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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第三十六話 砂漠の薔薇

犯罪都市ルーベント。

フーの口から語られる話は、どれも信じがたいものばかりだった。

超古代種ギガントタートルの上に作られた、動く街。
街を影から支配する闇のギルド。

意味がわからない。

けれどフーは、冗談を言っているようには見えなかった。
そして何より、エラの故郷が確かに存在するらしいことだけは、はっきりした。


エラとヨル 第三十六話
【砂漠の薔薇】


私は薬屋フーの話を聞きながら、まるで御伽話みたいだと思っていた。

南の砂漠地帯を移動する、大きなカメの上に築かれた街。
生き物の上にある街で、しかもそれ自体が動いているから地図にも載らない。

そこに集まる人間は、みな脛に傷を持つ者ばかり。
誰も拒まないが、誰も助けてはくれない街――それがルーベントだと、フーは言った。

店を出たあと、その話を宿でエラたちに伝えると、エラは最初こそ首を傾げていた。
でも、少し考え込んでから、小さく言った。

『……でも、言われてみれば、よく揺れてた気もする』

そのひと言で、信じがたい話が少しだけ現実味を帯びた。

地面が揺れる街なんて、そんなもの街じゃない。
もはや生き物だ。

それでも、エラの故郷に繋がる手がかりがあるのなら、行かないという選択肢はなかった。

そんな場所を目指して、私たちは灼熱の砂漠へと続く道を進んだ。

砂漠に入ってから、景色はずっと同じようでいて、少しずつ違っていた。

足元の砂の色。
吹きつける風の熱さ。
乾いた空気に混じる、焼けた石の匂い。
そして遠くには、蜃気楼みたいに揺れる地平線。

見渡す限り何もないのに、何ひとつ同じではない。
そんな場所だった。

水場のある小さな街に着いた時、私は正直かなりほっとしていた。

砂色の壁でできた低い建物が並び、布の日除けが通りの上に渡されている。

井戸の周りには旅人や商人が集まり、ラクダによく似た獣がのんびりと座り込んでいた。

乾いた町なのに、人の気配があるだけで少し安心する。

「今日はここで情報を集めよう」

エラがそう言って、手を額にかざしながら辺りを見回す。

オトはというと、屋台の並ぶ通りを見た瞬間、すでに目を輝かせていた。

「情報も大事ですが、ごはんも大事です」

「オトはずっとそれだね……」

「旅は体力ですから」

いつもの調子に、少しだけ気が緩む。
でも、頭の片隅にはまだフーの言葉が残っていた。

――ルーベントは、動く街だ。
――行きたければ商会ギルド『砂漠の薔薇』を見つけろ。

信じがたい話だ。
地図を持っていても、少し不安になる。

「この街の酒場なら、旅人の話が集まるはずだよ」

エラはそう言ったが、たぶん少し酒も期待している。

「酒場ですか……」

オトが、ほんの少しだけ不安そうな顔をする。

「何その顔」

「前に酒場で大変なことがあった気がして……」

「それはだいたいどこでもあるんじゃない?」

エラは軽く笑って、先に立って歩き出した。

通りの奥。
日除け布のかかった大きめの建物の前で、足を止める。

入口の扉は半分開いていて、中からは笑い声と怒鳴り声、それに食器のぶつかる音が聞こえてきた。

いかにも酒場、という感じだった。

その時だった。

「うおおおっ!?」

中から男がひとり、ものすごい勢いで吹き飛ばされてきた。

私たちの目の前に転がり、砂煙を上げる。

「ちょっと値切っただけだろうが!」

男は顔を上げ、鼻血を垂らしたまま半泣きで叫んだ。

何か言いかけたが、酒場の中を振り返った瞬間、顔色を変え、そのまま逃げていった。

私はおそるおそる中を覗いた。

昼間だというのに薄暗い店内。
酒と汗と砂の匂いが混ざっている。
荒くれ者みたいな客たちが、妙に静かに道を空けていた。

その先に、ひとりの大柄の女がいた。

片目に黒い眼帯。
灰色の髪と褐色の肌。
砂漠なのに崩した、海賊みたいな格好。
片腕をカウンターに乗せ、つまらなそうにこちらを見ている。

立っているだけなのに、そこだけ空気が違った。

強い、というより。
あれはもう、場そのものを持っている感じだった。

「次は誰だい」

低い声が、店の奥までよく通る。

誰も動かない。
さっきまで騒いでいたはずの客たちまで、視線だけをこちらに向けていた。

女は、ゆっくりと片方の口元を上げた。

「なんだ。客かと思ったら、ずいぶん細いのが来たね」

その目が、まずエラを見て、
次にオトを見て、
最後に私のところで一瞬だけ止まる。

値踏みするみたいな視線だった。

でも、不思議と見下された感じはしなかった。
品物を見る目じゃない。
使えるかどうかを見ている目だった。

「酒か。情報か。用件を言いな」

エラが一歩前に出た。

「ルーベントに行きたい」

「……へえ」

女の片眉がわずかに上がる。

「で?」

「砂漠の薔薇を探してる」

その瞬間、店の空気が少しだけ変わった。

誰かが息をのむ音がした。
さっきまでこちらを面白がって見ていた客たちの顔が、急に真面目になる。

女は数秒、黙っていた。

それから、ゆっくり笑った。

「探してる、だってさ」

笑っているのに、その声には少しも油断がなかった。

「お探しの相手なら、目の前にいるよ――私が砂漠の薔薇、ローズだ」

そう言って、大きな体を揺らしながら笑う。

「じゃあ、教えてやったんだから、情報料でももらおうか?」

低く通る声が、酒場の空気を震わせた。

静寂が落ちる。
彼女の一言一言は、ただの言葉じゃない。
目の動き、手の動き、呼吸の間合いまで、全部が場の空気を支配している。

私は、その灰色の髪の奥からのぞく視線を前に、思わず固まった。

「いくら?」

そんな空気もお構いなしに、エラが言う。

ローズの周りにいた男たちが腰の剣に手をかけたが、それをローズが片手で制した。

「面白いね。紫の嬢ちゃん。あたしに交渉をするつもりかい」

口元はわずかに上がっているのに、目の鋭さは増していく。
まるで、私たち全員を値踏みしているみたいだった。

エラは、おどけたように言う。

「お酒なら奢れるよ」

私は思わずエラを見た。

――喧嘩売ってるの?

でも、エラはいつも通りだった。

「私はルーベントに行きたいだけ。行き方を教えてくれれば、勝手に行くから」

背中に冷たいものが走る。

目の前のローズという存在そのものが、本能的に危険だと告げていた。

腰のシルベが、ヒン、と小さく鳴る。
シルベも同じように感じているのだと、すぐにわかった。

「あはは!」

ローズが突然、声を上げて笑った。

「あんた、面白いね。私にそんな口をきけるのは、赤い瞳のクソ女くらいだよ」

誰のことを指したのかはわからない。
でも、ローズに軽口を言えるのは、よっぽど度胸がある人間か、エラみたいにズレた人間だけなんだろう。

私は妙に納得していた。

「店主! 店にある酒、全部持ってきな!」

ローズの怒声に、カウンターの奥で縮こまっていた店主が何度も頷く。

「あんたらの奢りだろ。この店の酒がなくなっても知らないよ」

カウンターにあった杯を一気に飲み干すと、ローズはニヤリと笑った。

私は無意識に腰の財布へ手をやる。

――無理だ。

いくらなんでも、この店の酒を全部買うなんてできない。

私の表情が強張ったのを見て、オトが言った。

「ローズさん。全部奢るとは言ってませんよ」

その一言に、ローズの視線が突き刺さる。

「なんだ。あんたらは酒を奢ると言った。それは、あたしら砂漠の薔薇と契約を交わしたってことだろ?」

「それを守らないって意味……わかってるかい?」

怒鳴るわけではない。
でも、明らかにさっきより空気が重くなる。

オトは、その空気をものともせず返した。

「わかりました。では、こうしましょう」

いつも通りの穏やかな声だった。

「あなたと私で飲み比べをして、負けた方の奢り、というのはどうですか?」

――オト、何を言ってるの?

私はオトを見る。
けれど、その表情は少しも変わらない。

「それは、あたしにとって何の得があるんだい?」

ローズが返す。

オトは肩をすくめて笑った。

「あなたは酒代が欲しい。私たちは街の情報が欲しい。でも、お互いの価値が噛み合っていない。商人なら、こういう時どうします?」

ローズは腕を組んだまま答えた。

「交渉……ってことかい?」

オトはうなずく。

「そうです。お互いが妥協できるところを探すんです。話し合いで」

「どちらかが音を上げるまでの話し合い、ねぇ」

ローズの口元が、ゆっくりつり上がる。

「面白い交渉になりそうだ」

そう言うと、ローズが手を上げた。
近くにいた男たちが、店の奥から大きな樽とジョッキを運び出し、乱暴にテーブルへ置く。
木の卓が、重みにぎしりと鳴った。

「相手はどいつだい?」

「私と酒を飲みながら交渉しようって奴は?」

「なんなら三人まとめてでもいいよ」

ローズは、私たちをひとりずつ眺めながら言う。

「私が言い出したことです。私が相手になります」

そう答えて、オトは波々と注がれた一杯目を、そのまま飲み干した。



🔙第三十五話   第三十七話🔜


創作大賞2026 ファンタジー小説部門 投稿作

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