第七章「奇跡を起こす土地」Act.2「自然は真実を呼ぶ」 学園小説relationship
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Act.2「自然は真実を呼ぶ」
旅行出発当日の朝。 新幹線のホームには、大きなリュックを背負った綾香と、自分の荷物に加え彼女の重い機材バッグまで一手に引き受けた稔之の姿があった。 「それじゃ、二人とも楽しんできてね」 見送りに来た弘明と晶子が声をかける。綾香が「行ってくるね」と短く応じ、二人は新幹線の重厚な自動ドアの向こうへと消えていった。
窓越しに小さく手を振る綾香と、その隣でどこか硬い表情のまま立ち尽くす稔之。 列車が静かに、しかし力強く滑り出し、その姿が見えなくなったのを確認して弘明と晶子がホームを引き返そうとしたときだった。 「あら、水瀬さん。綾香ちゃんと稔之君、本当に仲が良いのねえ」 偶然通りかかった近所の知り合いが、茶化すような笑みを浮かべて声をかけてきた。 (……仲が良い、か……) お節介な詮索に合わせることもなく、弘明と晶子は何故か少しだけ寂しそうに、お互いの顔を見合わせるのだった。
新幹線で広島を抜け、特急を乗り継いで延岡(のべおか)へと向かうルートは、予想以上の珍道中となった。 不慣れな長距離移動、混雑する車内での乗り継ぎの焦り……数々の騒動が起きたが、稔之は文句ひとつ言わず、綾香の機材を抱え、彼女の安全だけを確保し続けた。
高千穂(たかちほ)に到着したのは、出発した翌日の午後。最寄りの駅からバスに揺られ、深い山間へと足を踏み入れたとき、二人の頬を刺したのは凛とした鋭い冷気だった。 三月下旬の宮崎とはいえ、標高の高い高千穂はまだ肌寒い。 湿り気を帯びた黒い土がスニーカーの底にこびりつく。徐々に滝の音が重低音となって響き始め、やがて目の前に真名井(まない)の滝が姿を現した。
雄大な滝を前に、綾香の背筋が引き締まる。 「……綺麗」 早速三脚を立て、撮影モードに入る。レンズ越しに覗く、規則正しい柱状節理の岸壁を撫でるように流れ落ちる飛沫。 自然の風景を見つめると、いつも心は安らぐ。けれど、 (安らぐっていうことは……今の私の心の中に、何かが足りないのかな?) 自分の心にあるはずの「空白」を探りながら、綾香は静かにシャッターを切った。
撮影を終えた綾香に、それまで荷物番をしていた稔之が声をかけた。 「綾香、折角だからボートに乗らねーか?」 「いいけど……大丈夫? ずっと荷物持っててくれたでしょ? ボートくらい私が漕ぐよ」 「嫌だ。お前が漕いだら沈没する。……俺が漕ぐ」 綾香の奇天烈な運動神経を知っている稔之は、キッパリと断った。三月の水温はまだ冷たい。危険は冒せない。
貸しボートに乗り込むと、稔之は黙々と櫂(かい)を動かした。 (……やっぱり、無理についてきてもらったから怒ってるのかな) 道中の騒動以外、稔之はずっと沈黙を守ったままだ。綾香は申し訳なさを感じ、手持ち無沙汰に景色を眺めることに集中した。
しかし、稔之の心中は綾香の予想とは正反対だった。 稔之は今、燃えるような焦燥に焼かれていた。 かつては「インターハイが決まったら想いを伝える」と悠長に構えていた。だが、この二ヶ月で亮哉と綾香の距離は確実に、そして稔之の知らない質で縮まっている。 稔之は気づいていた。綾香が、亮哉の放つ圧倒的な「知性」や「眉目秀麗さ」、そして何よりあの「清涼さ」に、知らず知らずのうちに惹きつけられていることを。 引け目を感じているわけではない。だが、亮哉が確実に綾香の心へと浸食していく速度に対し、自分だけが足踏みをしている。その事実が、彼を限界まで追い詰めていた。 (……もう、時間がないんだ……) 喉の渇きを潤そうとコーラを煽るが、心の中の葛藤は一向に消えない。 今ここで踏み出さなければ、亮哉に彼女の心を完全に奪われる。この二人きりの旅行こそが、自分に残された最初で最後の勝機ではないのか。
その時だった。 日が落ち、夕暮れ時。柱状節理の岩肌が、深紅の夕陽を反射して神々しく輝き始めた。眩しさに稔之が目を細めた瞬間。
『――私、本当はね、稔之が一番好きなんだよ』
聞き覚えのある、澄んだ声が耳に届いた。 一瞬、時が止まる。稔之はぎこちなく、隣に座る綾香の方を向いた。 稔之の唇が小刻みに震える。だが、綾香はボートの縁から身を乗り出し、風景に見惚れているだけだった。 「おい! あんまり身を乗り出すな! 危ねーだろ!」 「う……ごめんなさい」 我に返った稔之の怒鳴り声に、綾香は丸くなって縮こまった。 「……綾香、さっき何か言ったか?」 「え? 何も言ってないよ」

ボートの上で真名井の滝を見つめる水瀬綾香と、
その傍らで決意を固める関谷稔之。
西谷注※実際の高千穂峡のボートでは
ライフジャケット着用が必要です。
(幻聴か……?) だが、確かに今、綾香の声で「好きだ」と聞こえた。 天孫降臨の地、高千穂。この自然の見えない力が、崖っぷちに立つ自分の背中を押したのではないか。
稔之の中で、何かが音を立てて決まった。 「今夜だ」 その呟きは、滝の音にかき消された。
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