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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第二話 多分、だいたい、大丈夫


空から降ってきた彼女はエラと名乗った。
地図を書くのが仕事らしい。

とても正確な地図を書くが、何かがズレている。
彼女に近づいた分、ズレていく。

私はヨル。

まだ、エラのことは何もわからない。
でも、多分大丈夫。

この時はそう感じていた。

エラとヨル 第二話
【多分、だいたい、大丈夫】


私は森の中で、エラが見せてきた地図を見ていた。

「やっぱりズレている」

私が呟くと、エラは笑った。

「まあ、だいたい合ってれば大丈夫!」

ため息が出る。

「それより、上から見てたって何?」

私は上を見上げた。
森の木々が空を覆っている。

「上って言ったら、上だよ」

エラは空を見上げて、指差した。

木の切れ間から空が見える。
ゆっくりと雲が流れていた。

私はまた、ため息をつく。

「だから、どうやってそこにいたのよ!」

声が大きくなってしまった。

——気まずいな。

そんな気持ちはお構いなしに、エラは続けた。

「うーん。どうやってだろう?」

——わからないこと、なんてある?

そんな言葉が、脳裏を掠める。

「ヨルって理屈っぽいね?」

「はぁ?」

「だって、見えた内容より、見た場所を気にするし」

「当たり前でしょ?」

「多分、私がどう言っても、何で?って言いそう」

「何で?」

「ほら!」

私は慌てて、手で口を塞いだ。

——まただ。

この人と話すと、リズムが狂う。

エラと話すと、何かがズレていくように感じる。

——何で?

「それに……」

エラが言いかけたところで、表情が変わった。

草むらから影が飛び出して来る。

甲高い鳴き声が響いた。

私が気づくより早く、エラの腰から抜かれた刃物が、その影を切りつけていた。

目の前には、動かなくなった狼の姿がある。

「ヨル。話はあとで」

そう言うと、エラは腰からもう一本の刃物を抜いた。

見たことのない剣だ。
少し短いが、三日月状にカーブした刃先。

エラはその剣を両手で構え、軽く手首を回している。

ゆっくりと草むらが動いた。

一匹。
二匹。
三匹。

気づけば、狼の群れに囲まれていた。

「三匹か」

エラはそう言った。
けれど、草むらの揺れは、それだけでは終わっていないように見えた。

「ワンちゃん。お腹が空いたのかな」

エラはそう言うと、ニヤリと笑った。

じわじわと間合いを詰める狼。
私は護身用のナイフを抜いたまま、動けずにいた。

「さあ、おいで。お姉さんが相手してあげる」

そう言うと、エラは狼の群れに飛び込んだ。

狼の牙は、エラに届かない。

一匹が飛びかかる。
エラはひらりと躱し、そのまま刃を走らせた。

キャン、と短い鳴き声が森に響く。

次の狼が横から噛みつこうとする。
けれど、エラの体はもうそこになかった。

まるで踊るように刃物を揺らし、一匹、また一匹と斬りつける。

——踊ってる?

動きに無駄がない。
それなのに、どこか危なげにも見える。

エラに近づいた狼から、次々と倒れていく。

終わってみると、すべての狼は動かなくなっていた。

エラは刃先についた血をヒュンと振り払うと、腰に剣をしまう。

「びっくりしたね」

驚いたのは事実だったが、意味が違う。

——この人、ものすごく強い。

私は呆然としていた。

何もできず、ただ見ているしかなかった。
怖いはずなのに、それ以上に胸がざわつく。

——何で?

俯いて考えていた。

その時だった。
草むらから、もう一匹が飛び出して来た。

私の首筋に牙が迫る。

寸前のところで、エラの拳が狼を殴りつけた。

吹き飛ばされた狼は小さな鳴き声を上げ、森の奥へと姿を消した。

「あれ?もう一匹いた?」

「……」

口を開こうとするが、上手く言葉が出てこない。

「まあ、いっか」

エラはあっけらかんとしている。

「ありがとう。助かったわ」

私は素直に言った。

「何が?」

エラが不思議そうに返す。

「狼よ! 助けてくれたじゃない?」

「そっか。じゃ、何かお礼して」

エラが意地悪そうに笑う。

「お金はないわよ」

私は小さく呟いた。

その言葉に、エラが笑う。

「冗談だよ。あいつら、私も狙っていたし」

——なんなんだ、この人は。

助けられた。

それはわかっている。

でも、私の頭の中では、なぜかイライラが募っていた。

「お金以外なら、なんでもするわよ! 早く言いなさい」

私は素直になれなかった。

エラはニコリと笑う。

「なんでも……」

その言葉を口にしたエラの顔を見て、私は息を呑んだ。

「じゃあさ、地図を書くのを手伝って」

「えっ……」

「なぜかさ。私の地図、少しズレるの」

「少し?」

「だいたい大丈夫。たまにね」

「たまに?」

「だから、ズレたらヨルが教えて」

——何で?

今度は、口に出す前に止まった。

そう意識している自分が、少し可笑しく感じる。

「高いわよ」

そう言ってから、自分でも少し驚いた。
思ったより、軽い声が出た。

「何でよー」

エラは口を尖らせて返す。

「それと狼。最初から四匹いたわ」

「本当に?」

エラが疑いの目を向ける。

「どうだろ?」

少しやり返せて、嬉しくなっていた。

正確な数なんて覚えていない。

でも、もう少しなら、こんな会話を続けてもいいかもしれない。

「どっち?」

エラは困った顔をする。

「数もズレるの?」

「数はズレないよ」

「じゃあ、私のおかげだね」

「どこが?」

「私も覚えてないもの。でも、気になったでしょ?」

エラは、何か納得できない表情を浮かべた。

「じゃ、今度から数もズレたら教えて」

そう言うと、エラは私に背を向けて歩き出した。

私は少しだけ立ち止まった。

この人は危ない。
いい加減で、よくわからなくて、強くて、話していると調子が狂う。

それなのに。
この人には、私が気づけるものがある。

そんな気がした。

私は小さく息を吐き、その後をついて行くことにした。



森をしばらく進むと、開けた場所に出た。

小川が流れている。

エラは地図を取り出すと、何かを書き入れていた。

「何、書いてるの?」

「休める場所。水場があって、開けている」

「ここなら、多分、安全ね」

地図には、野営地と記されていた。

「多分って……」

確かに森の中に比べれば、安全かもしれない。
ただ、エラの曖昧な考えが引っかかる。

「ヨルはどう思う?」

私は突然、振られた言葉に詰まった。

辺りを見渡す。

小さな川。
木も少なく、開けている。
視界も悪くない。

でも……

風が少しだけ重かった。
それで、私は気づいた。

「何か臭わない?」

鼻をつく臭い。
私は近くを見渡した。

あった。

鹿の死骸だ。

「ああ、これはダメだね」

エラが書いていた地図を書き直す。

——水場あり。ただし獣の気配あり。
——休憩のみ。野営不可。

そう書き足すと、地図をしまって歩き出した。

「やっぱり、ヨルがいると助かるね」

「臭かっただけよ」

「臭いに気づくのも大事」

「あなたが気づかなさすぎるのよ」

「たまにね」

エラは笑った。

その笑顔を見て、私はまた少しだけ調子を狂わされた。

しばらくそんなことを繰り返し、私たちは森から抜け出した。

日が沈みかけようとしている。
少し離れた場所に、街の灯りが揺れていた。

「今日はここまで。あそこに泊まろう」

エラはそう言って、街に向かう。
私は、その背中を見つめた。

森を抜けた。

今日は、それだけのはずだった。
でも、たぶん違う。

私の知らない何かは、きっとここから始まる。

「多分、だいたい、大丈夫」

私はエラの言葉を思い出し、そう呟くと少し笑った。

——そう思わないと、進めなかった。

けれど、街の灯りを見た瞬間。

私はまだ知らなかった。

森を抜けた先の方が、ずっと厄介なのだと。


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