質問箱|✉️文具様|えんぴつはどうして正しく持たなきゃいけないの?
先日、創作大賞を考えた記事を出しました😳エヘ
この記事の中で、下のように語ったんですよね───
僕たちは普段、物事の「意味のなさ」に目をつむり、誰かが決めた「みんなが思う意味」を信じて生きている。 しかし、人間はほぼ同じ遺伝子でできていると言えども、個々に「揺らぎ」がある。だからこそ、「みんなが思う意味」を見出せないモノに直面し、それを「吞み込めない」瞬間が必ず訪れる。
それでも、それを「やらなきゃいけない(やり過ごさなければいけない)」時があるだろう。 その時、なんとなく呑み込むか。 あるいは、「自分なりに意味を込めて」呑み込むか。
そうしたら、文具さんからコメントで、
まさに「呑み込めない」瞬間の共有がありました😭感涙💦
むふふ。 面白かったです✨
カオナシさんにいろいろと聞いてみたくなります。
その深い思想でどんな答えが返ってくるのか興味深いです✨
もしよかったら、鼻くそほじるくらいしかやることないくらい暇な時にこちら読んでみてもらえませんか?
カオナシさんのおっしゃっているような、 私の視点からみた長年の疑問とその落としどころについて書いた記事です😊
無理はなさらず。
興味がなければスルーしてくれて全く問題ありません💡
☟☟これがその「問い」の記事☟☟
📢 興味ないわけがない!(°∀°;)
匿名じゃない「問い」、しかも────
これは、僕もかつて
めちゃくちゃ考えた「問い」です💦
ぜひ、みんな一緒に考えてほしい。
えんぴつはどうして正しく
持たなきゃいけないの?(・_・;)
📢 あなたなら、どう応える?
質問箱:
|あなたの問いを共有したい
ぜひ、何か僕の記事の起点となる“問い”を投げかけてください。
コメントでも「クリエイターへのお問い合わせ」からでもOKです。
いただいた“問い”から、僕の中で発散・拡散・崩壊して、最後にもう一度収束して“新たな問い”にして返すことができると思います。
※2025.09でのルールは以下の記事を参照してください。
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問いの入り口
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☝ちなみにマシュマロ飛ばすときに、「問い版」か「答え版」どっちが良いか言ってくれると助かります!😫
以下は、僕が辿り着いた “応え” です。
▼まず、言いたいこと?
これは、もしかしたらなんですが・・・
「えんぴつは正しく持たなきゃいけない」
……ではないのかもしれない?……です。
僕が至った「応え」は────
えんぴつを正しく
持って“ほしい”!(ToT)
なのかもしれない?…ってこと。
世の中には、「“正しい” 何か」と言われるものがたまにある。
「正しい鉛筆の持ち方」
「正しい字の書き方」
「正しい箸の持ち方」
でもね……そんなもの、
存在しないんですよ(°∀°;)
あえて「正しい」を探したいなら、
その行為や物事の意味を考えないといけない。
鉛筆は、字を書くもの。
だから、字を書けるように持てばいい。
字は、言葉を伝えるもの。
だから、読めるように書けばいい。
箸は、食べ物を持つもの。
だから、食べ物を挟めればいい。
要は、「正しい」は「“それ” ができればいい」でしかないのかも?
にも、かかわらず────
▼正しい何かは、存在する?
なんで?
それは────
きっと「そうしたら楽だよ?」とか、
「そうしたらもっと良くなるよ?」とか、
そういう「何か」なんじゃないかな?
例えば、鉛筆の持ち方────
筆から鉛筆になることで、手が紙に近くなり(手が紙に接触し?)、今までの筆の持ち方だと、ペン先の視界が悪くなる。だから、それ(手が書きながら字を見るのを妨げる)を避けながらも、強弱を伝えやすいような持ち方に変化した?
……そんなこともあったのかもね?
(知らんけど?www🙄)
ただ、こういう気持ちは分からないかな?
それをやるとイイ。
自分がその境地に至るまでの
試行錯誤、苦難の道、悩み、それが詰まった何か?
それを渡したくなる。共有したくなる。
渡したいと思った、“誰か” が迷わないように?
少しでもその苦難の道が和らぐように?
そして、話は飛ぶんだけどさ?😅
先日、マジで凄い字に出会った……
字に関する記事を書かれている 永野江理 さん(先生って呼んだ方が良いかも?)なんだけど……
久しぶりに「こんな風に書きたい!」って思ったんだ~(°∀°;)
記事の中で、「大道廃れて仁義あり」を永野先生が考える“楷書”で書いてるんですよね。
これほどまでの「自分にとっての楷書」、
その探求にどれほどの時間が掛かったのか?
“楷書とは何か”が薄れてきて、“楷書”って名前と縛りだけが一人歩きしているような時代に、自分にとっての楷書の本当の定義を泥臭く探し直す?
その孤高・・・
おいおいおい!
やっべ~~~なっ!(°∀°;)
……って思うわけよ。
だからさ、その境地を一緒に試行錯誤してほしいって気持ちが生まれない?
同じ景色を見てほしいって気持ちが生まれないか?
「原点にして頂点」
「原点かつ頂点」
「原点こそ頂点」
「原点のみ頂点」、
ならば
私はずっと原点から動かない。
────いや、すご過ぎる。
好きな考え方です。
僕が至れなかった境地。
そして、やっぱ永野先生も待ってますよね?
(違ってたらごめんなさい😭)
でも、その境地に至った先人たちだって、
きっと思っているんです。
「……これが正解じゃない。この先は自由だ」
────って。
だからこそ、後進には「最短距離」を渡したい。
でも同時に、自分が至れなかった「その先の景色」を
見せてほしいと願っている。
▼なぜ「それは何故か?」が伝わってない?
ただ、悲しいかな、
「それは何故か?」という理由までは、技術と一緒に
ついて行くわけではないんですよねwww
なぜなら、受け取る側の多くにとっては
「とりあえず書けたらいい✨」
「できたらいい✨」から。
「なぜ?」が求められない世界では、
答えに至るまでの泥臭いプロセスは伝わっていきません。
それでも、渡す人は信じて待っているんだと思います。
いつか────
「なぜ、この形なんだろう?」
「なぜ、この持ち方なんだろう?」
…と自ら問いを立てる人が現れることを。
そして、その「何故?」という探求から、
自分が辿り着いた境地の、さらに先を見出してくれることを。
世の中の「正しい」とされる風習や伝統って、実はこういう “想い” の蓄積から形成されているのかもしれません。
最短距離を渡したい。
少しでも楽ができるように。
同じ高みに至って、同じ世界を共有したい。
そして、自分が至れなかった「その先」を見せてほしい。
でも、そんな激重な祈りを堂々と説明書に残すのは、ちょっと照れ臭かったのかもね?😂
「えんぴつはなぜ正しく持たなきゃいけないか?」
その答えは────
「正しく持ってほしいから」ですね(°∀°;)
誰が?
それは、その境地に至った人が、
(後進への)優しさと、
(孤高の)寂しさと、
(まだ見ぬ未来への)憧れと……
そんな想いをギュッと詰め込んだ、 “そうあって欲しい。もしよければ?”という、ささやかな願いなのではないか?
そんな風に、僕は解釈しました。
▼おわりに
実はこの疑問、僕もかつて死ぬほど考えたんですwww
というのも、僕は、、、
両利きなんです!(°∀°;)
(↑どうした?www急にwww)
鉛筆も筆も箸も、多少の得意不得意はあれど、
両手である程度同じように使えます。
いわゆる、訓練された両利きってやつですw
片腕がなくなったときのためって、
意味不明ですよねwww
ただ、ここでいつもの「器用貧乏アピール(笑」をしたいわけじゃなくてですね💦
僕が言いたいのは、その両手を使うプロセスの中で、「誰かに教わることなく見よう見まねで使っていたら、いつの間にか比較的“正しいと思われる”持ち方や書き方に収束していた」という事実なんです。
自分の両手でそれを体感したからこそ、強く思う。
人が最終的にそのカタチに落ち着くには、
やっぱり確かな「意味」があるのかなって😅
上で長々と語ったことも、
決して絶対的な「答え」じゃありません。
でも、先人たちがそのカタチに託して渡そうとした「気持ち」だけは、なんだか少し分かるような気がするんです。
さて、今日もお付き合いいただきありがとうございました。
この問いが、あなたの新たな“問い”の入り口になれたなら幸いです。
蛇足:
いや、実は、入れたかった作品あったんだけど、
重過ぎて入れれませんでした(・_・;)
映画『国宝』
「この上は徳様も死なねばならぬ品なるが、死ぬる覚悟がききたい」
今ある、風習・伝統の中には、芸に限らず、人ひとりの人生を溶かすような色んな覚悟や犠牲が詰まってるものが多いと思うんですよね────
ただ、今回、現代に生きる『国宝』を背負わされている人のセリフ・存在を引用するのはちょっと重過ぎるというか💦 烏滸がまし過ぎるというか💦
映画、まだ映画館でやってんのかな?
映画館で見てほしかった・・・
☟漫画も出てますね~。明日(2026.05.13)まで何巻か無料です。
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