予定通りの失敗に向かって、なぜ私たちはブレーキを踏めないのか
新しく立ち上がるプロジェクトの計画を眺めているとき、胸の奥に小さなざわつきを覚えることはないでしょうか。
「なるべくスケールメリットをとり、理想の量が入り、相応のアウトプットを出す」
企画の出発点として、これは非常に正しい論理です。誰もが納得し、期待に胸を膨らませる美しいスタートラインだと言えます。
しかし、実務が動き出すと、少しずつ前提が狂い始めます。
入る当てのない仕事を、まるで「いつかは埋まるはずだ」と言い聞かせるように入れ続けなければ計画が維持できない。そんな歪みが見え始めたとき、私たちは静かに、しかし確実にリスクの沼へと足を踏み入れています。
本当は、ここで立ち止まるべきなのです。
現実の流量に合わせて計画をスケールダウンさせたり、段階的に投資を行う「ステップ投資」へと企画を修正する。それが、最も傷口を浅くする合理的な判断のはずです。
しかし、現場の会議室では奇妙な現象が起きます。
「そうすると、当初予定していた理想の利益が得られない」
「余計な初期投資が入ったように見えて、効率が悪そうに映る」
そのことを恐れるあまり、担当者はどうしても最初の「理想のスケール」を維持することに固執してしまい、周囲もそれを止めることができないまま、破綻へ向かって走り続けてしまう。
「なぜ、私たちはこうなってしまうのか」
誰もが「このままでは危ない」と薄々気づいているのに、ブレーキを踏めないまま走り続けてしまう。その現象の奥にある、見えない重力について、少し静かに覗き込んでみましょう。
「得られないかもしれない利益」が、生身の担当者を縛る
なぜ、前提が崩れているのに企画を修正できないのでしょうか。
そこには、人間の「損失回避バイアス(プロスペクト理論)」という生存本能が深く関わっています。
人間は、何かを得る喜びよりも、何かを失う痛みを何倍も強く感じる生き物です。
企画をスケールダウンするということは、最初に描いた「理想の利益」を自ら手放す決断を意味します。論理的に考えれば、それは「まだ手に入っていない未来の不確定な数字」に過ぎないのですが、私たちの脳はそれを「すでに持っていたものを奪われる激しい痛み(損失)」として処理してしまうのです。
さらに、多くの組織における評価システムが、この痛みを何倍にも増幅させます。
計画を現実的なサイズに修正すること、スケールを小さくすること自体が、「見通しが甘かった」「当初の目標を達成できなかった」という形で、担当者自身の評価や社内での立場に直結してしまう。
つまり、企画を下方修正することは、担当者にとって「自分の無能さを自ら証明し、評価に傷をつけて、痛みを引き受ける」という、想定以上に耐え難い選択(ペナルティ)になってしまうのです。
だから、担当者は「もしかしたら、明日になれば奇跡的に状況が変わるかもしれない」という、淡い希望にすがりつくしかなくなります。周りの人間も、その痛みを理解しているからこそ、「そこまで言うなら、なんとかなるかもしれない」と、誰もブレーキを踏まないまま、傍観者の列に並んでしまう。
しかし、そうして誰も手を汚さないまま、理想の数値を現状維持し続けた結果、最後にそのシワ寄せをすべて被るのは誰でしょうか。
綺麗なエクセルのセルに数字を打ち込んでいた上層部ではありません。
実態のない巨大な入れ物(システムや設備)を渡され、動かない現実の間で「なんとか辻褄を合わせろ」と気合と根性を強要される、現場で実際に手を動かす担当者たちです。
意味のない過剰な仕様、埋まることのない空箱のメンテナンス。 私たちが保身のために飲み込んだ「修正する恐怖」のツケは、確実に、現場の人間の命の時間を削り取っていくのです。 私たちが真に守るべきは、美しく整った企画書の数字ではありません。そのしくみの中で働く人間の「納得感」なのです。
冷静な線引きという、冷たくて優しい約束
この理想の現状維持バイアスという強烈な重力を止めるには、どうすればいいのでしょうか。 渦中にいる担当者の「勇気」や、周囲の「気づき」に期待してはいけません。損失の恐怖に直面している人間に、「自ら負けを認めろ」と言うのは酷だからです。
こうした問題を止めるのは、人間の意志ではなく、「冷静に線引きされたルール」という名のしくみです。
「この水準(流量や受注)だったらこのスケール、この水準まで落ちたら自動的にステップ投資へ切り替える」というルールを、まだ誰も感情的になっていない、企画の初期段階(冷静なうち)に決めておくのです。
システム開発における「例外処理」や「条件分岐」と同じです。
あらかじめ引かれた線(ルール)に従って、しくみが自動的に企画をスケールダウンさせる。そこに「担当者の意志」や「評価への恐怖」を介入させない余白を残した構造を作ること。
「目標を下げること」を担当者の減点にしない評価のOS(基本ソフト)を整えること。 一見、ルールで縛る冷たいアプローチに見えるかもしれません。しかし、あらかじめ冷たい約束(撤退基準)を刻印しておくことこそが、最終的に現場の担当者たちを不幸にしないための、最も深い「しくみの優しさ」なのだと、私は思います。
🍵 読後の処方箋:理想の呪縛から、少しだけ呼吸を取り戻すために
この記事を読み終えて、ご自身の現場にある「やめられない計画」に思い当たる節があったかもしれません。感じた違和感の形に合わせて、次の思考を深めるためのいくつかの視点を置いておきます。
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