イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第十五話 夜の番、消えた朝
結局、夜番は私の提案通りになった。
だから今、私はシーズと二人で暖炉の前にいる。
外ではまだ、吹雪の音が続いていた。

エラとヨル 第十五話
【夜の番、消えた朝】
シーズは黙ったまま、暖炉を見つめている。
パチン、と薪が弾けた。
「……」
気まずい。
少し離れた場所で横になっているエラを見る。
こんな状況でも呑気に寝ていられる彼女の逞しさが、少し羨ましかった。
「あの……どうして……」
言葉がうまく出てこない。
——女性だと思っていた相手が、男性だった。
それだけでも、まだ頭の中で整理しきれていない。
シーズは火を見つめたまま口を開く。
「人ってさ……与えられた情報で判断するだろ」
女性と聞き間違えそうな、やわらかい声だった。
「その方が、都合がいい時もあるんだ」
——都合がいい?
「騙すつもりはなかったんだ。ここに長居するつもりもなかったし……」
ゆっくりと話すその声は、強くないのに言い返しづらかった。
「警戒してるってことですか?」
「そうかもね。旅では何が起こるかわからないから」
そう言いながら、シーズはディアに視線を向けた。
「彼女は嫌みたいだけどね」
小さく笑う。
「どこに向かっているんですか?」
私は言葉を選んで聞いた。
「……気になる?」
——質問を、質問で返す。
この話し方は苦手だ。
エラみたいにわかりやすい相手と一緒にいると、こういう感覚を忘れそうになる。
「探し物があってね」
シーズの声は、どこまでもやさしく聞こえた。
「ごめんなさい。余計なことを聞きました」
そう言って、私は薪を取るために立ち上がった。
その瞬間、視界がふっと揺れた。
——目眩?
反射的に、私は頭を押さえた。
足元が少しふらつく。
おかしい。
さっきまで、こんな感覚はなかった。
「大丈夫?」
シーズの声が、すぐ近くで聞こえた。
その優しい声が、今は妙に遠く感じる。
次第に意識が遠のいていく。
ぼやける視界の中で、微かに光るシーズの手が私の前で揺れた。
——青い、光。
眠気とは違う何かが、意識の奥に沈んでくる。
「……見つけた」
その言葉を最後に、私は意識を失った。
*
「起きて!!」
オトの声だ。
誰かに強く揺さぶられている。
「……ッ!」
頭に鈍い痛みが残っていた。
目を開けると、オトが不安そうな顔で私を覗き込んでいる。
「みんないないの!」
部屋を見渡す。
いつもなら、先に目に入るはずの場所にエラがいなかった。
——エラがいない。
そこでようやく、その事実が胸に落ちてきて、心臓が大きく跳ねた。
あわてて周囲を見る。
オト以外の姿はない。
窓の外では雪が止み、朝日が差し込んでいた。
「どういうこと?」
私は頭を押さえながら問い返す。
「わからないの。私も気づいたら眠ってて……目が覚めたときには、ヨルさんしかいなかったの!」
オトも混乱しているようだった。
ディアたちがいた場所を見る。
荷物も、外套も消えている。
そして——
「……エラの荷物もない」
私は立ち上がって、あたりを見渡した。
暖炉には炭が燻っている。
火が消えてから、それほど時間は経っていない。
昨夜、たしかにこの火の前に座っていた。
吹雪の音を聞きながら、ここにいれば朝までは大丈夫だと、少しだけ思っていた。
なのに今は、その暖かさの名残ごと、何かが気味悪く感じた。
室内には争った形跡もない。
少なくとも、エラの強さを私は知っている。
押し入りや盗賊が来たとしても、簡単にやられるはずがない。
なのに、いない。
ディアたちが先に出ていっただけなら、まだわかる。
でも、エラまでいない理由がわからなかった。
次第に意識がはっきりしてくる。
昨夜の記憶。
シーズと一緒に夜番をしていたこと。
急に襲ってきた眠気。
そこまでは繋がる。
——そのあと、何があった?
思い出そうとした瞬間、鈍い痛みが頭の奥を走った。
記憶の先だけが、そこで途切れる。
「私たちの荷物はありますね」
オトは部屋の隅に置かれた荷物を確認して、そう呟いた。
「ごめんなさい。昨夜の記憶があまりないです」
霧の中を彷徨うような感覚だった。
「実は私も同じなの」
オトは不安そうに眉を寄せる。
「ヨルさんがシーズさんと話していたところまでは覚えているのに、その先が曖昧で……」
——同じだ。
私だけじゃない。
あの夜、何かがおかしかった。
「外を見たんですけど、足跡がわからなくて」
「でも、少し変なんです」
オトの目線が泳ぐ。
「この部屋、ミニアの流れが少しおかしい気がするんです。うまく言えないけど……」
私も思い出す。
そうだ。シーズが薪を焚べていた。
私は暖炉を見渡した。
なんの変哲もない薪と炭。
でも、何か違和感がある。
顔を近づけると、甘い匂いが漂っていた。
——何かが、一緒に燃やされた?
急に胸がざわつく。
オトが私の隣で、驚いた表情を浮かべ呟く。
「この匂い……まさか、フルーレ草?」
「フルーレ草?」
私は思わず聞き返す。
「フルーレ草。別名、眠り草」
「鎮静作用があるんだけど、こんなに匂いが残るってことは、かなり濃い薬品みたい」
私はオトを見つめた。
口元をハンカチで押さえたまま、オトが続ける。
「昔ね、悪い人たちが使ってたのよ。お香みたいに焚いて、相手を眠らせてから物を盗るの」
「私も昔、危ない目にあったの」
「女の一人旅ってね、想像以上に怖いのよ…」
オトが深刻な表情を浮かべる。
「でも、変ね。この小屋で焚いたなら、みんな同じように眠るはずなのに……」
確かにそうだ。
密室の中でこんなに強い匂いがしたなら、誰かが気づくはずだ。
——でも。
シーズの記憶が蘇る。
手元が光る瞬間。
あの青い光。
原理はわからない。
けれど、あれがただの眠気じゃなかったことだけは、もうわかる。
暖炉の甘い匂いが、まだ部屋の奥に残っている。
さっきまで、ここにいたはずなのに。
「エラ。どこ…?」

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