イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第十六話 夢の中の同行者
——なんだか、頭の中に薄い霧がかかっているみたいだった。
歩いているはずなのに、足だけが少し遅れてついてくる。
雪を踏む音もしている。
ちゃんと、自分の足で歩いているはずなのに。
どこか、自分じゃないみたいだった。

エラとヨル? 第十六話
【夢の中の同行者】
「あれ? 私、なんでここにいるんだっけ?」
そう口にすると、前を歩いていたヨルが少しだけ顔を向けた。
「地図作るため」
短い返事だった。
——そうだ。山の地図を作るんだ。
その答えは、ちゃんと知っていた気がする。
なのに、今思い出したみたいに胸の中へ落ちてきた。
「オト?」
ヨルの隣を歩く、ピンク色の髪の女の子が目に入る。
白い景色の中で、その色だけが妙にはっきりして見えた。
「エラ。なに?」
オトが短く答える。
——歌が上手い、山小屋で会った人。
「何でも……ない」
口にしてから、自分でも少し変だと思った。
他にも、誰かいたような気がする。
すぐそこまで出かかっているのに、思い出せない。
名前も、顔も、何か大事なことも。
雪道を歩く。
前を行くヨルとオトの背中は見えているのに、少し遠い。
追いつけそうで、追いつけない。
自分の足で進んでいるのに、足裏の感覚だけが薄かった。
風はない。
でも、耳の奥ではずっと何かが鳴っている。
雪の音じゃない。
歌にも似ている気がするのに、思い出そうとすると、すぐに遠くなる。
「ねえ、ヨル」
私が呼ぶと、今度はヨルがちゃんと振り返った。
「なに?」
「私たち……どこまで行くんだっけ?」
ヨルは少しだけ黙った。
「山の上」
その答えも、おかしくはない。
おかしくはないはずなのに、胸の奥が妙にざわついた。
山の上に、何があるんだっけ。
地図を作る。
それは分かる。
でも、それだけじゃなかった気がする。
何かを探していたような。
誰かに会いに行くような。
それとも——誰かから逃げていたような。
考えた瞬間、頭の奥が痛くなった。
「っ……」
足が少し止まる。
すると、前を歩いていたオトが振り返って、首を傾げた。
「エラ、どうしたの?」
やさしい声だった。
でも、その声もどこか薄い膜を隔てて聞こえる。
「……なんでもない」
そう答えて、また歩き出す。
言いたいことはたくさんあるはずなのに、口にしようとすると、どれも形にならなかった。
白い道が続いている。
空も白い。
山も白い。
なのに、前を歩く二人の背中だけが、そこに貼りついたみたいにはっきり見えた。
「ねえ」
今度は、オトがこちらを見ないまま言った。
「エラは、ちゃんとついてきてる?」
その言い方に、少しだけ足元が冷たくなる。
「え?」
「ううん。なんでもない」
オトの声が低く響いた。
その声は、知っている気がした。
でも、どこで聞いたのかが思い出せない。
ヨルは何も言わない。
ただ前を見たまま、一定の速さで歩いている。
その背中を見ているうちに、急に怖くなった。
——もし今、二人が振り返らなかったらどうしよう。
そんなことを思った理由は、自分でも分からない。
分からないのに、その考えだけが、妙にはっきりしていた。
「ヨル」
思わず、少し強い声が出た。
ヨルが立ち止まる。
ゆっくり振り返った顔を見た瞬間、私は息を止めた。
見慣れているはずの顔だった。
ずっと隣にいた顔のはずだった。
それなのに——
ほんの一瞬だけ、誰だか分からなかった。
「……エラ?」
ヨルの声で、少しだけ現実に引き戻される。
私は慌てて首を振った。
「な、なんでもない」
自分でも変な声だった。
ヨルはそれ以上何も言わず、また前を向いて歩き出す。
オトも、何事もなかったみたいについていく。
その背中を見ながら、私は無理やり息を吐いた。
落ち着け。
大丈夫。
たぶん、ちょっと変な夢みたいなだけだ。
そう思ったところで、ふと別のことが浮かぶ。
「……オト」
「なに?」
「クッキーは?」
オトが振り返りもせず答える。
「なくなったでしょ」
——そうだ。あの危険なクッキーは消えたんだ。
少しだけ安心して、でもすぐにまた引っかかる。
だったら、なんで私はこんなに落ち着かないんだろう。
二人は黙ったまま歩いている。
雪を踏む音だけが、どこまでも続いていた。
ふいに、ヨルが立ち止まる。
視線の先には、木に結ばれた布があった。
白い布に、金色の刺繍。
——ドラゴン?
風もないのに、その布だけがゆっくり揺れていた。
「それ、何?」
私が声をかけても、ヨルは答えない。
「なんか、変だよ?」
それでも、返事はない。
「ヨル。怒ってる?」
ヨルが黙る時は、怒っている時だ。
私は何かしたか思い出してみた。
——こっそりヨルのパンを食べたこと。
——地図の材料用のお金で、お酒を買ったこと。
ダメだ。思い当たることだらけだ。
私は頭を抱えた。
「怒ってない」
ヨルは短く返す。
——それ、怒ってる時に言うセリフじゃん。
なのに——
次の瞬間、ヨルは少しだけ笑っていた。
私は目を瞬いた。
怒ってないの?
じゃあ、なんでこんなに怖いの?
少しだけ、胸がざわつく。
ヨルがオトに何かを言う。
私に聞こえないように、耳元で小さく囁いている。
——なんで、私に言わないの?
その小さな置いていかれ方が、妙に寂しかった。
オトが振り返って言う。
「少し休みましょう」
開けた場所に腰を下ろす。
私も鞄に手を伸ばし、地図を取り出そうとした。
でも、それをヨルが止めた。
「だめ」
思ったより強い声に、私は手を止める。
——なんで?
「すぐ移動するから」
ヨルの表情が、少し曇って見えた。
「地図、書かなきゃ」
ヨルは首を振る。
「ここは、書かなくていい」
「……」
何か、嫌な感じがした。
ここにいてはいけないような。
でも、忘れたらもっとまずいような。
その時、ヨルの手元から、少しだけ光が漏れる。
淡い青い光。
その光を見た瞬間、頭の中がふわっと揺れた。
——あれ? なに考えてたっけ?
さっきまで確かにあった引っかかりが、霧に溶けるみたいにぼやけていく。
——風邪でも引いたかな?
私は自分のおでこに手を当てた。
冷たい。熱はないみたいだ。
「行くよ」
ヨルが荷物を持って立ち上がる。
私も慌てて立ち上がった。
オトが、黙ってこちらを見ている。
——オトも怒ってる?
わからない。
ただ、居心地の悪さだけが残った。
私は、黙って歩く二人の背中を追いかけることしかできなかった。
「ヨル〜、待って〜」
そう声をかけても、ヨルは振り返らない。
やっぱり、怒ってるのかな。
あとで、ちゃんと謝ろう。
その時だった。
前を歩いていたヨルの姿が、ふっと消えた。
私は足を止める。
さっきまで、確かにそこにいた。
白い道の上に、あの背中が見えていたはずなのに。
「ヨル……?」
慌ててあたりを見渡す。
白い。
どこを見ても、白い。
「ヨル。どこ…?」

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