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父親、まだ来ない返事を待っている

私は毎朝、娘に手紙を書いている。

仕事へ行く前に数行だけ。

「きょうもたのしんできてね」

とか、

「かえったらあそぼうね」

とか。

そして最後には必ず、

「〇〇ちゃんだいすき」

と書く。

かなりの頻度で書く。

というか毎回書く。

少し重い父親かもしれない。

自覚はある。

でも書く。

そんなある日。

仕事から帰ると妻が言った。

「今日ね、お返事書きたいって言ってたよ」

私は少し止まった。

お返事。

返事である。

文通が成立しそうになっている。

しかし娘はまだ文字が書けない。

読める文字も少ない。

なので妻が、

「折り紙とかお絵描きでお返事書いたら?」

と提案したらしい。

すると娘は、

「うん!」

と嬉しそうだったらしい。

私はその話を聞いて、
少し嬉しくなった。

かなり嬉しかった。

でも同時に少し笑った。

なぜなら、

まだ返事は来ていないからである。

来ていない。

一切来ていない。

文通開始の宣言だけされた。

実際の返答は未着である。

現在も待機中だ。

私は時々テーブルを見る。

ない。

折り紙を見る。

ない。

お絵描き帳を見る。

ない。

返事は来ない。

かなり気長なプロジェクトになっている。

ただ不思議と、
それでも嬉しい。

私は昔から、
好意は言葉にした方がいいと思っている。

ありがとう。

助かった。

好きだよ。

そういうものは、
思っているだけより伝えた方がいい派だ。

だから娘にも、
手紙を書く。

だいすきを書く。

ハグもする。

結構やる。

少しやり過ぎかもしれない。

でも最近思う。

子どもって、
こちらが思っている以上に受け取っている。

毎朝置いてある手紙。

読んでもらう時間。

最後に書いてある、

「〇〇ちゃんだいすき」

その全部を、
少しずつ受け取っていたのかもしれない。

だから娘は、

「お返事書きたい」

と言ったのだろうか。

もちろん分からない。

3歳児の頭の中は謎である。

私は昔から、
人の行動理由を考えてしまうタイプだ。

だから今回も考える。

返事を書きたいのはなぜだろう。

手紙が嬉しかったのか。

真似したかったのか。

自分も伝えたくなったのか。

そんなことを考えてしまう。

かなり面倒くさい父親である。

普通に喜べばいいのに。

ただ、
あの日の娘は確かに

「お返事書きたい」

と言ったらしい。

そしてそれだけで、
毎朝数行書いていた時間が少し報われた気がした。

もちろん私は聖人ではない。

眠い日もある。

面倒な日もある。

今日は手紙いいかなと思う日もある。

でも今は続けている。

なぜなら私は、
まだ来ていない返事を待っているからだ。

完全に期待している。

かなり期待している。

そしてたぶん、
返事が来たら保管する。

きっと成人した娘に自慢する。

そういう父親である。

もしかすると子どもって、愛情を受け取った時より、“自分も返したい”と思った時に、初めてその愛情を自分のものにするのかもしれない。


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