東京のディナー代に消える3万円を使って、モンゴルの羊10頭のオーナーになった
わたしの生活費の一部がいま、
マイナス40度の世界で、もふもふと呼吸している。
先日、モンゴルにいる遊牧民のダーリン(夫)から、連絡が入った。
彼がビザの関係で帰国して、もう一ヶ月。
わたしは、日本の年度末特有の「目の回る忙しさ」を過ごしている真っ最中。転職支援や採用活動。スタッフのフォロー。調整、確認、返信。
小さなパソコンの画面を、ひたすら見つめる日々を過ごしていた。

ビデオ通話で夫がしゃべり始めた瞬間、とんでもないダミ声に驚く。
「喉が痛くて、体が痛くて、熱あるみたい……」
ぐったりしたダミ声の夫。明らかに、風邪だ。しかし夫はいつも「わたし、風邪を引いたことがないんだよ」と言う。
たぶん、「風邪だと認めたことがない」が正しい。(病は気からだよね)
「その状態を、日本では風邪って言うんだよ」
ダミ声夫はしゅんとしながら、反論もできないほどぐったりしている。
前日にマイナス40度の中、かちんこちんに凍った大きな川で遊んでいたことを、わたしは知っている。そりゃあ熱も出るだろう。大人しく家で寝ててちょうだいと言って、電話を切った。

数日後。
電話をすると、夫の声はすっかり元気を取り戻していた。むしろ、ごきげんだ。そのごきげん夫は、こう言った。
「ひつじ、買ってきたよ!」

風邪のち、ひつじ。
展開が急である。どうやら病み上がりに、ひつじを買ってきたらしい。
実は、ひつじの購入は前から決めていたことだった。わたしたちは日本にいるとき、モンゴルでひつじを飼おうという話をし、予算を作っていたのだ。
ひつじはかわいいだけでなく、毛を糸にすることもできるし、肉にもなるし、売ればお金にもなる。「生きている資産」と言える。これは遊牧民の当たり前だ。
当初のひつじ予算は10頭で5万円くらい。
それが、10頭で3万円で購入できたそう。
「すごくない?」と、病み上がりの夫は、得意そうに言った。
ひつじ、40%オフ。
今は寒すぎて、ひつじが弱る時期。なおかつ正月付近は売りに出されることが多く、値がが下がる。上がる時期と、下がる時期があるなんて、ひつじにも相場があるということに驚く。
日々Xには「この株がいいらしいよ!」という情報が流れてくる。でもその頃、わたしの3万円はモンゴルで10頭のもふもふになっていた。画面の中の数字を見守るのも大事ではある。でもマイナス40度の大地でたくましく育つ命があると思うと、なんだか別のワクワクがこみあげる。
はやく、かわいいひつじ達がみたい。ほくほくして「ひつじの写真撮った?」と聞くと、案の定「忘れちゃった」と夫は言った。
代わりに届いたのは、実家で飼い始めたという「ヤク」と、その絞りたてのミルクの写真だった。まっしろなミルクと、同じくもふもふの大きなヤク。
とってもかわいいけれど、わたしが見たいのは“マイひつじ”である。
とはいっても、まだ私たちが世話をするわけにはいかないので、当面は彼の両親や、近所の遊牧民の方々にこころよく見ていていただくことになっている。「育てる(運用)」を代わりにしていただくなんて。
本当に遊牧民の人たちは、当たり前のように助け合って生きているのだ。

そして、夫とやりとりしながらふと考えた。
3万円、結構面白いことに使ったなって。
東京なら、ちょっといいディナーやマッサージ、洋服で消える金額だ。それも悪くないし、わたしはそういう使い方も好きだ。
でも、今はわたし自身、「ちょっと面白くなる」体験に使ってみたいなと思ったりする。金額の大小ではなくて、そのお金が『どんな体験』に化けるかという視点だ。
今、モンゴルでは我が家の3万円が、10頭分の命となって、雪の上でもふもふと呼吸してる。
ずっと離れた場所に、そんな世界が広がっていることがなんだか面白い。3万円を、消えてなくなる満足に使ってもいいし、歩き出す命に変えてもいい。
お金の価値自体は変わらない。
変わるのは、何に使うのかという選択だけだ。
遠く離れた場所に別の形をした自分の生活がある。
それだけでわたしの毎日が、少しだけごきげんなものになりそうな気がするのだ。
今年の夏、草原でもふもふしている“マイひつじ”に必ず会いに行こう。
そのために、今日も東京で働く。

遊牧民のダーリンと暮らしながら「どうすれば人はごきげんに生きられるのか」をゆるく検証しています。
なぜモンゴルにいったのか、の、はじまりのエッセイ
ひつじを飼ったその後。
ひつじを飼うきっかけになったモンゴル人夫との今や暮らしのこと。
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