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イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第四十五話 三つ目の名前


同じ顔をした別人が、酒場に入ってきた。

昼に見た女帝サーシャと同じ赤い瞳。

けれど彼女は、まるで違う名前を持っていた。

エラとヨル 第四十五話
【三つ目の名前】


私もエラも、言葉を失っていた。
昼に会った人物が、違った姿で現れたからだ。

オトもそれに気づいて、呟く。

「サーシャさん……? に……似てますね」

その女性は、酒場の入口で軽く会釈すると、席を探すように店内へ入ってきた。

その直後、近くに座っていた男が声を上げる。

「痛え! 何するんだよ!」

一緒に座っていたもう一人の男も、ニヤニヤしながら言う。

「おい、おい。人の足を踏んどいて、謝罪もなしか?」

――入店して三歩で絡まれている。

私は立ち上がり、止めに入ろうとした。
しかし、それをオトが止める。

「大丈夫です。あの人、たぶん困ってません」

男の怒声が飛ぶ。

「この怪我じゃ、しばらく仕事もできねぇな! どうしてくれんだ!」

男は足を押さえながら、語気を強める。

「ごめんなさい。あなたの足がそんなに長いとは気づきませんでした」

彼女は心配するように相手の足を見て、何度か床を踏む。

「痛くありませんか? どの辺までが、足なのかしら?」

至って真面目に聞いている。
それを聞いた別の席から、笑い声が上がった。

「てめぇ! どういう意味だ!!」

男が立ち上がろうとした瞬間。
彼女の腰の剣が、すっと前に出た。

次の瞬間、男は前のめりに崩れ落ちる。
男の顔には、鞘に入ったままの剣が当たっていた。

「ごめんなさい。悪気はないの。剣が邪魔にならないようにしたら、当たってしまいました」

もう一人の男は、慌てた様子で立ち上がる。

床に倒れた男の肩を持つと、そのまま店の外へ出て行った。

彼女はその姿を見送ると、そのまま席に腰を下ろした。

「変わった人ですね……」

オトが苦笑いを浮かべる。

気づくと、エラの姿が彼女の前にあった。

「お前なんなんだよ」

エラが彼女を睨みつけながら言う。

「私は冒険者のニコです。あなたは……」

「そうじゃない。なんでニコなんだよ!」

エラは、上手く言葉にできていない様子だった。
私たちも慌てて立ち上がり、間に入る。

「ごめんなさい。あなたにとても似た人を知っていて」

私はエラを椅子に座らせ、落ち着かせながら言った。

「もしかして、赤い瞳のサーシャさんですか?」

「ここに来るまでに、何度か間違えられました」

彼女は納得した様子で答えた。

「そうです。昼にたまたま見かけて、それでよく似たあなたを見たので、驚いていたんです」

「違う! こいつ、顔も名前もニコなのに、ニコじゃない!」

エラが叫ぶように言う。
ニコは少し困った表情を浮かべる。

「ごめんなさい。私はあなたのことは知らないの。違う方と勘違いしてないかしら」

上品で落ち着きのある声で言うが、エラは止まらない。

「声までニコじゃん! でも、喋り方がニコじゃない!」

もう何を言っているのかわからない。

ニコはエラを見つめる。

「私、そんなに似ているのね」

「その人は、あなたにとって大切な人だったの?」

「……」

わずかな沈黙。

「家族だった……」

エラの言葉が急に弱くなった。

「家族……ですか……」

ニコの表情が一瞬暗くなる。
その様子を見たオトが言う。

「よかったら、ご一緒しても良いですか? エラさんの非礼を含めて奢らせてもらいます」

そう言うと、私に視線を送る。
私も頷き、ニコを見た。

「もちろん。でも、自分の分は自分で払います」

柔らかな表情を浮かべ、ニコも頷いた。

手を上げ、給仕を呼ぶ。
席を移りたいと説明すると、勝手にやってくれと素っ気ない返事が返ってきた。

「ここのワインは赤? 白?」

ニコが給仕に尋ねる。

「色なんて見りゃわかるだろ」

給仕は呆れた顔を浮かべた。

「では、どこ産かしら?」

「店の樽の中だが?」

ニコの言いたいことは、なんとなくわかった。
でも、この店でそれを知ってどうするのか。

私は頭を抱えた。

「気にしないでください。彼女には、ワインと串焼きを。私たちはあちらから運びます」

オトの翻訳により、ようやく注文ができた。
ニコは笑顔を浮かべ、軽く頭を下げる。

「ニコさんって、もしかして良いところの生まれですか?」

私が聞くと、ニコは困った表情を浮かべた。

「どうして?」

「椅子に座っている姿勢とか、立ち振る舞いが上品なんで……」

服装だけで見れば、どこにでもいる冒険者だ。
ただ、何かがズレている。
私にはそう感じた。

「普通の家庭で育ちましたよ」

ニコは答える。
ただ、言いにくそうな素振りは感じた。

「それより! 私はまだ、お前をニコと認めてないよ!」

「そう言われましても……」

ニコは困った表情を浮かべる。

「エラ! いい加減にしなよ! 失礼だよ!」

「お前なんか、ニコじゃない……」

「そうだ! サンコだ! ニコじゃなくてサンコだ」

お酒が回っているのか、エラもめちゃくちゃなことを言い出した。

「ニコは大切な名前なんです。あなたがどう呼んでも結構ですが、私はニコです」

そう言い返したニコは、少し寂しそうに俯いた。

「じゃ、私はサンコからとってサンって呼ぶ!」

――いやいや、無理やり過ぎる。

私はエラを睨むが、エラは気にしない。
ひと息吐いて、私は頭を下げた。

「ごめんなさい。私はヨル。そして、こちらはエラとオトと言います」

「訳あって、三人で旅をしています」

オトは軽く手を振り、その隣のエラは杯を空けていた。

「ニコって人は、エラにとって大切な人なんです。あなたがあまりに似ているようで、少し混乱しているようです」

「気にしなくて結構ですよ。どう呼ばれても、私の名前は変わりませんから」

ニコも落ち着いたのか、柔らかな表情を浮かべている。

「ニコさんは……」

エラの視線が刺さる。

「サンで結構です。私もみなさんの名前は勝手に呼びますね」

私はため息をついて、続けた。

「サンさんは、どうしてここへ?」

サンはくすりと笑い、答えた。

「歩いて来ました」

――そうじゃない!

「冗談です。冒険者をやっていたんですが、この街に忘れ物があって……」

「忘れ物……ですか?」

サンは運ばれてきたワインに一口つける。

「ええ、大切な物です」

そう言うと、何かを思い出すかのように天井を見つめる。

「ヨルさんたちは?」

サンは視線を戻し、楽しそうに尋ねた。

「私たちもある物を探しています。それと、街の地図を描く仕事があって」

私はエラを見る。
機嫌は良くなっているようだ。
串焼きにかじりついている。

「地図! 素敵。見せてもらえます?」

「これです」

私は描きかけの地図を広げた。

「ルーベントって、こんな形をしてたのね!」

「ええ。カメの甲羅の上に街を作るなんて、想像もできませんよ」

少し笑って答える。

「でも、よく描けているわ。荷背区と落縁街がまだだけれど」

言ってから、サンは小さく瞬きをした。

「よくご存知ですね? この街はごちゃごちゃしてるから、高い場所から見ないと合っているか、わからないはずですけど」

サンは一瞬固まったが、ちらりと上を見ると答える。

「昔……そう、昔、見たんです!」

うんうんと頷き、サンが答える。

「昔……ですか?」

「でも、この街の甲羅の形は、毎日変化しているみたいですよ」

「そっ、それは……」

サンは言葉に詰まり、目が泳ぐ。
オトがくすりと笑うと言った。

「そういうことで、良いじゃないですか。サンさんは一人旅ですか?」

「街までは一緒に来た人はいましたが、今は一人です」

ほっとした表情を浮かべ、サンが答えた。

「街のことに詳しいみたいですし、良かったら一緒に動きます?」

オトが私に目配せをする。

「良いんですか!? すごく助かりますけど……」

サンはエラを横目に見る。

「サンって呼んでいいなら、良いよ」

エラはいつもの顔に戻り、頷いた。

「助かります。では、よろしくお願いします」

サンは小さく頭を下げた。

エラもサンのことが気になるようだ。
少しズレているが、私たちより街の地理には詳しいらしい。

明日、落ち合う約束をして、私たちは宿屋に戻る。

道すがら、地面が揺れる。
石畳の道が少し持ち上がり、下がった。

この街は生きている。

明日はいよいよ、中央殻都だ。
そして、サンと呼ばれた彼女は、たぶんそこを知っている。

不思議な感覚を覚えながら、明日のディケとの約束を思い出していた。



🔙第四十四話   第四十六話🔜



創作大賞2026 ファンタジー小説部門 投稿作

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