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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第三十三話 私の番、一緒に歌うために


私がシルベを抜いた時には、もう遅かった。

目の前では、エラが無邪気に笑いながら、最後の一体を沈めていた。

綺麗だった。
だからこそ、何もできなかった自分が、余計に苦しかった。


エラとヨル 第三十三話
【私の番、一緒に歌うために】


街道はしばらく平和だったが、進むにつれて空気が変わっていった。

少し離れた小高い丘の上から、異形の叫び声が響く。

それに応えるように、犬のような頭をした人型のモンスターたちが姿を現した。

――コボルトだ。

山の岩穴に住み着くモンスター。
子どもより少し大きい程度だが、知能があり、武器も使う。
集団でヒューマンを襲う、厄介な相手だ。

恐らく、私たちが来るのに気づいて隠れていたのだろう。
赤く光る瞳が、こちらを睨んでいる。

一つ。
二つ。
三つ。

次々と姿を現すコボルトたちを見た瞬間、私が腰のシルベに手をかけるより早く、エラは飛び出していた。

「クロ。シロ。お待たせしました」

そう声をかけ、二振りを鞘から抜く。

黒い組紐と白い組紐が、宙を舞った。

次の瞬間には、もう一体が倒れている。

悲鳴にもならない声を上げ、地に伏す影。
ヒュン、と空気を裂く音。

コボルトたちが剣を振るうより早く、エラはその間をすり抜ける。
首筋を裂き、懐に入り、次の一体を沈めていく。

音楽があるわけではない。

それでも、その動きは剣舞のように美しい。

私がシルベを手に駆け寄った時には、もう決着はついていた。

コボルトたちはみな、地に伏している。

「ヨル! 見てた!」

エラが無邪気に笑う。

「クロもシロもすごいよ! 軽いのに、よく斬れる!」

戦いの興奮よりも、新しい武器の使い心地に満足しているようだった。

「早いよ、エラ」

「ごめん、ごめん。クロたちが止まらなくて」

ビュン、と刃先についた血を払うと、エラは二振りの曲剣を腰にしまった。

「……」

私は言葉が出なかった。

エラが倒してくれたことは、素直に嬉しい。
彼女の実力なら、何の問題もない戦いだ。

でも――

ヒン、と小さな音がシルベから聞こえる。

私は手にしたシルベを見つめたまま、顔を上げられなかった。

シルベが使えなかったことが悔しいわけじゃない。
何もできなかった自分が、少し嫌だった。

――ごめんね、シルベ。

心の中で、そんなふうに謝っている自分。

「ヨルさん。エラさんだって、悪気があったわけじゃ……」

何かを察したオトが、そっと声をかける。

「そうじゃないんだ……」

これまでは、エラが戦うことも、強いことも、あまり気にしていなかった。
私自身が、生き残ることに必死だったから。

でも、今は違う。

雪山のことを思い出す。
エラが消えた時、最初に訪れたのは戦いへの恐怖だった。

――また、エラに頼るの?

私は拳を握りしめ、俯いた。

その姿を見て、エラが心配そうな顔をする。

「ヨル。嫌だった?」

「……」

「シルベ、使いたかった?」

「……」

優しい問いかけなのに、うまく答えられない。

「今度はヨルの分も残しておくから」

――そうじゃない。

声にならない私の代わりに、オトが口を開いた。

「違うんです。ヨルさんは、一緒に戦いたかったんだと思います」

「一人で歌うんじゃなくて、一緒に歌いたかったんです」

「そっか……」

エラは、ようやく何かを理解したらしい。

「でも、ヨルは少し音痴――」

「エラさん!!」

言いかけたところを、オトが慌てて遮る。
エラは、はっとして口を押さえた。

わかっている。
私はエラやオトに比べて弱い。
しかも、音痴だ。

でも、その言い方がおかしくて、少しだけ口元が緩んだ。

「エラ。ちゃんと戦い方……教えてくれる?」

やっと答えが見つかった。

できないことを悔しがるんじゃなくて、できるようになる。
それが、今の私の答えだった。

エラはにこりと笑う。

「いいよ! ヨルを最強にしてあげる!」

大袈裟な言い方だったけれど、私は少しだけ前に進めた気がした。



その日から、旅の途中で剣の振り方や体の動かし方を覚えた。

けれど、エラの説明は雑だ。

「ズバッと斬ったら、次はバンッと踏み込んで……」

わからない。
感覚に近い言葉ばかりだ。

「ヨルさん。エラさんが言っているのは、距離の取り方です」

オトの解説がなければ、多分喧嘩になっていたと思う。

野営の空いた時間に、エラには実戦形式の動きを。
オトには理論や体さばきを教わった。

けれど、昼の稽古では何度やっても、うまくいかなかった。

見えているはずなのに、間に合わない。
わかっているつもりでも、体がついてこない。

エラは「そこ!」と言うけれど、その“そこ”が私にはまだ遠く感じる。

報酬は晩ご飯のお肉を多めにすることで、どうにか折り合いがついた。

星空の下。
私の振るシルベの音と、エラたちの笑い声が響いていた。

そんな日々が何日か続いたころ、その日は私が夜警をする番。

焚き火のパチンという音。
虫の声と、緩やかな風の音が夜空に溶けていく。

すぐ近くには、毛布に包まって寝息を立てるオト。
大の字で眠るエラの姿もあった。

今日の野営は、少し水場が遠い。
辺りの穏やかな様子に、私の気も緩んでいたのかもしれない。

明日の朝用の水を汲むため、私は一人で小川まで来ていた。
野営地から少し離れた林沿いを、水が静かに流れている。

チャプン、と水の音が鳴る。

ランプを近くに置き、水袋に水を溜めていた、その時だった。

ゴソ……

近くの茂みから音がする。

私は咄嗟にシルベを抜き、音のした方へ振り返った。

パキッ、と枝を踏む音。

目を凝らすと、茂みの奥から黒い影が姿を現す。

――ダイヤウルフ!?

オオカミより少し大きなモンスター。
赤く光る目を見て、直感でわかった。

群れで動くはずの相手だが、今は一匹だけ。
はぐれたのか、それとも先に様子を見に来たのか。

――逃げる?

ダメだ。足の速さじゃ逃げきれない。

――エラたちは……

野営地からは少し離れている。
声を上げても、届かないかもしれない。

私が迷っているうちに、ダイヤウルフはじわじわと間合いを詰めてくる。

――やるしかないよね。

決心した私の心に応えるように、シルベから熱を感じた。

剣先を向けて構える。

相手もやる気だ。
口元から牙を見せ、低く威嚇している。

次の瞬間――

先に動いたのは、ダイヤウルフだった。

一足で間合いを詰め、正面から私に牙を剥く。

私は反射的に横へ飛んだ。

ザッ、と土を蹴る音。
鼻先をかすめる風。

そのまま体勢を立て直し、シルベを突き出す。

ヒュン。

浅い。
でも、刺さった。

すぐに剣を引き抜き、距離を取る。

ダイヤウルフが低く唸る。
次は横から来る――

そう思った瞬間には、もう体が動いていた。

振り下ろされる前足。
それを、私はシルベで受けていた。

――え……

見えた、というより。
先にそこへ動いていた。

暗いはずの林の中で、相手の動きだけが不自然なくらい、はっきりしている。

昼の稽古では、こんなふうには見えなかった。

ランプの明かりが届かない、その闇の奥のほうが、なぜか輪郭が浮かぶ。

牙を向ける前の肩の沈み。
飛びかかる前の足の張り。
その先が、ほんの少しだけ浮かび上がるようにわかる。

シルベが熱い。

私の手の中で、小さく震えている。

まるで夜そのものが、シルベを通して私に何かを教えているみたいだった。

ダイヤウルフが後ろへ跳んだ。

追う。

相手が身をひねる。
その先に、私の剣先が吸い込まれる。

キャン、と鳴いた。

深く入った。

剣を抜くと血が散る。
次に来る爪を、今度は考えるより先に避けていた。

まるでシルベが、私の足を引いてくれるみたいだった。

怖いはずなのに、不思議と体は静かだった。

一歩。半歩。

踏み込み、止まり、突く。

押されるはずだった戦いが、少しずつ噛み合っていく。

無数の刺し傷を受け、息も絶え絶えになったダイヤウルフが横たわっている。

私は止めを刺し、シルベを抜いた。

夜が、急に静かになる。

荒い息のまま、私は自分の手を見つめていた。

――できた。

何が起きたのかは、まだよくわからない。

でも、確かに私は一人で戦って、倒したのだ。



翌朝。

静かな野営地に朝日が差し込む。

目をこすりながら、オトが体を起こした。

「ヨルさん。おはよ……」

「どうしたんですか!?」

オトは私の姿を見るなり、声を上げた。
返り血が顔についたままだったらしい。

その声につられて、エラも起きる。

「ヨル。何があったの?」

エラの表情は真剣だった。
オトも不安そうにこちらを見ている。

「ダイヤウルフに襲われて……倒した」

「えっ? 一人で?」

オトが目を丸くする。

「怪我は?」

私は短く首を振る。

「やるじゃん!」

エラは嬉しそうに声を上げた。

「ヨル、夜だとすごいんだね」

意味はまだ、よくわからない。
でも、エラは自分のことのように喜んでいる。

私は朝日に照らされたシルベを、そっと見下ろした。

昨夜あれほど熱を持っていた刃は、今はただ静かに光っているだけだった。

あの時見えていたものも、もう見えない。

「疲れた……」

そう言った瞬間、張っていたものが切れたみたいに、私はその場に崩れ込んだ。


🔙第三十二話   第三十四話🔜


note創作大賞2026ファンタジー小説部門 投稿作

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