イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第三十四話 ミーツタウン
「あそこは危険です」
真剣な表情を浮かべ、オトが言う。
私はまだこの時、彼女の言葉の意味を理解していなかった。

エラとヨル 第三十四話
【ミーツタウン】
エラの故郷ルーベントを目指す旅は、まだ続いていた。
地図にのらない街。
エラが育った街。
長年旅をしてきたオトも、初めて聞いたと言っていた。
その場所を知っているのは、エラだけだ。
ただ、エラ自身の記憶も曖昧だった。
故郷を出てから、かなり経つらしい。
「南の方……」
エラの口から出たのは、大雑把すぎる情報だった。
けれど、シーズからも正確な位置はわからないと聞かされていた私たちは、エラの記憶を頼りに、南へ向かう街道を進んでいた。
「そろそろ街に寄らないと厳しそう」
私が鞄の中身を見ながら言う。
「そうですね。野営ばかりだと疲れも溜まりますし、一度街に寄りましょうか」
オトも賛成する。
エラは手に持った地図を指差して言った。
「なら、ここにしようよ!」
地図には、ちょうどいくつかの街道と川が交差する街が書かれていた。
「ミーツタウン?」
私がその名前を口にすると、オトの表情が一瞬曇る。
「ミーツタウン……ですか……」
何か事情があるのか、歯切れが悪い。
「オト。悪いところ?」
エラは呑気に聞いた。
「悪い……うーん……悪くはないんです」
「ただ、危険です」
「危険?」
私はその言葉に引っかかった。
「危険でもないんです。でも、ある意味危険です」
「何それ?」
エラは笑いながら、むしろ興味を示している。
「行けばわかります」
そう言うと、なぜかオトは目線を下げた。
「別の街にする?」
私がそう言うと、エラは首を振る。
「ここに寄らないと、だいぶ先まで大きな街はないよ」
私はひと息吐いて、決めた。
「じゃあ、ミーツタウンしかないわね」
そう言うと、それぞれが頷き、また歩き出した。
しばらく街道を進み、小高い丘を越えたところで、遠くに街が見えた。
「ヨル、街だ!」
エラの声が弾む。
私はようやく見えてきた街の姿に、安堵の息を漏らした。
ふと、オトが私に視線を向ける。
「先に言っておきます。ヨルさんだけが頼りです」
「どういう意味?」
私が聞いても、オトは答えない。
でも、その腹を括ったような態度だけは伝わってきた。
街の大きな門に近づく。
街道が繋がる大門には無数の馬車。
門まで続く道には屋台がずらりと並び、客引きの声が飛び交っていた。
「賑やかな街だね!」
エラの目が輝く。
街道沿いの屋台から顔を出した若者が、私たちに声をかけてきた。
「お嬢さん方、この街は初めてかい?」
「そうだよ!」
エラが無邪気に答える。
「なら、教えてやるよ」
「ここは大陸の食が集まる街だ!」
「ミーツタウンって名前だけど、みんなからは“暴食都市ミートタウン”って呼ばれてる!」
「肉の街!!」
エラが前のめりになる。
「そう! 世界中の貴重な食事、香辛料、果物、野菜、何でも揃う!」
「そして……一番の名物はこれ!」
そう言うと、若者は串に刺さった肉を取り出した。
甘い香りと炭の匂いが漂い、食欲を誘う。
「ミーツ特製、牛の串焼き!!」
エラは今にもよだれを垂らしそうな顔をしている。
手を伸ばし、受け取る――その前に、串が消えた。
振り向くと、オトがもう肉を食べていた。
「ヨルさん。あとは、任せました」
そう言い残して走り出すオト。
「オト、ずるい!」
その後を慌てて追いかけるエラ。
私は二人の背中を見て、頭を抱えた。
――確かに、ここは危険だ。
あっという間に姿を消す二人。
私も後を追う。というより、進むたびに二人が食べたものの支払いで声をかけられた。
「どんだけ食べるのよ……」
私の財布は、みるみる軽くなっていく。
旅でかかる支払いは、私が管理している。
宿代、食事代、必要な装備品。
そう決めてはいたけれど、食事代だけは別にするべきではないかと、本気で考え始めていた。
街の大門は開放されていて、出入りは自由らしい。
道行く人々もさまざまで、商人や農夫、旅人や冒険者が絶えず行き交っている。
立ち並ぶ屋台の客引きはどこも熱心で、数歩ごとに足が止まる。
門を抜けた先の大広場で、ようやく二人を見つけた。
袋いっぱいに食べ物を詰め、満足げなオト。
どこで手に入れたのか、骨付きの大きな肉にかぶりつくエラ。
――食事の時は、待つんじゃなかったの?
ふと、旅の中でいつの間にか守られていたルールを思い出す。
遠くから手を振るオトの姿を、私は呆れたように眺めていた。
「あなたたち! 食べ過ぎよ!」
私が怒っても、二人は悪びれもしない。
「大丈夫。ヨルの分もあるから!」
エラが袋の中から串焼きを取り出す。
いい匂いが漂った。
「ほら!」
半ば無理やり握らされる。
腹は立っていたけれど、その匂いに負けて、一口かじる。
――!?
美味しい。
肉の中から、じゅわっと肉汁が滲み出る。
炭の香りが肉の臭みを消していて、噛むたびに旨みが広がった。
食べやすいように一口サイズに切られた肉はどれも柔らかく、今まで食べたどの肉よりも美味しく感じた。
「美味しいでしょ?」
エラの言葉に、私は素直に頷けなかった。
「美味しいけど、お金はどうするの?」
「それなら、任せてください!」
そう言うと、袋を置いたオトが立ち上がる。
リュートを軽く鳴らし、ひと息。
テンポの良い音楽が広場に響いた。
近くを歩いていた人たちが、次々に足を止める。
「私は旅の吟遊詩人オト。今日、ひとときの歌の時間をお楽しみください」
そう言って、オトは歌い出した。
リズムに乗る歌声が広場に広がる。
美しくて、愉快で、思わず踊り出したくなるような声。
みるみるうちに、人だかりができていった。
オトのそばで座っていたエラは、手についたタレをぺろりと舐めると立ち上がる。
そのままオトに並び、一緒に歌い始めた。
二人の声が重なると、独特のリズムが生まれる。
気づけば、ついに踊り出す人まで現れていた。
一曲が終わると、拍手と口笛が一斉に響く。
オトは用意していた小さな袋を前に差し出す。
すると、集まった人たちが次々と銅貨を入れ始めた。
――これが、オトの歌。
私は圧倒されながら、その景色を眺めていた。
何度かのアンコールを挟んで、ようやく街はいつもの賑わいを取り戻した。
額の汗を拭ったオトが、銅貨でぱんぱんになった袋を私に差し出す。
「わかりましたか? ここの街の危なさを」
私は苦笑いを浮かべた。
「美味しいものがたくさんあって、歌を聞いてもらえる」
「ここは人をダメにする街です」
オトが真顔で言う。
「それって、オトさんをダメにする街なんじゃ……」
私が言いかける前に、エラが遮った。
「オト! あれ!」
エラが指差した先には、甘い匂いのする屋台があった。
「クレープですね」
オトが不敵に笑う。
「クレープ?」
エラが目を輝かせる。
「悪魔の食べ物です」
そう言うと、オトは足早に屋台へ向かい、注文すると、受け取った品を持って戻ってきた。
手にあるのは、たくさんの果物と白いクリーム、そして赤いシロップがかかったお菓子。
それを一口頬張ると、オトは頬に手を当てた。
「堕落の味です」
言っていることと表情が、まったく合っていない。
エラも横から一口かじる。
「何これ! 甘い! 美味しい!」
オトはにこにこしながら、私にもそれを差し出した。
「さぁ、ヨルさんも、こちらにいらっしゃい」
まさに悪魔の囁きだった。
――でも、気になる。
私も一口頬張る。
――あぁ、ダメだ。
心を掴まれた。
気づけば私は、エラと一緒にクレープ屋台の前に並んでいた。
*
日が暮れかけたころ、私たちは街の宿屋を探して泊まることにした。
案内された部屋に入るなり、私はベッドに倒れ込む。
お腹はぱんぱんだ。
財布は少し軽くなった。
でも、今日くらいはいい。
私は何度も、そう自分に言い聞かせていた。
この街は本当に危険だった。
――他人事みたいに言えないくらいには。

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