商工会の経営指導員⑨ 最後の妨害、そして運命の日【#創作大賞2025#お仕事小説部門】
プレイベントは——大成功だった。
朝から準備に追われていた商店街に、ついに訪れた晴れ舞台。開幕の合図とともに、人の波がどっと流れ込んだ。
久しく聞こえなかった子どもたちの笑い声、品定めする主婦たちの会話、老夫婦が懐かしむようにゆっくり歩く姿——。
商店街全体が、まるで時を巻き戻したかのように、生き返っていた。
「おい、見てみろよ……!」
「こんなに賑やかな商店街、何年ぶりだ……?」
「本当に、商店街が蘇るかもしれないな……!」
涙ぐみながら笑う声、誰かの肩を叩いて喜び合う店主たち。
その一人、田中八百屋の茂は、空になった野菜箱を見下ろし、口元を緩めた。
「ふっ……まだやれるじゃねぇか、俺たちもよ」
老いてなお現役の誇りが、その声に滲んでいた。
松田屋の店先では、店主の和夫が売り場から目を離せないほどの人の列に驚いていた。
そのとき、奥から息子の航太が駆け出してきた。
「すごいよ! うちのまんじゅう、もう全部売れちゃった!」
航太の笑顔は、朝に見せた不安の影をすっかり消し去っていた。
和夫はそんな息子の頭をくしゃりと撫でながら、目尻を熱くし、ふっとつぶやいた。
「……本当に、やってよかったな。」
かつて、静まり返っていた商店街。
それが今、確かに“拍動”している。
まるで心臓が再び動き始めたように。
悠斗と秋山は、人々の賑わいを背にして、歩道の片隅で立ち止まった。
顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれる。
「……やった..」
「うん、やったね」
言葉少なに、でも確かに通じ合う達成感。
それは、共に歩んだ日々が報われた瞬間だった。
——しかし、その温かな余韻の中に、ひとつの影が差し込んでいた。
「でも……次は本番の桜川マルシェだよね」
「……三浦さんが、このまま黙ってるとは思えない」
秋山の声が、春の風の中でかすかに震えた。
悠斗は静かに頷いた。
胸の奥に、不穏な予感がじわりと広がっていく。
そして数日後——その直感は、現実のものとなる。
それは、桜川マルシェ本番まで残りわずか、準備が佳境に入ったある午後のことだった。
スマートフォンの画面に、市役所の番号が表示された瞬間、悠斗の背筋を一筋の冷たい汗が伝った。
嫌な予感が、確かな輪郭を持って迫ってくる。
「……はい、森田です」
『あの……大変申し上げにくいのですが、桜川マルシェの開催許可について——』
「……え?」
一瞬、周囲の音が遠のいた。
「それって……どういうことですか?」
『先日、無許可の状態でプレイベントを実施された件が問題となり、開催許可は正式に取り消されました』
足元から地面が崩れていくような感覚に襲われた。
通話の向こうでは、申し訳なさそうな沈黙が続いていた。
電話を切った悠斗の顔は、紙のように青ざめていた。
その異変を見て、秋山がすぐに駆け寄る。
「どうしたの!? 何かあったの?」
「……桜川マルシェの開催許可が……取り消された」
「え!? なんで……どうして!?」
秋山の声が裏返る。
「理由は『安全管理体制の不備』……あと、先日の“無許可プレイベント”が正式な規定違反にあたるって……」
「でも、そんなのほんの準備活動で……どうしてそれが問題になるの?」
「……それを“公的な逸脱”として報告した人間がいる」
悠斗は、低く呟いた。
「三浦さん……」
秋山の表情が強張る。悠斗はゆっくりと頷いた。
ふたりはそのまま、市役所の商工観光課を訪れた。
対応に出たのは若手職員の皆川だった。
机の上には、整理された数枚の報告書と、赤字で修正の入った行政内部メモが置かれていた。その中の一枚を、皆川はためらいながら差し出した。
『商工会が関与していない状態で、許可前の催事を強行。
行政として、同様の前例を認めるわけにはいかない。
地元経済支援の趣旨には理解を示すが、手続きの軽視は看過できず。
——三浦誠司(桜川商工会経営支援担当)』
「これ……三浦さんが?」
「……そうです」
皆川は声を落とした。
「……正直、個人的には止めたかったんです。でも、内容自体は法的にも筋が通っていて……上も、判断を覆せませんでした」
その言葉に、秋山は悔しさを噛みしめるように唇を結んだ。
皆川は、目を伏せたまま小さく呟いた。
「三浦さんは、頭が切れる人です。報告書は冷静で、事実だけを並べてる。でも……そこに感情がない分、言い逃れもできないんです」
悠斗の胸に、痛みとも怒りともつかない感情がわき上がる。
——その頃、商工会の一室。
書類棚から一冊のファイルを取り出しながら、三浦は一人、静かにメモを取っていた。
窓の外では、風が淡々と桜川の枝葉を揺らしている。
「……勝手なことをすれば、こうなる」
誰に言うでもなく、低く呟いた。
彼にとって、それは“当然の秩序”だった。
許可を得ずに動いた者を例外にするわけにはいかない。
仮に善意であれ、それを認めれば次の混乱を生む。
彼の中で、それは感情ではなく、組織を守るための“論理”にすぎなかった。
正義でも悪意でもない。
ただ、そう「あるべき」と判断しただけのこと。
それが、三浦誠司という男だった。
一方、悠斗はその静かな冷酷さを肌で感じていた。
「……最後の最後まで、潰す気か」
爪が食い込むほど握りしめた拳の中には、諦めではなく、もうひとつの決意が宿っていた。
今度こそ、自分たちの手で、理屈ではなく“想い”で町を動かしてみせる。
そしてその時、初めて本当の「戦い」が始まったのだった。
