見出し画像

疾患別カットオフ値——THA・TKA・大腿骨近位部骨折後のスケール基準を整理する

【このマガジンの位置づけ】本記事はStep 2:主要バランス評価スケールの応用編に位置づけられます。TUG・BBS・10m歩行テストの数値を疾患別に解釈する視点を提供します。
マガジン:根拠ある機能評価と臨床判断


結論から言います。TUG 13.5秒・BBS 45点という一般的なカットオフ値は、地域在住高齢者のデータが基盤です。術後急性期の整形外科患者にそのまま適用すると「全員が転倒高リスク」という誤った判断につながります。疾患ごと・術後経過時期ごとの参考値を知ることが、臨床での正確な判断に直結します。

急性期整形外科の病棟では、TUGを測っても「この数値は術後何日目でどう解釈すればいいのか」と迷う場面があります。

一般的なカットオフ値(TUG 13.5秒、BBS 45点など)は地域在住高齢者のデータが基盤です。術後急性期の患者に同じ基準をそのまま当てはめると、「全員が転倒高リスク」になってしまう。

このギャップを埋めるのが、疾患別・時期別のカットオフ値です。

なぜ疾患別カットオフが必要か

TUGの一般的なカットオフ値13.5秒は、地域在住高齢者を対象にした研究から導かれた値だ(Podsiadlo & Richardson, 1991)。

しかし、THA術後1週間の患者が13.5秒でTUGを完了したとき、それは「転倒リスク高」なのか、「回復良好」なのか。答えは手術と時期によって異なります。

疾患別カットオフを知ることで次の3点が明確になります。

第一に、術後の正常回復曲線との比較ができます。「今の数値は術後○週として標準的か」を判断できます。

第二に、退院判断の根拠が明確になります。「TUGが○秒以下になれば在宅復帰可能」という、疾患固有の目安を使えるようになります。

第三に、リハビリ優先度の設定に役立つ。疾患別の目標値から逆算して、残り入院期間でどこまで改善が必要かを計算できます。

THA(人工股関節全置換術)後のカットオフ値

TUGの参考値

Buhagiarら(2017)は、THA術後の在宅退院可能な機能水準としてTUG 20秒以下を目安として報告しています。また、日本人THA術後患者の研究では、退院時のTUG平均値は術後7〜10日で約15〜18秒の範囲とされる。

※表1(THA術後TUG基準値)を参照

臨床的には次の目安が参考になります。TUG 20秒以下で監視歩行での病棟移動が可能な水準。TUG 15秒以下で歩行補助具使用での在宅復帰を検討できる水準。TUG 12秒以下で補助具なし歩行への移行目安となる(術式・患者状態による)。

BBSの参考値

THA術後患者の退院時BBS中央値は約41〜46点と報告されている(Dover et al., 2012)。

一般的な転倒リスクカットオフ(BBS 45点以下)では、THA術後患者の「ほぼ全員が転倒リスク高」に該当します。そのため、THA術後ではBBSを「転倒リスクの有無」より「回復の軌跡」として使うほうが臨床的に有用です。MDC(約5〜7点)を超えた改善があるかを確認することが重要になります。

10m歩行テストの参考値

退院目安(術後7〜14日):自由歩行速度 0.6 m/s以上
在宅での屋内移動目安:0.8 m/s以上
屋外活動・社会参加目標:1.0 m/s以上

TKA(人工膝関節全置換術)後のカットオフ値

TUGの参考値

Kennedyら(2005)によるTKA術後のTUG参考値を示します。

TKAはTHAに比べて疼痛が残存しやすく、術直後のTUGはTHAより長くなる傾向があります。術後早期のTUGが長くても、疼痛コントロールと膝関節可動域の改善に伴って急速に短縮することが多い。

BBSの参考値

TKA術後のBBSは、膝関節の疼痛と可動域制限から低下しやすい。術後6週時点でのBBS平均値は約48〜50点(Liaw et al., 2009)。急性期退院時(術後2週)では40〜45点程度が実際の水準であることが多い。

10m歩行テストの参考値

術後6週:0.8〜0.9 m/s
術後3ヶ月:1.0 m/s前後(Yoshida et al., 2008)
急性期退院時(術後1〜2週):0.5〜0.7 m/sが現実的な水準

大腿骨近位部骨折後のカットオフ値

大腿骨近位部骨折(大腿骨頸部骨折・転子部骨折)は、高齢者の転倒による受傷が多く、術前のADL・認知機能が術後回復に強く影響します。

TUGの参考値

Kristensenら(2009)の研究を踏まえた参考値を示します。

THAやTKAより基準値が高い(=許容できる秒数が長い)のは、患者背景(高齢・認知機能低下・術前ADL低下)を考慮した現実的な目安だからです。

BBSの参考値

骨折後の急性期病院退院時BBS平均値は約28〜35点と報告されている(Hauer et al., 2011)。

この水準では一般的転倒リスクカットオフ(BBS 45点以下)を全員が満たす。そのため、骨折後患者では「BBSが何点か」より「入院中にどれだけ改善したか」を追跡する視点が重要です。MDC(約5〜7点)を超える改善が見られているかが判断基準となります。

10m歩行テストの参考値

術後1ヶ月:平均0.4〜0.6 m/s程度(Magaziner et al., 2003)
在宅復帰の目安:0.6 m/s以上(監視あり可)
屋内自立歩行目標:0.8 m/s以上

疾患別カットオフを使う際の注意点

疾患別カットオフ値はあくまで「参考値」であり、以下を加味した総合判断が必要です。

術式と固定性:骨セメントの有無、骨質、術中合併症の有無で回復速度は変わります。

術前機能水準:術前のTUG・歩行速度が低ければ、術後の目標値も修正が必要です。

認知機能:認知機能低下(MMSE 23点以下)があると、転倒リスク評価の重みが増す。単独でのBBSやTUG値だけでなく、認知機能との掛け合わせで在宅安全性を判断します。

介護環境:在宅介護力(同居家族の有無・介護負担)により、許容できる機能水準は変わります。


臨床ミニケース:「この数値は悪いのですか」と聞かれたとき


85歳女性、大腿骨転子部骨折術後10日目の患者を担当したとき、「先生に退院の話をされたけど、私の足は本当に大丈夫なの?」と聞かれた。


TUGを測定すると38秒。BBS 30点。一般的なカットオフ値だけを見れば「転倒リスク極めて高い」です。しかし疾患別の参考値を知っていれば、「術後10日目の転子部骨折術後として、これは標準的な回復経過です」と答えることができます。


さらに「入院時(術後3日目)のTUGが52秒でしたから、1週間で14秒短縮しています。TUGのMDC(約3〜4秒)を大きく超えており、リハビリの効果が数値として証明されています」という説明ができます。


患者は「術後10日目として正常かどうか」を不安に思っているのであって、「地域の元気な高齢者と比べてどうか」を聞いているわけではない。疾患別カットオフを知ることで、患者が本当に必要としている答えを届けることができます。

まとめ

一般的なカットオフ値(TUG 13.5秒、BBS 45点)は地域在住高齢者のデータを基盤とします。術後急性期患者にそのまま適用すると、臨床判断が現実と乖離します。

疾患別・時期別の参考値を把握しておくことで、「今の数値が術後の回復曲線でどこに位置するか」を説明できるようになります。

THA後:急性期退院目安 TUG 20秒以下、歩行速度 0.6 m/s以上
TKA後:急性期退院目安 TUG 20〜25秒、歩行速度 0.6 m/s以上
大腿骨近位部骨折後:退院目安 TUG 30秒以下、歩行速度 0.6 m/s以上(監視あり可)

BBSとTUGの変化量がMDCを超えているかどうかを確認しながら、疾患別の参考値に照らして退院調整の会話を進める——それがこのマガジンが目指す「数値で退院を語る」PTの姿です。

参考文献

Podsiadlo D, Richardson S. The Timed "Up & Go": a test of basic functional mobility for frail elderly persons. J Am Geriatr Soc. 1991;39(2):142-148.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/1991946/ (アブストラクトのみ)

Buhagiar MA, et al. Effect of Hospital-Based Rehabilitation vs A Home Exercise Program on Walking Ability After Hip Arthroplasty: A Randomized Clinical Trial. JAMA. 2017;317(10):1037-1046.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28267862/ (アブストラクトのみ)

Kennedy DM, et al. Assessing recovery and establishing prognosis following total knee arthroplasty. Phys Ther. 2005;85(9):944-954.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/16117604/ (アブストラクトのみ)

Kristensen MT, et al. Timed Up & Go test as a predictor of falls within 6 months after hip fracture in older adults. Phys Ther. 2009;90(1):24-30.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19892825/ (アブストラクトのみ)

Magaziner J, et al. Recovery from hip fracture in eight areas of function. J Gerontol A Biol Sci Med Sci. 2000;55(9):M498-507.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10952371/ (アブストラクトのみ)

Studenski S, et al. Gait speed and survival in older adults. JAMA. 2011;305(1):50-58.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21205968/ (アブストラクトのみ)

このマガジンの関連記事

【保存版】Berg Balance Scale(BBS)の信頼性をまとめて解説

TUGで転倒リスク判定:数値と介入の完全まとめ

何を測るかで迷わない——術後経過と評価目的でスケールを選ぶ実践フロー

いいなと思ったら応援しよう!