想いを言葉に変換するために - 言語化と自己表現のヒント
「言いたいことがあるのにうまく言葉にならない」と感じるとき、おそらくそこには「書く前にやっておくべきこと」が存在します。ダンスでもバンドの演奏でも、5分間のパフォーマンスのための練習が5分で済むということはあり得ません。私たちは毎日歌い、踊りながら日々の生活を送らなければなりません。
発端
noteの質問箱に執筆についての質問が届いたのですが、お返事を書き始めてすぐに「長くなりそうだな」と感じたので、通常記事の形でお届けすることにしました。こちらの質問です。(質問者さん、ありがとうございます!)
どうやったらそんなふうに、ものごとをうまく言葉にできるようになれますか?
ほんの短い1行の1文で、既にこの方の雰囲気の柔らかさが伝わってくるのがいいですね。もしかしたら、私のもう少し堅くて理屈っぽい言語化の習慣を指して質問をくださったのかもしれませんが、とりあえず「書くこと」全般の話としてお答えしてみたいと思います。
「ものごと」というのも、社会や文化や他人について書くのか、自分自身の感覚と感情を言葉にするのかで多少変わってきそうですね。ただ、書き手の主観的な感情を交えずに外の世界を論じてもあまり意味のある文章は出てきませんし、社会や他人の影響から完全に切り離された自己というのもまた考えられません。なので、この辺も特別はっきりした線を引かずに考えてみます。
まず、真っ先にお伝えしておくべきこと。私が今みたいに長い文章を普通に書けるようになったのは30代に入ってからのことなので、才能がどうとかはあまり気にしなくていいと思います。適性というのは事実としてありますけど、人間の成長の余地というのは普通に思われているよりも広く、柔軟なものです。
これらの前置きを踏まえた上で、ご質問の「上手に書く方法」について、とっさに思いつく助言を書き出してみました。それは次の5つです。
まずは読もう
人付き合いを広げよう
脱線しよう
あなたの人生のテーマを見つけよう
凹んでも凹んでもめげずに書き続けよう
では、順番に詳しく見ていきます。
1. まずは読もう
無理のない程度に本を読んで、知識と言葉の引き出しを増やしましょう。道具と材料を持たずに家を建てることはできないからです。
noteを読むことももちろん楽しいし、得るものも多いですが、書くことにどれだけ寄与するかという点では、昔ながらの読書に軍配が上がると思います。本とネットでは、そこに込められている思考の密度が相当違います。自然に楽しめるジャンルを中心に据えた上で、少し堅そうな本、難しそうな本をときどき混ぜるといいです。
ただし、月に何十冊読むのが真の読書家だとか、そういうSNSの承認競争みたいな概念を持ち込まないように。大食いチャンピオンが食べものを深く味わっているとは誰も思いません。
人間が思考や感情を消化していくペースというのはそこまで速くないです。知識も言葉も、あなたの血肉にならないと意味がないので、実りのある読書ペースというのもけっこう遅くなるのが自然だと思います。味わえるペースで味わいましょう。
あなたが「面白い」と感じるものは、この世に事実上無限に存在すると言ってよいです。大抵の人にとって、食事は一生の楽しみであり、知的好奇心は一生尽きることのない食欲のようなものです。この扉がアンロックされるのは、通勤電車や休日のカフェで本を読むとか、知らないお店やイベントに気軽に足を運んでみるとか、とにかく何らかの形で「未知のものを摂取する」という習慣を日常生活の中に定着させたときになると思います。
サイコーのお店で一度でも食事をしたなら、たぶん別のメニューも頼みたくなるでしょうし、同じジャンルの他のお店も気になってくるはずです。こうなるともう、新しい世界を我が物にしていくという習慣には終わりがなくなります。飽きることのない楽しみと目標を見つけられるなんて、相当ラッキーな人生だと思いますよ!
2. 人付き合いを広げよう
仕事以外の交友関係を広げて、自分にはない価値観や視座を持っている人々に触れましょう。趣味やボランティアなどもいいですし、職場にも意外とプライベートで繋がりたくなるような面白い人がいるかもしれません。
なぜそうしたほうがよいのかというと、自分の考え方がAだと説明するためには、BやCについて詳しく知っている必要があるからです。和食の魅力を伝えたいのなら、そこに「洋食にはない素晴らしさ」を持ち出すことは自然な流れですよね。これをいちばん上手に説明できるのは、洋食の素晴らしさも知っている人間になると思います。和洋以外の各国の料理にも詳しければなおよいです。
「BやCについて詳しくない」以前に、「BやCが存在することにすら気づいていない」という状態がある点にも注意しましょう。生き方の話をするときでも、価値観Bや価値観Cの存在に気づいていない人間は「自分は実は価値観Aの範囲内で生きている」という事実そのものを自覚できません。それが「常識」であり、「普通」なのだと思ってしまいます。ある文化の中でしか息をしたことがないと、自分が当たり前だと思っているちょんまげや切腹に対して「もしかしたら特殊な考え方なのかもしれない」という発想が生まれなくなってしまうんですね。
たぶん、この点は本よりも生身の人間のほうがより多くの実感(知識ではなく!)を運んできてくれます。読書は読書で大切だし、内省も内省で大切なので、どちらのほうが重要だという話ではないです。普通に相互補完的なものになります。ただ、「読書量が少ないから上手に書けないのだ」とは言われても、「人との関わりを避けるから上手に書けないのだ」とはあまり言われない気がするので、この視点は今回強調しておく価値があると考えました。
他者という存在は、意味のある文章を書くために必須のものである「自分の外側の世界」を連れてきてくれます。「うまく書けない」「自分の書きたいものがわからない」というのは、自己についての探究がまだそこまで進んでいないということですが、自己を探究したいのなら、他者への探究というのは避けて通れない仕事です。あなた自身がAであると宣言するためには、あなたはあなた以外のBからZまでの人間について、今よりももっと深く知る必要があるということです。
洋食をけなすことでしか和食を持ち上げられないのなら、その人は前向きで意味のあるメッセージを他人に伝えることはできないと言わなければなりません。対象について何一つとしてわかっていない人でも誰かや何かを否定することはできますが、何かを肯定したいのであれば、かなり多くのことをわかっている必要があるでしょう。
あなた自身に固有の価値をはっきりと示すために、他者の存在を知り、その人だけが持っている価値を理解し、それを肯定できるようになってください。
3. 脱線しよう
これは今述べた「読もう」と「人付き合いを広げよう」に共通する視点です。
難しそうな本を混ぜて読書するとよいとお伝えしましたが、まったく未知のジャンルの本、何の役に立つのかわからない本、面白いのかどうか見当もつかないような本も定期的に混ぜましょう。堅い本と同時に、ライトな本も読みましょう。あなたが流行りものに敏感であれば古典的名著を、流行なんて軽薄だと思っているなら流行りものを読んでください。ハズレを引いてもいいんです、ハズレを引きたくない人間は一生吉野家で同じメニューを頼み続ける羽目になってしまいます。
人間関係の場面でも、合わない相手というのは必ずいますね。他人のことを全部理解できないのは当たり前だし、全員の価値観を肯定できないのも当たり前です。この世でいちばん大切に思っている相手であっても、全部は理解も肯定もできなくて普通だと思います。それでも、たくさんの人間と接点を持たない限りは「自分にピッタリな人」とめぐり逢うことはできないし、実際にぶつかってみないことには、わかり合えるかどうかなんてわからないんです。
仮に今のあなたが「自分には自分の言葉を紡ぐだけの力がない」と感じているなら、「今はまだ持っていないものを身につけなければならない」という点だけははっきりしています。それと出会うために、自分から積極的に脱線してください。
これを「目標に向かって計画的に身につける」ということは不可能です。
4. あなたの人生のテーマを見つけよう
「思うように書けない」と悩んでいるとき、これは実際には「伝えたいことをうまく言葉にできない」と「そもそも何を伝えたいのかがわかっていない」の混合物です。
価値あるものを書くという行為は、未知のものに向かうということとほとんど同義なので、書き手自身が「自分の伝えるべき内容を確信している」というのはまずい状態でしょう。それでも、「自分が何を伝えたいのか」というのはある程度まで明確にしておく必要があります。つまり、混合物の1つ目だった純粋な文章力を磨くことも大切ですが、2つ目の価値観や方向性ということも同様に「磨かれるべきもの」「見直されるべきもの」に当たります。
自分が本当に伝えたいことは何なのか、改めて自覚的になっておきましょう。あなたが心から面白いと感じること、日常生活の中で大切にしていること、他人からないがしろにしてほしくないと感じることは何でしょうか。過去にいちばん傷ついたことは何ですか? ただひとつ、これさえあれば自分はやっていけると信じたものが手に入らず、もう死んでしまいたいと思ったことはないですか?
ペンやキーボードからいったん離れて、言葉や抽象概念にまとめようとすることもやめて、まずはそれをそのままに掴んでください。「理由とかじゃない、おれにはこれが大切なんだ」ということをはっきりさせてください。説明や証明が存在しなくても大切だと言えるのならば、それはあなたにとって本当のものです。
自分の興味のない仕事をしているとき、そこに身が入らないというのは誰だってそうだと思います。書くということは基本的に大変な行為であり、大半のケースではそこに金銭的な対価なんて発生しないので、自分にとって大切でないテーマで意味のある内容なんて書き上げられるはずがないです。
少し微妙なポイントになるのですが、ここで結果として出てくる文章が単一のテーマで綺麗にまとまっている必要は全然ないです。このnoteというプラットフォームでも、普通にその日の日記みたいなことしか書いてないのに面白い人というのはいくらでもいますね。
ひどく抽象的な、漠然とした言い方しかできないのですが、こうした方々は自分にとっての「それ」を既に掴んでいるのだと思います。自分がAであるということを知りながら、BやCである他の人間のことも面白がれるのなら、まあこの人は大抵の出来事を面白く書けるようになるでしょう。
あらゆる物事を「Aから見た○○」として書けるようになったとき、これは書き手の個性や魅力、統一性のあるスタイルとして外から認識されるようになります。つまり、「伝えたいこと」というのは個別具体的な「自分が正しいと考えている意見」のことではなく、「自分はこのように世界を見ている」という世界観の話になるわけですね。
個別の意見が大事だというなら、「これが絶対に正しい(間違ってる)と思います」と一度書いたらそれで終わりで、それ以上は何も広がりません。広がらない話は読み手にとって面白くないし、書いている自分も面白くないです。
なので、あなた自身の世界の支柱となる「それ」を見つけてください。その柱が無事に見つかったときには、「上手に書けない」などと悩んでいる時間も惜しくなるような「書いても書いても書き足りない」というシチュエーションが発生するかもしれません。
5. 凹んでも凹んでもめげずに書き続けよう
もう結局これです。何か文章を書き上げたときって、「ぱっとしない」「わかりにくい」「個性がない」「下手すぎて震える」といった感想のいずれか(または全部)が浮かぶと思いますが、それは通過すべきステップとして正しいので、凹んでもなんとか立ち直って、また次の新しいページを書き始めてください。
傍観者として生きている人間は、この世の大半の仕事を「それくらい大したことない、自分にもできる」と半ば無意識的に判断しているようです。下手なイラストだなあ、どこにでもいるような歌い手だ、つまらんチャンネルだ、ドラフト1位だってのにぱっとしない選手だ、年俸いくら貰ってやがるんだ、上司も政治家も無能なやつばっかりで本当に嫌になる、あー無能無能無能無能、などと言いながら自分はソファで寝ているだけなのです。
あなたが日常の中で起こった事件を文章に書くなら、当の事件から反省せざるを得なかった自分の至らなさとか、そのことをうまく言葉にできない自分の筆力に対するもどかしさ、その後も続いていくであろう職場や家庭でのゴタゴタと永久に理解し切れない他人など、とにかくいろんなものに「直面せざるを得ない」という状況に置かれるはずです。
ソファで寝ている人物が自分の「何もできない」という現実に一度も直面していなかったことに対して、このとき私たちは自分自身の「できない」「わからない」に正しく向き合っています。それは意味のあることです。結果的に自分で100点だと思える文章に仕上がらなかったとしても、明らかに、あなたがそれを書き上げたということには意味があります。
私が今回の記事を書き始めたのは、匿名の質問箱に届いた「どうしたら物事をうまく言葉にできるようになれるのか」という質問からでした。この質問者さんもきっと、ままならない現実やままならない自分自身といったものに正面から向き合おうとしているのではないかと想像します。私はそれは本当にすごいことだと思います。
結局、力を尽くしていない人間の言葉が他人の心に響くということはあり得ないので、あなたが書くことや伝えること、日常のコミュニケーションなどに苦労しているなら、それは正しい道のりだし、それ以外の道なんて最初から存在しないんですよね。これは精神論や根性論みたいな話ではなく、「この世界の複雑さを言葉で整理する仕事があっさり終わるはずがない」という単なる事実認識の話になっているわけです。
最後に
今回は短くまとめようと思っていたのに、いろいろと思うところを書いていたらまたもやいつもの長文記事になってしまった…!
冒頭に述べたように、私も執筆に関しては「幼少時代から明らかに絵が上手かった」みたいなわかりやすい才能を持っていたわけでは全然ないです。以前どこかに書いた気がしますが、十何年前だかのブログブームのときには「ブログ開設する→頑張って数記事書くけど続かない→結局放置する」ということを何度も繰り返しています。読書感想文も普通に苦手でした。
というわけで、かつての私のように「下手すぎて震える」と思っている人も(今の私もたまに思っていますが)、書き続けたり休んだりまた挑戦してみたりしているうちに、不意に芽が出るようなことがあるかもしれません。
やって上達しないことはないので、みなさんも頑張ってくださいね! 私も引き続き頑張ります!(本が売れないと死んじゃうから、よかったら買ってくれよな!)
関連書籍
「身近な出来事がエッセイの元ネタになる」みたいな話とは別に、人付き合いが思想や表現を豊かにしてくれるっていう面はものすごくあるんじゃないかなと個人的に思っています。創作向きのタイプ、つまり内向的なタイプの人はどうすれば日々の人間関係を自分らしく充実させていけるのかという点については、今年出した本「人間関係が苦手でもなんとかやっていくための本」で詳しく書いています。相手の側からこちらを好きになってもらうコツとして、創作論っぽい話もほんの少しだけ出てくるよ!
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