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昼神温泉・園原うまいもの

 2025年12月28日に昼神温泉に行ったとき、ホテルの朝食で出た「ぴりりしいたけ」。めちゃくちゃおいしかったので、自分と両親のお土産に9箱(笑)買ったのですが、あっという間になくなり…通販で買えないかと探しましたが…ないのです。こうなったら、もう一回行こう!ついでに年末に行けなかったところも!!と、2026年1月17日に行ってきました。1月12日に大雪が降っており、さらに1月20日からは大寒波が来たので、ジャストタイミングでした(笑)。

これです。ぴりりとしてうまい。しいたけを買いあさる怪しい客になってしまった…

 さらに、年末にはお店が閉まっていて食べることができなかった、信濃比叡・廣拯院前の「門前屋」さんのお豆腐も食べました。おいしかったです。

門前屋さんのホームページから
門前屋さん
白い蛇が店内で出迎えてくれます。パワースポットでも有名とか。

 こちらも年末には行くことができなかった、東山道・園原ビジターセンター「はゝき木館」にも行きました。

奥は企画展。入口すぐにカフェ「ほおの木」があります。お汁粉とみたらしだんごおいしい。
企画展は「木賊」について
「木賊」
器などを磨くために使われた
手ぬぐいが素敵でした

 今度は車で、神坂神社まで行ってみることにしました。途中にある「駒つなぎの桜」はまだまだ花はつけていません。

桜が満開の時に来てみたいですね。とても混雑するそうです…

 ははき木はかつては根本の太さは周囲6メートルほど、4メートルの高さから複数の大きな幹に分かれており、その先が箒のような広がりがあったそうです。大正時代、昭和33年に折れてしまって現在は根本が残るだけだそうです。

かなり上まで登るよう。雪もあるので断念。

 今回は行かなかったのですが、分かれた道の先は杉の木平といい、「児の宮(ちごのみや)」と呼ばれる遺跡があります。調査で弥生時代、古墳時代、平安時代と土層になっているのが確認され、土器、石製品、土師器、須恵器、灰釉陶器が発掘されました。ここはかつて神坂峠への通過地点であり、住居が構えられていたと考えられています。
 後醍醐天皇の第八皇子宗良親王も、神坂峠を通ったのかもしれません。

 信濃国伊那の山里にしばしば住み侍りしに、雪いみじうふり積りて道行きぶりのたよりもたえはでにしかば

 まれにまつ都のつてもたえねとや 木曽のみさかを雪うづむなり

「李花集」岩波書店

 宗良親王は、信濃国伊那郡の香坂高宗に招かれ大河原(長野県大鹿村)を約30年にわって拠点としたことから「信濃宮」と呼ばれました。吉野へ帰還しますが、最後は出家されたようです。尹良親王という息子がいらっしゃったという伝承もあり、若くして亡くなり長野県下伊那郡阿智村の浪合神社境内に供養塔があります。
 *秋葉街道は南朝道とも呼ばれ、街道周辺は南朝勢力だった。

 さてようやく、神坂神社へやってきました。まだ先週の雪が残っており、あまり奥まで車でいくとスリップしそうなので、駐車場の入り口近くに車を止めて歩くことにしました。しかし、数台止まっている車の中の人たちは一体どこへ…?歩いて、神坂峠に行ったんでしょうか…?よほどの冬山登山の準備をしていないと遭難しそう…

万葉集 東歌の碑
信濃路は今の墾り道 刈りばねに足踏ましむな
沓はけ我が背
(信濃の路はいま切り拓かれたばかり。切り株に足を踏みつけぬよう、きちんと靴を履いて下さい)
園原碑
ちはやふる神の御坂に幣まつり 斎ふ命は母父のため(万葉集;防人の歌)
苔むした岩は「日本武尊の腰掛け石」との伝承あり。
住吉明神(表筒男命、中筒お琴命、底筒男命の三海神)を祀る。海は遠いが「道」でつながっている、ということなのか…?
和歌の守護神でもあるそう。
樹齢2千年の杉の大木。もともとの御神体なのかも。
東山道はこちら…
凌雲集(平安時代弘仁5年(814年)に嵯峨天皇の命により編纂された日本初の勅撰漢詩集)
坂上今継の「信濃坂を渉る」の碑
めちゃくちゃ悲壮な道行ですね…

信濃坂を渉る
積石は千重峻しく 途危うして九折に分かる
人は迷う辺地の雪 馬は躡む半天の雲
岩冷やかに花笑き難く 渓深くして景くれ易し
郷関何処にか在る 客思転紛々

  信濃坂を越える
  岩石は幾重にも積み重なって峻しく
  危険な山道は屈折して分かれている 
  旅人は人里を離れた国境の雪を踏み迷い
  馬は中空の雲を踏んで行くように見える
  冷えきった岩間の花は咲きそうになく
  深い谷間の日ざしは早く暮れてしまう
  故郷はどちらの方向にあるのだろうか
  旅人の愁いはつもり千々に乱れてしまう

「凌雲集」
阿智村・東山道古文学推進協議会発行
はゝき木館で買えます!

 さて今回気になっていたのは、ここを通る塩の道でした。起点は太平洋側では相良から掛川を経て行く秋葉街道。その終点は「塩尻」です。途中で、伊那街道とも重なります。

 昼神温泉から阿智村役場に向かって走ると伊那街道へと入っていきます。

阿智村役場へ向かう道
三州街道は、信濃と三州(三河)を結ぶ街道で、伊那街道とも呼ばれる。
この三州街道は秋葉街道とも交差する

 信濃と三州(三河)を結ぶ街道は三州街道、伊那街道と呼ばれました。これは中山道の塩尻と東海道の岡崎を繋ぐ脇街道で、「中馬の道」*とも呼ばれました。塩、味噌、木綿、乾物などの「海の荷」と、牧炭、木工、生糸などの「山の荷」が往来しました。一部は東山道とも一致するともいわれています。
 この三州街道は、戦国武将である武田信玄が三河侵攻の時に利用し、病気の悪化で信州に引き上げる時に、駒場で没したと伝えられます。
(ちなみに、上杉謙信と武田信玄の「敵に塩を送る」のエピソードで有名なこの地方の塩事情に納得がいきますね)
*「中馬」とは、駄賃を稼ぐ賃馬から、仲買して稼ぐ仲買馬から、荷主と荷受人の間の中継馬から、といろいろな説があるが、信州の稼ぎ馬だけにつけられた名称。

駒場宿があった
*駒場とは、馬の放牧地や集合地を指す。神坂峠越えのため、阿智と坂本に馬30疋の最大の駅家(うまや)がおかれていた。古墳時代から下伊那は馬の産地。
武田信玄の遺骸を火葬したと伝わる長岳寺
本堂はこの中

 参観料は200円で、住職さんが本堂の中を案内してくださいます。とてもお話が上手な方で引き込まれます。本堂の中はひたすら護摩を焚いて祈りを捧げられいるためにちょっと煙いですが、素晴らしい襖絵があります。
 下伊那地方の指揮をテーマに、阿智村在住の日本画家・吉川優氏が描かれたものだそうです。

 ため息がでるくらい素晴らしい襖絵でした。

春の一部
春の間
夏の間
秋の間
冬の間
「火炎の間」
護摩祈願の火
本当に炎が踊っているよう
朝日の図
月の間
月の間

 かつて長岳寺は広大な敷地を誇っていたようですが、なんらかの事情でそれを失い、現在はこじんまりとした寺領になっています。

 今回の昼神温泉郷紀行は日帰りでしたが、立ち寄り湯につかってくることができました。前回に観ることができなかったところをじっくり見ることができて満足でした。

 かつての東山道の最大の難所である神坂峠は、先史時代から人が交通した後が残ります。文字を残さぬ人々が祈りをささげた祭祀の跡があるそうです。やがて、歌に詠まれるようになるこの場所は、人々の想いを乗せて都まで聞こえるようになります。古代からつい現代まで、人々の生活を守る道であり続けたのですね。
 

参考

李花集 岩波書店

    2026年1月17日