手紙の本文は読めないのに、最後だけ読める3歳児
最近、私は娘に手紙を書いている。
毎朝、仕事へ行く前に、小さなメモ用紙へ数行だけ書く。
リビングのテーブルの端で、出勤前の少しだけ余った時間に書く。
余った時間と言っても、別に優雅な時間ではない。
着替えた。
カバンも持った。
そろそろ出ないといけない。
でも、あと一分くらいならある。
その一分で書く。
「きょうもたのしんできてね」
とか、
「かえったらあそぼうね」
とか。
内容としては、かなり普通である。
名文ではない。
文学賞にはかすりもしない。
朝の父親が、出勤前に少しだけ眠い目をこすりながら書いている短いメモである。
ただ、最後には必ず書く。
「〇〇ちゃんだいすき」
かなりの頻度で書く。
というか毎回書く。
私は昔から、好意は伝えた方がいいと思っている人間なので、こういうことをすぐやる。
少し面倒くさい。
でもやる。
娘はまだ文字を全部読めるわけではない。
ひらがなには興味が出てきている。
知っている文字もある。
でも、手紙を最初から最後まで自分で読むほどではない。
だから最初は、妻が読んでいた。
「パパからおてがみだよ」
と言いながら、読んでくれていたらしい。
私は仕事中なので、現場は見ていない。
後から報告を受けるだけである。
育児における現場不在の管理職みたいなものである。
「今日どうだった?」
「手紙読んでたよ」
「反応どうだった?」
「嬉しそうだったよ」
現場報告を受ける父親。
かなり面倒くさい。
ある日、妻が少し急いでいた。
朝は忙しい。
娘の準備もある。
家のこともある。
おそらく、私の手紙を情感たっぷりに朗読している余裕などなかったのだと思う。
妻は手紙を読んでいた。
しかし最後の、
「〇〇ちゃんだいすき」
を飛ばしたらしい。
すると娘が言った。
「〇〇ちゃんだいすきって書いてない?」
監査が入った。
しかも、かなり正確である。
私はその話を聞いて笑った。
そこか。
そこを確認するのか。
数行ある。
本文もある。
父としては、わりと頑張って書いている。
「きょうもたのしんできてね」
「かえったらあそぼうね」
それなりに毎朝、少しずつ変えている。
しかし娘が気にしているのは、最後の一文だった。
いつの間にか娘の中で、手紙の締めは、
「〇〇ちゃんだいすき」
になっていたらしい。
完全にフォーマット化されている。
テンプレートである。
しかも、読み飛ばし不可。
品質保証部が動くレベルである。
妻が読み飛ばす。
娘が気づく。
「そこ、抜けてますよ」
と言わんばかりである。
3歳児による文末監査。
かなり厳しい。
そして数週間後。
さらに驚くことが起きた。
娘が手紙を指さして言ったのである。
「〇〇ちゃんだいすき!」
そこだけ。
本文は読めない。
そこだけ。
ピンポイントである。
私は最初に聞いた時、少し笑った。
なんでそこだけ覚えた。
いや、覚えるか。
毎回書いている。
原因は完全に私である。
同じ言葉を、毎朝毎朝、しつこく書いている。
パパからの手紙。
最後にはだいたい、
「〇〇ちゃんだいすき」
この運用を続けた結果、娘の中でそこだけ読めるようになったらしい。
教育効果なのか。
刷り込みなのか。
愛情表現なのか。
分類が難しい。
その後も同じだった。
妻が読む。
娘が聞く。
最後だけ娘が読む。
共同作業である。
かなり効率の悪い音読システムだ。
でも私は、その話が妙に嬉しかった。
文字を覚えたことも嬉しい。
もちろん嬉しい。
でも、それ以上に嬉しかった。
娘の頭の中で、あの文字列が、
「〇〇ちゃんだいすき」
として登録されている。
それが嬉しかった。
私は昔から、人の反応の理由を考えてしまう。
だから今回も考えた。
娘は文字を覚えたのか。
言葉を覚えたのか。
それとも、
「パパの手紙の最後には好きって書いてある」
を覚えたのか。
たぶん全部少しずつだと思う。
ただ、子どもは本当に面白い。
大人が覚えてほしいところと、覚えるところが違う。
こちらは文章を読んでほしい。
せっかく書いた本文もある。
父親としては、そこも少しくらい味わってほしい。
しかし娘が最初に覚えたのは、
「〇〇ちゃんだいすき」
だった。
まあ、それでいい気もする。
というか、それが一番大事だったのかもしれない。
私は普段から、
「だいすきだよ」
を結構言う。
ハグもする。
手紙にも書く。
かなりしつこい。
将来的には、
「パパうるさい」
と言われる可能性もある。
十分ある。
いや、かなりある。
でも今はいい。
今しかできないからだ。
最近、少し思う。
子どもは、文字を覚える前に、その言葉にくっついている空気を覚えているのかもしれない。
朝の眠い時間。
テーブルの上の小さな紙。
妻が読む声。
自分の名前。
そのあとに続く、
「だいすき」
という言葉。
そういうものが何回も重なって、ある日突然、文字として見えるようになるのかもしれない。
だから今日も私はたぶん書く。
「〇〇ちゃんだいすき」
娘はまだ全部は読めない。
でも最後だけは読める。
もしかすると子どもって、文字を覚えるより先に、自分が愛されている場所から覚えていくのかもしれない。
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