見出し画像

キャラが嫌いにならない思考と脚本の被害者


この辺りと併せて読むと少しわかりやすいかもしれません(ネタバレ超注意)。




昔はどうだったのかあんまり覚えてないんですけど、今って何故だか自分は物語を観ていて「このキャラは嫌いだな…」みたいな感情になることが少ない、というか殆ど記憶が無くなっていることに気付きました。
嫌いなキャラ居る?って聞かれても全然出てこないんですよ。

でも「このキャラ好きだな…」はあるんです、普通に。いくらでも。

あれ?なんでだ?


と疑問に思ってちょっと考えてみたんですけども。

主に2つくらいの理由で構成されてるのかな~と思いました。


まず第一に、所詮創作は創作という思考があるので、「現実に居たら絶対に相手したくないキャラクター」のことを別にそれだけで嫌いになる理由が無いんですね。

むしろそういうキャラの方が好みになりやすいくらいですし。
ふさゆきさんだの狛枝だの中立・悪だの…
今まで散々何度も同じ事を書いているので細かい部分は省きますけども。

どちらかと言えば、現実だと見れないような人の方が好きなわけです。
現実で自分にこういう対応されたら嫌だなあ」ってキャラクターでも、それがキャラの好き嫌いとはあんまり直結していないという方が近いかもしれません。

だからって別に、現実に居るような普通の人もわざわざ嫌いになる理由は無いわけで。

これだけでもあまりキャラを嫌いにならない理由にはなると思うんですけども、これだけだと説明できない部分もあるんですよね。

自分が好きなのはあくまでも「話を面白くする変な人」であって、「話を面白くしていない変な人」は少なくとも好きになる理由はあんま無いわけです。
具体例はまあ置いとくとして…


ダメなキャラ」のダメなところはいくらでもチクチクつつくことができますが、ダメなところをいくら論っていたとしても別にそのキャラのことが嫌いなわけではないわけですが。
むしろダメなところをチクチクつつけるキャラは面白みがあるキャラだと思います。
つつく気にもならないし擁護する気にもならないようなキャラが、面白くない、好きになる理由が無いキャラです。


ぶっちゃけその「好きになる理由が全く無い人」は、普通に考えたら「嫌い」だと考えるのが自然じゃないですか。
でもこのキャラ嫌いだな~とはならないんです。

何故か?

多分、キャラより先にシナリオにヘイトが行くからなんですね。

1つ、明確に「このタイプのキャラは好きじゃない」と断言できるものがあるんですけど…

ざまぁされる為だけに出てくる悪役かませキャラ」です。
度を越して過剰に不快な態度を取るキャラ。
さぁ、嫌いになってください」と言われているようなキャラ。
しかもそこに何の背景も深みもなく、本当にただやられる為だけに出てきたようなキャラ。

こういうのが出てくると、「うわっ」てなるんですけども。


これを見せられた時の感情は、「このキャラムカつくなぁ!」じゃなくて「この展開おもんないなぁ」なんですよね。
もしくは「手抜きだなぁ」とか。


脚本の被害者(犠牲者)」って言葉があるじゃないですか。
極論、自分にとって好きになれないキャラってほぼ脚本の被害者なんですよね。単純なキャラ属性そのものが気に入らないので嫌いだ、ということはほぼ起きないので。


ストーリーキャラシナリオから構成されていると言えると思いますが、キャラとシナリオもストーリーという枠組みの中に同居しているものなので、切り離せないものなわけで。

完全にキャラ単品で評価することって中々無いんです。ソシャゲみたいな完全にキャラ売りが前提に来るコンテンツだとまあ無くはないかもしれませんが、FGOの場合でもやっぱり自分は実際のシナリオや、せめてマイルームボイスという小さい範囲で成立しているストーリーで好きになることが多いわけです。


つまり基本、そのキャラが嫌になったとしたらそれはシナリオの責任だと思ってるんですよね。

例えばFate/SNの間桐慎二くんはどう考えても出てくる時のキャラ属性は「ざまぁされる為だけに出てくる悪役かませキャラ」と大差無いくらいにはムカつくやつで、良い所も全く無いんですが。


しかし作中でのシナリオ上の扱いは本当にただ出てきてやられて退場するだけ…ではないんですよね。
基本悪役だしダメ野郎なので別にそこまで好きになる理由もありませんでしたが、話をつまらなくしているか?と聞かれたらそうでもなかったんです。ムカつくやつですけど。話をいい感じに回すキャラではあると思います。
少なくとも彼の扱いを「手抜き」とはあまり認識しないでしょう。


なので、嫌いなキャラが居るとしたらそれは恐らく「物語内に存在価値を感じないどころか物語の価値を下げているキャラ」で、それって結局物語側の責任じゃないかと思うわけです。


だからあんまりキャラそのものにヘイトが行かないんじゃないかなと。
業卒の沙都子マジで無いわと思ってるけど沙都子が嫌いなんじゃなくて業卒そのものが嫌いなわけです。逆にセイレムが嫌いでもアビーやキュケオーンのことを嫌いになったりはしないわけです。てか好きだよそっちは。


基本的に自分の中での上下関係がシナリオ>キャラになっているので、面白くなさの責任を取るのもシナリオ(もとい作品)になっている感じですね。


逆に言うと、好きなキャラもあくまでシナリオの一部としての評価な所はあるんだと思います。
このシナリオの中でこのように動いたのが面白かったからこいつはこういうキャラで好きだ、という感じの過程がある…っぽいんですね。

キャラを一個の人格」よりも、「物語内のひとつのパーツとして見ているか」として見る傾向があるのではないかと。

どっちの方が良いのかはよくわかんないんですけども、良くも悪くもあまり過激化はしない考え方かなと思います。熱量控えめというか。
つまんない見方」とも言えてしまいそうですね。


逆に言うとその上で「一個の人格」として見れてしまうようなキャラは好ましいキャラなのだとも思います。

単なるシナリオ上のシステムじゃなくて、ちゃんとその世界にその個人が存在しているかのような背景を感じられるキャラということですね。
深いキャラというか…これは浅い感想ですが。
だから「活俠傳」がかなり突き刺さったんだと思いますし。


更に逆に言えば、「ざまぁされるためだけの悪役かませキャラ」が苦手なのも、たぶんキャラが悪人だからではなく、キャラが個人として存在する余地を持っていないからなんでしょうね。


以前の記事でも確か、かませキャラについてそんな感じの結論を出した気がしますし。


だから正直「活俠傳」の偽ブサイク周りは、別にあんまり好きじゃないんですよね。
魔王ルート以外そんなスッキリするような形でざまぁされるわけでもないのでかませ枠とも違うちょっと変わったポジションというか、不快な狂言回しって感じなんですけども。
活俠傳にはちょこちょことそういうタイプのキャラは出ますが、そいつらはTier表においてそもそも対象外になっているのもまあ、そういうことです。
逆に南宮ドロドロ親子周りは散々言いつつも、B+には入っているのもそういうことです。
ただし、「活俠傳」全体で見ると文句なしに面白い話なので、別に偽ブサイク周りがあんまり好きじゃなくてもトータルで言えば全然問題ないので、余裕で許容範囲内という感じです。でも出来れば、これだけ目立つようなキャラならもうちょっとより掘り下げられても良いよなとも思っている感じ。

段智秀とかはまさにその辺り、物凄くいい感じの準悪役なので好きなんですよ。


このシナリオ書いてる奴が悪いのにこのキャラに責任が行くの可哀想じゃね?」的な思考もあるように思うので、そういう意味ではちゃんとキャラを擬人化できているのかもしれません。
遊矢のことも可哀想だなと思っています。
消えた6人と黒咲さんの方が可哀想だけどね?


ということは、好きになる時は、キャラを人格として受け取りつつも嫌いになりそうな時は、一度シナリオ構造に引き戻して考えて、と分けて考えているわけで…

中々都合が良いですね。
しかしあくまで自分の読み方でしかないので、都合が良くて問題無いかとも思います。


別に殊更推奨するつもりも無いですが、キャラにイライラするのが嫌だという人は少し見方をそのように変えてみても良いかもしれませんね。
いやしかし、冷静に考えたら現実に存在している作品にヘイトを向けるよりも創作でしかないキャラクターに向ける方がまだ健全なのか…?


まあ楽しめればなんでもいいよ。


続き…的な?

いいなと思ったら応援しよう!