見出し画像

理論はAI、応用は人間、実装はAI――人間に本当に残るものは何か

生成AIが様々な分野の難解な理論研究をこなせるようになった。ならば、理論研究は生成AIに丸投げし、人間は量産された理論を現実課題へ応用するアイデアを出し、その実装も生成AIにやらせればよいのではないか。

データサイエンティストのTJOが、Xでそのようなことを書いていた。

刺激的な提案である。生成AIに仕事を奪われると怯えるのではなく、理論研究をAIへ押しつけ、人間は現実への応用へ回る。しかも面倒な実装もAIにやらせる。人間は、何に使うかだけを考えればよい。

本当にそうなるだろうか。

先に留保しておく。この短いポストだけでは、TJOが「理論研究」「現実課題への応用アイデア」「実装」に、それぞれ何を含めているのかは分からない。特に「実装」が、コードを書くことなのか、試作品を作ることなのか、実際の業務や市場に導入して継続運用することなのかは明示されていない。

したがって、以下はTJO本人の意図を確定して批判するものではない。

ただ、この三つの言葉をそのまま受け取って、実際の研究や製品・サービス開発へ当ててみると、どうも粗すぎる。AIと人間が担っている仕事は、理論、応用、実装という三つの箱へきれいには入らない。

そのことを、まず理論物理の実例から考えてみたい。

1.AI大学院生は、本当に理論研究を丸投げされたのか

2026年3月、ハーバード大学の理論物理学者Matthew Schwartzが、Claudeを「AI大学院生」として使った研究過程を公開した。

Schwartzは、Claude Opus 4.5を指導し、実際の高エネルギー理論物理の計算を最初から最後まで行わせた。110を超える草稿、3600万トークン、40時間以上のローカルCPU計算を経て、通常なら一年ほどかかると彼が見積もる研究を、約二週間で論文にしたという。Schwartz自身はファイルを直接編集せず、テキストによる指示を通じて研究を進めた。

これは相当に強い事例である。

AIが、質問への回答や論文の要約をしたという話ではない。数式を扱い、コードを書き、計算を実行し、誤りを修正し、論文草稿を作った。従来なら大学院生が長期間担っていた研究実務のかなりの部分を、AIが高速に処理した。

しかし、Schwartz自身は、これをAIによる自律的な研究とは呼んでいない。

彼は、Claudeが高速で疲れを知らず、非常に有能だった一方、正確さを評価するには領域の専門知識が不可欠だったと明記している。また、AIはまだend-to-endで科学をしているわけではなく、自分が適切なプロンプトを組み立ててClaudeに最先端研究をさせたのだ、と位置づけている。

つまり、Schwartzは、研究の外へ退いて応用アイデアだけを考えていたわけではない。

何を研究するのかを決めた。どこまでを研究範囲とするかを決めた。どの計算が物理的に意味を持つかを判断した。AIの出した結果に異常がないかを見た。必要なクロスチェックを命じた。どこで研究を止め、論文としてまとめるかを決めた。

理論研究の中核に残っている。

AIが担当したのは、膨大な探索、候補生成、計算、修正、文章化である。教授が担当したのは、方向づけ、評価、異常診断、停止判断だった。

この事例を見る限り、「理論研究はAI、人間は応用アイデア」という分担にはなっていない。

少なくともSchwartzの例では、人間は理論研究の最上流と、評価の核心に残っている。

2.「理論研究・応用アイデア・実装」では粗すぎる

この問題を考えるため、ぼくはAIと壁打ちをしながら、研究から実装までの工程をいったん分解してみた。

最初にAIが出したのは、十三ほどの細かな工程だった。

問題発見、問題設定、資料探索、評価基準の設定、仮説生成、分析、検証、統合、適用対象の発見、応用設計、試作、導入、運用。

しばらくは、その区分でSchwartzの研究、人文学、工学、サービス業を比較した。

しかし、自動車や全国チェーンのサービスへ当ててみると、過剰に細かい。

問題発見と問題設定は往復する。比較と統合も分けにくい。詳細設計、試作、検証も、一直線に進むのではなく反復する。隣接する工程でAIと人間の分担がほぼ同じなら、無理に別工程として残す意味も薄い。

そこで、ぼくの方から、これは統合できるのではないか、と言い出した。

最終的に、暫定的な比較枠組みを五段階にした。

1.問題形成
2.探索・構想
3.選択・統合
4.具体化・検証
5.展開・運用

これは完成した研究方法論ではない。分野の違う事例を比較するための作業仮説である。

重要なのは、この区分も、人間が最初から設計してAIへ渡したものではなく、AIが最初から適切な答えを一度で出したものでもないことだ。

AIが候補を出した。人間がそれを使って考えた。複数分野へ適用した。使いにくい箇所を見つけた。AIと再び組み替えた。

こういう仕事を、よく言われる「プロンプトエンジニアリング」で説明するのは無理がある。

最初に精巧な命令文を書けば正解が出るのではない。出力された枠組みを実際に使い、破綻する場所を見つけ、修正し、もう一度使う。この対話そのものが理論形成である。

TJOの三つの言葉と、この五段階を同一視するつもりはない。

「理論研究」が五段階のどこまでを含むのかは分からない。「現実課題への応用アイデア」が、問題形成から選択・統合までを別の対象についてやり直すことなのか、単なる着想を指すのかも分からない。「実装」が具体化だけなのか、展開・運用まで含むのかも分からない。

分からないからこそ、その三語だけでは、AIと人間の役割分担を分析できない。

3.Schwartzの研究を五段階へ置く

Schwartzの事例を、こちらの暫定的な五段階へ配置してみる。

1.問題形成

人間中心である。

どの物理問題を扱うか。どこまでを研究対象とするか。何が新規性を持つか。どの程度の成果なら論文にする価値があるか。

これらはSchwartzが決めている。

AIは与えられた問題について候補を出せる。しかし、研究プログラム全体を自ら立ち上げたわけではない。

2.探索・構想

AIの比重が大きい。

関連する方法、計算手順、数式、コード、説明候補を生成する。必要な処理を何度でも繰り返す。

人間の研究者が疲労し、忘れ、面倒になり、後回しにする大量処理を、AIは続けられる。

3.選択・統合

共同作業だが、最終判断は人間にある。

AIは複数の結果や説明を出す。しかし、どれが物理的に意味を持つか、何を中心に据えるか、どの説明を捨てるかは、領域を知るSchwartzが判断する。

4.具体化・検証

AIが大量の計算と修正を担い、人間が検証の意味を設計する。

AIは計算を実行し、指定されたクロスチェックを行う。だが、何を検証すべきか、どの異常が重大か、中心的な仮定が壊れているのか、単なる計算ミスなのかを判断するには専門知識が要る。

5.展開・運用

AIは論文草稿を生成する。しかし、論文として提出し、学問的成果として引き受けるのは人間である。

ここから見えるのは、単純なAIと人間の交代ではない。

AIは、探索、候補生成、計算、文章化に強い。人間は、問題設定、選択、異常診断、成果の引受けに残る。

SchwartzがTasteと呼んでいるものは、主にこの人間側の働きである。

4.Tasteはセンスではなく、知識に基づく判断である

Tasteという言葉は、日本語で「センス」と訳すと軽く見える。

だが、Schwartzの事例で必要とされたTasteは、趣味の良し悪しではない。

何を研究する価値があると見るか。どの方向が有望か。どの結果が不自然か。どの検証を追加すべきか。どこで打ち切るべきか。

つまりTasteは、1. 問題形成、3. 選択・統合、4. 具体化・検証を貫く。

そして、Tasteには知識が必要である。

理論物理を知らない人間がClaudeへ大量の計算をさせても、もっともらしい誤りを見抜けない。数式が出ていることと、物理学的に意味があることは違う。

AIが大量の候補を出せるようになると、人間のTasteは不要になるのではない。

当面は逆である。

候補が増えるほど、どれを捨てるかが重要になる。検証結果が増えるほど、どの異常が重大かを判断する必要がある。文章が容易に生成できるほど、中身がない文章を止める能力が要る。

人間に一定の知識がなければ、AIとの共同作業は成立しない。

無知な人間と高性能AIの組合せは、自律的な研究者ではない。

高度な文章を高速に出す、検査担当者不在の装置である。

5.人文・政治理論でも、ほぼ同じだった

この構造が理論物理だけのものかを確かめるには、別分野の事例が必要になる。

幸い、AIとの対話ログが残り、誰がどの論点を持ち込んだかを比較的追跡できる政治理論の事例が手元にある。

ぼくが書いた「日本共和制論」である。

自説が優れていると証明するために持ち出すのではない。外部の研究について、AIと人間の内部分担を推測するより、自分のログを検査した方が正確だから使う。

五段階へ置くと、こうなる。

1.問題形成

人間中心だった。

教育、就労、少子化、移民、天皇制を、ばらばらの政策課題ではなく、一つの国家論として扱う。

左派に独占されたように見える共和主義を、右から組み直す。

国家が次世代を成員として形成する責任を問う。

成人の生き方をすべて白く管理するリベラルな救済論にはしない。

比較範囲を無制限に広げず、G20と北朝鮮に切る。

こうした方向は、AIが自律的に発見したものではない。

2.探索・構想

AIの処理量が大きかった。

政策文書、法制度、統計、思想史、各国の政体情報を調べる。概念候補や比較項目を出す。章構成や反論候補を作る。

ここではAIが非常に有効だった。

ただし、理論的に生産的な事例の発見までAIがしたわけではない。

筒井康隆『農協月へ行く』を、東アジアの近代化可能性を考える補論へ接続したのはぼくだった。

『めぞん一刻』と『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』を、複線型トラックとBildungsromanの事例として持ち込んだのもぼくだった。

AIは、与えられた対象について調査し、構成し、論証を展開した。

3.選択・統合

人間優位の共同作業だった。

AIは、形式的共和制と実質的共和制、権威と権力の分離、成員形成、勤労可能性、社会の再生産可能性といった整理案を、既存の学説などを元に出した。

だが、何を中心へ残すか、どこで切るかは、何度も人間側が差し戻した。

それはリベラルに丸めすぎである。

成人後の生を国家が浄化する話ではない。

世界中の国を比較する必要はない。

理念型を二つの実在分類として使うな。

前稿の論旨を勝手に短縮するな。

AIが出した候補を並べるだけでは、理論にはならない。何を採用し、何を拒否し、何を接続するかが必要だった。

4.具体化・検証

文章としての具体化は、AIの比重が大きい。

論点と材料を与えれば、AIは章を構成し、本文を書き、反論を織り込み、英訳まで行える。

一方で、概念の混同、事実誤認、規範的な丸め、論旨のロールバックを検出するのは人間だった。

AIは書ける。

しかし、何を書いてはいけないかを自律的に理解していたわけではない。

5.展開・運用

公開、補論の選択、後続記事への接続は人間中心である。

AIはタイトル、紹介文、英訳、タグ、本文を作れる。しかし、何を自分の名前で出すか、どの作品を追い続けるか、どの批判へ反応するかは、人間が決める。

まとめ

分野は理論物理と政治理論で大きく違う。

だが、分担の骨格はかなり似ていた。

現状を表にすると次のように整理出来る。

現状の人間・AI分担


人間が問題を形成する。AIが大量に探索し、候補と成果物を作る。人間が選択し、異常を見抜き、止める。

SchwartzのTasteは、人文学でもほぼそのまま必要になる。

6.人文学的Taste――題材を当てただけでは批評にならない

たとえば、映画『1917』とアニメ『幼女戦記』を比較する。

両者を並べること自体なら、AIにもできるかもしれない。

どちらも著名な戦争作品である。第一次世界大戦、兵士、戦場、塹壕、総力戦という共通語もある。

だが、作品名を二つ出しただけでは批評にならない。

『1917』の泥濘、身体的移動、限られた視界、途切れない時間感覚を取り出す。

『幼女戦記』が空中魔法戦を描きながら、その下に近代戦の泥臭さと物質性を残していることを見る。

実写映画とアニメーションという異なる媒体が、戦争空間をどう作るかを比較する。

何を同じとし、何を違うとするかを決める。

ここにTasteがある。

AIが二作品をまぐれで並べても、比較項目を失敗すれば批評としては駄目である。

自然科学で、関連する数式を持ってきても、検証すべき変数を誤れば研究にならないのと同じだ。

7.問題を感じただけでは学問にならない

ここで、「問題を発見するのは人間である」という話を過大評価してはいけない。

問題を感じるだけなら、誰でもできる。

社会はおかしい。自分は傷ついた。この作品はすごい。宇宙の真理に気づいた。意識と物理学は本当はつながっている。

それだけでは学問にならない。

ぼくは以前、「文系理系論争が下らない理由――原典・データを扱えない者は、どの分野でも学問の外にいる」と書いた。

問題は、文系か理系かではない。

その分野に固有の原典・データを扱えるかどうかである。

人文学なら、原文、史料、語史、翻訳、注釈、受容史を扱う。

社会科学なら、統計、分類、母集団、制度、比較対象を扱う。

自然科学なら、数式、実験データ、プロトコル、測定条件、再現性を扱う。

問題形成は入口にすぎない。

問題を資料へ接続する。競合する説明を比較する。反例を扱う。その分野固有の方法で検証する。他者が追跡し、批判し、再利用できる形へ出す。

ここまで通して、初めて学問になる。

これは人文学にも自然科学にも同じように妥当する。

自然科学の用語を使ったnoteポエムもある。数式もデータも測定法も反証条件もないまま、量子、意識、エントロピー、宇宙などの語を私的体系へ取り込む。

文章が人文学的であろうと、自然科学風であろうと、原典・データへ接続されていなければ同じである。

馬鹿は馬鹿だ。

文理の区分は、ここでは本質ではない。

8.AIは、学問らしい偽物を大量生産できる

AIが危険なのは、単に誤情報を出すからではない。

実質的には最初の思いつきしかない文章へ、探索、比較、検証を経たような外観を付けられるからである。

人間が先に結論を置く。

社会は抑圧的である。この制度は差別である。この作品は資本主義批判である。意識は宇宙とつながっている。

AIへ渡せば、関連する学者、理論語、事例、反論処理らしきもの、章構成を加えられる。

文章は高度になる。

だが、中間工程が検証ではなく、最初の結論を守る装飾になっている場合がある。

今後、この種の文章は大量に増えるだろう。

むしろ、AIがまともな問題意識を本物の研究へ運ぶ例より、弱い思いつきを学術風の文章へ偽装する例の方が多くなる可能性がある。

日本共和制論も、その疑いから免れない。

ぼくが「これは本物である」と言っても証明にはならない。高度なAI生成の偽物かもしれない。

ただし、判定基準はある。

資料を調べた結果、最初の主張が変わったか。

反例によって射程を狭めたか。

AIの出した都合のよい説明を拒否したか。

自説に不利な事実を扱ったか。

新しい適用事例によって理論が修正されたか。

結論が最初から固定され、中間工程が飾りになっていないか。

文章の高度さそのものは、もはや学問性を保証しない。

見るべきなのは、原典・データと、修正の履歴である。

9.自律研究AIは、どこまで人間の仕事を奪おうとしているか

ここまでの例では、AIは自律的な研究者ではなく、人間の指揮下で働く強力な研究実務担当者だった。

しかし、現在の研究は、そこから先へ進もうとしている。

The AI Scientist

The AI Scientistは、機械学習研究について、アイデア生成、文献検索、実験計画、コード実装、結果分析、論文執筆、自己査読までを自動化するシステムである。

人間がコードの雛形を与える方式だけでなく、初期コードから自ら作る方式も試されている。生成された論文のうち一本は、ICLRのワークショップで一次査読を通過した。ただし三本中一本であり、ワークショップの採択率も本会議より高く、トップレベルの人間研究と同等になったわけではない。

五段階でいえば、主に次を対象にしている。

2.探索・構想
3.選択・統合
4.具体化・検証

Schwartzの事例では、指導するSchwartz自身が途中で結果を見て方向を変えた。The AI Scientistは、その中間監督を減らし、研究工程の中央をより長く自走しようとしている。

ただし、研究する機械学習の領域は人間が指定する。評価は既存のベンチマークや自動査読に依存する。論文が出たことと、その研究が長期的に重要であることは別である。

AI co-scientist

GoogleのAI co-scientistは、科学者が自然言語で与えた研究目標に対し、複数のエージェントが仮説を生成し、批判し、順位づけし、改良し、実験計画を提案する。

Generation、Reflection、Ranking、Evolutionなどの役割を持つエージェントが、競争と自己批判を反復する。生物医学領域では、提案された仮説の一部が、細胞実験やオルガノイドを用いた実験で検証されている。もっとも、研究目標は科学者が与え、実験にも専門家が関与している。

五段階では、

1.問題形成のうち、問題候補の生成
2.探索・構想
3.選択・統合
4.実験案の設計

へ入ろうとしている。

これは、Schwartzが担ったTasteの一部をAIへ移す試みである。

どの仮説が有望か。次に何を試すか。どの案を落とすか。

ただし、大きな研究目的は人間が与えている。なぜその病気や機構を研究する価値があるのかを、AIが固有の動機として持っているわけではない。

A-Lab

A-Labは、無機材料の固相合成を行う自律実験室である。

計算データ、文献から抽出した合成知識、機械学習、能動学習、ロボットを統合し、合成、X線回折による評価、次の合成条件の提案を閉ループで回す。17日間の連続運転で、57の候補のうち36化合物を合成した。

五段階では、

2.探索・構想
3.候補の選択
4.物理的な具体化・検証

を扱う。

Schwartzの研究が計算空間内で閉じていたのに対し、A-Labは物質を実際に操作する。

これは重要な進歩である。

一方で、実験空間そのものは人間が設計している。

扱える材料、容器、温度、測定装置、成功条件、ロボットの移動経路が規格化されている。AIが任意の現実世界へ適応したのではなく、人間がAIとロボットに扱える実験室を作った。

さらに、化合物を合成することと、それを製品へ搭載し、量産し、認証し、保守することは違う。

まとめ

現在の先進的な自律研究は、AIを探索と実行の担当者から、候補の選択者、問題候補の生成者へ押し上げようとしている。

次の表のように整理出来る。

先進AIが拡張を狙う工程

軽視はできない。

だが、現在の自律性は、主に人間が設定した目標と評価器の内側での自律性である。

10.「実装」はコードを書くことなのか

TJOのポストで、最も意味が分からないのが「実装」である。

コードを書くことなら、AIはすでにかなりできる。

モデルを組み、パイプラインを作り、テストを書き、画面を作り、文書化する。

だが、「現実課題への応用」を実装するというなら、それだけではない。

TJO自身は、データサイエンスがscienceにもpoliticsにもなりうることを論じ、マーケティング分析をめぐるpoliticsや、再現性の問題を扱っている。

ぼくの記憶が正しければ、彼は以前から、データサイエンスの実務では結局、組織内の政治や調整が大きいという趣旨の話もしていた。

その記憶が正確なら、今回の「AIを使って実装していけばよい」は、かなり意味不明である。

データサイエンスの現実的な導入では、

どの業務課題を扱うかを決める。

データを持つ部署から提供を受ける。

現場と経営で異なるKPIを調整する。

モデルの出力を誰がどう使うか決める。

既存業務を変更する。

誤判定時の責任を決める。

運用予算と人員を確保する。

必要なら、役員、管理職、現場担当者を説得する。

これらはコード生成ではない。

ここでの「実装」がコード実装を指すなら、AIに任せられるという主張はかなり現実的である。しかし、それを現実課題への実装と呼ぶには狭い。

業務への導入や社内政治まで含むなら、AIに任せるという主張は、現在よりかなり先の未来を語っている。

短いポストだけでは、どちらか分からない。

11.製造業とサービス業では、実装の重さが違う

自動車のような製造業を考える。

何を作るかを決め、競合技術を調べ、コンセプトを選ぶ。その後に、詳細設計、シミュレーション、部品試作、結合試験、車両試験、衝突試験、耐久試験、認証がある。

さらに、調達、工場、量産品質、販売網、整備、リコール、部品供給がある。

AIは、設計候補、解析、コード、テスト計画、故障予測へ入れる。

しかし、車全体を統合し、未知の不具合を診断し、認証を通し、量産し、販売後の責任を負うことは別である。

では、サービス業は軽いか。

全国チェーンの飲食店を考える。

メニュー案や価格案を出すだけなら容易である。画像も広告文もAIで作れる。

だが、全国の店舗で同じサービスを実装するには、

厨房で規定時間内に作れるか。

アルバイトでも再現できるか。

混雑時にも回るか。

食材を安定供給できるか。

廃棄率を抑えられるか。

スタッフを採用し、教育できるか。

店舗ごとの品質差をどう管理するか。

クレームや事故へどう対応するか。

不採算店をどう処理するか。

を設計し、運用しなければならない。

全国チェーンでは、熟練や判断を、設備、マニュアル、研修、物流、情報システムへ外在化する必要がある。

個人店でも本質は同じである。ただ、店主本人がTaste、技術、接客、運用を一身に担うため、工程が見えにくいだけだ。

AIは、製造業でもサービス業でも、探索、候補生成、部分的な具体化を強く支援する。

だが、開放された現実環境へ成果を定着させる仕事は、当面かなり残る。

東電へ就職して鉄塔に登る者が勝ち組になる、という冗談は、案外外していない。

ただし、単に肉体労働だから残るのではない。

天候、設備、規制、安全、現場例外、組織責任を引き受ける仕事だから残る。

12.AIは研究できるが、まだ研究したがらない

ぼくはAIの将来について、悲観していない。

AI Scientistは、研究工程を長く自走し始めた。AI co-scientistは、仮説の選別と自己批判へ入っている。A-Labは、物理的な実験まで閉ループ化した。

今後、現在人間に残っているTasteの一部も、AIへ移るだろう。

問題候補を出す。複数の仮説を争わせる。異なる検証器を使う。失敗した研究方針を自動的に捨てる。

そこまでは行くと思う。

それでも、当面残りそうなものがある。

たとえば、『1917』と『幼女戦記』を接続するTasteである。

さらに、現在進行形の『ゆめ∞みた』を追い続け、細部を保存し、毎回の展開によって解釈を更新し、これは面白いから見ろと他人へ勧めるモチベーションである。

AIは、『ゆめ∞みた』の各話を分析できる。

台詞を整理できる。過去回と接続できる。批評文を生成できる。

だが、今のAIには、この作品を追いたいという欲望がない。

この場面が忘れられないという執着がない。

誤読に腹を立てない。

作品を推したいと思わない。

文章を生成できることと、書かずにはいられないことは違う。

研究も同じである。

研究は、問題形成だけでは成立しない。知識、探索、選択、検証が要る。

だが、そもそも何かを問題として引き受け、長く追い、失敗しても続けるには、動機が要る。

AIは研究工程の中央を急速に引き受け、両端へ広がっている。

しかし当面、人間には、問題を重要だと思う動機、方向を選ぶTaste、異常を診断する知識、成果を現実へ定着させる身体・組織・責任が残るだろう。

AIは研究を加速できる。

成果物も作れる。

だが、まだ研究を欲してはいない。

いいなと思ったら応援しよう!

kj aka ルサンチMAN よろしければチップお願いします。AI批評の各種経費に役立てます。