『送り火のあとに』〜お盆特別版③〜
──お盆の終わりの夜だったんですよ……えぇ……
焚き終えた送り火の残りが、まだ赤く息をしていましてね。
パチ……ッ、パチ……ッ、と、ときどき小さくはぜる。
線香の煙がね、細い糸みたいに空へ登っていって、夜の黒に吸い込まれていく。
庭の隅では、茄子の“牛”と胡瓜の“馬”が、行灯の灯りに照らされて、ちょこんと並んでいる。
風鈴は鳴らないのに、ガラスがかすかに触れ合って「チ……」と鳴いた気がしたんです。
畳に手をついて縁側に上がると、編み目の跡が手のひらに残る。
夏の夜特有の、湿った土と線香の香りが、胸の奥まで沁みて……えぇ……
私、家族が片付けをしているのを横目に、縁側でぼんやり“帰る匂い”を嗅いでいたんです。
……そのときでした。
足首のあたりを、ひゅう……っと、氷みたいな冷たさが撫でたんです。
真夏の夜ですよ。汗ばんだ皮膚に、一本の冷たい指をなぞられたみたいでね……えぇ……
顔を下げると、そこに──小さな女の子が立っていた。
白い浴衣に、うっすらと麻の葉の模様。
髪は肩でまっすぐ切りそろえてあって、湿ったみたいに額に張り付いてる。
目がね……黒曜石みたいで、でもぜんぜん恐くない。
見上げながら、口の端だけ、ちょっとだけ上げて……にこ……って。
不思議と、身体の緊張がほどけていく。
怖さが来ない。代わりにね、鼻の奥がつんとして、胸がぎゅうってなるんです。
私は思わず、膝をついたまま声を落として言った。
「……もう、帰るの?」
女の子は小さくうなずいて、裸足のつま先が畳の縁に触れるくらいまで近づいてきた。
そのとき、畳の目がほんの少しだけ、霜みたいに白んだんです。冷気で。
彼女、片手を胸の前でそっと揃えると、茄子の“牛”の方をちらりと見て──
ちょん、と指先で触れた。
……転びもしないのに、茄子の足(割り箸)が、なぜか“道路の方角”へ、半歩ぶんだけ向きを変えたんですよ。
「道、分かる?」
そう聞くと、女の子はもう片方の手を上げて、ひらひら……って。
それから、私のほうへ一歩。
息がかかる距離で、口がかすかに動いた。
音は出ていないのに、形で分かるんです。
──「だいじょうぶ」って。
次の瞬間、残り火がパチッと強くはぜて、線香の煙がふわっと厚く流れた。
煙の帯が、縁側と庭の境目で揺れて、まるで薄いカーテンみたいになる。
その白い布の向こう側へ、女の子は足を下ろすみたいに一歩……
輪郭が、光の綿みたいにほぐれていって……えぇ……
煙に紛れたまま、静かに消えました。
……そこでね、風鈴が一度だけ「チリン」と鳴った。
誰も触っていないのに。
庭に目を戻したら、胡瓜の“馬”はそのまま、茄子の“牛”だけが、道の方をまっすぐ向いて立っている。
灰の上には、小豆ほどの“点”が二つ、並んで落ちていましてね。
指でそっと触ると、ひんやりしてる。
……涙だったのかもしれません。私のか、あの子のか。
その夜は布団に入ってからも、胸の真ん中がほんのり温かかった。
眠りに落ちる寸前、耳の奥で「だいじょうぶ」という口の形だけが、何度も何度も灯り直す。
朝になって縁側に出たら、茄子の“牛”の足跡みたいに、灰が細く道筋を描いていたんです。
家の門を抜けて、山のほうへ。
途中で途切れて、そこだけ朝日がきれいに当たっている。
あの笑顔……忘れられませんよ、えぇ……
流産で会えなかった、あの子に……本当によく似ていました。
お盆の最後に、道に迷わないよう、帰り道を確かめに来たのかもしれません。
「だいじょうぶ」って、私に言いに──それから、自分にも言い聞かせに。
送り火は消えたのに、灯りは、胸の中でまだ消えないままなんです……えぇ……
⬆️の本文中に記載している
「流産であえなかったあの子」
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