第七章「奇跡を起こす土地」Act.1「きっかけは突然に」 学園小説relationship
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Act.1「きっかけは突然に」
学年末考査も終了してテスト休みに入った三月中旬。 窓の外には春の気配が微かに漂い始めている。綾香は自室の学習机に向かって、一冊の風景写真雑誌を食い入るように眺めていた。
開かれたページには、宮崎県・高千穂峡(たかちほきょう)が大きく写し出されている。柱状節理の切り立った岩肌、その隙間から零れ落ちる真名井(まない)の滝の美しさは、写真越しでも息を呑むほどに神々しい。 「宮崎、行きたいなあ……」 思い立ったら即行動。綾香はすぐさま階段を駆け降り、リビングにいた父・弘明へと直談判に向かった。
二日後の夕食時。 リビングから一続きになった水瀬家の食卓で、稔之はいつものように、家族より少し遅い夕食を一人で取っていた。黙々と箸を動かす稔之の正面に、弘明が腰を下ろした。
「なあ、稔之。綾香と一緒に、二人で宮崎に旅行へ行かないか?」 稔之は耳を疑った。あまりの衝撃に、口に含んだ御飯を喉に詰まらせそうになる。激しく咳き込みながら顔を上げると、そこには極めて真剣な表情の弘明がいた。 「……な、……いいんですか?」 動揺のあまり、柄にもなく丁寧な敬語が口を突いて出る。 「何がだ?」 「いや……宮崎って、あっちの方まで行くのは、新幹線や在来線の乗り継ぎもあって、経路もかなり大変ですよ? 綾香を連れてそんな遠くまで……」 稔之の本音はそこにはない。だが、弘明を前に正直に「男として」の動揺を晒すわけにもいかず、はぐらかすような言葉を選んだ。 「切符はこちらで手配しておくから心配いらないよ。宿は会社の保養所──いつものところを押さえてある。綾香一人で行かせる方がよっぽど心配だ」 弘明の言葉に、稔之は二つ返事で承諾した。内心の激しい鼓動を悟られないよう、必死に無愛想な顔を装いながら。
翌日。部活を終えた稔之は、中田伸道と共に自転車置き場へと歩いていた。 「中田。俺、来週の後半からしばらく部活休むぜ」 「別にいいけどよ……何か用事か?」 「綾香と、旅行に行く」 中田の表情が、目に見えて強張った。二人の間に、重苦しい沈黙が下りる。 「……何が言いたいかは分かってる。多分、何もねーだろうけどよ……」 稔之が先回りして弁解するように言うと、中田はそれ以上は追及しなかった。 「……部の連中には黙っとくよ。まあ、気をつけてな」 中田はいつもの飄々とした態度で稔之と別れた。……が、どうしても気になり、こっそりと親友の後をつけた。
十数分後。電柱の影に隠れた中田は、ドラッグストアへ入っていく稔之の姿を捉えた。 (……稔ーーーーっ! この間までの落ち込みは一体何だったんだよ!? 機会があればすぐ、そういう行動に移す奴なのか、お前はーーーっ!?)

関谷稔之を監視し、絶叫する中田伸道。
(この話のオチはSidestory⑭へ)
電柱を握りしめ、中田は心の中で激しいツッコミを入れながら絶叫していた。
終業式の放課後。 自分の席に座る綾香は、いつになく浮かない表情をしていた。 「……明後日から、関谷君と二人で宮崎なんだよ」 大きな瞳に悩みの色を浮かべる綾香の両脇に、美樹と律子が立っていた。 「別に気にすることないんじゃない? お父さんたちだって、一人で行かせるよりは……って考えたんでしょうし」 美樹の言葉に律子も頷く。確かにその通りだ。
けれど、どうしてこんなに気持ちが重いのか。綾香は自覚していた。亮哉に、これを知られたくないのだ。亮哉と信頼関係を築き上げたいと願う今の自分にとって、たとえ家族同動然の稔之であっても「秘密」にしたくない、後ろめたいことのように感じられていた。 「……そうだよね! 旅行するからといってね」 不安を打ち消すように無理やり笑顔を作る綾香。
友人二人は笑みを返したが、内心では「稔之がこの機会を逃すはずがない」と危惧していた。一年の頃、稔之が他校の女生徒と連れ立って歩いていた姿を思い出し、その視線の熱さを知っているからだ。 「じゃあ私、寄るところがあるから!」 綾香が教室を飛び出すと、美樹が冷ややかに言った。 「私、関谷稔之って苦手だわ。みなちゃん一筋に見えて、結構女子に人気があって、色んな子と噂になってたじゃない。危なっかしいわよ」 律子は黙って下を向いた。 (違うわ。関谷君はみなちゃんに一途だから苦しいのよ。みなちゃんもそれが分かっているから……) 美樹と律子、二人はそれぞれ違う視点で、親友の未来を案じていた。
「……何故、俺が関谷と旅行に行くことを許可しなければならないんだ?」 図書館横の渡り廊下。綾香の話を聞いた亮哉は、怪訝そうに首を傾げた。 「いや……許可とか、そういう意味じゃないんだけど……」 「俺にはそういう意味合いに聞こえたが」 亮哉の視線は、綾香の顔から寸分も外れない。 「水瀬さん。自分のことは自分で決めるべきだろう? ご両親が依頼されたことなら、君自身がどうしたいかがすべてだ」 亮哉の口調は穏やかだが、そこには明らかに、これまでの彼にはなかった微かな「苛立ち」が含まれていた。

苛立ちを覗かせる彩賀亮哉。
(彩賀亮哉のもう一つの
苛立ちの原因はSidestory⑭へ)
その苛立ちは、嫉妬という感情ではなく、 彼女が自分の意思で行動しようとせず、誰かに止めてもらうことを期待する その幼い依存心に向けられていた。
綾香は瞳を伏せた。 (……どうして私、彩賀君に言いたかったんだろう) 妬いてほしかった。その幼稚な自分を自覚し、綾香は赤面した。 「彩賀君、変なことを言ってごめんね。……じゃあ、勉強頑張ってね」 綾香が頭を下げて立ち去ろうとした、その時。亮哉の胸に、かつてない焦燥が走った。 (……まずい。僕は、なんて冷たいことを言ったんだ……) 西谷から聞いた家族同然の仲。稔之が彼女に抱く剥き出しの好意。それを知りながら不安を打ち明けに来た彼女を、突き放すようなことを言ってしまった。
「水瀬さん!」
呼び止める亮哉。振り返った綾香の目に飛び込んできたのは、亮哉が手に持った武骨な機械――スタンガン……のように見える“光るだけのスタンガン風ライト”だった。
「……ええっ!?」
「これは、科学部の勝田が作った“電撃は出ないが光るだけのスタンガン風ライト”だ。関谷がついていても、道中何が起こるか分からないからな。……気をつけて」
亮哉は至極真面目な、しかし必死に心配を押し殺した顔でそれを差し出した。
(いや、光るだけなら普通のライトでよくない!?)という疑念が過るが、彼の不器用な、しかし確かな愛おしさが伝わり、綾香の心は温かくなった。
「ありがとう、彩賀君」
重厚な“ライト”の重みを掌に感じながら、綾香は礼を言った。
「いやあ……」
綾香に見つめられ、亮哉は耳まで真っ赤にして視線を逸らした。心臓が、自分でも驚くほどの速さで鼓動を打っている。
春休みを前に、スタンガン風ライトを挟んで頬を染め合う、両想い寸前の二人。微笑ましくも奇妙なその光景を、通りがかる生徒たちは全力で避けて通り過ぎていくのだった。
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