SideStory⑬ :本編六章後-2月14日、本日の工事予定は「足場解体」(前編) 学園小説relationship
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Act.1:律子の淡い想い。綾香、後押し「忍法発動」
2月2週目の水曜日の昼休み。綾香達の属する立華大学付属高校普通科教室。弁当箱を片付けながら美樹が落ち着いた表情で綾香と律子に尋ねた。
「放課後、武久君に渡すチョコレートを買うつもり。二人はどうする?」
まだ弁当を食べていた律子の瞳が一瞬、恥じらいの色に染まったのを綾香は見逃さなかった。

水瀬綾香と中津律子に
チョコ購入を誘う萱原美樹
原因は知っている。先週の土曜日に稔之達とスケートに行った時、稔之の友人の中田と律子が椅子に座って良い雰囲気だったのを綾香は覚えていた。
それ以来、律子の表情が浮ついていたのを感じ取っていた。
(……確かに中田君は感じ良さそうな人だもんね……)
しかし、同時に稔之を苦手とする美樹に知られたくない律子の立場も綾香は理解していた。
戸惑っている律子の表情を見て、綾香はそっと話題を引き取った。
「私、今年は彩賀君にチョコレートをあげようと思っているんだ。いつも勉強教えてもらっているお礼に」更に綾香は続けた。
「でも、ちゃんと選ぶの初めてだから、律っちゃん一緒に選んでくれる?」両手を合わせて綾香は半分申し訳なさそうにほほ笑んだ。
綾香は毎年、母親の手作りのチョコレートを稔之と共に受け取るのがバレンタインの日の習慣だった。
「うん……私は大丈夫だよ、みなちゃん」律子は少し安心したかのように笑顔で返答した。
放課後。綾香は部活に一端顔を出してから、美樹や律子とお店で合流するという流れとなった。
部室に行くと、堀田と悠平が居て西谷は不在との事だった。
「あ、僕達の分は買わなくていいですよ!」
亮哉と稔之の余計な不興を買いたくない二人は先回りして予防線を張った。
「……でも本当に関谷さんには何も買わなくて良いんですか?」
流石に稔之の事を少し気の毒と思ったのか、悠平が綾香に聞いた。
「いつも、買っていないよ」苦笑する綾香を見て、堀田が思い出したかのように傍らの包みを机の上に置いた。
「これ、あげたら良いんじゃないですか?」
包みの中にはおまけが精巧な造りで評判の「チョコカプセル」が複数入っていた。綾香を始め三人でおまけ目当てに買い、チョコレートだけが余ったのである。
「えっ……何か、逆に怒られそう……」引きつった表情を見せる綾香に
「大丈夫っすよ!水瀬先輩からもらったものなら、関谷さん凄く喜びますよ!」堀田の意図を察した悠平が満面の笑顔で綾香に包みを手渡した。
日頃から稔之を恐れている二人は、半分は小さな反抗心、半分は悪ノリで──。余ったチョコカプセルを綾香に託そうと企んでいた。
「うーん……そこまで言うんだったら」綾香も深く考えず、包みを受け取ることにした。
そして学校を出た綾香は美樹と律子が待っている高級チョコレート店へと向かい、少し値段の張る物を選んだ。
その途中、日頃、稔之から聞いていた「中田は放課後、いつも一人で体育館の準備室にこもって部誌を書いてから練習に出る」という話を、何気ない雑談のように律子へ伝えながら。
亮哉のためというより、今日は律子の背中を押したかった。なので律子にもさり気なく同じ物を購入するように促した。
同じ頃、理事長室横の応接室では、壁掛けの大型デジタルサイネージが事務局長の無機質なリモコン操作に合わせて校内の風景を淡々と切り替え、その冷たい光を受けながら写真部部長・西谷は来年度の校内施設撮影の打合せに臨んでいた。
やがて画面がふっと止まり、体育館南側のカーテンウォールの完成予想図が静止する。
「……来期の施設整備のメインだ、工事費は4,500万円で予定している」
年の頃は四十前後であろうか。事務局長は丸眼鏡の奥の気配を微塵も揺らさず、淡々とした声で告げた。
(……彩賀の言っていた壁のアンカーの完成はあんな感じになるのか)
その華やかな完成図とは裏腹に、西谷は黙って画面を見つめたまま、胸の奥に小さな違和感が沈殿していくのを感じていた。
2月14日 放課後。
美樹が西谷に会うために教室を出ていった途端、綾香は律子も教室を出ていく気配を感じ取った。
先に部活に向かうふりをして渡り廊下へ回り込み、柱の陰に身を潜める。
案の定、律子が体育館へ続く渡り廊下に姿を現した。
そして、綾香が隠れた柱の前を通り過ぎ、律子の背中が渡り廊下の向こうへ消える。
冬の光が一瞬だけ柱の影を伸ばした。
綾香は心の中で気合を入れて息を整え、悠平と堀田に教わった“あの術”を思い出す。
『忍法・空気と同化する術』
次の瞬間、綾香の気配はふっと薄れ、風と影の中へ溶けていった。
更に、どこからともなく取り出した目出し帽を、当然のように被った。
こうして身も心も忍者と化した綾香は、影のように律子の追跡を開始した。
律子を追って渡り廊下を抜け、右へ折れて体育館北側へ回り込んだ綾香の視界に、困惑の表情で立ち尽くす律子の姿が飛び込んできた。
原因は綾香にもすぐに理解できた。今日は体育館南側外壁工事の足場解体の日だった。
解体した足場資材を西門から搬出するため、北側に仮置きしているのだ。
当然、体育館北側は通行止めになっていた。
朝のHRで伝達があったのだが、綾香も律子も普段利用しないエリアだったため、すっかり失念していたのである。

戸惑う中津律子
しかし、立ち止まっている場合ではなかった。
このままでは中田は準備室から出て練習に行ってしまう。
(……少し遠回りになるけど、文科系クラブハウスの方へ回れば準備室には行けるんだけど……)
普段から部活でよく利用している導線なので綾香は迂回ルートにすぐに気が付いたが、律子の方は思い浮かばないのか、表情に焦燥の色が現れ始めていた。
(……こっちだよ、律っちゃん……)
咄嗟に綾香は足元の小石を拾い、文科系クラブハウスがある西側へと軽く放った。
地面に当たった小石の乾いた音に、律子の視線がそちらへ向く。
人気の少ない西側を見た律子は、そこなら通れると判断したのか、自然と小走りで文科系クラブハウスの方向へ進んでいった。
文科系クラブハウス前に辿り着いた律子は再び準備室へと向かう行先を見失ったのか、慌てた様子で周囲を見渡した。
文科系クラブハウスの脇には、体育館の裏手へと続く細い外周路が伸びていた。しかし普段使わないその通路に、律子は気づいていないようだった。
見かねた綾香は制服の懐から推しキャラが印刷されたプリントを取り出し、通路を吹き抜ける冬風に乗せるように飛ばした。
(……ああ、飛んでいく……だけど、律っちゃんの為だ……)
推しキャラが飛ばされていくのを見ながら血の涙を流す綾香だったが、友人の恋路を応援するためにひたすら哀しみに耐えた。
そのとき、外周路の奥へと舞い上がるプリントが律子の目に入った。
綾香が普段から推しているキャラクターが印刷されていると気づき、思わず追いかける。
(……落ちて踏まれているの見たら、みなちゃんが悲しむ……)
律子が風に流されるプリントを追って走り出す。
綾香もその後を追い、体育館の西側へ伸びる通路へと向かった。
(……水瀬さん、一体何をしているんだろう?……)
美樹と会った後、写真部部室に向かう途中、西谷は綾香が目出し帽を被り、苦悶の表情でプリントを飛ばして走り去る奇妙な光景に思わず足を止めた。
観察力の鋭い西谷には忍法は効力が全くなかったのである。
しかし、必要以上に他人に立ち入らない西谷はそのまま過ぎ去った。
風に運ばれ落ち葉の中に舞い降りたプリントを拾い上げた律子が顔を上げた先に、体育館西側の小さな扉──準備室のプレートが見えた。
恐らく扉の向こうには中田が居る。
胸の奥がきゅっと縮むような感覚が、律子の足をその場に縫いとめた。
(……よく考えたら、中田君とは一度しか会ったことないし……迷惑かも……)
持ってきたチョコレートの箱が急に手に余るような感覚を覚えた。
(……律っちゃん、大丈夫だって!中田君は人の好意を無下にするタイプじゃないよ!)
背後で軽く地団駄を踏みながら、躊躇する律子を見かねた綾香は足元の落ち葉を一枚つまんで風の流れに任せるように指から放した。
準備室の扉へと吸い寄せられていく落ち葉に向かって綾香は両手を伸ばして指先から光線を出している仕草をしながら念じた。
(……律っちゃんが勇気を出しますように!中田君が現れますように!)
すると綾香の念力が通じたのか、ガチャリと音を立てて扉が開き、いつもの温和な表情の中田が現れた。
「中津さん?どうして此処に?」
律子を見て驚きつつも人柄の良さを予想させる柔和な笑顔で中田は律子を見つめた。
包み込むような中田の目線に律子は心の中の緊張が一気に溶けていくように温かい温もりが心の中に広がった。
「あの……この間、スケートに誘ってもらったお礼に……迷惑でなければ……」
最後の方は自分でも聞こえない位小さな声になっているのに律子は気付いていた。
中田の方に手を伸ばしてチョコレートを渡す為、俯き加減になっているのでつま先の砂利が震える様に揺れて見えた。
中田はその震えごと受け止めるかのように律子が差し出したチョコレートを両手で包み込んだ。
途端に身体が軽くなった感触で思わず、律子は中田の顔を仰ぎ見た。
中田の温かい視線が律子の瞳を捉えた。
「ありがとう。俺もあの日、凄く楽しかった」
中田の柔らかな落ち着いた声が一瞬、二人の時間を止めた。
その短い視線の交わりが、二人の胸に同じように静かな余韻を残した。
少し離れた外周路では、足場解体後の搬出に追われた職人たちが忙しなく行き交い、資材の山が慌ただしく動いていた。
けれど、その喧噪めいた気配さえも、この瞬間の二人には遠い景色の揺らぎにしか感じられなかった。

中津律子と
優しく受け止める中田信道。
(本編第六章Act.3後日談完了)
中編へと続く↓
