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12 私達の「直感」はどこから来るだろうか?

12 「直感」はなぜ当たるのか、そしてなぜ外れるのか

「直感」の定義


「なぜそう思ったのか?」

この問いに答えられないまま、
それでも確信がある瞬間がある。
それが直感である。

ここで表現する「直感」は、
第六感や閃きといった語も類似概念とみなす。
日常的のふとした時に起きる些細な事柄や
大事な勝負事や人生の分岐点ともいえる
選択の際など、人間はあらゆる場面で
大小さまざまな形で直感を使いながら生きていると言えるだろう。

しかし、改めてその直感とは何かということを
考えてみたことはあるだろうか?

直感とは、
感覚・経験・関与の累積的影響によって、
瞬間的に
「確からしい答えが立ち上がった」と
感じられる瞬間(但し正否は問わない)

を指す。

それは人間の内部のあらゆる情報が
一挙に接続された状態であり、
その過程を人間自身が内部観測できる速さ
(思考の速さ)を超えている為、
事後的に根拠を説明することが困難となる
認識の形式
である。


直感はどのように扱われてきたか

――制度・倫理・科学における位置づけ

直感は人間の認識という概念においては
古くから存在し、
同時に扱いづらいものの一つであると考える。
なぜなら直感は個人の判断ツールとしては
非常に強いが、その個人以外にとっては、
説明不足や、理由不明と感じる事が
往々にあるからだ。

個人の体験として、
なぜか突然「分かってしまう」
あるいは「そうに違いない」という感覚。
しかし、なぜそう感じたのかと、
根拠を求められても回答に窮する。

この不安定さについて、
制度・倫理・科学は
それぞれ異なる方法で処理してきた。


制度における直感

――排除されるか、仮面を被せられるか

人間のつくる社会の制度内では、
再現性と説明可能性が原則の基盤とされる。
根拠となるマーケティングデータや、
実際の数値、論理的な筋道が通っているかだ。
よって、直感に依る判断は正面から
認められにくいだろう。

政府、裁判、企業活動。
これらの場面で
個人の直感的感覚に頼るだけでは、
物事は前に進まないことは明白だ。
国会議員の直感で法律が決まっても
あなたは納得するか?
裁判官の直感で有罪か無罪が決まってもよいか?
会社の業績を全く見ずに、
直感で経営判断をしても大丈夫か?
制度の場面では、
直感のみに依拠した判断は、
原則として認められない。

しかし実際には、
直感が完全に排除されたわけではない。
制度は直感を
別の語彙に言い換えることで存続させてきた

  • 「経験に基づく判断」

  • 「総合的勘案」

  • 「合理的裁量」

これらは、直感が仮面をかぶった状態である。
直感に従ってすでに個人の答えは出ているが、
後付けで根拠や事象をかき集めて、
さも直感だけではないように仕向ける。

なぜそうするのか?

制度は直感を信頼していない事を
知っているからだ。
だが同時に直感なしでは、
運用が難しいことも知っている。

この矛盾の上で、
制度は直感であることを隠しながら、
あるいは知りながら運用していると言い換えてもよいと考える。


倫理における直感

――疑われながらも、最後に残るもの

倫理は、制度よりも直感に近い場所にある。
「これはおかしい」「これは許されない」
多くの倫理的判断は、
理由づけ以前に生じる。

カントは直感を道徳の根拠から排除しようとした。
しかし、
それ自体が『理性こそ根拠であるべきだ』
という直感を前提としているとも読める。

功利主義においても同様だ。
最大多数の最大幸福という論理は、
「幸福は増やされるべきだ」
という前提を含んでいるが、
その前提自体は論証されていない。

倫理は直感を完全には否定できない。
なぜなら、倫理そのものが
「説明以前の違和感」から始まるからだ

しかし同時に、
倫理は直感をそのままにはしない。
直感は、しばしば偏り、
感情に引きずられ誤る。
そのため倫理は直感を問い続け、
言語化し、修正しようとする。

倫理における直感は、
直感を信じたいという望みと
直感であるがゆえに
疑わざるを得ない葛藤の間に位置している。


科学における直感

――出発点として許され、
結論としては禁止される

科学は直感に対して、
最も明確な態度を取っていると考える。
科学は実証が可能であるという
結果が必要である。

しかし、
出発点は直感から始まることが往々にしてある。

  • 「ここに法則がありそうだ」 

  • 「この現象は偶然ではない気がする

アインシュタインやニュートンも違和感や、
閃きといった直感から
たくさんの理論を打ち立てた。

仮説は、
説明不能な確信として立ち上がることもある。
しかし科学は検証し、
再現され、反証可能でなければならない。

直感は、
出発点としては容認されるが、
正当性の根拠にはなり得ない

科学は直感を利用し、
その痕跡を最終的に消去する必要がある。


――なぜ直感は消えないのか

直感は、
個人のその事象に関する
経験・知識と感覚器官による
環境・状況の把握の複数同時接続が条件になる。

自身の思考能力で、
論理的に順序立てて考えるのではなく、
また、目で見た内容を
そのまま視覚として捉えて感じるのではなく、
自身の無意識下にある記憶や経験と、
多くの感覚器官を複数同時に使用し、
いつもとは違う「違和感」や「確信」を感じる。
という状態を想定している。

直感は人間自身の理性で
追うことができないほどの速度で
関与の連鎖が一挙に作動した状態といえる。

人間という高度な構造体は、
継続した内部フィードバックにより
膨大な関与の連鎖を蓄積している。

直感とは、その蓄積された関与の連鎖が、
意識的な思考(選択肢の準備)を経ずに、
瞬間的に応答として立ち上がる状態である。
それゆえ直感は消えない。

なぜなら、
関与の連鎖そのものが構造体の基盤であり、
直感は人間の意志でコントロールできないからだ。


但し、直感は誤る時がある

最後に重要な事として、
直感は間違うということを伝えたい。

非常に強い確信を持った判断であっても、
それは間違いである可能性はある。
個人が確実性が高いと「感じる」部分までが
直感であるからだ。

その直感は個人にとっては
精度が高いと位置づけられる。
あるいは過去に、
直感に沿って行った事象に正解が多かった。
という経験があったなら、
その個人にとって「直感」は
強い判断基準という認識を
持っている可能性がある。

そうなれば、
なおさら直感を信じる傾向は強くなる。

しかし、言うまでもないが
絶対的な答えを直感が持っているわけではない。

なぜなら直感はあくまで
経験・知識×感覚器官による
環境・状況の把握の複数同時接続であり、
外部から与えられた絶対的な真理ではなく、
個人のみによって成り立っており、
それが絶対正解とイコールではないからだ。

本書における直感の位置づけ

当記事は直感を真理として擁護しない。
同時に誤謬として切り捨てもしない。

直感を信じることは全く問題ないし、
信じることで、
次の一歩を踏み出せるなら、
直感は自身の一つのツールとして、
十分に機能している関与構造と言える。

但し先述した通り、
直感は間違える可能性がある。
直感はあなたが意識しなくても
勝手に運んできてくれる。
しかし、その直感自体をそのまま採用するか、
あるいは根拠になりそうな事象や検証を
重ねて採用するかの
判断はあなた自身にゆだねられているのだ。

そして、
ここで述べた【直感】は鍛えることができる
と考えている。

ここでの鍛えるというのは、
あてずっぽうでなんでも
判断してしまうような事を指さない。

直感が、
どのように起こるのかの構造を理解した上で、
直感に関連する能力を
育てることが直感力を鍛える事に繋がる。

この「直感力を鍛える」については、別記事で扱うこととする。
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