの主任医師は彼に反論した。

「このように狂気を原発性と結果性に分類することが、将来どのような役に立つのかは、今ここで問うべき問題ではない」「原発性狂気は完全に医師の創作であり、いかなる著述家も言及しておらず、いかなる医師も観察していない」「最も適切かつ確実な治療法は排泄であることは、間違いない」「嘔吐の悪影響、見たことも聞いたこともない」

ミスター・エコーチェンバーという感じだな。

エコチェンが何を表すかを知らない現代人はいないだろうから、元の意味の方を。chamber = 小さな部屋。エコー・チェンバー・ルーム(反響室/残響室)= 音の反射が長く残るように設計された部屋。

聖ルーク病院でも、監禁や拘束は行われていたが。患者らを見世物にしたりはしていなかった。精神疾患には多様な形態があるという考えのもと、個別診断・個別治療が行われていた。院内は、より清潔で落ち着いていた。

明らか、ベドラムよりはいいよね。


時系列を見て疑問に思った人へ。

よりレベルの高い(少なくとも、私たちはそう感じる)病院が近隣にできても。ベドラムの方に患者を入れたがる人は、まだまだいたということだ。狂人を見物するというムーブも続いた。

並行して、2つの方針・価値観が存在した感じ。

次から、このことについて書いていく。


アメリカン・ニューシネマとは何か。

『映画学事典』によると。社会に反旗をひるがえす登場人物や、典型的なハッピー・エンドを拒否もすることや、プロダクション・コードの解体で可能になった性・暴力・麻薬などの描写によって特徴づけられる、1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで製作された、作品群だ。

『カッコーの巣の上で』の解説と他アメリカン・ニューシネマ作品の紹介が、両方なされている動画をお借りする。

この作品にはロボトミー手術が出てくる。『シャッター・アイランド』にも。後者の中で、医者が、保守派はロボトミー手術を推しており・革新派はそれ以外の可能性を模索しているーー的な解説をしている。

※ネタバレ注意 スタッフが一丸となって、患者が正気をとり戻すためのロールプレイングをしているのを見て。物語ほど激的な内容でなくとも、現場ではこういうことをするのかな。だとしたら、なんて大変な治療方法なんだと思った。いつかじっくり調べてみたい。

さまざまなことに、過渡期・転換期というのはあるよな。そういう時、誰かが世界のために奮闘してくれているのだろうな。そう思った。

ロボトミー手術は架空の手術ではなく、かつて実際に行われていたものだ。


少し、私の創作につきあってほしい。

汚くて寒くて暗いところで、ごめんね。
誤解しないで。
記録にあるように、素っ裸なんかじゃないわ。壁に鎖でつながれてもいないし。
私は毛布を1枚与えられているし、私がつながれているのはベッドだもの。
手足が寒そう?心配してくれてありがとう。
それが、案外、大丈夫なの。感覚がマヒして、もうよくわからないみたい。
このケガ?これも大丈夫。あなた……やさしい人なのね……。
気の荒い仲間とケンカしてできた傷だから。
看守や医者連中にやられた傷よりマシ。
精神的にね。

「精神的に」なんて、精神を病んでいるらしい私が言ったらおかしいか。笑
ああ、今あなたの足元をかけぬけた子も、私のルーム・メイトよ。しっぽを踏みつけないように気をつけてね!
悲鳴をあげるから何事かと思った。叫び声をあげたりするのは私の役目でしょ。
あなたみたいに私を見て悲しい顔をしてくれる人は、こんなところへ来てはダメ。
もう帰って。そして、私のことは忘れて。
私もそうするから。(じゃないと、うっかり、未来に希望をもってしまいそう)

創作と言っても、ベドラムや私設精神病院であった事実にもとづいている。自分がいたって正常なのに収監されたらーーと想像して、書いてみた。

レオンの男性キャラクターにあわせた歌詞が、逆、チェンソーマンの女性キャラクターにあう。レゼの見た目は、(黒いチョーカーなど)マチルダとかぶるけれど。作者さんは映画好きだそうだから、2人の最期など特に、オマージュかなと。

(この人の和訳おもしろい。that を前文のダイヤだと思わないんだ。金は私の心じゃない以外の訳する人はじめて見たかも。すると、武器も金も私の心とは違うとか思えてくるな。私たちが浅はかだったくらいじゃないか。うん、♠と♣でやりあったけど、デンレゼは友だちだ)


心を病んだ人たちは、「心を病んでいない人たち」から、ベドラムの鉄格子やのぞき穴越しに嘲笑や野次をあびせられていた。

患者らの多くが金切り声をあげていたと。四六時中そんな目にあっていたら、金切り声くらいあげた方がいい。

狂気は個人の感情や理性をうばうため、言葉や態度による虐待を受けても、彼ら彼女らに影響はないとされていた。

なんてことを……

映画館のように、周辺でフードやドリンクが売られていた。記念にどうぞ的なノリで、装身具まで売られていた。何を記念するんだよ。ベドラムとか刻まれた何かか。本当、ふざけてるよな。客ひきにもってこいの場だと、娼婦たちも集まっていた。

出店があるんだよな。古代から中世、変わってないな。

1789年から1815年までベドラムに勤めていたある医者が、概して正気を失いほとんど酒に酔っていたという記述がある。これ、アルコール依存症だろ。時代がもう少し後だったら、そういう名前がついて・病気にカテゴライズされて、あんたも「収容」されていたんだからなと言いたい。


ベドラムの理事たちは権威を否定されることをよしとせず、行政の指導に反発し続けた。貴族院は、これを戒めることができなかった/戒めることをしなかった。

『狂気の歴史』で施療院を「ブルジョワ的権力機構」と呼んでいたフーコーは、正しかったのかもね。

17世紀末、パリ人口の1%がどこかの施療院に監禁されていたそうだが。18世紀に、ロンドン周辺に多くの私設の精神病院が出現したことを考えあわせると。このパーセンテージは上がっていたのだと思う。


その流れを止めたのは、神か人間か。いずれにせよ、必然だ。(神を偶然と表現しない思考は私の特徴だと、自分で思う)

『ショーシャンクの空に』の1シーン。

テムズ川南岸に新築された建物へと移転した際、まっさらな空間と真新しいスタッフの組合せが、改革をもたらした。

なぜ、この時だけいい感じに事が運んだのか。よくはわからないのだ。

時代の流れや風潮とは、往々にして、そういうものではないか。よく考えてみて。今どき〇〇と言う時、ああなってこうなったのだからと理屈を並べるのでなく、「だって今どき当たり前でしょ」と漠然とした雰囲気のことを言っているでしょう。
 
今どき奴隷なんて。今どき人種差別なんて。今どき体罰なんて。他にも。それでいいんだよ。

再度、人が涙を流すことの過去回より。

1つ具体的にあげられるのは、ざっくり言って、王様が精神に異常をきたしたことだ。そんなことがあればどうなるか、わかるよね。確率的に、いつかそういう日がおとずれたはず。低い確率の必然を神と呼ぶことに、私は大賛成なんだ。(王でも鎖につないで監禁していたら。貫くんだ……おみそれしましたと、私が謝る側だったわ)

1818年の調査報告書からは、患者らへの対応が大幅に改善されていたことがうかがえる。例)衣服は清潔なものへと変わっていた。まともな食事をしていた。自由時間には、ボード・ゲームをしたり新聞を読んだりできるようになっていた。

「私の行きたい場所はジワタネホだ。海岸の近くにホテルを開くんだ。古いボートを買って修理し、客を乗せて釣りに出る。調達屋が必要になるだろう」

「この長旅の結末はまだわからない。国境を越えれるといいが。親友と再会できるといいが。太平洋が青く美しいといいが。私の希望だ」

ここで〆た方がまとまりがいいだろうが。今回はまだ書くよ。


魔女狩りのような組織的かつ大規模な迫害はなかった日本でも、精神疾患が狐つきなどとされたことはあった。

灸や薬草で治療を試みていた他、最重症の篤疾者(奈良時代の大宝律令の定めによる)には労役免除や減刑処置が行われていたのだから、中世ヨーロッパよりは精神疾患に理解があり・寛大な対処をしていたと言えるか。

しかし。明治時代になっても1900年代に入っても、医師の監修にもとづき許可された私宅監置は合法だった。

学者らが精神医療政策の必要性を強調したのを受け、1919年に「精神病院法」が設けられ。1950年の「精神衛生法」で、ようやく自宅監禁は禁止された。

こちらからお借りした。
「座敷牢を私宅監置と呼び」「わが国の精神障害に関する法律が監禁の合法化で始まったという歴史を忘れるべきではない」

後ほど解説するとしていた、この絵の話をはじめる。

ロンドンで活躍し風刺をまじえた作品を数多く残した画家、ウィリアム・ホガースの絵なのだが。これは、『放蕩一代記という物語画シリーズの内の1つなのだ。

『放蕩一代記』は、後継者 襲名披露 乱痴気騒ぎ 逮捕 結婚 賭博場 監獄 精神病院 の8作から成る。つまり、ある物語の結末がこれ(「精神病院」)なのだ。

放蕩息子の「ほうとう」ね。

主人公のトムは、裕福な父親が死亡して遺産を手にしたことで、ある日突然金もちになった。(自分の自由にできる大金を手にした、という意味でとらえてほしい)

庶民の恋人を捨て(彼の子をみごもっていたが手切れ金を渡せばよいだろうと)、上流階級の人たちと関わりはじめた。風俗にもハマった。

派手な生活のしすぎで、財産は底をついてしまった。

今さらぜいたくをやめることができず。あからさまな金目的で資産家の老婆と結婚。

まだこりないトム。ギャンブルで破産する。

債務者監獄に入れられた。(改めて解説する。重要なキーワードだから覚えておいて)

精神に異常をきたしたトムはベドラムへ送られた。


ここまで読んで、気づくことがあると思う。

ホガースがこれらを用いて皮肉りたかった対象は、精神病院のひどいありさまではない。こんな恐ろしいところへ行くことになる、というのはあるかもしれないが。メインの批判対象でないことは明白だ。

ホガースは、『娼婦一代記』『当世風結婚』(当時の結婚事情)という物語画シリーズも同様に製作したが。それらにも、精神病院のありかたへの批判は見られない。

するどい社会風刺で有名なホガースが、だ。

何に対して憤りを感じるかには、個人差があって当然としても。このあたりからも、当時の風潮(気の狂った人は閉じこめておくべきなど)がうかがい知れるような気がする。普通のこととしてまかり通っていた気配が、すごくする。

だが。もう少し追って見てみよう。


ホガースの父親はラテン語とギリシャ語の教師だったのだが、本職の収入が低かったと。そこで、流行りのコーヒー・ハウスを開いて稼ごうとした。努力の甲斐なく、経営に失敗。借金を抱え、フリート監獄に収監されてしまった。

コーヒー・ハウスについてはこの過去回で詳しく書いたため、今回は書かない。

債務者監獄という、借金の返済ができない人専用の牢獄が存在した。その中でも悪名高かったのが、このフリート監獄だった。

Wikiより。
お金がないことを理由に収監された人たちから?
根本的に意味不明だよね。

精神を病んでいるという理由で入れられる場所ではなかったため、無茶な治療が行われたりはしていなかったわけだ。たしかに、ベドラムとは別ものだ。

ホガースが何を批判したいと感じ・何にそう感じなかったか。流れがわかった気がする。

今思い出した。「父から搾取し父に約束しておきながら、困窮時に父を助けなかった人々、特に書店員たちへの怒りをつのらせた」というような、ホガースの少年時代の解説を読んだことがあった。

怒りの矛先がそっち系(この金の亡者どもが!的な)にまとまるのは、理解できたのだが。ならば、ベドラムが観光名所になっていたことをもっと揶揄してもよかったのでは?という疑問は残る。

怠惰な人間や不道徳な人間が、そういった人生の末路として行きつくのが、精神病院。結局は、こういう考え方や価値観が主流だったことが、原因だと思われる。ホガースだけの話でなく。

実際、理屈は通っていない。自己責任の話としても、成り立っていないのだが。現代でも、このくらいのことを聞いてふわっと同意する人は、ぜんぜんいるからな。


まだホガースの話。

「南海泡末事件」で、中産階級は経済的打撃を受けた。
 
過去回でふれたことがあるが、私は主にニュートンの話をした。

投資家から資金を集めるだけで実体のない企業が複数生まれていった話は、経済系の記事で読んでほしい。お借りする。

ホガースは、この出来事の風刺画も描いていた。

回転木馬に乗ることを奨励するあおり文句。木馬にまたがろうとする人々の群。大金を得た者と結婚するための抽選が行われる会場。そこへ列をなす女性陣。

ちょ、みんな。他にもいろんなことが起きているようだけれど、それらはシカトでいいの?💦

ノーベル経済学賞受賞者のシラー氏によるバブルの定義は、こうだ。「投機的なバブルの心理的基盤は根拠なき熱狂」「資産価格上昇のニュースが、心理的伝染によって投資家の熱意を刺激し・価格上昇を正当化するストーリーを増幅し、ますます多くの投資家を呼び込む状況」

ヴィクトリア朝時代。産業革命。勃興する中産階級。しかし/よって拡がる経済的格差。

ホガースの作品でより有名なのは、注意喚起を目的とした作品『ビール通りとジン横丁』かもしれない。

ジンは安価ですぐに酔える酒だと、貧困層で人気になったが。粗悪品質で体を壊す人が続出した。

わかりやすい比較とダイレクトな警告の他にも、ジンの看板を描く貧乏画家(?)をビール通りに登場させることで、気をぬくな・ジンの危険性はどこにでもひそんでいるーー的な細かい暗示もされている。

再度、禁酒法時代の過去回より。

ビールだけ別格と言うか、酒じゃないくらいの勢いと言うか。そういう感じもあったのかなと。

やはり、彼の風刺は経済系が多い。ボスも方向性的にそんな感じだったな。……いや、違う、こうだ。社会の、それおかしいだろと言いた内容には、金がからんでいることが多いのだ。


『残酷の4段階』(4作の物語画シリーズ)は、1751年に英国で制定された、殺人者には残虐な刑が容認される法律についても描写したものであるが。

Wikiより。4作品について詳しく書かれている。

4作目の内容はこうだが。1作目と2作目は動物虐待を批判するもので。

動物虐待のような最低な行為をする人間は、こんな目にあうと。もっとか。こんな目にあっても仕方ないと。彼は、そういうことが言いたかったのだと思う。

ホガースは、自分の目的の1つは「動物へのむごい仕打ちを正すこと」だと、明言したことがあるらしい。

実際、かなりの動物好きだったのだと思う。自画像に愛犬を描きそえている画家など、そうそういないだろうし。

1/3パグにスペースをさいてるもんな。パグかわいい。

1515年にオランダで生まれ後にドイツに移り住んだ医師、ヨーハン・ヴァイヤー。(実際の音はカタカナで表すならヨハン・ワヤという感じだが)

彼は、公然と(論文を出し)悪魔つきを否定し魔女狩りを批判した、最初の人物である。「心を病む」という言いまわしをしたのも、彼が最初だとか。

狼男や魔女ではなく心を病んだ人間だ。この迷信を広めたのはローマ・カトリック教会だ。と、ハッキリ述べた。

1583年に出した『Pseudomonarchia daemonum』(偽りの悪魔の君主制・悪魔の偽王国)で、69体の悪魔をガッツリ解説した。

悪魔とはこのようにこのようにこのように悪魔であるからして、精神疾患者は悪魔ではないと。

わかる?この人の勢い。昆虫博士の感じで悪魔と向きあっている。あの女はヘラクレスオオカブトだ。は?違うだろうが。ヘラクレスはこうでこうで……!みたいな😂根っからの研究者だ。すごくいい。

1793年にフランスの施療院の院長に就任した、精神科医のフィリップ・ピネル は、同院の患者を鎖から解放したことで知られている。

また。解放された患者らに軽作業をすることを推奨し、規則正しい生活をおくるように指導した。

「薬を適切に投与することは、決して重要ではない技術だ。いつ薬を中止するか、あるいは完全に中止するかを判断することは、はるかに重要で。習得が難しい技術だ」

発言カッコイイな。本気に治そうとしてるのが伝わるよ。あなた人を幸せにしたいんだね。1800年頃にこれ、レベル高!

1845年に、ドイツの神経内科医ヴィルヘルム・グリージンガーは、精神疾患は脳の病気であると明言した。拘禁具の廃止などを主張した。

1950年以降、向精神薬が次々と開発された。患者の生活の質を向上できるような薬物療法が、ようやく可能に。

その後、脳内伝達物質などの薬理学的研究が進歩し、精神薬理学という分野が確立し。現在に至る。


これは、精神疾患とたたかったウクライナ系カナダ人のアーティスト、ウィリアム・クレレックが入院中に描いた絵だ。タイトルは『迷路』。

クレレック「私は、病院のスタッフたちに、自分が残しておく価値のある標本であることを印象づけなければならなかった」

彼の作品をもっと見たい人は、William Kurelek で検索して。カタカナだとほとんど出てこないから。

かわいそうなふりをしてだらけてみたけどーーのくだり、いい歌詞だ。叱咤激励がやさしいかたちをしている。