「非常口の席でいいです」と言った夫が、いつのまにかビジネスクラスにいた話
『はい』と返事しただけなのに、あとから振り返ると、あれは幸運への入り口だったのかもしれない。そんなことを、じわじわ実感した出来事があった。
わたしには、モンゴルの遊牧民のダーリン(夫)がいる。彼は10月から日本に滞在していたのだけれど、ある日、急きょ帰国することになってしまった。

決まったのが直前だったものだから、航空券は当然お高い。通常の2倍はした。
「ああ、ついてないね」「でも仕方ないよね」
そんなふうに慰め合いながら、私たちは帰国当日、空港へ向かった。
モンゴルへの直行便は、観光客と思しき人たちで長蛇の列。覚悟はしていたけれど、それでもなかなかの列。私たちもその最後尾におとなしく並び、チェックインを待つ。
1時間くらい経っただろうか。ようやく呼ばれて、メガネの男性スタッフが手続きをしてくれる。ちらっとわたしと彼を見て、「搭乗はお一人ですね」と確認が入り、そのあと、少し申し訳なさそうな顔でこう言った。
「あいにく満席でして。エマージェンシーシートでもよろしいでしょうか」
「エマージェンシーシート」
一瞬、意味がわからなかった。
……ああ、非常口の近くの席、だよね?あそこって、狭いんだっけ?広かったっけ?もしかして、ちょっと窮屈?
頭の中でそんなことを考えた時間、約2秒。ちらっと彼を見ると、夫は一言。
「はい」
え、いいの?(ここまでのやり取りは、たぶん3秒くらい)
おそらく彼は、特にこだわりもなかったのだろう。まあ、よくわからないけど、乗れればなんでもいいよね。5時間くらいだし。そんな会話をして、差し出されたものをそのまま受け取った。
そして、彼はモンゴルへ帰っていった。

その日の夜。夫からメッセージが来ていたことにも気づかず、私は寝落ちしてしまった。翌朝、メッセージを確認する。
「ねえ、面白いことあった」
メッセージから、ほくほくした感じが伝わる。そのまま電話をすると、彼はやけに楽しそうな声で言った。
「ビジネスクラスになっちゃったよ。しかも目の前、◯◯◯(モンゴルの英雄的元力士)だった」
◯◯◯?え、あの、モンゴルといえばの英雄的力士のあの人ですか?
モンゴルの力士といえば、の。
……え??どういうこと??エコノミークラスの、エマージェンシートじゃないの??
話を聞くと、どうやらこういうことらしい
➡︎そしてここからは、わたしの独断と偏見による考察です。
****
あの「エマージェンシーシートでもいいですか?」という問いかけは、あとから思えば、一種の判断テストだったんじゃないか、という気がしている。
航空券を通常より高く払ったからというのもあるだろうが、とはいえVIPの後ろ。
となると、航空会社側としてはそれなりに人選はするだろう。動けそう。落ち着いていそう。うるさくなさそう、などなど。
そんな条件を一瞬で満たす人を置きたいだろう。そして、夫はわたしからみても、ぱっと見でこの条件に当てはまる。
もしここで、「えー、狭いのは嫌だ」「他にいい席ないんですか?」とゴネていたら、アップグレード対象からは外れていたはずだ。
わたしが航空会社の職員なら、正直、静かそうな人を置きたい。
でも彼は、よくわからないまま、ゆるやに「はい」と言った。
おそらくその素直さが、「この人なら任せられる」という信頼を、3秒で勝ち取ったんじゃないかと思う。

わたしが「帰っちゃった……」と日本でしんみりし、1人の夕食を食べていた頃、彼は雲の上で、モンゴルの英雄と対峙し、きれいなお皿で寿司と牛肉を食べ、飲み放題のドリンクを味わっていたらしい。
ゆったりと足を伸ばせる座席に身を預け、優雅な帰国タイムを過ごしていたなんて。
(内心ドキドキしていたらしいけど)
しかも話はここで終わらない。
同じ便には、モンゴル人のパラリンピックの選手も乗っていたようだ。
ビジネスクラスは、前の席から降りるものらしいが、どうやら夫はその一団にノミネートされた。
結果的に、
・パラリンピック選手
・モンゴルの英雄的元力士(と奥さま)
・そして、うちの遊牧民の夫
この4人が並んで降りることになったという。
妻としてみればあまりにシュールだが、側から見れば、どう考えても「モンゴル国の英雄級グループと、その関係者」にしか見えないだろう。単なるビジネスクラスへのアップグレードにとどまらない、ラグジュアリーな体験。
国の英雄たちと、ひとりの遊牧民。
彼は英雄クラスの対応を受けながら、祖国に降り立ったそうだ。
パーカーにキャップというラフな格好だったため、おそらく『パラリンピック選手のお付きの人』と勘違いされたと思われる。ちゃっかりその役割をになりきって歩いたらしい。
最高に面白かったそうだ。(よかったね)

試しにA Iで調べてみたところ、アップグレードの確率は100回に1回あるかどうか。国の英雄級の人と並ぶ確率に至っては、ほぼゼロのようだよ。

ただ、この出来事で、わたしは、やっぱりなと思うことがあった。
それは、
運をつかむとは、世界から差し出されたものを、「はい」と素直に、軽やかに、上機嫌に引き受けることなんじゃないかってこと。
場合によっては、自分が損するかもしれないし、なんだかめんどくさいかもしれないと思うことであっても。そんな一瞬一瞬の生き方の積み重ねが人生を作る。40年近く生きてきて、そう心から思うのだ。
ちなみに夫はルーツが遊牧民だけあって、本当に持ち物が少ない。スーツケース1個で足りるんじゃないか、というレベルだ。この身軽さが、判断の速さや、運の良さに繋がっている気がしてならない。
結果として、こちらの想像を軽く超えた席が用意されていた。
今回のことでいえば、ビジネスクラスへのアップグレードと、国の英雄達と「チーム・モンゴル」の一員としての帰国。神さまが「よくがんばったね、最高の形で故郷へ送り届けてあげるよ」というギフトを贈ってくれたようにも見える。

そして、うっかりふってきた「役割」をごきげんに引き受けてしまうことも大切だ。
『有名人も同じ人間だと思った!エネルギーは凄かったけど』との感想を述べていた夫だが、「英雄の一味」にちゃっかりなりきって歩き、彼らと少しでも会話を交わしたからこそ、体感として得られた最高の学びではないだろうか。
もしかしたら、ジタバタせずに、執着せずに、『はい』と言える人には、世界のほうが勝手に席(ときには国賓の席)を用意してくれるのかもしれない。
明日から自分にふってくるかもしれない『面倒な役割』や『想定外の事態』も、「これ、なりきりゲームの配役かも?」って思うと楽しいかもね。
そんなお話でした。
※なお、ビジネスクラスへのグレードアップした理由は、あくまで独断と偏見による考察ですのであしからず!
いいなと思ったら応援しよう!
都会のひつじに、草をお待ちしています。