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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第五十話 ルーベント亀祭り・十二使徒の影


祭りは続いていた。

さっきまではそう感じていた。

でも、今は全く違う場所にいる。


エラとヨル 第五十話
【ルーベント亀祭り・十二使徒の影】
【後夜祭】


祭りの夜が、急に静かになったようだった。

薄明かりに照らされるサーシャの姿が、私の目を奪う。

エラは少し震えていた。

「ニコ……」

「彼女はニコじゃありません」

エラが声を出そうとしたのを、サンが遮る。
いつもとは違う、暗く重い声で。

「サーシャでも、ありません」

そう言うと、サンの赤い瞳がサーシャを見据える。

それは怒りに近い眼差しだった。

呆然としているエラ。
その手が、何度も空を掴むように小さく動いている。

呼びたい名前があるのに、呼べない。
そんなふうに見えた。

サンが立ち上がり、サーシャに歩み寄る。

「あなた。だれ?」

サンの冷たい言葉が、サーシャに向けられる。

声に反応したサーシャの口元が、僅かに上がった。

その瞬間。

キン。

金属の擦れる音。

サンの首元に、ナイフの刃が向けられていた。
それを寸前のところで、サンが剣で止めている。

暗闇の中から、全身黒ずくめの男が浮かぶ。

「おお、やるね。お嬢さん」

月の明かりが差し込むと、男の姿が浮かび上がった。

顔を覆い隠す黒い布からは、黒い瞳だけが覗いている。

「サン!」

私は声を上げて、シルベを抜いた。
今にも駆け出しそうになる私を、サンが手を出して止める。

「吊るし人……」

そう呟くと、サンが叫んだ。

「ヨルは下がっていてください」

そう言うと、サンは剣でナイフを弾いた。

素早く後ろに飛ぶ男。
それを読んでいたかのように、サンが突きを放つ。

男はなんとかナイフでその突きを逸らす。
だが、サンの剣先が男の腕を掠めた。

――早い!

手の中のシルベが熱を帯びる。
私の視界が揺れながら、男の動きを導いていた。

だが、それよりも早く、サンが斬りかかる。

男の目から、余裕が消えていく。

「おいおい。聞いてねえぞ。なんなんだよコイツは!」

サンの赤い瞳が、残像のように揺れる。

一突き。
一閃。

そのすべてが、正確で早い。

男はみるみる追い込まれていく。

「こいつの動き。まさか、ジャッジメント!」

男の口から、聞いたことのない言葉が出た。

「お前がその名を語るな!」

サンが叫ぶ。

次の瞬間、渾身の一撃が男を貫いたように見える。

しかし、サンの剣を受け止めたのは巨大な盾だった。

全身を黒い甲冑で包んだ騎士が、サンの行く手を阻む。

「タワーまでいるの!」

サンは弾かれた剣を、その反動を利用して一回転させ、斬りかかる。

キーン。

巨大な盾がそれを防いだ。

すぐさま、サンは間合いを取るように下がる。

――すごい。

私はシルベを握ったまま、動けずにいた。

吊るし人。
タワー。

どちらも、人の名前には聞こえなかった。
まるで、役割そのものが歩いているようだった。

エラは黙ったまま俯いている。
さっきまで震えていた手は、今はぎゅっと握りしめられていた。

サンが間合いを図る。
もう一度、斬りかかろうとしている。

けれど、その剣先が、わずかに止まった。

迷いではない。
警戒だった。

私にもわかった。
まだ、何かいる。

祭りの音が、遠くなる。

人々の笑い声も、笛の音も、太鼓の響きも、薄い布の向こう側にあるみたいだった。

サンの赤い瞳だけが、暗闇の奥を見ている。

「そこまでですよ。みなさん」

サーシャの影から声が響いた。
その声で、お互いの動きが止まる。

異様な姿の男が、手を叩きながら現れた。

黒い服に、ピエロのような帽子。
顔は白く塗られており、目は細く、瞳は見えない。

男は笑いながら話す。

「今日は宴の日。剣でのお遊びは禁止です」

どこかふざけたような物言いだった。
けれど、その声で、熱くなっていた頭が少しだけ冷えた。

「フール……」

サンがその男を睨みつけて言う。

「素晴らしい。素晴らしい。私を知っていらっしゃる」

両手を叩き、喜ぶフール。
胸に手を当て、大袈裟なお辞儀をする。

――まるで、道化師だ。

ひとつひとつの動作が、わざとらしく見える。

でも、笑えない。

吊るし人も、タワーも、動きを止めていた。

それは命令されたからではない。
この男が、場の中心に立ったからだ。

「十二使徒の影。シャドウ・アポストル。第二席、愚者フールでございます。以後、お見知りおきを」

――十二使徒の影?

突然出てきた言葉が、頭の中に浮かぶ。

吊るし人。
タワー。
フール。

それは名前というより、何かの席。
何かの役割。

この街の裏側で、ずっと息を潜めていたもの。

そんな気がした。

サンは私たちとフールの間に立ちながら、静かに口を開いた。

「その女はだれ?」

その言葉に、フールの動きが止まる。
空気が凍りついたような感覚があった。

違う。
比喩じゃない。
フールの周りだけ、空気が冷えている。
その冷たさが、細かく震えていた。

――魔法だ。

サンも気づき、剣を構えた。
だが、その空気はすぐに収まる。

「いやはや、面白い。この方を知らないとは」

そう言うと、フールはサーシャの前で膝をつき、頭を垂れた。

「この方こそが、我らが主。赤い瞳の女帝サーシャ様です」

芝居がかった台詞が続く。

「そして、我らは女帝に絶対の忠誠を誓う、下僕たち。十二使徒の影でございます」

まるで、劇場にいるようだった。

吊るし人。
タワー。
フール。

三つの影が、サーシャの前に並ぶ。

サーシャは何も言わず、背を向けた。

「待ちなさい!」

サンが踏み出しそうになる。

「ダメです」

それを、オトが止めた。

サンが振り返る。

あたりには、人影が見えた。
祭りを楽しんでいた子供たちの姿があった。

いつの間にか、こちらを見ている者もいる。
ここで斬りかかれば、もう祭りではなくなる。

サンは唇を噛んだ。

「ごめんなさい。熱くなり過ぎました」

そう言うと、サンは剣を収めて、サーシャが去る姿を見送った。



サーシャが去ったあと、周囲は元の明るさを取り戻していた。

音楽が流れ、人々の声が行き交う。

ただ、私たちのテーブルを除いて。

エラは俯いたまま、一言も話さなかった。
オトが空気を読んで話しかけるが、エラもサンも反応が鈍い。

祭りの熱が、そこだけ避けて通っているみたいだった。

私はシルベを鞘に収めている。
だが、手のひらには、まだ熱が残っていた。

戦えなかった。
動けなかった。

でも、今するべきことは、たぶん剣を抜くことじゃない。

そんな光景を見て、私はひと息吐いてサンに向き合う。

「サン。全部話して。私たちのことも、全部話すから」

真っ直ぐ、サンの赤い瞳を見つめる。

サンは、目元だけを覆うマスクにそっと触れたが、外すことはしなかった。

けれど、その奥にある赤い瞳だけは、もう隠れていない。

サンは短く頷き、口を開く。

「わかりました。全てお話しします」

少しだけ、間が空いた。
サンの赤い瞳が、エラを見つめる。

そして、静かに言った。

「私の妹の話を……」


🔙第四十九話   第五十一話🔜



創作大賞2026 ファンタジー小説部門 投稿作

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