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ムンクの作品を考察し、男と女は永遠に干渉し続けるのだと再確認する回


エドヴァルド・ムンクはノルウェーで生まれた。

外界に対する光の影響を研究するという印象派のやり方を選択せず。人間の内面を見つめ、愛と嫉妬・孤独と不安・病気と死などのテーマを探求した。

ムンクの光の表現もとてもステキだけれど。

『春』

過去回で余談として書いたスカンジナビア地方の話が、ここで役立つかもしれない。

季節性情動障害(SAD)

アカデミズム絵画(フランスの芸術アカデミーの規範に影響された絵画)でサロンの尊敬を集めていたブグローに対して、「ブルジョア連中に媚びやがって」的な批判をしていた。

ブグロー『ヴィーナスの誕生』

ムンク以外にも、彼を嫌った画家はいたかもしれない。

ブグロー「革新を信じるべきではない。自然を見る方法は1つしかない。最近は、早く成功したいという人が多く、新しい美学や点描画法を発明する傾向がある。これらは全て、ただ騒ぎ立てるためにある」🥺


前提知識を確認しながら、話を進める。

印象派:光と色の自然主義的表現を重視。モネ、ルノワール、ドガ、マネ……。

ポスト印象派:印象派に反発する形で生まれた。抽象性や象徴性を重視。セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンが御三家とされている。

象徴主義:フランス、ロシア、ベルギーを起源とする19世紀後半の芸術運動。直接的に知覚できない概念や意味や価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形態によって間接的に表現。

文学における象徴主義は、ボードレールの『悪の華』が起源だと言われている。

同タイトルの銅版画集でも知られるルドンは、本がとても好きで。読書は人間を完成させるものだと言っていた。過去の偉大な人物たちとも対話できるからだと。心底、わかる。

ノルウェーにおける最初の象徴主義の作家はムンク、という見方がある。ムンクの内面不安の表現は、後に、シュルレアリスムやフォービズムに影響を与えた。

現代。Immersive(没入型)Museum の動画。これは、印象派 × ポスト印象派 × 浮世絵 の展示。


ここまでで私が言いたいのは、私たちはみんなつながっているね……ということでもある。今回のメイン・テーマである男と女も、そんなふうだといいのだけれど。

私の世界一好きなミュージシャンに、補足説明をお願いする。私の言いたいことを何でも回収してくれる存在だ。


ムンクは、生涯を通じて同じテーマに何度も挑戦した。絵画・デッサン・版画など別々の手法を用いて。例)約750の題材を版画で探求。約3万回の刷りでイメージに変化をつけた。

『病める子』の第1バージョン(赤かったり黒かったり)や『孤独な人々』の3つのバージョンで、それが見れる。

自分が知っている『病める子』と違う、という人もいるかもしれない。これだよね?↓

これは、1885年~1886年に描かれた『病める子』で。

これは、1894年に描かれた『病める子』だ。

「病める子」とは、1885年~1926年に描かれた6点の絵画と多数のリトグラフ・ドライポイント・エッチングの、作品群のタイトルなのだ。

全て、15才で亡くなる直前の姉の様子。彼女の死因は結核だった。

この曲に、海辺にたたずむ白いドレスの少女をあわせたMAD。崖からダイヴする者もいるが。大半がきびすを返し、光さす丘へと駆けていく。ムンクに見せてあげたかったくらいだ。彼にぶちささったことだろう。(これは伏線だよ。ラストで回収する)


ムンクは、作品を通して40年以上、この出来事と向きあい続けた。違う言い方をするならば、執着し続けたわけだが。

ムンクを題材にした映画。

慢性気管支炎を患い吐血した時、自分も結核だと思い死が近いことを覚悟したというのも、無関係ではなかろう。これは彼が14才ぐらいのことだ。思春期真っ只中でリアルな死の恐怖。トラウマになるのに、じゅうぶんな体験だろう。

母親と姉を若くして亡くした。これはムンクが30代になってからのことだが、妹は精神を病み60才近くで亡くなるまで治らなかった。弟も早死にした。

これが妹を描いたもの。『メランコリー:ラウラ』

ムンク「病と狂気と死が、私の揺りかごを見守る暗黒の天使だった」


母亡き後、より一層、キリスト教にのめりこんでいった父親。妻と子を流行り病から救えなかった医者だ。

親子で口論になっても、自分とリアルに向きあってくれず。神の話ばかりしてくる。

「イエス様がこうおっしゃっているとかではなくて、父さん自身はどうお思いになられるのですか!」とかね。いや、私の想像なのだが。こういうケースのあるあるだ。

ふと、エア夜食を思い出してしまった。笑

ムンクの父親は、芸術を罪深い商売とみなしていた。


以下、ムンクとシャガールに見られる共通点。

以下、ムンクとシャガールのぜんぜん似ていないところ。


『分離』(複数パターンある)

評論家によると。キャンバス上ではともにいるがそれぞれに深い孤独を抱えた男女が、湖に浮かぶ紙の船のようにあてもなく反対方向に漂っている。

正直、私にはそんなことはわからない。

私でもわかること→ 男の目と口は閉じられていて・つらいことがあったのか胸を痛がっている。女は立ち去ろうとしているようにも見えるが・名残惜しがっているのか長い髪が男の肩をなでている。

失恋したら髪を切るという概念がなくとも。未練と長い髪というのは相性がいい気がする。肌のように入れかわっていない、この髪は確実にいつかあの人がなでた。という感じで。

「ひき返してみるわ ひとつ前のカーブまで いつか海に降りた」「岬の灯冴えはじめる 同じ場所に立つけれど 潮風肩を抱くだけ」Refrain:断つ・ガマンする/折り返し句。ムンクの絵画の歌か、くらいあう。

女がウェディング・ドレスを着ているように見えなくもない。2人は実は両想いで好きな人が別の人と結婚してしまうのではないか、などと妄想をめぐらせてみた。

愛情と苦痛とを結びつけたテーマは、ありとあらゆる分野でよく使われるが。ムンクを含め、世紀末の退廃的な社会に生きた人たちも、このテーマをとても好んでいた。


若い頃のムンクは、内気で寡黙な美青年だったそうだが。後々、精神的な病に苦しむこととなった。

『不安』『叫び』『絶望』

「3部作の『叫び』のこの人は本当は叫んでいない話」は、誰もが知っているだろう。

『スクリーム』だってコイツは叫んでいないもんな。
コイツに襲われるキャラや観客が叫ぶんだもんな。

「太陽が沈みかかっている夕刻にフィヨルド沿いの路を歩いていると、自然を貫く大きな叫び声が果てしなく続くのを聞いた」

では、誰が叫んでいたのか。ムンクの日記をさらに見てみよう。

ストレートな答えは書かれていない。

叫んでいたのは自然、という解釈もあるようだ。それもわかるが。私がこれらから感じるのは、やはり、叫んでいたのはムンク自身なのではないかーーということだ。(評論家は違うと言っている)

どういう文脈かはわからないが。そそ、そゆこと。
さすが、サイコメトラーだ。

この約10年後、彼は精神科医のもとで療養生活をおくる。30代で統合失調症の先駆症状・40代で被害妄想の発展があったと。

Wikiには。退院後はアルコール依存も改善され、明るい作品を描くようになった(『疾走する馬』や『太陽』)、とまとめられているが。

本当にそうなのだろうか。

『狂った視覚』とかは?と思ってしまう。
これ、けっこうきてるよね?

ひき続き、私の勝手な想像なのだが。

ゴヤはぜんぜん大丈夫だったが、ムンクはたしかに病んでいたのかなと。デフォで病んでいたと言うか。


この言葉でいきなり合点がいく。

「恐怖や病気がなければ、私の人生は舵のない船のようだった」

なんか、そんな気がしたんだよね。私もわかるから。言うて、必要なんでしょう?孤独が。

この過去回↓へのリンクは後で貼る。


愛情や親密さは苦悩の兆候をともなう。彼にも普通に、それを恐れる傾向があった。

男女間の永遠の隔たりの話だ。男は愛する時に女を恐れ、憎む時にも女を恐れる。その逆も然り。

『海岸での出会い』
ムンク的に、女のウェービー・ヘアーと川の流れや海の波がリンクしているのだろう。
『ブローチ/エヴァ・ムドッチ
ムンクと深い関係にあった女性の1人。

それでも、互いに干渉し続けずにはいられない。波打ち際のように永遠にふれあっている。


より現実的な話として。ムンクは当時の多くの他作家と親交があり、彼らの著作や思想から影響を受けていた。

たとえば、同時代のスウェーデンの劇作家は、「友情の敵・避けられない災難・必要悪・自然の誘惑・切望される不幸・尽きることのない涙の源・まばゆいばかりの白の様相を呈する創造の貧しい傑作」😂女性のことをこう表現していた。

もう、謝っとく?ごめんねごめんね〜。笑

「最初の女性が悪魔と契約したのだから、彼女の娘たちも同じことをするのだろう。彼女が曲がった肋骨から創造されたように、その全性質はゆがんでいる」とまで記していた。


ムンクどころではないネガティブさだ。宇多田さまのこの曲でも聴きなさい。

まさかの企業名と商品名をダイレクトに出して、このクオリティー。歌われるのは、老若男女の日常としての恋愛。桁違いの才能だ(まぁ、依頼料も桁違いか)。これに文句を言う/言える人など存在しない。

ごめん、私は何があったのかよく知らないけれど。
超越者(例:宇多田ヒカル)がこれに怒るか?と。

要するに。

今も昔もない・日照時間が少ない土地かどうかも関係ない・恋の悩みを抱いたことがない人間などいない。ただ、それだけのことだとも言える。


『窓辺のキス』

この絵からも不吉な破滅の予感がしなくはないが。繰り返すが、それは誰にでもあてはまること。

ムンクのキス・シリーズ。

顔がとけあって一体化している。ロマンティックやエロティックな「一体化」ではなく、何か、不穏なことを暗示するような。そんな雰囲気が漂っていることは、否めない。

2つのものが1つになると。ある意味、個は失われるのかもしれない。自分の献身や崇拝を、それらに値しない相手のためにしてしまったと、後になって愚痴る一因だ。

前段で『最高の離婚』のセリフを貼った。もう1例出してみた。こんなレベルでさらけ出すのはイケてる。

ここまでぶちまけるのでもなければ。「海に向かってバカヤロー!!と叫びに行く」方がいいのではないだろうか。リアルにやったら、けっこうメンタルによさそうじゃあないか。


恋人の1人と口論になり。「私と結婚してくれないのなら、私自殺するから!」銃が暴発。死者が出たりはしなかったが。ムンクが左手の中指を負傷した。

その翌年に描かれたのが、『地獄の自画像』だ。

これ、後ろに何かいるな。イルカのような頭の形に、むき出しの歯。あなたにはどう見える。

いや、私はリカちゃんのファンだよ!

『彼が二度愛したS』私の好きな映画だ。

以前、こういう話を書いた。(後でリンクを貼ると言った過去回)

007やミッション・インポッシブルでは、男を守るために女らが死にがち。毎回ボンド・ガールを変えるためではなく、主人公が大変いい男だからだ。恋をするとクズにでも尽くす女という生き物が、そうしてしまわないわけがない。


ある研究者は言う。

「ムンクは女性を憎んではいなかった。なぜなら、彼は自分が苦しむように女性も苦しまなければならないことを理解していた」

『慰め』

この発想、最高だ。無限に拡がる孤独が絡まる、2人が滅びる。未熟無ジョウされど、美しくあれ。


ムンクは1880年代に、クリスチャニア・ボヘミアンのサークルと接触している。

クリスチャニア:ノルウェーの首都オスロの旧名。ボヘミアニズム:自由奔放な生活を追求すること。

ムンクのこの絵は、そのグループの中心人物を描いたものだ。

先導者は仲間らに、性行為は制限されないものだと説いた。その他、以下のような教えも。

厨二感とやっつけ感がすごいな。
キリスト教や仏教の素晴らしさが再確認できる。

ムンクが既婚女性らと関係をもちはじめたのは、その後すぐのことだった。


ムンクが宗教画を描いたのは一度だけだ。

『ゴルゴダ』

キリストは背景あつかいに近く。前面に描かれているのは、十字架に背を向ける人々だ。無表情の人や明らかに笑っている人もいる。

神に関心がないことを表したかったのだろう。ムンクの自由だが。なにも、そんな棒人間を描かなくとも。悲しいな。

ムンクはこの時期に、ニーチェを読みはじめてもいた。

形式的な信仰から距離をおいたところで、結局、形而上学的な疑問に悩まされ続けた。


ムンクが本当に精神的な落ち着きを見せたのは、おそらく、彼のもとへ集まった画家志望の若者たちに絵を教えはじめた頃だ。

やっと、彼だけの「神」を見つけることができたのかもしれない。遅すぎることなどない。

神話には、そういう話も存在するが。神は、ポイント・オブ・ノーリターンやタイム・リミットを提示しておどしたりしてこない。大して助けてくれもしないが。ただ、どんな苦しみも悲しみも記憶していてくれるだけだ。

宗教は孤独な人につけこんだりするかもしれないが。神はそんなことしてこない。犬は主人のために悪にでもなるかもしれないが。神はそんなことしてくれない。そこがいい。


まるで独自の生命、生きているような絵『マドンナ』(複数バージョンある)は、元々、『愛する女性』というタイトルだった。

モデルだと推測されている女性がいる。

ダグニー・ユールさん。ムンクの友人と結婚後も、性の自由を追求し続けた人だったと。痴情のもつれからか、「恋人」の1人に銃で撃たれて亡くなった。

ムンクが女性のライフ・サイクルの必須とみなしていたもの(性交・受精・生殖)と死の象徴。

廃棄された額縁の装飾には、精液と胎児が描かれていた。死への関連はどうしてわかるのかと言うと。この絵に関するムンク自身のコメントから。「生成と崩壊の永遠の周期的プロセスを表わした」

この絵をマドンナと呼ぶのが適切か不適切か、私にはわからない。キリスト教を受け入れることができなかったムンクが、超自然的な放射(オーラ)のように見えるものに包まれた女性を描いたこと。「マドンナ」の絵であるとも「マドンナ」の絵ではないとも、言えない。

この作品は、特に、見る人によってさまざまに解釈できるものだと思う。


『サンクルーの夜』

パリ郊外のサンクルーに住んでいた頃、ムンクは、セーヌ川の美しい景色を望むカフェの上階にある部屋を借りていた。

部屋にいるのかいないのかわかりづらい、今にも消えてしまいそうな人物。月明かりの下でのみ姿を表し、太陽光を通すと目視できない。そう、幽霊みたいなね。(私のイメージ)

これは、製作の前年に亡くなった父親を追悼する作品なのだ。ありがとうもごめんも、無くはない。けれど、口に出して言うほどでもない。「あばよ、おやじ……」くらいのあんばいなのかなと。

これの、なっちゃん流の訳が、あうかもな。
キリスト教徒だった父親に「地獄で会おう」。
お互い、出来損ないの人生をおくったよなと。

『吸血鬼』

『吸血鬼』というタイトルをつけたのは、ムンクではない。彼は『愛と苦痛』と呼んでいた。女性が男性の首にキスをしているだけだと主張しても、聞き入れてもらえなかった。どういうわけか、人々は、そこにサドマゾヒズムを見出した。赤髪がセイレーンを彷彿とさせるのか?

ハーバート・ジェームズ・ドレイパーの作品。
翼が生えていたり尾ひれが生えていたりするセイレーン。美しい歌声などで航海中の男らを惑わし、船を沈没させたりする。

『翌日』

酔っぱらった売春婦の絵だと言われた。これもムンクは否定していた。『マドンナ』に似ている。仮にユーグさんだとすると、娼婦ではない。異なるボトルとグラスの組合せが、夜中に「訪問者」がいたことを示唆していると。

『灰』

燃えた後、恋人たちは灰になることがある。

これは行為後なのだ。男は、これでもかと言うほど、ネガティブな様子を見せている。女もわかりやすく頭を抱えてはいるが。まだドレスのボタンをとめておらず、官能的な下着を見えたままにしている。前述した他の作品同様、長い髪は男の輪郭に通じているようにも見える。

『男と女』も同様の作品だ。

『孤独な人たち』よりも『浜辺の少女』の方が、謎めいている。

地平線が見えない。(女性の)先の見通せない人生の暗喩か何かだろうか。わからないが。不安をかき立てられることだけはたしかだ。


『嵐』で、『叫び』のように耳に手をあてているのは、何らかの恐怖を表現しているのだろう。

嵐か……。雨がふっているようには見えないため、海へ向かって歩いているのではないか。だとすれば、間もなく到着するだろう。足元が岩場だ。月へ向かって歩いてもいるのではないか。白いドレスが輝いて見えるのは、月明かりに照らされているからではないか。

建物の中で、結婚披露宴が行われているのだと言われている。なるほど、全部屋に灯りがともっている理由はそれか。ウェディング・ドレスなのだな。

いや、なるほどと言っている場合ではないか。パーティーの最中に主役が1人でぬけ出して、夜の海へ歩いていく。最悪の予感までする。

1人じゃない?残りの女たちは実態ではない可能性がある。女全体の象徴な可能性がある。他人事ではないため、このポーズをとっている。私の勘ぐりすぎかもしれないが。この時代の結婚は今の結婚とは違うものであったろうことを考えると、そんなふうに見えてもくる。

浜辺の少女の肩をつかみたくなってきた。早まらないで!


私的、ムンクのきわどい絵。

エロ
グロ

最後は、おまけ的に、少し違う系統の話をする。

『叫びを盗んだ男』というタイトルのドキュメンタリー映像がある。

1994年の冬、オスロは冬季オリンピックの準備をしていた。2月12日の早朝、男たちが国立美術館の前に車をとめた。

その内の何人かが2階によじ登りガラス窓を割り、館内へ侵入。絵画を固定していたワイヤーを切断し、ものの数分で『叫び』を盗み出した。

駆けつけた警察が見たものは、「セキュリティーの不十分さに感謝する」と書かれたポストカードだった。当時の関係者のコメント「窓のカギは全てかけてあったのに」本当にこう言った。セキュリティーとは😅

犯人の1人は、元アスリートで美術品窃盗の前科のある男だった。盗難から3ヵ月。捜査チームは、美術商を装い窃盗犯らをだますことで、『叫び』を取り戻した。

『叫び』はこの後また盗まれた。(再び奪還成功!)


1892年にベルリンで、ムンクの展覧会が行われた。そこで「ムンク事件」が起きた。

彼の作品はベルリンの人々から激しく批判され、1週間で撤去されることに。簡単に言うと、前衛的すぎたため。

本人は、外国で自分の作品が話題になったと満足していた。

ベルリンのリュッツォウ通りのアトリエで
撮影された写真。

もっと男女の話が読みたいという人に、オススメの過去回を貼っておく。

さまざまな「男と女の話」をして(自分で書いておいて)、実は、私は少し胸焼けぎみである。

男女テーマかつネガ要素のない新旧名曲で、〆ることにしよう。