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【2回目】特定教会に属さないという二人の信仰者に学ぶ「エホバの証人」

はじめに

前回、まいこさん・ともみんさんのYouTube動画から「エホバの証人」について学びました。今回も新たに関連する動画が公開されていたので、ご紹介したいと思います。
なお、私はお二人の活動や意見すべてに同意しているわけではありません。ただし、信教・思想・良心の自由を尊重したいと考えており、他の方の意見についても、なるべく尊重したいと思っています。


【参考】前回の記事について


YouTube動画について

動画タイトル:【エホバの証人】イエスは神ではなく天使?
チャンネル:会いに行くシスターまいこ
動画出演者:まいこさん、ともみん(石川ともみ)さん
動画公開日:2025年9月20日


動画出演者であるお二人について

お二人のプロフィールについては、前回の記事でご紹介しました。詳しく知りたい方は、そちらをご覧いただければと思います。

まいこさんの紹介URL
https://sistermaiko.com/profile/

ともみんさんの紹介URL
https://ainiiku-church.com/profile


動画内容の要約

動画では、「会いに行くシスター」のまいこさん(元・エホバの証人“2世”)とともみんさんが、エホバの証人が〈異端〉と見なされる理由を当事者経験と神学の基礎で語ります。まず「異端」とは、ある「正統」という立場からの視点がある時に「異端」という見方があるという説明がなされていました。そして、「異端」とは、キリスト教から見た仏教のような別宗教ではなく、キリスト教の中心──イエスがまことの神であり人として来られ、十字架で死に三日目に復活された救い主という福音──を外す「キリスト教風」の別宗教のことを指すものだと整理しました。エホバの証人は、イエスを「父なる神が最初に造った被造物」とし、しばしば大天使ミカエルと同一視する点で古代アリウス派と似たもので、三位一体を否定し、聖霊を位格ではなく「神の活動力」と理解、地獄は存在しないものとし、霊魂不滅を信じず、「滅び=無化」を想定するなど核心的な教理が連鎖して異なっていると述べます。

また、教理以上に問題視されるのが、頂点に「統治体」を置く強い中央集権的な体制です。世界中で同時に「新しい光(新しい見解)」がくだり、それぞれの信仰共同体は自律的な聖書理解よりも通達の受容へと傾きやすい。その例として、かつて禁止だった「乾杯」行為が後に容認へ転じ、過去の違反者は処分歴まであったのに、一声で世界的に教えが反転する逸話が紹介されます。統治体は、神の代理人として新しい光を受け取る存在と理解されがちで、もし「イエスは神」「聖霊は神」と教えを改めれば、600万人規模で理解が一挙に覆るのではないか、という希望的な想像も語られています。

当事者の視点では、幼少期から終末の滅びを強烈なイラストで刷り込まれることがフラッシュバックや恐怖を生み、迫害・殉教まで想定した「最後まで忠実であれ」の重圧や従順の空気が、恐れを動機とする実践を誘発しうると指摘。他方で、エホバの証人の人々は、天地万物を造った神を信じ、創世記を神話ではなく歴史的な事実として受け止め、旧約・新約聖書の記述をそのまま信じようとする姿勢を持っています。「聖書を忠実に守ろう」とする真面目さは、福音の中心(キリストの神性・十字架と復活)に出会えば大きな祝福になりうる、と希望も述べられます。

ともみんさんは半ば冗談で「もし自分たちが統治体に入り込めば教えを変えられるのでは」と提案し、まいこさんはそれは難しいとしつつも、「神が働かれるなら教えが変わること自体はあり得る」と希望をにじませます。

結びに二人は、異端への対応は論破というよりも「覆いが取り除かれるように祈る」姿勢が重要であると強調。核心の誤解は理屈だけでは解けにくく、祈りと神の働きで心の目が開かれるという信仰に立ち、統治体が正しいキリスト理解に至るよう祈るなら世界規模の転換も起こりうる──そんな期待を分かち合っています。


筆者による考察──動画を見て感じたこと

1. 創世記を「事実」と信じる姿勢

今回の動画の中で特に印象に残ったのは、エホバの証人が創世記を神話や寓話というものではなく、文字通りの歴史的事実として信じていると語られていたことです。天地創造をありのまま受け止める姿勢は、現代の主流的な信仰者にとっては少数派かもしれませんが、これはいわゆる「聖書無誤派」と呼ばれるような立場に重なる側面があるとも言えるでしょう。
現代社会は、科学的合理性や相対主義的な価値観の中で信仰が揺らぎやすい環境にあります。そんな中で、聖書を、史実的な記述という意味においても神の言葉として一字一句真実と信じる態度には、ある種の誠実さと力強さを感じます。もちろん批判や疑問の余地が多々あるとしても、「聖書を信じる」という一点において揺るがない人々の存在は、現代に生きる私たち、キリスト信仰者にとっても刺激となり得るのではないでしょうか。

2. キリスト教の核心からのズレ

一方で、動画でも繰り返し強調されていたように、エホバの証人の理解はキリスト教の核心的な教理から大きくずれています。彼らはイエスを「神の独り子」と呼びながらも、実際には「最初に造られた被造物」と理解し、大天使ミカエルと同一視します。また、聖霊を人格的な神とは認めず、「神の活動力」として扱う。さらには、霊魂不滅の教えを退け、「滅び=無化」という考えを強調します。
こうした点は、三位一体を信じる歴史的教会の信仰とは決定的に異なるものと言えます。しかし同時に、「聖書を大切にしよう」「徹底的に守ろう」という真面目さや熱心さにおいては、キリスト信仰者と似た姿があり、時には熱心さに関してはキリスト信仰者以上ではないかと思われるのも事実です。

3. 「統治体に潜入する」という発想について

動画の中でともみんさんが口にした「もし統治体に入り込んで、教えを変えてしまえばいいのでは」という半ば冗談めいた提案は、とても印象に残りました。外から聞けばこれは潜入者やスパイのようで、倫理的に許されない振る舞いのように思えます。しかし私は同時に、物語やアニメの世界を連想しました。
例えば、悪の組織が罪なき人々を虐げている時、正義の人物があえて組織に潜入し、やがて頂点に立って組織を正しい方向へと変えていく──そんな展開があるならば、物語の中ではその人物は英雄的で、美しく描かれます。もちろん現実の宗教組織をアニメのストーリーと同列に語ることはできません。しかし、この比喩を通じて、私たちは「組織のトップがどのような権威を持っているのか」「もし方向性が変われば、信者全体の理解や行動が一気に変わるのではないか」という点を改めて考えさせられるのです。

4. 組織に忠実であることの功罪

また、動画の中では「信者は聖書そのものに忠実であるというよりも、組織の教えに忠実である」という特徴が指摘されていました。統治体が上から決定を下せば、600から890万人規模で世界中の信者が一斉にその方向へと動いていく。かつて「乾杯」が禁止されていたのに後に許可され、過去の違反者が処分を受けていたにもかかわらず、わずか統治体の一声で全体が覆ったという事例は、その典型のように思われます。
この構造は、まさに上意下達の仕組みです。そして、それはしばしば全体主義的な傾向を生み出します。戦時中の日本社会も、上からの命令によって国民全体が同じ方向を向かされるという特徴を持っていたと言えるのかもしれません。このことから感じられることは、人間の組織というものは、危機や不安を感じるとき、個人の自由な判断よりも統一性や強制力を優先するように働きやすいと言えるのかもしれません。

5. 異端をどう受け止めるか

以上のことを踏まえると、エホバの証人をただ「異端」と一言で断じるのは簡単かもしれませんが、それではエホバの証人に見られる信仰姿勢の真剣さや組織構造の特質を見落としてしまいます。むしろ、彼らがなぜ聖書に徹底的にこだわるのか、なぜ統治体の指示に全世界が一斉に従うのか、そしてそのことが現実の社会にとって何を意味するのか──こうした問いを深く考えることも、私たちにとって大きな学びになるのではないでしょうか。
最後に、キリスト信仰者としての立場からは、この動画の中でも語られていたように、エホバの証人に属する多くの方々がキリストの贖罪と復活の力を知ることによって、神からの救いを得るということを願いたいと思います。


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