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【異世界×ダーツ】ダブルブル・リスタート第4話「2メートル37センチの奇跡」

開店の朝は、よく晴れていた。

店の前で、俺は、看板を見上げる。

《ダブルブル》。

ネロが徹夜で彫り上げた、真新しい看板が、朝日に、鈍く光っていた。

的の絵の、中心――ダブルブルを、金色で、丁寧に塗ってある。

前世の店の名は、《BULL'S EYE》だった。

的の中心。あの店を、俺は、見栄と傲慢で、潰した。

だから今度は、名前を変えた。同じ中心でも、より内側の、より難しい、一点を。

――ダブルブル。もう、二度と、外さないように。

「準備は、万端だな」

「はいっ! いつでも、大丈夫です!」

真新しいエプロンをつけたリタが、背筋を伸ばす。

緊張と期待で、少し強張った顔。

「たくさん、お客さん、来てくれると、いいですね……!」

「ああ」

来てくれるといい。そう思っていた。このときは、まだ。


* * *

結論から言おう。昼まで、誰も、来なかった。

扉は、一度も、開かない。

「……こっちから、行くしかないな」

俺たちは、街に出た。

大通りは、そこそこ賑わっている。人間も、獣人も、行き交い、威勢のいい声が飛ぶ。

活気は、ある。街に人がいないんじゃない。俺たちの店にだけ、来ないのだ。

「いらっしゃい! 新しくできた酒場だ! ダーツが、できるぞ!」

その、瞬間だった。

「ダーツ?」「ああ、酔っ払いがやるやつ」「賭け事か。ガラの悪い」

顔をしかめ、足早に、去っていく。

やはり、か。「ダーツ」と聞いた途端、人々の顔が、露骨に曇る。

それでも、リタは、健気だった。

小さな身体で、一生懸命、木札を配り歩く。

「あ、あの! 新しくできた酒場なんですっ! お料理も、ありますっ!」

――そのとき。

人ごみの向こうから、すっと伸びた大きな足が、リタの手からこぼれた木札を、ぐしゃりと踏みつけた。

「あっ……」

俺は、顔を上げた。

尖った耳。ゆらりと揺れる尻尾。――犬族の男。

見覚えが、あった。俺がこの世界に来た日、リタを襲っていた、あの三人組の一人だ。

「よお」

男が、にやりと、牙を覗かせる。

「忠告してやる。この街で、ダーツなんかで商売しようなんて、やめときな。誰も来やしねえよ。ぜーったいに、な」

ぞくり、と背筋が冷えた。

――誰も来やしない。そう仕向けている側の、口ぶりだ。

「へえ」

俺は、あえて笑った。

「随分と詳しいな。まるで、客が来ないのを、お前が決めてるみたいだ」

男の笑みが、一瞬、固まる。図星、か。

「……せいぜい、頑張るんだな。すぐ潰れるだろうがよ」

そう言い残し、雑踏に消えた。

「翔真、さん……あいつら、なんで……」

服を掴むリタの手が、震えている。

「気にするな」

俺は、踏みにじられた木札を、拾い上げた。泥に汚れても、リタが心を込めて書いた文字は、まだ読める。

だが――俺の頭は、冷静に回転していた。

リタが言っていた「客が突然消えた」話。今日の異常な客の入りの無さ。あの犬族の妨害。

全部、繋がっている。誰かが、意図を持って、この店を潰そうとしている。

――潰させるかよ。こっちにも、意地がある。

* * *

小手先の客引きじゃ、こびりついたイメージは覆せない。

なら――ぶち壊すしかない。「ダーツは酔っ払いの余興」。その常識を、真正面から。

俺は、人が集まる広場へ向かった。大道芸人の周りに、人だかりができている。

その隅に、ネロの作った的を、立てかけた。

「翔真さん、何を……?」

「見てろ。派手に、やる」

「さあさあ、旦那方! 賭けを、しないか!」

賭け、という言葉に、何人かが振り向く。

「この俺が、二メートル三十七センチ離れた、あの的の真ん中に、三本続けて当ててみせる! できなきゃ、銅貨一枚! できたら、ただ一言、すごいと言ってくれりゃいい!」

金は賭けさせない。賭け事のイメージを、逆に、人集めに利用する。

「はっ、面白ぇ」

野次馬から、赤ら顔の大男が進み出た。

「ダーツなんざ、俺でも当たるわ! できるわけ、ねえよなぁ!」

嘲笑が、広がる。周りも、つられて笑う。

いい。その空気で、いい。嘲笑が大きいほど、ひっくり返したときの衝撃も、大きくなる。

俺は、的から2m37cmの位置に立った。

手には、ネロが打った一本。指先で重心を確かめる。少し後ろ寄り。だが、この三日で癖は掴んでいる。

ざわめきが、耳から遠ざかっていく。大道芸人の声も、野次馬の笑いも。すべてが、すうっと消えていく。

世界に残るのは、俺と、あの小さな赤い一点だけ。

息を吐く。腕が、自然に持ち上がる。肘を支点に、肩の力を抜いて、指先が覚えた放物線を、なぞる。

投げた。

ひゅっ、とダーツが風を切り――ダブルブルのど真ん中に、突き刺さった。

ざわ、と群衆がどよめく。

だが、止まらない。二投目。一投目のすぐ隣に、きん、と音を立てて突き刺さる。

そして、三投目。もう、俺の周りに音はない。ただ、投げる。狙った通りに。

三本目が、寸分違わず、中心に突き立った。

三本の矢が、ダブルブルの極小の一点に、束になって、咲いた。

広場が、しん、と静まり返った。

さっきまでの嘲笑は、跡形もない。誰もが息を呑んで、その三本の矢を見つめている。

「――う、うおおおおおっ!!」

次の瞬間、広場が、割れんばかりの歓声に包まれた。

「すげえ! あんな小せえ的に、三本とも!」「本物の、職人技だ!」

赤ら顔の大男が、ぽかんと口を開けて、呟いた。

「……す、すげえ」

俺は、にっと笑った。「ありがとよ。それで十分だ」

人だかりが、俺を取り囲む。

「なあ、あんた! どこの店だ!」「今の、俺にもできるか!?」

――来た。食いついた。

「店は、そこの路地の《ダブルブル》だ! あんたも、今の、体験できるぞ!」

「行く行く!」「面白そうじゃねえか!」

熱気が渦を巻く。リタが目を輝かせ、ネロが飛び跳ねて喜ぶ。

やった。ひっくり返した。「ダーツは余興」から、「ダーツはすげえ」へ。

――だが。

その熱狂の渦に、一つだけ、冷たい声が混じった。

「……おい。あの店、やめとけ。あそこ、《商会》に目ぇつけられてる店だぞ」

――《商会》。

その一言で、熱気が、すうっと引いていった。

「商会って……あの商会か?」「関わらねえ方がいいぜ」

さっきまで目を輝かせていた人々が、気まずそうに目を逸らし、潮が引くように、離れていく。

「あ……あの! 待ってください!」

リタが必死に呼び止める。だが、もう誰も、振り返らなかった。

後には、三本の矢が刺さった的と、呆然と立つ俺たち三人だけが、残された。

「なんで……あんなに盛り上がってたのに……」

ネロが、唇を噛む。

「……リタ。その商会ってのは、なんだ」

リタの顔が、青ざめていた。

「この街を牛耳ってる、大きな商会です。お酒も、食べ物も、道具も……ぜんぶ、あそこを通さないと手に入らない、くらいの……逆らったら、商売なんて、できなくなるって……」

――そういうことか。すべてが腑に落ちた。

客が消えたのも。仕入れが渋られるのも。犬族が脅しにくるのも。今、人々が逃げたのも。全部、《商会》が糸を引いている。

「……リタ。ガレンさんは、その商会と、何かあったのか」

リタが、はっと顔を上げた。瞳が揺れる。迷うように俯いて、小さく口を開いた。

「……ガレンさんは昔、商会に、この店を売れって、言われてたんです。何度も、何度も。でも、絶対に頷かなかった。『この店は、みんなの居場所だ。金で売れるもんじゃねえ』って……」

目に、涙が滲む。

「ガレンさんが、亡くなったのだって……本当は……」

そこで、リタは、言葉を呑み込んだ。それ以上は言えない、というように、首を横に振る。

「……ごめんなさい。今日は、もう……」

俺は、それ以上、聞かなかった。その震える背中が、まだ何か大きなものを、一人で抱え込んでいると、物語っていたから。

* * *

その夜。店に戻ってからも、俺たちは無言だった。昼間の熱狂と、その後の絶望。落差が、大きすぎた。

ネロは工房へ帰り、リタも二階へ上がった。俺は一人、暗い店内で、カウンターに座っていた。

――《商会》。街の流通を握る、でかい相手だ。まともにやり合って、勝てる相手じゃない。

前世の俺なら、とっくに諦めていただろう。

――そのとき。

きい、と、店の扉が、開いた。

「……営業中、かい」

低い声。フードを目深に被った、一人の男だった。顔は見えない。だが、その佇まいは、ただ者ではない。

男は、ゆっくり店内を見回し、壁の的で、視線を止めた。

「……懐かしいな。昔は、よく、ここで投げた。ガレンの、下手くそな矢でな」

俺の心臓が、跳ねた。――元常連。

「あんた、ガレンさんを知ってるのか」

男は答えず、カウンターに銅貨を置いた。

「酒を一杯。……それと」

フードの奥の瞳が、鋭く光る。

「悪いことは言わねえ。あんた、この店から手を引きな」

「……なぜだ」

「あんたのためだ。……いや」

男が、二階を――リタのいる方向を、ちらりと見上げた。

「あの子の、ためにもな」

「どういう意味だ」

「ガレンは、あんたと同じことを言った。『この店は諦めない』ってな。……その結果が、どうなったか」

フードの下で、口元が、苦渋に歪む。

「俺は、もう、あんな思いは御免なんだよ」

そう言い残し、男は、夜の闇へ消えた。

後には、飲み干された杯と、数枚の銅貨と、重い謎だけが残された。

ガレンの死の真相。商会の目的。リタが隠している何か。あの常連の正体。

すべては、まだ闇の中だ。だが一つ、はっきりした。

この店を巡って動いているのは、決して、小さな話じゃない。

* * *

同じ頃。街の中心。ひときわ豪奢な屋敷の一室。

ふかふかの絨毯。金の燭台。高価な酒の香り。

奥の椅子に、一人の男が座っていた。でっぷりと太った身体。脂ぎった指に輝く、いくつもの宝石の指輪。

《商会》の長――ゴドー。

その足元に膝をついているのは、昼間の犬族の男たち、三人だ。

「……で? あの店は、どうなった」

「へえ、それが……今日、あの余所者が、広場で妙な芸を見せまして。一時は、随分と人が集まっちまいまして」

「ほう?」

ゴドーの眉が、ぴくりと動いた。

「ですが、すぐに《商会》の名を出したら、皆、逃げ出しました! ご心配には及びません!」

ゴドーは、しばらく黙り、ぷっくりした指で、テーブルをとんとんと叩いた。

「……あの土地はな。これから街道が通る。数年後には、街で一番の一等地に化ける。ガレンのじいさんが、死んでも手放さなかった、あのボロ酒場の土地がな」

くく、と喉を鳴らす。

「あそこさえ手に入れば、わしはこの街のすべてを手に入れたも同然。たかが酒場一つに、余所者が一匹。虫けらが増えただけだ」

目が、酷薄に光る。

「潰せ。今度は、じわじわ、じゃない。あのじじいのときみたいに。――さっさとだ」

「……へえ。かしこまり、やした」

窓の外には、冷たい月が、浮かんでいた。

嵐の前の、静けさのように。

第4話「2メートル37センチの奇跡」おわり

* * *

◆ ダブルブル(インブル)

的のど真ん中の、さらに中心。一番小さくて、一番価値のある一点だ。

外側のシングルブルより、狙うのは、ずっと難しい。

だが、ここを射抜いたときの快感は、何物にも代えがたい。

新しい店の名に選んだのも、もう二度と外さないと、そう決めたからだ。

◆ グルーピング

三本の矢を、同じ場所に集めること。

一本のまぐれ当たりは、誰にでもある。だが、三本続けて同じ一点に束ねる。それは、もう偶然じゃない。

積み重ねた時間と鍛錬の、証だ。人の心を動かすのは、いつだって、ごまかしのきかない本物の技術だ。

◆ ゾーン

投げる、その瞬間。周りの音が消え、的だけが浮かび上がる。

雑念がすべて消え去った、極限の集中状態。この世界に入れたとき、矢は狙った通りに飛んでいく。

人生で一番大切なものも、きっと、こういうときにしか掴めないのかもしれない。


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