イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第六十話 仮面をとってもらいたい
赤い瞳の本拠地へ挨拶に行くなら、必要なものが三つある。
勇気。覚悟。
それから、クッキー饅頭だ。

エラとヨル 第六十話
【仮面をとってもらいたい】
朝日に照らされて、大きな扉が待っていた。
黒塗りの扉には、紅い宝石が散りばめられている。
その前に立っているだけで、息が詰まりそうになる。
隣の三人を見ると、それぞれの想いが表情に出ていた。
「でかいね」
エラは口元を上げ、塔の頂を見上げながら呟いた。
「ディケには話を通してあるよ。ただ、話をするだけだから、こっちから絶対に手を出すなって釘は刺されてるけど」
私がそう言うと、扉を見たままエラが答えた。
「わかってる。こっちから手を出さなきゃいいんだよね」
ーーわかってる?
エラの返答に、不安しか感じなかった。
「エラさん。殴るのは話したあとにしてください」
ーーそうじゃない。
オトは笑顔を浮かべているが、目は真剣だった。
「やるなら、不意打ちの先制攻撃が有効です」
ーーそうでもない。
サンは謎の助言をしながら、親指を立てた。
「殴り込みに行くんじゃないんだから」
私は小さく息を吐き、手に持った袋を確認する。
ルーベントクッキー饅頭。
手土産も買った。
心の準備もした。
あとは、なるようになれだ。
私は一歩を踏み出した。
扉の前には、重装備の門兵が二人立っている。
私たちの姿を見ると、片方の門兵が制止するように手を上げた。
「呼ばれて来ました」
私は渡されたメモを見せる。
門兵は声を出さずにメモへ目を落とすと、黙って扉を開けた。
軋む音とともに、重い扉が開いていく。
暗い通路に、等間隔でランプが灯っていた。
その先に、金髪の女性が立っている。
ーーフォーチュン。
まるで、私たちが来ることを最初から知っていたかのように、こちらを見つめていた。
正確には、私の手元の袋だけを凝視していた。
「案内します……」
そう言いながらも、視線だけは一点に固定されている。
私は笑いそうになるのを抑えて、袋を差し出した。
「昨日はごめんなさい。エラとオトが、お金を払ってもらったみたいで」
フォーチュンは袋を受け取ると、中から箱を取り出し、両手で高く掲げた。
まるで、オモチャをもらった子供のようだ。
私は銀貨を取り出し、フォーチュンに渡そうとする。
だが、フォーチュンは小さく首を振った。
「いらない……です。お小遣い……たくさんあります」
そうなんだろうけど、私は釈然としない。
手に持った銀貨だけが、宙に浮いている。
「代金は……これで、いいです」
フォーチュンはクッキー饅頭の箱を、大事そうに抱えた。
「武器は?」
私が腰のシルベに手をやると、フォーチュンはまた首を振る。
「師匠が……そのままで、いいと言いました。大丈夫……です」
そう言うと、フォーチュンは背を向けて歩き出した。
紅き塔。
ルーベントの暗部。
窓はほとんどなく、日差しの届かない常闇の世界。
石の通路を歩く音だけが響いている。
広い通路を曲がると、細い道が幾重にも分かれていた。
まるで、巨大な迷路のようだ。
似たような景色。
似たような装飾。
同じ間隔で並ぶランプの灯り。
それらが、少しずつ方向感覚を狂わせていく。
前を歩くフォーチュンが、ふと左の角へ消えた。
私はそれに気づくのが遅れ、まっすぐ一歩踏み出そうとする。
その瞬間、フォーチュンが私の肩を強く引いた。
「そっち……危ないです」
よく見ると、私が足を下ろそうとした先には、細い鉄のワイヤーが張られていた。
「私の前は……歩かないでください」
そう言うと、フォーチュンは何事もなかったように歩き出した。
階段を上り、時には下り、いくつもの通路を進む。
どれくらい歩いたのかは、はっきりしない。
突然、その扉は目の前に現れた。
これまで見た中でも、ひときわ装飾の多い黒い両開きの扉。
この先に、ジャッジメントがいる。
そう理解した瞬間、喉が鳴った。
暑いわけではない。
それなのに、額に汗が滲む。
扉の向こうから漏れるただならぬ気配が、そう感じさせていた。
フォーチュンが扉を開く。
その先には、広い部屋があった。
部屋の中央には長机。
その奥に、一人の男が座っている。
両肘を机につき、組んだ手に口元を寄せていた。
まるで、祈っているような姿だった。
年齢は、はっきりとはわからない。
老いているようにも見える。
けれど、長い年月をかけて研ぎ澄まされた剣のようにも見えた。
白髪は綺麗に撫でつけられ、顔にはいくつもの小さな切り傷の痕が浮かんでいる。
執事のような装い。
だが、空気が違った。
離れていてもわかる。
この人は、ただ座っているだけで場を支配している。
鋭い眼差しが、こちらを見た。
重く、深く、まるで刃物のような視線。
「ヨルさんを……連れて来ました」
フォーチュンが、小さく頭を下げる。
男は、私たちを一人ずつ確認するように見た。
エラ。
オト。
サン。
その時だけ、視線がわずかに止まった。
そして最後に、私。
目が合った瞬間、胸の奥が跳ねる。
野獣に見つめられているような感覚だった。
気づけば、私は胸に手を当てていた。
「ようこそ。紅き塔へ」
低い声が部屋に響く。
男は手を差し出し、座るように促した。
それぞれが椅子に座ると、ゆっくりと口を開いた。
「会うのは初めてでしたな。ヨル殿」
ーー私を知っている?
真っ直ぐ向けられた瞳は、私だけを見ている。
「十二使徒の影。第一席。ジャッジメント」
男は、ゆっくりと名乗った。
「ヨルです。お呼びに応じて参りました」
私は軽く頭を下げる。
「こちらは、エラ、オト、サンです。同行してもらいました」
一人ずつ手で示しながら紹介する。
ジャッジメントは私を見ていたが、サンの名を聞いた時だけ、目の奥がわずかに揺れた気がした。
「今日来てもらったのは、女帝の意思を伝えるためです」
その言葉に、エラが顔を上げる。
「女帝は今回の調査に協力すると仰いました。それが、赤い瞳の意思です」
「女帝はどこ?」
エラが口を開いた。
私は慌ててエラを止めようとしたが、ジャッジメントが片手でそれを制した。
「女帝はここにはいません。ただ、あなた方に会いたいと仰っています」
オトが驚いた表情を浮かべる。
ジャッジメントの視線が、静かにサンへ向いた。
「その前に、そちらの女性の仮面を取ってもらいたい」
「彼女は……!」
私が声を上げようとする。
だが、サンはすでに仮面に手を回していた。
ためらいはなかった。
驚いている様子もない。
まるで、それが最初から決まっていたことのように、ゆっくりと仮面を外す。
透き通るような赤い瞳が、ジャッジメントを見ていた。
「Lesson 1」
ジャッジメントがそう言った瞬間、サンは椅子を蹴るように立ち上がり、後方へ飛んだ。
直後、ジャッジメントの鋭い蹴りがサンを襲う。
サンは両手でその蹴りを受け止めると、すぐに殴り返した。
ジャッジメントは難なくその拳を捌き、半歩踏み込む。
膝蹴り。
続けて、上段蹴り。
そして、踵落とし。
サンが躱すと、近くの椅子が粉々に砕けた。
私たちは弾かれたように立ち上がり、その光景を前に呆然としていた。
「Lesson 2」
ジャッジメントの言葉は続く。
今度はサンが拳を握り、ジャッジメントへ殴りかかった。
目。
喉。
腹。
すべて急所を容赦なく狙っている。
だが、そのすべてを予想していたかのように、ジャッジメントは躱していく。
「やるじゃん」
エラが楽しげに言う。
「Lesson 3」
声が一段低くなる。
ジャッジメントが剣を抜いて構えた。
それに反応して、サンも剣を抜く。
「何やってるの!」
私の叫び声にも、二人は反応しない。
いつの間にか隣にいたフォーチュンが、私の腕を掴んだ。
「大丈夫……です」
フォーチュンはそう言うと、二人に視線を向けた。
空気が張り詰めている。
腰のシルベが小さく鳴き、熱を帯びた。
ーーこのままじゃ。
そう思った瞬間、またシルベが鳴った。
けれど、不思議と殺気はない。
張り詰めているのに、どこか違う。
これは殺し合いではない。
そう思うより先に、サンの剣先が動いた。
キィーン、と金属の当たる音が響く。
サンの剣が、ジャッジメントの剣で止められる。
その直後、サンは当たった反動を利用して一回転し、剣を振るった。
ジャッジメントはそれを楽しむかのように弾く。
サンの剣は止まらない。
相手の剣に当たった力を利用して、さらに斬りかかる。
凄まじい数の斬撃が続く。
一振りで、三度は斬りかかっているように見えた。
空気を裂く音と、金属音だけが続く。
速度も鋭さも、祭りの夜に見たものとは段違いだ。
ただ、不思議と恐怖はなかった。
命を奪い合っているのではない。
まるで、二人でダンスを踊っている姿を見ているようだった。
「お嬢様……」
フォーチュンが小さく呟いた。
鈍い金属音とともに、サンの剣が宙を舞う。
私の足元に、その剣が突き刺さった。
膝を折り、喉元に剣先を向けられたサンの姿があった。
「Perfect.」
ジャッジメントの口元が、少しだけ上がった。

