イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第十九話 あなたの目印
エラが消えたあと、私はオトさんと手掛かりを探していた。
確かなことは、まだ何ひとつわからない。
それでも、雪の中に残された小さな違和感だけは、はっきり見えていた

エラとヨル 第十九話
【あなたの目印】
空中に浮かぶ黒色の玉。
それに重なる透明な玉。
私は、その跡を追っていた。
オトの歌声のような詠唱が、途切れずに続く。
消えては現れ、重なっては離れる玉を見つけながら、私たちは雪山を進んでいた。
これが正解なのか。
本当にエラに近づいているのか。
それは、まだわからない。
「この道で……合ってるんでしょうか?」
オトが不安そうに呟いた。
道と呼ぶのも難しい。
雪に埋もれた斜面を、一歩ずつ踏みしめて進んでいく。
「でも、エラさんを連れ去ったのって……やっぱりシーズさんとディアさんなんですかね?」
「それ以外の可能性は低いです」
そう答えたものの、私にも確証はなかった。
ただ、昨夜の記憶。
そして、二人とともに消えたエラ。
その二つが、どうしても頭の中でひとつに繋がってしまう。
「山小屋で、二人の視線の先にはいつもエラがいました。少なくとも、エラを気にしていたのは間違いありません」
事実だった。
オトが歌っている時も。
クッキーで苦しんでいた時も。
あの二人の視線は、何度もエラに向いていた。
理由はわからない。
でも、わからないまま向けられる視線は、それだけで不気味だった。
「エラは、初めて会った感じでした。私から見ても、シーズさんもディアさんも同じです」
「だから不思議なんです。エラを連れ去る理由なんて、ないはずなのに……」
一歩進むたびに、足が雪に沈む。
白く埋め尽くされた景色は、考える力まで鈍らせてくるようだった。
「そうですよね……」
オトは歩きながら、小さく考え込む。
「私も、みなさんと会うのは初めてでした。ただ……」
言いかけて、オトが口をつぐんだ。
何かが引っかかっているようだった。
「ドラゴンの話をした時の態度と、白い服の人たちの話をした時の態度……あれは、少し変でしたよね」
その言葉で、記憶が引き戻される。
たしかに、何気ない会話だった。
けれど、あの時のシーズたちの反応だけは、思い返すほど不自然だった。
「そうですね。ドラゴンなんて、いてもいなくても、どっちでもいい話でした」
「なのに、そこだけは二人とも断定してました。まるで――見たことがあるみたいに」
その時だった。
ふと視線の先で、黒いミニアが揺れた。
おかしい。
重なっていたはずのミニアが、二手に分かれている。
しかも、それぞれ別の方向へ伸びていた。
「オトさん、待ってください」
私は足を止めた。
「重なっていたミニアが、二手に分かれてます」
私の声に、オトも立ち止まる。
ひとつは、そのまま山を登る道へ。
もうひとつは、近くの林の中へ。
「どっちでしょう……?」
オトが迷うように呟く。
「こっちです」
私は迷わず、林の方を指差した。
「えっ? なんでわかるんですか?」
驚いたように、オトが声を上げる。
「これです」
私は林の入口近くにある一本の木を指差した。
枝が、目線より少し高い位置で不自然に折れている。
「枝が折れてますけど……それが何か?」
オトには、まだわからないらしい。
でも、私は思わず少しだけ笑っていた。
「これ、エラの癖です」
「森に入る時、後ろを歩く私が迷わないように、こうやって枝を折って目印にするんです」
オトが折れた枝と私の顔を見比べる。
「偶然じゃないの?」
「間違いないです」
そう言い切った瞬間、胸の奥がざわついた。
エラの痕跡を見つけた。
本当なら、それだけで少し安心できるはずだった。
なのに――変だった。
シーズたちに付いて行っているなら、こんな目印を残す必要はない。
じゃあ、これは誰のための目印なのか。
私のため?
それとも――
頭の中に、知らない光景が浮かんでしまう。
私の知らない誰かと歩くエラ。
私の知らない場所に向かいながら、私にしていたみたいに枝を折っていく姿。
その想像が、胸の奥を妙に掻き乱した。
ーー誰と歩いているの?
その疑問に答えは出ない。
私は振り払うように、林へ続く道を進んだ。
しばらく進んだ時だった。
「ヨルさん! あれって!」
オトが声を上げる。
視線の先。
なんの変哲もない木の枝に、白い布が結ばれていた。
風に揺れる白い布。
そこには、金色のドラゴンの刺繍があった。
オトが近づき、その布を見つめる。
さっきまでの不安とは違う、はっきりした険しさが顔に浮かんでいた。
「関係ないかもしれません。でも……これを見て、思い出しました」
「この山に登る前、麓の宿場に寄った時です」
私は黙って続きを待つ。
「夜、酒場で歌っていたら、急に怒り出した人がいたんです」
「その歌を歌うなって。突然のことで、私もよくわかりませんでした」
オトが一度、息を飲む。
「その時に歌っていたのが――」
「“ドラゴンに挑んだ男”です」
私は息を止めた。
ドラゴンの歌を嫌がる男。
ドラゴンがいると断定した二人。
そして、ここにあるドラゴンの刺繍。
偶然にしては、重なりすぎている。
頭の中の霧が、少しだけ薄くなる。
でも、晴れたわけじゃない。
繋がりそうなのに、まだ繋がらない。
「これは……目印かもしれません」
私は、白い布を見つめたまま言った。
「でも、誰に向けたものなのかがわからない」
オトは黙って、金色のドラゴンの刺繍を見つめている。
私は周囲に視線を巡らせた。
木々の間。雪に埋もれた地面。折れた枝。
何か、もうひとつ。
この布と繋がるものがないか探す。
けれど、それらしいものは見当たらない。
そんなに都合よく、手掛かりが並んでいるわけがない。
そう思いながら、私は布が巻かれた木にそっと手をついた。
そのまま、息を整えるように背を預ける。
……その時だった。
木の向こう側。
ちょうど背中合わせになる位置に立つ別の木の幹に、浅く傷が刻まれているのが見えた。
私は思わず身を起こす。
雪を払うように一歩近づくと、それははっきり見えた。
“→”
「オトさん。見つけました」
私は木を指差した。
「目印です」
オトもすぐに駆け寄って、刻まれた矢印を見つめる。
「やっぱり……どこかへ案内するための印ですね」
私は小さく頷いた。
白い布だけじゃない。
ちゃんと、次へ進ませるための印が残されている。
誰が。
誰のために。
まだわからない。
でも、これで少なくとも、進む先だけははっきりした。
私たちは、矢印が示す方へ歩き出した。
やがて、木々がわずかに途切れた場所に出る。
オトが詠唱すると、透明なミニアがふわりと浮かんだ。
私は、その中に重なる黒を探した。
ひとつだけあった。
私はそこへ駆け寄る。
そして、言葉を失った。
「ヨルさん。どうしました!」
その様子を見たオトが声をかける。
その先にあったのは、金色に輝く髪留めだった。
真っ白な雪の上に、ひとつだけ置かれている。
「エラ。見つけたよ。あなたの目印」
私はそれを見つめたまま、声を絞り出すことしかできなかった。

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