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遊牧民ダーリンと3日間ゲルで暮らしてみたら、不便が贅沢だった

わたしには、年下の遊牧民ダーリンがいる。
今回のモンゴル滞在は1週間。そのうち3日間は、ゲル、いわゆる遊牧民の家で過ごすことにした。

彼は幼い頃から大自然の中で育った、本物の遊牧民。
とはいえ日本には5年近く住んでいたこともあるし、現在では日本語のガイドの仕事もしているから、日本語も上手。顔つきも、モンゴル人と言わなければ日本人に間違えられてもおかしくない顔立ちだ。
でも、子どもの頃生まれ育った世界はわたしとはあまりにも違う。だからこそ、彼がどんな世界で生きてきたのか、この目で確かめたいと思った。

そんな、遊牧民ダーリンとの生活をちょっとのぞき見する体験記。




内装 は「不便」と「豊かさ」のあいだに

今回は、遊牧民の方が貸し出しているというゲルをお借りした。モンゴルの北部の大自然のなかにある住まいだ。ちなみに住所らしきものはないっぽいので、貸主との電話と、その辺の人への聞き込みでなんとか辿り着く。


ゲルを貸すとかあるんだな。エアビー的な
家の前は大自然


ゲルに足を踏み入れた瞬間の印象としては、思ったより整っているなあという印象。とは言っても、ベットと暖炉と机や棚、簡単な調理器具だけ。以上。便利ではなさそうだけど、なんとなく心は落ち着く感じだ。


意外と広々としている


到着するまでの車移動でぐったりしてしまったわたしに、彼は「寝てていいよ」と言った。目を開けるといい匂い。早速、ごはんを作ってくれたようだ。


天井からはやわらかな光が差し込み、広さも意外とある。
朝晩は冷え込むのでストーブが欠かせなかった。まだ9月だけど、気温は5度くらいには下がっていた。ちなみに冬はマイナス40度近くになるから、遊牧民からすると、まだまだあたたかい季節らしい。私からすると充分すぎるほど寒い。

私たちのゲルは一つだけポツンと離れていたけど、徒歩2分ほどの場所に遊牧民の家族が暮らしていた。その家族が薪を運んできてくれたり、火を起こしてくれたりする光景を見ながら、「ああ、これが彼の当たり前なんだ」と思うと、なんだかじんわりした。ちなみにその家族の30代くらいの旦那さんは田中圭にそっくりで、私は勝手に「田中圭」と呼んでいた。
ありがとう、田中圭。

「これはよく燃えるよ」「これは燃えないよ」など、彼がいう。さすが、自然の中で生きてきた知恵が豊富だったなあ。
薪をくべる


やかんもあったので、お湯を沸かしてポットに入れた。ちなみにその時の水は、田中圭の家からもらったものをタンクに入れておいた。近くの湧き水を汲んできたらしい。

火の番をしてくれる彼


圧倒的に不便なんだろうけど、なんだかあったかい空間だ。
何より、ドアを開けると、広々とした草原と青空、そこでのびのび過ごす家畜達の姿が見える。とんでもなく贅沢だ。


ゲル飯を味わう

今回は、滞在中の料理は自分たちで作る。ゲルに到着する前に、スーパーで布団や果物、肉を買い込んできた。
(え、布団まで? と思ったけど、寒い夜に震えるよりマシだよね)

牛肉は力強く美味しくて、羊肉もぜんぜん臭くない。広い草原で、農薬も何もない草を食べ、広大な大地に放牧されているのだから、ストレスがないんだろう。家畜が本当に艶やかで、まさに「命をいただく」感じだ。

彼が作ってくれたのは、牛肉を煮込んだ雑炊のような料理。大きな肉の塊を入れて出汁をとる。自然の旨みが体にしみわたる。

牛肉入りの雑炊のようなもの
肉の塊を入れて出汁をとった


モンゴルは乳製品も豊富で、3日間ずっとヨーグルトを食べた。遊牧民の家などでは干したヨーグルトを食べる習慣もあるという。彼は子どもの頃からこれを食べていて、大好きだという。

「風邪もほぼ引いたことないよ」という彼の歯も、確かに天然で真っ白だ。
恐るべし干しヨーグルト。

これは普通のヨーグルト


そして最近のモンゴルでは、フレッシュな野菜や果物も食べるようになっているようで、スーパーには豊富な種類の野菜や果物が並んでいた。
私たちもいくつか野菜や果物を買ってきた。

ゲルの中には大きな鍋が一つあったので、朝も昼も晩も、ほとんどの調理はそれで行った。肉を焼いたり、汁物を作ったり。
朝食
彼はあまりコーヒーを飲む習慣がないということだったけど、私はパンとコーヒーの組み合わせが大好きだ。スーパーで何気なく買ったコーヒーがとても美味しくて、毎朝飲んだ。


わたしももちろん、料理を作った。スーパーでトマト缶を買っていたので、牛肉を焼いた油でソースを作って、トマトソースパスタ。隠し味にヨーグルトを入れたら、大変まろやかに。

「えーめっちゃ美味しいね!また食べたいよ」

彼は子犬のように喜んでいた。
大した手間はかけていないのに、喜んで食べてもらえるのは幸せだ。ちなみにスーパーで、福岡産の焼肉のたれがあったのでそれをつけて焼肉も食べた。やはり、子犬のように喜んでいた。

冷蔵庫はなかったので、肉やソーセージはゲルの外に吊るして保存。朝晩の冷え込みが、天然の冷蔵庫のように働いてくれる。

ちなみに、田中圭の家には、ちゃんと冷蔵庫が完備されていたよ。

大活躍のカルディのエコバック


普段あまり飲まない私たちだけど、旅は特別なので、ビールを毎日飲んだ。 大自然と、焼肉と、ビールって最高でしょ。


草原を見ながらの食事って贅沢だぜよ


こんな暮らしの中で食べる一皿は、全てにおいて普段より手間をかける。だからこそ、自然と一緒に生きながら、命を繋ぐために食べているということを、より一層実感させてくれるものだった。
草原を眺めながら口に運ぶ食事は、どんなものでも美味しかった。


周辺景色は「何もない」のに豊か

ゲルに泊まる一番の贅沢は、圧倒的な「何もなさ」。
見渡す限り草原と空。朝は牛や馬の声で目覚め、夜は満天の星に包まれて眠る。私たちが泊まった場所は周辺に人もいなくて(田中圭ファミリーくらい)、動物と自然しかない場所だった。

モンゴルの空は、なぜこんなにも近いのだろう。景色を眺めているだけで、心のこわばりがほどけていく。わたしは何より、モンゴルの空の色の移ろいが大好きだ。

日が暮れるにつれて色が変わっていくその空を眺めていると、「何もない」ことこそが最高の贅沢なのだと気づかされる。


夕暮れ時
徒歩2分の小川
近くの湧き水。すっごい冷たい
馬が水を飲みにくる
その辺を牛や馬がのんびり歩く風景
上手く撮れなかったけど、満点の星空が見れる
野に咲くカラフルな花々も見られる



元騎手と、乗馬体験

そして今回の旅の大きな楽しみの1つは乗馬。
子どもの頃から馬に乗っていた彼は、当たり前のように馬と共に生きてきた。パッと見ただけで、馬の年齢も、性格もなんとなくわかってしまう。13歳までは騎手としてレースにも出ていたらしい。それは遊牧民の子どもにとっては、比較的当たり前のことらしい。
(ちなみに鞍などの馬具をつけない馬に乗り、手綱だけ持って30キロ近く走るらしい。どんな子ども時代?)

とりあえず田中圭(左)から、馬を借りた。2時間借りて1,000〜1,500円くらい。


彼は馬が大好きだ。彼の眼差しが馬に向かうときの真剣さとやさしさを見れば、どんな言葉をつくされるよりも、「動物達と共に自然で生まれ育ってきた」という事実が納得できる。

馬の背に身を委ねると、不思議なことに怖さよりも心地よさの方が強かった。彼が一緒に手綱を握ってくれていたからかもしれない。

馬に乗ったまま2時間近く山を登り、森を潜り抜け、旅をした。

森を進む


1時間くらいかけて、山の上まで登った。
ここには書ききれないし、映像には残しきれない。本当に美しい風景が見られた。

きっとこの辺はオオカミがいるね〜と彼。でも全然怖くないらしい。

あまりに気持ち良いので舞い、
寝る


馬さんお疲れ


今回は初めて、全速力の馬に乗って「走る」体験をした。 
楽しい!まるで自分が風そのものになったような感覚だった。

飛んでいるかと思うほど軽やかで速く、身体中が喜び、世界が煌めいて見えた。「今、自然とひとつになってるよ」と心が言っているようだった。


もふもふたちとのあたたかい日常

モンゴルでの暮らしには、常に動物がいる。
触れ合う、という言葉も正しくなくて、当たり前のように、日常に動物達がいた。特に遊牧民は、番犬として犬を飼っているのだけど、その番犬達が私たちのゲルにもしょっちゅうきていた。

ときどき残りものを犬たちに分け与えると、しっぽを大きく振ってうれしそうにしてくれる。日本だったら、人んちのわんこに餌をあげることはないと思うけど。

わたしは野良犬なのか飼い犬なのかもよくわからない。でも彼はやっぱり一発でわかるようだ。昔から番犬として犬を飼っていたようで、人んちの犬とはいえ、扱いがとても上手だ。ちょっとでも犬がでしゃばってこようとすると、いつもの優しい声から一転、腹底から出す「ばう!!」という声と共に威嚇して大人しくさせる。
ちゃんと秩序を保つためにも必要なんだろう。

遊牧民は自然を愛し、動物を愛し、共存する術を知っているのだなあ。


ずっといるもふもふ
もふもふ
多分田中圭の家の犬
多分野良犬


ちなみに、周辺で青空トイレをしていたときに、わらわらとわんこ寄ってきた時は、さすがにおったまげた。

想像してみてほしい。
異国のモンゴルの草原で、みられてはならないものをほぼ丸出しにしながら、ただでさえ恥ずかしいのに、それを知らんわんこに見られている辱めを。でも彼らに悪意はない。「遊んで」と言わんばかりに、ズボン半下ろしのわたし目掛けて走ってくる。あまりにびっくりして助けを求めて、彼の名前を連呼した。普段冷静な彼も、ゲルの中でさすがにびっくりしたようで、お湯をひっくり返していた。

わんこたちは遊びたかっただけなんだろうけどごめんね。
さすがにズボン半下ろしの時は、やめてくれ。

動物たちに囲まれていると、自然と自分の心も柔らかくなる。もふもふの存在は、ただそこにいるだけで人を安心させてくれるのだ。


オオカミみたいにでっかいもふもふたち
その辺を歩くうま
田中圭んちは酪農を営んでいるようで、周辺には牛が大量にいた。すごくおとなしいなと思ったら、おばあちゃん牛も多いみたい。
突然現れるうっし
公園にいたラクダ
羊さんもいた


電気・ガス・水道がない生活にも知恵が宿る


太陽光発電や湧き水を使っての生活。遊牧民は必要最低限の知恵を持ち、自然の力に寄り添って暮らしている。彼らの生活に触れると、「なくてもなんとかなる」と思ってしまう。

宿泊期間中は、お風呂がないので、体を拭くだけ。お風呂好きのわたしにはちょっと辛いかなと思ったけど、意外と大丈夫。むしろ、自然で心が浄化されるからか、不思議といつもより肌の調子も髪の調子もいい。モンゴルの空気はからっと乾燥しているので、汗もそこまで出ないし、気持ち悪くもなかった。

彼は2日目にはサッパリしたいと言い、草原の中で、シャンプーをしていた(注:水で)。


注:周辺に遮るものはありません
鍋(右)で髪を流す

寒くないの?って言ったら、全然平気、とのこと。昔軍隊で、マイナス30度の雪の中、身体を洗わされただけのことはある。(私は絶対に無理です)



さすがにお風呂は諦めていたわたしに「あたたまりたいでしょう」と言って、足湯を作ってくれた。やさしいなあ。草原を見ながらの足湯なんて、贅沢極まりなかったし、心も体もあったまった。

草原の風に吹かれながらの足湯なんて、世界一贅沢なスパ体験だと思った。

夜間でお湯を沸かし
タライに入れてくれたお湯に足をひたす



ちなみにトイレは基本的に青空トイレで過ごした。少し歩けば、遊牧民の人たちが使っているところがあったけれど、あまりに遠かったので。
日本から持っていったウエットティッシュと小さめのビニール袋が役立ったし、最終日近くには、外ですることが快感にすらなっていた(?)。


人の慣れってすごいね。


ご近所の遊牧民とのつながり

今回、ゲルの貸主は不在だったけど、近隣の遊牧民家族(田中圭)にお世話になった。

バーナーで火を起こしてくれたり、携帯を充電してくれたり、薪を毎日持ってきてくれたり、かなり世話をしてくれた。私ちが突然家を尋ねても、奥さんは毎回塩ミルクティーを振る舞ってくれた。

助けてもらっているというより、「これが普通」という感じで自然に支え合っているのが印象的だった。

それにしても田中圭の娘達が、とてもかわいく、そして逞しかった。
自分より遥かに身体の大きな犬にも動じないし、見ず知らずの私たちにも無邪気な笑顔で話しかけてくる。きっとあの力があったら、どこでも生きていけるだろうな。ちなみに最終日に街の方まで連れていってくれたのは、田中圭の嫁の妹の旦那だった(遠!)。

わたしの彼も、こうやって支え合って生きてきたことを、端々に感じさせる人だが、その理由がわかった気がした。


田中圭の家。家にソーラーパネル
テレビも冷蔵庫もある。訪れると毎回、塩ミルクティーを出してくれる
洗濯機も冷蔵庫も完備。チーズを干している


「ない」と思えば何もないけれど、「ある」と思えば、こんなにも世界は豊かだと気づかされる体験。

遊牧民の家で過ごした3日間は、不便さに直面するたびに、逆に心の自由を感じる時間だった。

去年、初めてモンゴルへ行くまでは、社会の中で、もっと何かを探し続けていた気がする。けれど、圧倒的な豊かさに触れたとき、自分の世界はなんて小さく、実は大して大切でもないことに囚われてきたと気づいた。

生きること、人生を謳歌することは、本来もっと本能に直結したもののはず。でも、日常はその感性をいとも簡単に曇らせてしまう。

子どもの頃、夢中で遊んだあの感覚。思いきり深呼吸したときの「生きてる!」っていう実感。それを取り戻させてくれるモンゴルの大自然。

それは競争や評価の中で得られる快楽ではなく、ただ今この瞬間、幸せを感じていいという穏やかな幸福感だった。

日本に帰ってくると、いつも、改めて思う。この国だってあるものだらけ。
何を「ない」と思って生きてきたんだろう。
本当は、すでにたくさんあるんだ。


おまけ(フォトギャラリー)

夕暮れ時
家の前のもふもふ(遠目)
家の前のもふもふ(近影)
肉を切る
白い馬
気持ち良い
山の上
寝っ転がる
ぼーっとする
田中圭んち
空が美しい


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