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「怪物的な女連隊」と呼ばれたものについて。

女性による統治は、キリスト教会において、長い間論争の的となっていた。

議論の中心は、女性が男性を支配することが自然かどうか・女性にリーダーシップの能力があるかどうかだった。

たとえば、16世紀のイギリスで、男性摂政から女性摂政に移行する際も。宗教の問題が複雑に絡みあった。


ジョン・ノックス(1510年~1572年)の像

スコットランド生まれのプロテスタント説教者ジョン・ノックスは、彼が monstriferous empire of women と呼んだものとの戦いに、人生の大半を費やした。

『The First Blast of the Trumpet Against the Monstruous Regiment of Women』
1558年に出版された著作の、1766年新訂版。

monstriferous も monstrous も、モンスターの形容詞だ。よって、Wikiなどにある『女性による凶暴な統治に対する最初のラッパの音』という訳は、少し忖度が入っているくらいだ(もっとヤバい言い方にもいくらでも聞こえる)。

怪物的な女連隊とか。笑


ムンクの『マドンナ』

ムンクの『マドンナ』は、聖母の珍しい表現か、と考えられている以外にも。「ファム・ファタールの傑作」「潜在的に吸血鬼」「暗黙的に矛盾」「二分法」このような言葉が解説に用いられる作品だ。

ファム・ファタールとは、魅力的だが男を破滅させる女といった意味あい。

あなたには、彼女が体を起こしているように見える?それとも、床に寝ているように見える?

言いかえると。あなたが今、彼女を見上げているか/彼女を見下ろしているかだ。

ムンクの人生の一部分。

話を戻す。

ノックスは、当時存在した女性指導者らによる政治体制を強く非難した。聖書に反すると。

女性差別主義者だったわけだが。現代でも、ノックスを英雄視する人はいる。彼は、危険にさらされながらも、神によって定められた自然の秩序を維持しようとしたのだと。

詳しく見ていかないとわからない。

グラスゴー大学(1451年からあるスコットランドの国立大)に通い、ローマ・カトリックの司祭になり、宗教改革時にプロテスタントに改宗した人。

こんな短い説明は、何もわからないのと同じ。


ある枢機卿(カトリック教会の教皇の最高顧問)を暗殺しようとしたと判断され、殉教した人物の、弟子だった。カトリック教会は弟子のノックスも批判した。これが彼の改宗の理由だ。

現代であり得るかたちで想像してみよう。

尊敬する先輩が、本当か嘘かよくたしかめてももらえないまま、とても悪い生徒だと判断された。何か重い内容で。自分が誇りに思って通っている学校の教師たちから。先輩は自殺してしまった。「彼と仲がよかったのだから、君も悪事に加担していたよね」と職員室に呼ばれる。

フランス艦隊の捕虜にされた。1年以上をガレー船の奴隷としてすごした。

カトリック教徒でい続けることを拒む者たちに対して、フランスのカトリック(メディチ家の権力下)がひんぱんに行っていたことだった。 


ドラマ『黒い王妃カトリーヌ・ド・メディシス』

短い予告編内に、拷問や殺害のシーンがありすぎて。こんなにヤバかったのかと、私も驚いた。どれくらい史実にもとづいている作品なのだろうか……。

カトリーヌ・ド・メディシスは、メディチ家からフランス王家に嫁いだ人物だ。王の死後、16世紀中頃のフランスの実権をにぎった。即位した息子は、わずか10才だったため。

これが10才の時の描写かはわからないが。

後世による彼女への評価は、賛否両論だ。

宗教改革によって起こった社会不安や暴力の中で、秩序を維持しようと努力していた。対立する派閥の和解をはかろうと行動してはいたが、ことごとく失敗してしまっていた。

このように見ることもできる。

マキャベリの政治的手段と目的を象徴するような政策をとっていた。カトリックの立場からプロテスタントを弾圧していた。「サン・バルテルミの虐殺」の黒幕だった。

このような見解もある。

マキャベリの考え(の一部だが明確とされている部分)。イタリアが統一を実現し独立を守るためには、君主たるものは宗教や道徳ではなく力を信奉すべき。力のみが国家を存続させる。

サン・バルテルミの話は、後で詳しく書く。


ジャン・カルヴァン(フランス生まれ。後にスイスへ亡命)など、影響力の強い宗教改革者も現れ。

右:フランスのカルヴァン  左:ドイツのルター
25才差。当然、宗教改革のきっかけのルターが年上。

フランスのカトリックはプロテスタントを「ユグノー」と呼ぶようになった。

長くなりすぎるため、語源は省くが。蔑称的な呼び方であった。

フランスのカルヴァン派 = ユグノーという説明も見かけるが。プロテスタントとして目立っていたというのを、みんなが「カルヴァン派」だったと言うのは、少し違と思う。

分断を増長させるような類の名づけ行為は、人物や物事の本質を見る機会を大きく奪いかねない。

自分の属する集団は「まとも」で、自分の属さない集団は「おかしい」というような考えは、人を心理的に気持ちよくさせがち。

ユグノー戦争と呼ばれるものは、数にして8回、40年間にもわたって続いた。


カトリーヌの提案で。カトリックとプロテスタントの融和をはかるために、プロテスタントであったナバラ王国の王とフランスの王の妹が結婚することに。

彼女はこの時19才か。哲学に造詣が深い美女だったそう。

結婚式に出席するために、コリニー提督(フランス人。プロテスタントの闘将)を含め、多くのユグノー貴族がパリに集まっていた。


その期間に、コリニーが殺された。

コリニー提督の像。

彼は短期間に2度襲撃された。1度めは暗殺未遂。プロテスタント貴族らは国王につめより、我々自ら行動を起こすことも考えている、と伝えた。

1572年、サン・バルテルミの祝日 = 聖バーソロミューの祝日に、カトリック強硬派がコリニーを殺した。


緊張が極限まで高まったパリ市内で。カトリック市民によるプロテスタント市民への、襲撃がはじまった。

興奮した人々は国王の中止命令を聞かなかった。虐殺は地方にまで広がっていった。

想像してみて。
自分の住む地域で近隣住民が殺しあうのを。悲鳴が聞こえてきて、確認に表へ出てみたら……。

パリだけで少なくとも3千人、国中で1万人~3万人(諸説あり)の犠牲者が出た。


コリニー提督は結婚式よりも前に、それこそ国家の存続をゆるがしかねない、危険な計画を提案していた。ざっくり言うと、スペインに戦争をしかけようと。

戦争の混乱にまぎれてフランス王家に反乱を起こした前科のある、ユグノーの最高軍事指導者がだ。(フランスのカトリック勢からしたら、何を企んでいるかわかりやしない人物という意味)

カトリーヌは猛反対した。スペインとの戦争など無謀だと。

負ければフランスはスペインの属国になるし(その頃だと高確率で負けたはず)、勝てばプロテスタントさまさま状態になりかねないからな。

会議で否決されたが。どうやら、コリニーはあきらめていなかったようなのだ。


シャルル9世はコリニーにご執心だった。「我が父」と呼んでいた。若い国王を意のままに操ることも、彼にとって不可能ではなかっただろう。

国家反逆レベルのことをして、処刑されないどころか要職にまでつけていたのも、これが理由だったかもしれない。

カトリーヌが、何を思いどうしたか。なんとなくわかるよね。

息子(国王)は、自分よりもコリニーになついてしまっている。これでは裁判にかけて処刑できない。残る手段は、そう、暗殺だ。


ギーズ家(フランスの貴族)が、その実行役になった。

かつてギーズ公フランソワを暗殺した黒幕はコリニーである、と信じていた人たちだ。

ギーズ公アンリ1世。フランソワの息子だ。

たしかに、ギーズなら、カトリーヌの案に二つ返事で応じただろう。

どっちも、こんな感じだったということ。


上の画像のアンリ1世は、この悲惨な結婚式の花嫁マグリットが、本当に結婚したいと願っていた人物だった。

彼女の全くの片思いだったとは考えにくいのではないか。この結婚を壊したいというのもあり、ギーズは加担したのではないか。などと、想像をめぐらせてしまう。

さらに。血みどろ結婚式の花婿アンリ(偶然、こちらもアンリという名前なのだ)の母親は、結婚式の直前に急死した。

(好きな人と同じ名前の好きじゃない人と結婚するのも、地味に嫌だな)

これも、カトリーヌが毒殺したという説がある。花婿の後ろ盾をうばっておくような感じか。本当にそうだとしたら。結婚式を円満にとり行う気など、さらさらなかっただろう。

平和的な式典をエサにしたかーー?

以上が、サン・バルテルミの虐殺の黒幕がカトリーヌ・ド・メディシスだったと言われている、理由である。

虐殺の惨状を視察するカトリーヌの様子を描いたものだとか。「意味がわかると怖い絵」じゃん。

ローマ教皇は、事件の後、神に感謝をささげる(カトリックの勝利的な)ミサを行った。

ぶっとんでるよね。みんなね。

神「やめて~私のために争わないで~」じゃん。愛でてる小動物たちが、自分が原因で殺しあったら、発狂しちゃうだろ。こんなはずじゃなかったすぎる。

虐殺で減った以外にも、改宗者や亡命者が大量に出たプロテスタント側。それでも残った人たちは、過激化した。

最強の手負いの虎の話(実話ベース)

ここで、ノックスの『女性による凶暴な統治に対する最初のラッパの音』を思い出してみよう。

彼はその頃、こうも述べていた。

生き残るためには、自分の意志がゆるぎなく不屈でなければならないことを学んだ。


カトリックとプロテスタントの中間的な存在、ポリティーク派がうまれた。宗教対立の平和的解決を目指す人たちだ。

「王国の分裂をまねきかねない深刻な事態を止めるには、権力をいかなる機関や組織とも分有することのない、強力な国王が必要なのではないか」こう、主張した。

ちなみに。どんな教派ができていったかを語りきることは、内容的にも文字数的にも難しい。単純な羅列だけでも、こんな感じ。


ポリティークが主張したような考え方、強い王権の出現を期待する声が、人々の中で強まっていった。

何に近づいていったか。そう、絶対王政だ。

絶対君主の典型例、ルイ14世。

彼は、自分が政府であると信じていた。L'etat c'est moi = 私は国家である。彼によるフランスの統治は72年間続いた。

物事には理由がある。朝起きていきなり、そうだ、絶対王政しよう!などとはならない。


「メディチ家の呪い」という言葉がある。

カトリーヌがどれだけ悪女でも、これは彼女のせい(呪われているから)ではない。

メディチ家の子どもたちは骨軟化症に苦しんでいたことがわかった。

X線検査から。腕や脚の骨が曲がっているなどの兆候が、複数の子らに見られた。

頭蓋骨が肥大?もしていた子の例。

ビタミンDの欠乏が主な原因だ。

彼ら彼女らは、2才まで(時にはそれ以上)離乳していなかったという。母乳にはビタミンDがほとんど含まれていない。

また、大富豪の子どもは、一般の子どもほど外で遊ばなかったと推測される。肌の色(人種の意味ではない)は、農民と上流階級を区別する手段の1つだった。日光をあびなかったのだ。

乳児に頑丈なおくるみをすることが勧められていたことも、災いしたのだろう。


これはメディチの紋章。

よく育ったオレンジが描かれている。オレンジは、かつて、マーラ・メディカ(薬用の実)と呼ばれていた。メディチ家の実という意味にもとれる。

イタリアのフィレンツェで銀行家や政治家として台頭し、実質的な支配者として君臨するまでになった一族だが。医師を表す名前なのは、先祖が薬屋か医者だったからではないか、と考えられている。

その財は、ボッティチェリやダ・ヴィンチやミケランジェロなどの芸術家を支援することにも、使われた。ルネサンス期の文化を育むのに大いに貢献した。

メディチ全悪!ではない。


贖宥状/免罪符。

贖 = あがなうこと。宥 = 許すこと。罪の許しをお金であがなう(買う)ということだ。

生きている人だけでなく故人のために買えば、その人の罪も許されるとされた、新手の免罪符が出てきた。

人々が宗教を科学のようにとらえていた頃だ。そういう気持ちになって想像してみてほしい。買わないと愛した人が煉獄で長く苦しむ、買うの一択でしょ。

大勢に売れただろう。


この「商売」に強く反対して、ドイツ人司祭ルターの『95箇条の議題』は生まれた。

1517年にルターがドイツの教会の扉に貼った。

神も画面にくらいついて観ていたであろう、激アツ展開だ。

(このことが宗教改革の契機になったのだから、今までの話よりも前に起こったこと)


ローマ教皇におさめなければならない金をフッガー家(ドイツのアウクスブルクを拠点にしていた豪商)に借金していた、アルブレヒトという人物が、その返済におわれていた。

アルブレヒトは贖宥状の販売をひき受けた。

売り上げの半分はローマ教皇に送られ、もう半分はフッガー家に送られていたということ。

ローマ教皇レオ10世・マインツ大司教アルブレヒト・フッガー家によって行われていた、ビジネスだったということ。

カトリック教会のヒエラルキーでは、マインツ大司教は、ドイツにおける最高位の聖職者だ。

汚れた三位一体だね。

ちなみに。いつも読んでくれている人からは絶対に誤解されないと思うが。私は、人々の「信仰心」にケチをつける気は毛頭ない。

そういう話ではない。


レオ10世の本名はジョバンニ・デ・メディチ。ロレンツォ・デ・メディチ(メディチ家最盛時の当主)の次男なのだ。

この男が枢機卿になったのは、16才だった。

8才で一般信徒ではなくなり、5年後には枢機卿助祭になっていた。各段階がどれだけ短いか、わかるだろう。それより上がるには最低3年、というルールがある。逆算すると16才だ。 

中身スッカスカ。

この利益で、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の改修はなされた。

他には、もっぱら、教皇(自分)の住処の増築に金を使っていた。

一流の家庭教師をつけてもらい、高い教養を身につけていたはずだ。フランス・ドイツ・オランダなどを広く旅していたため、音楽や美術にも幅広くふれていたはずだ。

権力欲と富への強い欲求は、この男から生涯消えることはなかった。

『SE7EN』

ローマ教皇レオ10世は、もちろん、ルターを破門した。


ノックスは、自分自身のことを「番人」と称していた。

当時、スコットランドやイングランドは、女性のリーダーによって統治されていた。

前述したジャン・カルヴァンや、ハインリヒ・ブリンガー(スイスの宗教改革の重要人物)とも、この女権政治について議論したことがあるのだが。

それは自然の秩序に反するとまで考えた、ノックスとは異なり。カルヴァンとブリンガーは、状況が要求する時に女性が統治者になることは容認できる、と言っていた。

まぁ、そうだよな。無難な正しい考えだ。


プロテスタントへの過激な迫害から「ブラッディ・メアリー」と呼ばれた、イングランド女王メアリー1世(1516年~1558年)。

具体的には、子供を含むプロテスタントを約300人処刑した。

カクテルに罪はない。

名付け親(?)はノックスだった。

「イングランド王国の血まみれの暴君は、男と女を殺し、殺し、破壊し、むさぼり食っている」この血まみれの暴君が、メアリー1世のことだった。

ブラッディ・メアリーとノックスは、何度か個人面談を行ったことがある。ノックスは、ローマ・カトリックの習慣をやめるように、メアリーに諭し続けた。

こんな女からは王座を剥奪してしまえ!と言ったこともあった。あまりにも、話が通じなかったりしたのだろうか。


「神の聖書は、私にとって、あらゆる重大かつ重要な事柄における唯一の基盤であり、本質だ」

よその国のトップに対して、そんなことを言ったりと。彼は、女性に対して、かなりセンセーショナルな発言をくり返したが。

その根本にあったのは、政治と宗教を浄化したいという想いだった。

その時、たまたま女王だっただけで。王だったとしても、(同じ汚点があれば)同じことを説教していたはずだ。

この後に起こったサン・バルテルミの虐殺を考えても、彼の懸念は的外れではなかったことになるのだし。


私も、事情を慮ることはできても、彼の言葉の全てにうなづくことはできない。

自然界においても人間社会においても、女性が権力者になることは逸脱した出来事であると。全ての生き物で、オスには支配の印・メスには服従の印が刻まれていると。

これは、端的に、事実ではない。

アフリカゾウのリーダーは最高齢のメスだ。
ゾウは非常に知能の高い生物だ。

ノックスのアプローチは極端だったかもしれないが。それが心からのものでもあったことは、間違いない。これで有名になろうとか一儲けしようとかではなったのは、伝わる。


性別は関係なく、人は、共同体に何かを提供して生きていかねばならない。世話になり励まされている人々に、継続的に害をおよぼすなどということは、あってはならない。

シンプルに言い表すなら。彼の考えはこういう感じだった。

人生で経験したことをもとに、自分が真理だと感ずることを、犠牲をはらってでも他の人々に伝える。

ヒロイックな生き方だと思う。

昔の人々でもひくくらい、過激なことを言うはめになってしまった。そのくらい、女をけなすことになってしまった。強い理由があって。

現代でも、残念ながらあなたは、基本的に「いきすぎ」あつかいされている。ごめんよ、ノックス。