毎朝手紙を書いている父親、娘の宛先リストで猫に負けかける
妻が不在の休日。
私は娘を連れて、父方の祖父母の家に行くことになっていた。
とはいえ、子どもとの外出は、出発前からすでに本番である。
大人の感覚では、
着替える。
荷物を持つ。
靴を履く。
出発する。
これだけである。
しかし3歳児の世界では、そうはいかない。
出発前に折り紙が始まる。
「折り紙やりたい」
「今?」
と思う。
でも、やる。
なぜなら、休日の父親はだいたい娘の予定表に従って動いているからである。
私は床に座り、娘と一緒に折り紙を広げた。
横には、祖父母の家に持っていく荷物が置いてある。
時計も少し気になる。
しかし娘は完全に創作モードである。
ピンク。
黄色。
水色。
真剣な顔で紙を選んでいる。
出発予定時刻という概念は、3歳児の世界ではかなり弱い。
しばらく折り紙をしたあと、今度は娘が言った。
「絵、描きたい」
折り紙の次は絵である。
イベントが連続している。
私は心の中で、今日の祖父母宅到着予定時刻が静かに後ろへずれていく音を聞いた。
娘は折り紙の裏に、何かを描き始めた。
丸。
線。
そしてハート。
「ハート上手に描けるようになったね」
そう言うと、娘は少しうれしそうな顔をした。
この顔を見ると、多少の予定遅れはどうでもよくなる。
親というのは単純である。
そのまま見ていると、娘が言った。
「じいじとばあばに見せる!」
なるほど。
今日はじいじとばあばの家に行く。
そこに持っていく作品らしい。
私は少し提案してみた。
「じゃあ、じいじとばあばのお顔も描いて、お手紙にして渡したら?」
娘の顔が明るくなった。
「そうする!」
そこから、娘はうれしそうに描き始めた。
じいじ。
ばあば。
たぶん顔。
たぶんである。
3歳児の絵は、見る側の解釈力も試される。
ただ、そんなことはどうでもいい。
誰かのために描こうとしている。
それだけで十分すごい。
そして私は、その様子を見ながら、心の中で少しそわそわしていた。
なぜなら、娘は以前こう言っていたからだ。
「パパにお手紙のお返事描く」
私は毎朝、娘に手紙を残している。
仕事に行く前、娘が起きる前に、短い手紙を書く。
今日も大好きだよ。
帰ったら遊ぼうね。
昨日これが楽しかったね。
そんな内容を、朝にそっと残している。
いわば、父親による一方通行の文通である。
一方通行。
しかも今のところ、返信率は0%である。
娘は以前、確かに言った。
「パパにお返事描く」
私はその言葉を、心の中のかなり目立つ棚に保管していた。
「そのうち来る」
「いつか来る」
「返事は急かすものではない」
そう思いながら、父親は毎朝ペンを持っていた。
そして今、娘は手紙を書いている。
じいじとばあばに。
これは流れが来ている。
ついに来たのではないか。
父親の中で、かなり大きめのファンファーレが鳴り始める。
じいじとばあばのお手紙を書き終える。
次は誰だ。
私は平静を装って見守る。
娘が言った。
「次は、ひじきに描く!」
ひじき。
うちの猫である。
なるほど。
猫。
まあ、分かる。
ひじきも家族だ。
かわいい。
毛がふわふわしている。
娘にとって大事な存在である。
猫に手紙を書くのも、もちろん素敵なことだ。
私は大人である。
猫に先を越されたくらいで動揺してはいけない。
いや、少し動揺している。
毎朝手紙を書いている父親が、猫に順番で負けている。
この事実を、どう処理すればいいのか。
私は何も言わずに見守った。
娘はひじきへの手紙を描いた。
たぶんひじき。
たぶん猫。
たぶんである。
そして次。
娘が言った。
「次はママ!」
ママ。
当然である。
ママは強い。
ここは仕方ない。
むしろ、ママを飛ばしたらそれはそれで心配になる。
私は納得した。
じいじ、ばあば、ひじき、ママ。
となると、次はいよいよパパだろう。
流れとしては完璧である。
祖父母。
猫。
母。
父。
若干、猫の位置に違和感はあるが、まあ家族構成として許容できる。
私は静かに待った。
絶対に言わない。
ここで私から、
「パパには?」
とは言わない。
それは違う。
自分から描いてくれるからこそ意味がある。
父親は待つ。
父親は催促しない。
父親は大きな器で、娘の自発性を見守る。
そう心に決めた。
娘はママへの手紙を描き終えた。
そして、紙を置いた。
終わりそうな雰囲気だった。
え。
終わるの?
今?
この流れで?
私の中の大きな器が、急に小鉢くらいのサイズになった。
いや、待て。
ここで動揺してはいけない。
パパは今、一緒にいる。
だから書かないのかもしれない。
じいじとばあばはこれから会う人。
ママは今いない。
ひじきは家にいる。
一緒にいる。
では、なぜひじきには書いたのか。
この問いは危険である。
深掘りしてはいけない。
父親が猫と順位を競い始めたら終わりである。
でも、すでに少し競っている。
心の中で、ひじきと私のランキング表を作り始めている。
器が小さい。
かなり小さい。
小皿である。
私は耐えた。
でも、耐えきれなかった。
「パパには?」
言った。
言ってしまった。
自分から言ってほしかったのに。
自分から言ってほしいから、絶対に言わないと決めていたのに。
言った。
父親の自制心は、娘の手紙の前ではかなり弱い。
娘はあっさり言った。
「パパにも書いてあげる!」
そして描いてくれた。
うれしい。
ものすごくうれしい。
そこは本当だ。
自分のために描いてくれた紙を見た瞬間、さっきまでの小皿みたいな器はどこかへ消えた。
父親は単純である。
ただ、少しだけ複雑でもあった。
毎朝手紙を書いているのに、なぜパパは自動的に出てこなかったのか。
じいじとばあば。
ひじき。
ママ。
そして催促されたパパ。
いや、いい。
書いてくれた。
それで十分なはずである。
十分なはずなのに、心のどこかで、
「自分から書いてほしかったな」
と思っている。
かなり面倒くさい。
子どもに見返りを求めているつもりはない。
毎朝の手紙だって、返事がほしくて書いているわけではない。
ないはずだ。
でも、こういう場面になると、心の奥から小さな期待が顔を出す。
「そろそろパパの番では?」
と。
しかもその期待は、猫に先を越されると、きちんと傷つく。
本当に面倒くさい。
私は娘の描いてくれた手紙を見た。
ハートのようなもの。
顔のようなもの。
何かしらの線。
どれがパパなのか、正直よく分からない。
でも、これはパパに描いてくれたものだ。
催促したとはいえ、描いてくれたものだ。
そう思うと、やっぱりうれしい。
父親の感情は忙しい。
うれしい。
でも少し寂しい。
ありがたい。
でも少しだけ順位が気になる。
愛情深い父親でいたい。
でも猫に負けた気がしている。
私は自分の器の小ささを感じながら、娘の手紙を大事に受け取った。
もしかすると、子どもの愛情表現は、大人が期待している順番では出てこないのかもしれない。
突然じいじに向かい、ばあばに向かい、猫に向かい、ママに向かい、そして催促されたパパにも向かう。
それでも、出てきたものは出てきたものだ。
順番に傷ついているのは、たぶん私の問題である。
今日も私は、娘からの手紙を待っている。
いや、正確には、待っていないふりをしながら、かなり待っている。
もしかすると親の愛情とは、返事を期待していないと言いながら、返事が来る気配に全力で反応してしまう、なかなか面倒くさいものなのかもしれない。
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