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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第四十三話 名前の届かない街


ルーベントの通りに、エラの声が響いた。

その名は、この街ではもう誰にも届かない。

それでもエラは、目の前の女性をまっすぐ見つめて叫んだ。


エラとヨル 第四十三話
【名前の届かない街】


「ニコ! ニコでしょ!」

エラは、目の前に現れた青い髪の女性に向かって声を上げた。

――ニコ。

確か、エラの幼馴染。
子供のころに生き別れた相手。
そして、エラの心の奥に隠していた古い傷。

彼女はエラの声に見向きもせず、背を向けた。

「ニコ! エラだよ。忘れちゃったの!」

エラが詰め寄ろうとすると、屈強な男たちが立ちはだかった。

「なんだ、お前」

「サーシャ様に気安く話しかけるな」

男たちは口々に言う。

――サーシャ?

エラがニコと呼んだ相手は、名前が違うらしい。

「エラ。人違いじゃない……」

「そんなことない! 見ればわかる!!」

「お前たち、どけよ」

エラは男たちに向かって声を荒らげる。

「落ち着いてください。エラさん」

オトが間に入って止めようとするが、エラには届かない。

エラの態度に業を煮やした男が、腰の剣に手をやる。
それを見たエラも、クロとシロに手を伸ばした。

――ダメ!!

私が声を出す前に、通りから声が聞こえた。
両手を叩きながら淡々と話すその声は、変なリズムで、思わず聞いてしまう。

「はい。はい。ダメですよ。みなさん」

声のする方を見ると、白い制服を着た、小太りの若者がこちらに近づいて来た。

少し癖っ毛の黒髪。
小さな丸メガネをかけ、脇には凶器のように分厚い本を抱えている。

「喧嘩ですか? トラブルですか? 発言は順番にお願いします」

一触即発の空気が、彼の言葉で止まる。

「お前、なんだよ!」

エラは感情的に怒鳴った。

「人に名前を聞くのなら、まずあなたが名乗ってください。記録しますね」

そう言うと、彼は脇に抱えた本を開き、ペンを取り出した。

「エラです」

――そこは素直なんだ。

私は呆気にとられていた。

「エラさん……この街の人ではありませんね」

エラは頷く。

「私は、ルーベント行政ギルド上級執行官、ディケです」

「長い名前」

エラは何かを勘違いしているようだ。

「あっ、ディケです」

ディケもすぐに気づいて訂正した。

「で、そちらは、赤い瞳のみなさんですね」

――赤い瞳!

ローズに教わった闇ギルドの名前だ。
私は思わず息を呑んだ。

「LAGが出てくる話じゃねぇだろ!」

男の一人が声を上げた。
ディケはメガネをクイッと上げて言う。

「我々は、この街のトラブルを解決するためにいます。ルーベント行政法第四条、第一項です」

男たちは、ディケの一言で黙る。

「ただ、今回は特別要人警護措置第五条の第三項にあたる。そう言いたいわけですか?」

スラスラと、聞いたことのない法律が並ぶ。
私は面食らって動けないでいた。

「この女が、サーシャ様にいちゃもんをつけてきたんだ!」

男の一人がエラを指差して怒鳴る。
ディケは、うんうんと頷きながらメモを取る。

「なるほど。エラさんがサーシャさんに喧嘩を売った、ということですね」

「違うよ。あいつはサーシャなんて名前じゃない。ニコっていうんだ!」

エラが腕を組み、言い返す。

「ニコさんねぇ……」

ディケは、おでこのあたりを指で叩きながら答えた。

「エラさん。残念ながら、街の戸籍台帳には、ニコという名前は記載がありません」

「なんで、わかるのさ」

「あっ、全部覚えていますから」

ディケは当然のように答える。

戸籍台帳をすべて覚える?
何千、何万という人の名前を覚えているの?

私は、ディケの言葉を信じられずにいた。

「じゃあ、間違えて覚えたんだ!」

エラは引き下がらない。

「その可能性はありますね。では、これから調べるので、どこの地区のニコさんか教えてください」

――この人、すごい。

普通なら怒るような言い方をされても、受け流している。
いつもエラの発言に振り回されている自分を思い返して、少し感心していた。

「わかんないよ……」

エラの声が萎む。

「おい! 聞いてるのか?」

「こっちは、どう落とし前つけるかって話をしてるんだ」

その態度を見た男たちは、エラに詰め寄ろうとする。
しかし、それをディケが止めた。

「待ってください。発言は順番でお願いします。今はエラさんの話を聞いています」

「あっ、あとエラさん。少し下がってください」

そう言うと、エラが数歩下がった。

「もう少し。そうです。そこまで」

ディケはうんうんと頷くと、男たちに向かって声をかけた。

「ルーベント管轄規則、第十二条第三項。赤い瞳の管轄区域における私的なトラブルの裁量権については、そちらの主張を認めます」

「ただ……」

「いま、エラさんが立っている場所はLAGの管轄区域です。ですので、こちらで預かりますね」

「ふざけんな!」

「お前が動かしただけだろ!」

男たちは口々に言うが、ディケはまったく動じない。

「苦情は書面でお願いします」

「それで、よろしいですか? サーシャさん」

そう言うと、ディケは男たちの影から見えるサーシャに声をかけた。

「好きにすれば……」

「良いんですか?」

男の一人がサーシャに聞き返した。
その直後、サーシャの刺すような目線が男に向けられる。

男はすぐに俯き、周りの男たちも頭を下げた。

――すごい。目線だけで、みんなを従えている。

私は、彼女がかなり上の立場の人間だということを理解した。

「ご機嫌よう」

サーシャはディケにそう言うと、背中を向けて歩き始めた。
男たちもそれに続く。

「ニコ!」

エラの声が、虚しく響いていた。



ディケから詳しく話を聞きたいと言われ、私たちは憲兵から教えられた“白カラス亭”に移動した。

宿屋は大きくはないが、しっかりとした作りで、看板には白いカラスが描かれている。

変な名前だが、この街を表しているようで、少し笑ってしまった。

今日の宿泊先が決まったところで、宿の食堂兼酒場で待つディケと合流した。

「まずはお名前を……」

「ヨルです。それと彼女はオト。あとは……」

「エラさんですね」

そう言いながら、椅子に腰掛けた三人を順番に目で追い、ディケはメモを取る。

「街に来た目的は?」

私が少し詰まる。
そこをすぐにオトが話し始めた。

「私は吟遊詩人です。彼女たちは地図を作るのが仕事です。気が合って三人で旅をしています」

スラスラと話すオト。
その隣では、まだ納得できない様子のエラが肘をついて、つまらなそうに聞いている。

「吟遊詩人に地図職人……珍しい組み合わせですが、わざわざルーベントを目的地にした理由はなんですか?」

上手く誤魔化せたと思ったが、この街に来た目的は答えていなかった。

オトは表情を変えず答える。

「観光です。それと、エラさんの故郷らしいので、里帰りも兼ねています」

「観光……ですか?」

メモを取っている手が一瞬止まる。
小さなメガネ越しにオトを見つめている。

「カメの上にある街なんて、歌の題材にぴったりじゃないですか」

オトの柔らかい声が、空気を軽くする。

「吟遊詩人との申告ですね。では、歌を聞かせてもらっても良いですか?」

唐突に言うディケに、オトは少し驚いた表情を浮かべた。
だが、『もちろん』と弾むように答えると、リュートを取り出し、奏ではじめた。

少し寂しげな音色。
昼間で客の少ない店内に、静かに流れた。
聞いたことのない曲だった。

〜♬
誰も知らない夜の果て
呼ばれるはずのない名を
胸の奥で ひとつだけ
こぼさぬように抱いていた

星も見えない檻の中
明日が来るかもわからずに
それでも消えずに残るもの
声にならない 小さな火
〜♬

一節を歌う。
透き通った歌声と、静かな音色が酒場を包む。
腕を組んで頷くディケは、歌が終わると拍手をした。

「素晴らしい! なんて、素敵な歌なんでしょうか」

絶賛するディケに、オトは小さくお辞儀を返す。

「"名もない夜の歌"って言います」

「疑って、すみませんでした。あなたはまさに歌姫です」

ディケの目がオトに釘付けになる。
オトは少し目線を外し、俯いた。

「取り乱して、すみませんでした。お二人が地図を書く職人なのも事実なのでしょう」

エラは呆れたようにディケを見る。
私は頷いた。

「では、これも何かの縁なので、一つ仕事を引き受けてくれませんか?」

ディケはメガネを指で上げて続ける。

「ルーベントには地図がないんです」

「まぁ、正確に言うと、毎日建物が増えたり減ったりして、しかも土台のギガントタートルの甲羅も動くもので、はっきり言ってお手上げ状態です」

建物が変わるのはわかるが、土台が動くのは驚いた。

「でも、さっきみたいな管轄区画を整理するには、正確な地図が必要です」

「細かな建物はいらないので、全体の区画がわかる地図を作成できませんか?」

ディケの話は理解できた。
案内地図ではなく、全体地図と、だいたいの区画割りが入った地図が欲しいようだ。

私はエラを見た。
ディケの話をつまらなそうに聞いているだけで、どこか上の空だ。

ディケは続ける。

「サーシャさんは、女帝と呼ばれる赤い瞳のトップです。今日みたいに街に現れるのは稀です」

私は妙に納得した。
彼女の態度と周りの態度が明らかに違ったのも、そのためだったようだ。

「そこで、地図を書く仕事なら、彼女の暮らす中央殻都へも出入り自由になります」

ディケは表情を変えず、淡々と喋る。
オトはその話を聞いて頷いた。

「なるほど。それなら、サーシャさんにも会えるかもしれませんね」

そう言うと、エラの顔を見て微笑んだ。
エラもやっと理解したように頷く。

「いいよ。地図を書くから、もう一度ニコに会わせて」

そう答えると、ディケも頷いた。

「詳しい話は明日にでも」

そう言うと、胸元から一枚の札を差し出した。
LAGの金の文字が刻まれた、金属で出来たプレートのような物。

「この札を門で見せれば、中央殻都に入れます。門に部下を遣しておくので、尋ねて来てください」

そう言うと、ディケは席を立ち、宿屋を後にした。
私たちは彼の後ろ姿を目で見送り、ようやくひと息ついた。

「まずは、この街の把握からだね」

そう言って立ち上がろうとする私を、オトが止める。

「まずは、食事からです」

奥から食事を運ぶ、店主の姿が見える。

――いつの間に?

いつもの事だが、今はこの食事がありがたく思えた。

少し張り詰めた空気を抜くにはちょうどいい。
そう思った私は、もう一度席に腰を戻した。


🔙第四十二話   第四十四話🔜



創作大賞2026 ファンタジー小説部門 投稿作

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