イブ物語|判断寓話|エラとヨル|旅立ちの日
この話は「判断」をテーマにした
短編シリーズの一編です。
シリーズを知らなくても、
この話だけで読めます。

【旅立ちの日】
朝の空気は、少しだけ冷たかった。
私は鞄の紐を引き、
もう一度きつく結び直した。
鞄の中には、二日分の食事。
革の水筒と、小さなナイフ。
それから、着替え。
それだけだ。
村の門の向こうには、
細い道が森の方へ続いている。
私は一度だけ振り返った。
誰もいない。
見送りの人も、
声をかけてくれる人もいない。
でも、足は止まらなかった。
ーー
今日は私の旅立ちの日。
村の決まりで、子供は十二歳になると親から自立する。
私もちょうど十二歳になった。
ただ、周りと違うのは、私には家族と呼べる人がいなかったこと。
幼いころに亡くなったと聞いている。
事情は知らない。
正確には、思い出せない。
私を引き取ったのは村長だった。
幼い記憶の中に残っているのは、大きな手。
そして、優しく声をかけてくれたこと。
村長の家には子供がいなかった。
あとから聞いて知ったが、同じ時期に子供を亡くしていたらしい。
奥さんは良い人だった。
私を家族として迎え入れてくれた。
ただ、その目に映っていたのは、
私ではなく、違う誰かだった…
それは、私の思い込みだったのかもしれない。
でも、ふとした瞬間。
私を見る目が、少しだけ違って見えた。
それに不満があったわけじゃない。
寝る場所。
着る服。
食べるもの。
すべて用意してくれた。
ただ、会話の端にふと訪れる沈黙。
その沈黙が、誰に向けられているのかだけは、わかっていた。
だから私は、ちゃんと子供でいようと思った。
わがままを言わない。
言いつけは守る。
当たり前のことかもしれない。
それでも、私は怖かった。
子供の私にできることは、
素直に言われたことを守ること。
手のかからない子供を演じることだった。
わかっている。
わかっている。
誰のせいでもない。
私は恵まれている。
わかっている。
わかっている。
でも、わからない。
私は、本当はどうしたいのか。
そんな私にも、その日が来た。
旅立ちの日だ。
義父は、どうしたいかを聞いてくれた。
義母は、好きにしたらいいと言ってくれた。
私は、言葉を見つけられなかった。
ーーあなたたちは、どうして欲しいの?
本当は決めて欲しかった。
今までみたいに。
でも、私が決めていいと言う。
わからない。
わからない。
自分で決めてこなかった。
やりたいことなんて、考えたこともなかった。
わからない。
わからない。
それでも、わかっていた。
これが、最初の決断だということだけは。
私は言った。
「家を出ます。
旅をして、自分のやりたいことを探します」
体が震えた。
怖かったからじゃない。
初めて、自分で決めたから。
義父は黙って頷いた。
義母は、少し寂しそうに微笑んだ。
旅立つ日。
渡された荷物を受け取った。
旅に必要なものを入れてくれた鞄。
わずかだけれど、お金も持たせてくれた。
私は頭を下げた。
「ありがとうございました」
そう言って、家を出た。
私は一歩を踏み出した。
故郷を背にして。
ふと、ポケットに挟まっていた小さな手紙に気づいた。
宛名は、私。
静かに開き、読み始めた。
ーー
これまで、そばにいてくれてありがとう。
ーー義父の字だった。
体だけは気をつけて。
たまにでいいから、顔を見せて。
ーー義母の字だった。
あなたは、私たちの大切な娘。
それだけは忘れないで。
ーー
涙が止まらなかった。
悲しいわけじゃない。
嬉しいわけでもない。
ただ、想いがあふれていた。
私は遠くに見える故郷へ向かって、もう一度頭を下げた。
それが、私の旅立ちの日。
そして——
帰る場所を知った、最初の日。
旅の理由は、まだ見つからない。
でも、帰る場所は知っている。

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