ワンオペママの休職ストーリー#2 母に頼った日「うつ病かも」と気づいた帰省
こんにちは、適応障害で休職し、1年以上かけて回復したざわざわママです。
前回の話はこちら▽
会社でうずくまった日からも、私は「少し疲れているだけ」と思い込んでいました。
お盆休みもあったため、めまいや吐き気は一時的に落ち着き、このままやり過ごせるかもしれないとさえ思っていたのです。
でも、体は違うサインを出し始めていました。
咳喘息が治らない
子どもからもらった風邪をきっかけに、今度は咳喘息に悩まされるようになりました。
横になると咳が止まらず、2〜3日ほど座椅子にもたれかかって眠った記憶があります。
ある日は30分以上激しく咳き込み続け、息も苦しくなってパニック状態に。
夫からは
「救急車を呼んだほうがいい」
と言われました。
でも、当時の私は子どもを置いて救急車に乗るという発想すら持てませんでした。
ただひたすら耐えるだけ。
今思えば、もっと早く病院へ行けばよかったのですが、その頃の私は自分の体調より仕事の予定を優先していたんですよね。
その後、呼吸器内科で吸入薬とステロイドを処方され、症状は一時的に改善。
けれど薬をやめるとまた咳が出る。
会社でも咳が止まらず、周囲の視線が気になる日々が続きました。
ついに動けなくなる
ちょうどクライアントの大きなイベント準備が佳境を迎えていた時期でした。
帰りの電車でメール返信、保育園へ向かう途中も電話対応。
働くママならあるあるなのかもしれませんが、その頃の私は常にギリギリでした。
ようやく帰宅しても、ご飯を温めて出すことができずに、「子どもたちがお腹がすいた」と待っているのに、30分ほど横にならないと動けなかったのです。
その後も子どもをお風呂に入れられない、つまりは無気力状態と今ならわかります。
めまいがするので這ってお風呂場までいき、子どもの服を脱がせてシャワーを浴びせるのがやっとでした。
39度の熱でも休めなかった
翌日も保育園へ送る途中で息切れがしました。
少し歩くだけでしんどい。
アレルギー症状も悪化し、くしゃみも止まらない。
そして追い打ちをかけるように、娘が保育園で風邪をもらい発熱、
今度は私自身が39度を超える高熱を出しました。
本来なら休むべきだったのでしょう。
でも当時の誰にも頼れない私は、解熱剤を飲んでテレワークが当たり前になっていました。
その日は特にオンラインでの打ち合わせが4つ入っており、
具合が悪い子どもが寝付かないので、抱っこで寝かしつけをしながら、
打ち合わせに参加していました。
娘の熱が下がった後も、
「今日だけは出社しないといけない」
と思っていました。
どうしても対応しなければならない業務があり、会社へ向かったのです。
ところが、頭はぼんやりしていて思うように働きません。
商品の梱包作業をしていたのですが、必要な数を数えることすら難しい。
何度数えても自信が持てず、自分でもおかしいと感じました。
さすがに同じ部の方へ事情を説明し、途中で引き継いでもらうことになりました。
その足で内科を受診。
インフルエンザとコロナの検査は陰性でした。
けれど気持ち悪さはどんどん強くなり、待合室の椅子に座っていることもできません。
横にならせてもらいながら順番を待ちました。
吐き気止めの点滴も受けましたが、よくなりませんでした。
ただ横になっていることしかできなかったのです。。
このとき初めて、
「もう無理かもしれない」
と本能的に感じました。
母に頼った日
私は母に連絡しました。
自力で子ども二人を連れて実家まで3時間移動する自信がなかったので、
母に迎えに来てもらうことになったのです。
ところが、帰省の荷造りすら思うように進みません。
何を持っていけばいいのかの段取りがまるでできない。
やっとの思いで電車に乗り込みました。
実家に着いてからの私は、昼寝をして、
また昼寝をして、
夜も普通に眠る。
今思えば、これが私の過眠症状の始まりでした。
そして真っ先に思ったのです。
「もっと早く親を頼ればよかった」と。
ワンオペが限界だったのかもしれない
実家では、子どもたちを母が見てくれました。
保育園のお迎えを気にしなくていい。
夕飯を作らなくていい。
子どもの相手をしながら仕事をしなくていい。
すると、不思議なことに溜まっていた月末処理がどんどん片付いていったのです。
19時まで集中して仕事ができるだけで、こんなにも違う。
私は仕事ができなくなったわけではなかったのかもしれない。
そう思う一方で、
「じゃあ、今の生活に戻ったらどうなるんだろう」
という不安もありました。
保険組合の相談窓口に電話してみた
実家で少しだけ余裕ができた頃、会社で見かけたポスターを思い出しました。
健康保険組合のメンタルヘルス相談窓口です。
以前から目には入っていたものの、
「私には関係ない」
と思っていました。
でもこの時は、藁にもすがる思いで電話をかけました。
正直、何を話したのかはあまり覚えていません。
会社の人員不足のこと。
ワンオペ育児のこと。
最近の体調不良のこと。
相談員の方は優しく話を聞いてくれました。
ただ、病院のように診断をしてくれるわけではありません。
また辛くなったら電話してくださいね、と案内されました。
その時に思ったのです。
「次に電話したら、また別の人が出るんだろうな」
「そのたびに、ここまでの経緯を最初から説明するのはしんどいな」と。
もちろん話を聞いてもらえた安心感はありました。
でも私は少しずつ、
「ちゃんと病院に行った方がいいのかもしれない」
と思うようになっていったのです。
もしかして、うつ病かもしれない
子どもを見てもらえることで、ようやく自分の体調と向き合う時間ができました。
そこで検索を重ねるうちに、
「もしかして、うつ病なのでは?」
と思い始めたのです。
当時はうつ病診断チェックをやってみても、
当てはまる部分もあるし、当てはまらない部分もあった。
だけどこの時起きていた不調は、今なら抑うつ状態の症状として説明がつきます。
振り返ると、こんな出来事が抑うつ症状だった
・お腹はすくのに、食べる気力がない
→ 食欲不振
・気持ち悪くて、すぐ横になってしまう
→ めまい・吐き気
・以前ならすぐ決められたことに時間がかかる
→ 判断力・集中力の低下
・帰省の荷造りすら進まない
→ 段取り力・実行機能の低下
・休日は何度も昼寝をしてしまうのに、夜も眠れる
→ 過眠症状
・梱包する数を何度数えても自信が持てない
→ 思考力・認知機能の低下
こうして「体の不調」は、少しずつ「心の限界」へと姿を変えていきました。
そして私は、人生で初めて心療内科を探し始めることになります。
続きはこちら👇
□#1 めまいは適応障害のサインだった。会社でうずくまった日
✅#2 母に頼った日「うつ病かも」と気づいた帰省(今ここ)
□#3 はじめてのメンタルクリニック―私が心療内科を選んだ理由
□#4 休職して1か月――『休む』がわからず予定を詰め込む私
□#5 休職して2か月|幸せの余韻のあとの産業医・エージェント・人事への不信感
□#6 休職延長で落ち込んだ私が、動き出した3つのこと
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いいたします。 いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。